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その日、犬を拾った。我が家で四匹目の犬を、私はナツと名付けた。
十一月になって間も無く、私は転職活動で内定をもらった矢先の出来事だった。
家に帰ると、母が夕方には珍しく勝手の通路に顔を出しており、私を見るなり手招きをした。
何かと思っていけば、物置の軒先に、それは居た。
犬だ。薄茶と白の少々荒れた毛並みの犬が、そこに居た。
柱に紐で結ばれた犬は、敷かれたタオルの上に静かに丸くなっていた。
手を伸ばしても特に警戒する様子はない。と言うよりも、寝ているようだ。
聞けば、家の前の道路で甥っ子たちと遊んでいた所にフラッと現われて、そのままついてきてしまったらしい。
裏の家で飼われている三匹の一匹かと思って母は連れていったようだが、どうも違ったらしい。鑑札がないため、本当に完全な迷い犬だった。
とりあえず警察に連絡し、落し物拾得として届け出た。警察署の方でも保護は可能という事だったが、一週間程度ケージに入れて、その後は保健所預かりになるという。
さすがにそれは忍びなく、我が家で当面は面倒を見る事にした。
どんな環境で育ってきたのか不明だったので、その点は不安はあったが、ケージよりはマシなはずだ。
そうして、全く新しい、とまでは言わないが、数年ぶりに犬との生活が始まった。
とは言え、最初の数日はすぐに元の飼い主が見つかるだろう、と楽観視していて、散歩とエサ以外はあまり気を使わなかった。
しかし、二日、三日と過ぎて行き、いよいよ、世話にも本腰を入れなくては、と思い始めた。
名前を付けたのもその頃である。さすがにおい、とかお前、呼びを続けるのもどうかと思ったからである。
何故ナツとなづけたのかと聞かれたら、なんとなくとしか言いようがない。
今までに三匹の犬を我が家では飼って来たが、その最初の犬の名前はハチである。我ながら単純このうえない。そんな私であるから、深い考えはなく、本当にただただナツと名付けた。
かつて我が家にいた他の二匹の名前はモモとクッキー。こちらは母親がつけたのだが、その母親曰く「なんとなくモモやクッキーと言う感じがした」と言うのだから、私のネーミングセンスはむしろ当然といえるのかも知れない。
ただ、ハチ達は呼んでいるうちに確かにその名前以外しっくりこなくなってしまったので、そう的外れではなかったような気もする。
さて、世話に本腰を入れるに当たり、最初に頭を悩ませたのは寝床である。我が家では外飼いの経験しかない。
最後に看取ったクッキーが使っていた小屋はそれから数年過ぎて古ぼけてはいたが十分使用に耐える状態では残っていた。
しかし、ナツがそもそもどういう環境で育ってきたのか、これがわからない。
元々室内で飼われていたとなれば外ではストレスが溜まって体調を崩してしまう。
試しに玄関や勝手口につれて行ったが、そこから上に上がろうとはしなかった。促しても上がってこない。
警戒しているのか、と思ってその場に置くとお座りの体勢になってしまった。
暫くそのままだったので私がトイレを済ませてもそのままそこに居た。
そしてついにフラッと玄関から室内に上がる気配を見せた。上げてやると、そのまま農家の親戚からもらった米袋に向かって行った。
朝晩、ドッグフードの指定通りの量をやっていたが、それでも足りなかったとみえる。
エサを追加で少し与えながら、どうやら人間と空間を共有して生きてきたわけではないようだな、と私は感じた。
外で飼われていたか、あるいは犬舎のようなところだろう。
何故犬舎、と感じたのかと言うと、ナツは雑種ではなさそうだったからである。
母親の話を聞いて見に来た人や、追々散歩を続けるうちに出会った人達は皆口々に「柴犬ですか?」と言うくらいには柴犬らしく見える犬であった。
上からみると全体的には薄茶だが、お腹周りや鼻の辺りなどは白く、尾も最後にくるりと輪を描いている。そして体重は一〇キロには満たず、体高も四〇センチはないか。
なるほど、確かに外見上はほぼほぼ柴犬である。もし柴犬と言う事であれば、個人の家から逃げた可能性だけでなく、商売用に飼育されていた個体が逃げた可能性も十分にあるだろう。
それであれば、人間とは別に犬舎のような建屋の中で過ごしてきたはずである。
ナツは芝生や草むらの上で横になるのをあまり好まず、連れて行って木陰に繋いでも、すぐに紐が届く軒先のコンクリートや板の上に乗ってしまう所からも、私はこの思いを強くした。
何にせよ、家の中で飼われていたわけではなさそうだが、かといって今までのように外に繋ぐと言うのもうまくなさそうだ、と私は判断した。
