生きてる?!

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「……なんですか、亀谷さん」  私の視線に、伊沢君が前を向いたまま聞いてくる。 「伊沢君、考え込んでいるみたいだから。何か気になった?」 そう答えた時、交差点でハンドルを切った彼の左の手の甲に、擦り傷があるのに気がついた。あれっと、つい声を上げてしまった。エレベーターの扉を抑えたのは右手だったし、その後も意識しまいと伊沢君を直視しないでいた私は、その時まで彼の手の傷に気がつかなかったのだ。  左手の手のひらの方から小指の下を通り手の甲に向かっての大きな擦り傷。かさぶたの周りの肌は赤く腫れていた。見るからに痛そうだ。 「伊沢君、怪我したの?」  私の問いに、伊沢君の返事は歯切れが悪かった。 「ええ、まあ……ちょっと転んじゃいまして」 「もう。ドジなんだから」  体の大きな彼が何かにつまづいて転ぶ姿を想像して、呆れながら小さく笑うと、彼は少し眉を下げて車の進行方向を見たまま、唇の端を持ち上げた。  私、伊沢君の薄い唇が動く様に、つい目が釘付けになった。  黙って横顔を見る私に、どうしましたかと彼が問う。 「べっ……別に」  伊沢君が運転中で、彼に顔を見られなかったのは幸いだった。顔に集中する熱を意思でねじ伏せようとしたが正直うまくいかなかったから。なんでもないわよ、と続けた言葉は震えていなかっただろうか。おかしい。今日は調子が狂いっぱなしだ。  動揺の真っ只中にいた私は、彼の考え込んでいる様子も、手の甲のかすり傷についても深く考えることをしなかった。  休憩室で、女性二人のあの物騒な会話を聞いた後だというのに……。
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