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取り憑かれました
「あの、すみません亀谷さん……」
おずおずと後ろからかけられた声に
「資料ならそこに置いといて」
作業に没頭していた私はパソコン画面とにらめっこしたまま、声をかけて来た彼のこと、振り返りもせず言った。
遠慮がちに資料の束が私の傍におかれた、と思ったら机の上に積まれた資料や雑誌やらがドミノ倒し的に傾き、デスクの上のマグカップを倒した。横倒しになったマグカップから、さあっと茶色い波が押し寄せてきて私は咄嗟にパソコンを持ち上がり席を立った。
「……っ。何するのっ。全部お釈迦にする気っ」
私、思わず声をかけてきた主、伊沢恭弥をキーッと睨んだ。
「すみません、僕、そういうつもりじゃなくてですね。ああっ、どうしようっ」
うう、作業が止まる。見渡すと当然だけど伊沢君の席が空いていた。よし、あそこを借りよう。
「君の席で作業してるから、そこ、拭いといてよね」
余計なこと、しなくて良いから。ついでに片付けようとかしないでね、と振り返った私がくぎを刺すと、茶色がかった柔らかそうな髪に銀色のフレームの整った横顔が、ピタリと止まった。右手には固く絞られた雑巾が握られている。
こいつ、掃除ついでに私の机の上を片そうとか思ってたな。ほんと考えてることバレバレなんだから。
すみませんと小さくつぶやいた伊沢君に軽く舌打ちすると私は彼の席に陣取って再びパソコンの画面とにらめっこを始めた。
すかさず様子を伺っていた橋下嬢と坂田が伊沢君を挟み込む。入社四年目の二人組だ。営業部の女性社員には及ぶまでもないものの、二人とも無駄にキラキラしている。橋下さんのパッチリとした二重まぶたを彩るアイシャドウは発色の良さからしてどこぞのブランドものだろうなとわかるし、坂田さんは親が弁護士という正真正銘お嬢様だから上から下まで相当お金がかかっている。二人とも、どうしてこんなお堅くていろどりのない職業を選んだのだろう。チャラチャラしたいのなら他所に行ってよと言ってやりたい。
まったく。伊沢恭弥め、仕事は平均的なのに顔面偏差値だけは良いから、女どもにちやほやされているのだ。まあ、その気持ちわからないでもない。設計という専門的な部署のせいか、どいつもこいつもぱっとしない。営業や広報なら見目好い社員が揃っているのだろうけど。ウチは正直空気がよどんでる。そんなところにピチピチの爽やかイケメンがやってきたのだから彼女たちのハンティングの標的にならないはずがないのだ。
伊沢君は四月入社の新入社員。とは言っても、もう二月だから、もうすぐ一年経つ。
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