あまり上がって来ない様なら玄関先か、とも思ったが、たまにくる甥っ子達には喘息のけがあるので、両親は出来れば避けたい様子であった。
そこで私は、はたと気付く。いい場所があった、と。
それは、母屋と物置の間だった。
今は物置となっている農家だった祖父が選別などに使っていた小屋と母屋は、勝手口の所から繋がる通路になっており、庭からも入ってこれるよう、ドアもついている。
屋根があり、ドアを閉めれば雨風はしのげるし、野良犬や猫が入ってくる事もない。ドアを開ければ、庭にも出れる。そして勝手口から覗けば私達はすぐにナツの様子が確認できる。玄関や室内ほどではないが、それなりの環境だろう。
甥っ子達もほとんど入らないし、掃除も楽なので、そちらの影響もさほど考慮は不要だった。
問題は係留する設備がない事だが、これは思いのほか早く片が付いた。
物置から、祖父が使っていた秤用の分銅が出てきたのである。鎖を通すのに丁度いい穴まであいており、コレを利用することにした。
かなりの重さがあるので、中型犬以上ならともかく、小型犬のナツが引っ張ることは難しいだろう。
こうして寝床も決まった。打ちっ放しのコンクリートではさすがに、ナツが気にせず寝転がっているとはいえ、やはり見ている方としては気になってしまう。
私は早速近くのホームセンターへ出かけて犬用のクッションベッドを購入し、与える事にした。
ベッドを置いてやると、ナツは真っ先に噛み付いた。散々あちこち噛み付いて引っ張って、と扱ってからようやくオモチャではないと気付いたのか、あるいは飽きたのか。そのまま放り出して入り口から庭先へと出て行ってしまった。
これでは使ってくれないかも知れない。しかし、打ちっ放しでそのまま寝かせ続けるのはやはり見ていられない。
どうしたものか、と思いながら、一旦家に戻って小用を済ませて勝手口から覗いてみると、先ほどまでの扱いはどこへやら。ナツは気持ち良さそうにクッションベッドの上で丸まって眠っていた。
私はほっと胸を撫で下ろす。これから冬へと向かって行く中では、クッションの上で寝てくれた方がよほどいい。
こうして、ナツの当面の生活に必要な用意はすべて整った。
その後、朝晩の散歩など、両親と協力で行い、ようやくナツと言う新入りを含めた生活も形となってきたのは、保護してから一週間くらいの事である。
飼い主が見つかる気配は相変わらずなく、さすがに色々と確認しておいた方がいい、と言う事でナツを病院に連れて行く事になった。
私は仕事があるため、両親が連れて行った。駅前に出来た新しい動物病院である。
まだ若い、と言っても両親の目から見てなので私よりはさすがに年上ではあったが、気さくで、動物が好きだというのはよく伝わってくる先生だったという。
私も後日、訪問したが、なるほど、その通りだな、と感じた。ただ、写真の方はやや残念で、診察券用と言う事で撮影した写真は、表情こそ笑っているように見えるが、ピントが微妙にぼけていてしまっていた。
診察の結果、大まかには三つの事が判明した。まず痩せている、と言う事。柴犬、と言うよりもナツほどの大きさの犬の平均体重を一キロ近く下回っていたらしい。
そして、お腹には細菌がいると言うこと。散歩の時からとにかくトイレがゆるく、およそ犬の落し物とは思えないものが排泄されていたが、その原因がこうして判明した。こちらは、ちゃんとしたエサを与えて十分休養を取ればその内改善すると言う事だった。
最後に、フィラリアは陽性。
フィラリアは犬にとっては致命的な寄生虫である。完治する事は絶対にない。ある所では、シロアリに食べられた家を想像してください、と説明されていた。シロアリは駆除できても、食べられた家の柱は元には戻らない。
フィラリアは、犬にとってそういう修復不能なダメージを与える存在なのだ。
とはいえ、先生が言う事には、今の所自覚症状も出てないし、処置を施して行く中で発作等が出ないまま終わる例もあるにはあるので、長いスパンで見ていくしかない、との事だった。
当面は抗フィラリアの薬を飲ませて様子をみる事になった。
私は、その話を聞いて、ひょっとすると本当にナツの飼い主は現われないかも知れないな、と思った。
原因は痩せ方やお腹の調子はもちろんだが、やはりフィラリアである。
これは蚊を媒介とする寄生虫である。狂犬病と違って対処は義務化されてはいないが、真っ当に世話をしていれば予防処置をするよう、方々から案内される。予防も薬を蚊のシーズン中、月一回飲ませるだけだ。
それを怠っていたのか、それともナツがその頃迷子になったのかはわからないが、どちらにせよナツがそういう面倒を見られない環境に月単位でおかれていたのは間違いない。
