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翌日は、病院へと行くつもりはなかった。
朝起きた時にはまだ雨は降っていて、まるで止む気配がなかった。
和は傘を持っているのだろうか?
確か、荷物のほとんどは、この間来ていた家族が持って行ってしまい、今日は誰も迎えに来ないらしい。
和が独りで帰れると、LINEを通じて言い張っているところに、おれも居合わせていた。
荷物を取りに来たのは多分、両親だったのだろう。四十代半ばの男女はどちらも、特に背は高くなく、人当たりの良い、ごく普通の夫婦に見えた。
おれにも丁寧に、「息子がお世話になっております」と挨拶をしてくれた。
和の顔は、どちらかというと母親似だと思った。
細面の、きれいな女性だった。
彼らは自分たちの息子が、担当の理学療法士のひとりにふざけてとは言え、セクハラまがいのことをしているとは夢にも思っていないだろう。
――でも、あの人たちにとって和は、怪我をしてしまった大切な息子だ。
そう思ったら、ふいに母のことを思い出した。
あれは小学校一年か、二年の頃だったと思う。急に雨が降り出しても、仕事があった母はおれを迎えに来なかった。いや、来れなかった。
あの時のおれは、先に帰って行く友達たちを寂しく見ていた・・・
結局、雨が止むのを待って帰ったんだと思う。水たまりを避けつつ、独り歩いた道路を薄っすら憶えている。
でも、すぐに止む雨ばかりじゃない――。
そう思うともう、止まらなかった。考えもなく、部屋を飛び出していた。
慌て過ぎていて、和に貸す分の傘を持って来なかったことに気が付いたのは、病院へと着いてからだった。
一度、引き返そうかとも思った時には、和がおれの姿を見つけてやって来たので、そうもいかなくなってしまった。
傘を取りに、和と一緒におれの部屋へと向かう途中、おれは考えていた。
和とはちゃんと、話をしなければならない。
和は結局、最後のさいごまで、おれと宗司郎さんとのことをバラさなかった。
おれと和とのやり取りを見ていた、看護師の小山田さんの態度ですぐに分かった。
和は当初の計画、約束通りにリハビリを全うしたというのに、おれは、そんな和と約束をすることはおろか、向かい合いもしなかった。
黙って、逃げてばかりいた。
仕事を、よりによって和に指導していたリハビリを言い訳にして。
サイテーだと思った。
しかし、サイテーなのは、それだけではなかった。
おれの部屋で、和にたずねられるままに宗司郎さんとのことを話した。
納得ずくで不倫なんかして、だから大人は汚い。と軽蔑されるのかと思ったが――、かえって、心配をされてしまった。
センセイはそれで、辛くはないのか?と。
宗司郎さんとのことを他の誰かに話すのは、和が初めてだった。
しかも、同情されるとは思わなかった。五才も年下の、まだ高校生に。
――しかし、和がおれに抱いていたのは同情ではなくて、愛情だった。
そのことをあの時やっと、おれは思い知った。
和のおれへと示してくれた言葉で、態度で、行動で、それら全てで。
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