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「この間は無理を聞いてもらって悪かったね。すごく助かった」
にこりと微笑むと中田さんが私に紙袋を差し出した。後ろで、橋下さんと坂田さんの二人が色めき立つ気配。ハイエナどもめ。私は気づかないふりをキープして中田さんの前に立った。今彼が話しかけているのは私! だから。優越感とともに私は微笑み返そうとぎこちなく表情筋を動かした。しかし残念なことに、大人の女性らしく余裕で微笑みたいのに、中田さんの前に立っているという緊張と、普段顔筋を動かしていないせいで妙ちきりんな愛想笑いになってしまった。それなのに中田さんはきらめくような微笑みを再度返してくれる。天使だ。中田さんの後ろに羽が見える気がする。
彼が無理を聞いてもらったと言っているのは多分、先週頼まれた急な設計変更のことだろう。
「ああ、あれですか。なんてことありません」
嘘だ。実はその時、他にも私は案件を抱えていてあっぷあっぷだった。中田さんの頼みじゃなかったら、キレて机でも蹴飛ばしていたに違いない。中田さんに少しでも良いところを見せたくて伊沢君を巻き込んで頑張ってしまった。
「なんてことなくないでしょ。ほんと助かったから」
戸惑いながら受け取った紙袋の中を覗くと菓子折りの箱。美味しいことで有名な老舗洋菓子店の焼き菓子だった。確か本店でしか扱っていない限定品で、行列に並んでもなかなか買えないはず……。もしかして並んでくれたのだろうか。私のために? まさか……舞い上がるな、と自分に言い聞かせる。
「そんな、お気持ちだけでもう……仕事をしただけですから」
遠慮して(形ばかり、だけど)紙袋を中田さんに戻そうとするとその手を軽く押さえられた。中田さんの男らしくて整った手が私の手の甲に当たる。それだけでドキドキして倒れるかと思った。
「みんなで食べて欲しいな。これからも迷惑かけるだろうし、ね?」
あ、私にだけじゃないんだ。厚かましくも少しがっかりしたけれど、心の中でかえって中田さんの株が上がった。私ばかりを持ち上げすぎず、周りの人間にも配慮するところが大人だなと思ってしまう。私の方も、周囲からあの人ばかりと思われずに済むから助かるし。中田さんが営業で抜きん出て成績が良い理由がわかった気がした。こういうことさりげなくされたらそりゃ相手はイチコロだ。
「……それじゃ、ありがたくご馳走になります」
「うん、ぜひそうしてくれると嬉しい」
軽く微笑んだその瞳ににじんだ柔らかな光は、できるオトコ特有の自信と色気を含んでいて……私、足に力を込めてふらつきそうになるのを、なんとか踏みとどまった。
無表情もなんとか死守したけど(多分)、去って行ってしまったその背中をなんとなしに見送ってふわふわとした気持ちのまま戻ってきたら、伊沢君が声をかけてきた。
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