にも関わらず、こちらが警察に届出をしてもすぐに飼い主が出てこないとなると、探されていない可能性が高いと考えたのだ。
あるいは、警察に届け出る所まではしていないか、だが、どちらにせよ元の飼い主と私達が接触する事がとても難しい状況であるのは理解できた。
後の話ではあるが、私はナツの進みたい方向にひたすら散歩で歩かせてやった事があるが、結局グルグル回り続け、自分の元々居た場所に戻ろう、と言う気配はなかった。
あまり想定したくはない事ではあったが、ひょっとするとどこか遠くから置いていかれた。そんな事情もあったのかも知れない。真相は今尚不明である。
とにもかくにも、ナツの体調もある程度わかった所で、それに合わせて世話の方も対処を変えた。
エサは今までより気持ち多めに与えて、体重が適正値になるように心がけた。
痩せている事から、体力の面にも不安があったので、散歩もよくよく様子を見て、ナツがあちこち行きたがってもある程度の時間で収めるようにした。
先にも書いたが、最初の内はトイレの状況はそれはもう悲惨なもので、本人が意図しない所でも催してしまうくらいであった。
その為、片付けるのも本当に大変であった。
これが改善の調子をみせるまでは、エサはやや多め、散歩は短めで対応した。
また、十二月に入り、寒さが日に日に強くなっていくため、クッションだけでなく、古くなった毛布も一緒に置いてやるなどして、対応した。
クッションには最初噛み付いたりしていたナツだったが、毛布については慣れた様子でそのまま包まっていた。
そうして、二週間ほどはあっと言う間に過ぎて言った。
餌を増やした事でナツのトイレの回数は増えていたが、その分、体調も少しずつ改善の兆しを見せ、トイレの方も、一目で犬の落し物だとわかるくらいの形にはなってきていた。
だが、そうなった所で、今度は新たな所が気になり始めた。
お腹である。来たばかりの頃は確かに痩せ気味だな、などと思っていたのだが、あっと言う間にお腹が出始めた。
さすがに、エサの量を袋に書かれた目安量ベースに切り替える事にした。
病院での再診でも、体重が二キロほど増えて、いくらなんでも早すぎる、と言う事で、エサの量は調整した方がいいでしょう、と言われてしまった。
お腹の中の細菌はかなり数が減っていたので、その点は快方に向かっているようだ、との事だった。
エサの量を調整すると、今度はナツは全く足りないとばかりにアピールするようになった。具体的には、勝手口のドアを叩くというか引っかくというか、とにかくアクションを起こし始めた。
ほとんど鳴かない、と言うか私はナツが鳴いたのをこの時、片手で数えるほどしか聞いた事がなかったが、本当に不思議な性格をしているものだ、と私は思った。
同時に、違和感を覚え始めた。
やたら早く太り出し、その割にまったくエサが足りてる様子がないと言うのはさすがに妙である。
さすがに戸が傷むのと、ナツの爪自体も心配だったので、エサをまた増やしてやり始めた。
それから数日、今まで通り散歩コースを進んでいると、ナツが突然座り込み、股の間を舐め始めたのだ。
普段、クッションの所で毛づくろいがてらそこの手入れをしているのはよく見たし、以前飼っていた犬もやって居た事だが、散歩の途中でいきなり、と言うのは初めてだった。
これはいよいよもって妙だぞ、と思い至り、少し調べてみると、似たような状況の相談案件はネット上にもかなりあり、その大半が一つの答えで結論付けられていた。
妊娠である。
やはり、とまさか、は半分ずつくらいであった。
とは言え、所詮は素人調べである。母親はそうに違いない、と言った所で、父親は「そんな事を言っていたら本当になってしまう」と半信半疑であった。
結局、年の瀬も迫った頃に改めて病院へ行き、エコー検査で妊娠は確定した。
ナツのお腹の中には四から五匹の赤ちゃんが居るとの事であった。
その日から、ナツへのエサはさらに増やした。散歩も、お腹を気にかけながら、無理をさせないように調整する事となった。
お腹がすっかり膨らみ、散歩コースで普段行っていた神社の石畳も危なくなって来た頃、年が明けた。
駅伝も終わり、あっと言う間に一月五日。仕事始めであり、私が新しい職場への初出勤となった。
もはや日課となって定着した散歩を終え、一息ついていると、突然ナツが鳴き始めた。
なんと表現したらいいものか。滅多に鳴かず、鳴き声自体あまり聞いた事がなかったが、それでも苦しげである事はピンと来る鳴き声であった。
私は急いで勝手口から飛び出した。
ナツはグルグルとクッションの上で回りながら、呻き続けていた。
直後、ナツの股の間から黒くヌメヌメした何かがこぼれ落ちた。
私は一瞬、ギョッとしたが、赤ちゃんを出産したのであるとすぐに理解した。
ヌメヌメしていたのは、羊膜だった。
ナツは呻き、相変わらずグルグルとその場で回り続けていた。しかし、同時にそんな状況でも、生まれた赤ちゃんの羊膜を取り除こうと、呻いては舐め、呻いては舐め、を繰り返していた。
その間にもナツのお腹からは次の赤ちゃんが生まれてくる。
私は言葉もなく、ただ、その光景を見守ることしかできなかった。
気付けば、小一時間が経っていた。
ナツの陣痛は続いていた。私は、仕事へ行かざるを得ず、後は両親に任せることとなった。
結局、産み終えるのに三時間近くを要したようで、一段落した、と連絡が来たのは十時を回ってからの事だった。
仕事を終えて戻ると、そこにはすっかり見慣れた大きさに戻ったナツと、目も開かない赤ちゃん犬の姿が、五つ。
決して満足の行く環境ではなかったに違いない。それでもなお、あの小さな体でよく産んだものである。
その姿は、私の中に深く突き刺さった。
我が家で犬が出産するのは初めてではなかった。二匹目のモモが以前、出産している。ただ、その時は私達も知識がほとんどなく、気付けば妊娠していたし、夜、気付いたら産んでいた、と言う状況で、こうしてその瞬間を見せ付けられたのは初めてだった。
ある種、運命や天啓は言いすぎだが、そういうものに似た何かを感じざるを得なかった。
ナツに負けないよう、新たな職場で頑張らなければならないな、と私は改めて思い直したのだった。
ナツの出産は、新たな嵐と言ってもよかった。
最初から考慮に含めて戸締りが出来る空間を用意したわけであるし、どう計算しても、ナツの妊娠自体は我が家に来る前からの事である。
となると、その取扱いは慎重にならざるを得なかった。取り急ぎ警察に相談すると、所定の期間内にナツの飼い主が現われれば、子ども共々引き渡す事になるだろう、との事であった。
案の定と言えば案の定である。
幸い、ナツは慣れない環境であっても、まるでそんな様子を感じさせず、すっかり寝転がっては子供達にねだられるまま、乳を座れるのに任せていた。
育児放棄する気配はなかったが、季節はすでに一月。ナツと子供達だけの押し競饅頭では、この先が実に心許ない所である。
しかし、電気式の暖房器具を設置する事は出来ない。物置は作りが古く、電気は通っていても、電源がないのだ。
結局、段ボールで作った囲いと追加の毛布、そして湯たんぽで、暖を取ってもらう事になった。
ナツは湯たんぽを最初とても邪魔そうに見ていたが、すぐに温かいだけのものだと分かると、あまり気にしないで子供達の面倒に集中するようになった。
ナツの甲斐甲斐しさと言ったら、それはもうなかった。
あれだけ今まで時間が近くなると行きたがっていた散歩も行きたがらず、ひたすら子供達の排泄の世話と授乳にかかりっきり。
ようやく自分も催すと、鳴くので、連れ出すと庭先へ駆け出したかと思うと、すぐに用を足してとんぼ帰りである。
授乳の都合もあるし、本人も本当によく欲しがるのでエサの量は倍以上あげており、トイレの回数自体は増えたが、散歩にはまるで興味がなくなっており、本当に子供のために我が身を捧げていた。
私も湯たんぽの湯の入れ替えなど、毎朝欠かさず、そして鳴けば夜中でもナツをトイレのために連れ出してやるなど、出来る限りの事は行うようにした。
そんな矢先、悲劇は起きてしまった。
それは、出産から三日後の事だった。
休日ではあったが、すっかり染み付いた散歩の時間に起きると、ナツはぐでっと横になって腹を見せ、子供達が乳を吸うのに任せていた。
私は微笑ましくその姿を眺めていたが、すぐに妙だなと気付いた。
子供の姿が足りないのである。どう見ても、ナツの乳に吸い付いている子供が四匹しか居ない。
子供は五匹居るはずなのに。
あまり驚かさないよう、そっと扉を開けて歩み寄る。子供達が満足して乳を放し、それを守るようにナツがそっと体を丸めた。
その隙に、私は囲いをずらし、クッションの中を見ると、ナツの腰の当たりに五匹目が居た。
いやな予感がして、そっと手を伸ばす。
冷たかった。身動き一つせず、その子は冷たくなっていた。私はその子を持ち上げる。
ナツは、全く意に介さない。つまり、そう言う事だった。
私は両親と共に、かつて飼っていた三匹と同じ庭へ、その子を埋葬した。
さすがに、ただ送り出すだけでは忍びなく、私の住んでいる場所にちなんでムサシと名づけて送り出した。
手遅れ、と呼ぶにはあまりにも早い、早すぎる別れである。
何故、と言う気持ちが強かった。
四匹の面倒をナツはよく見ている。放棄したわけでない。
となれば、妊娠に気付くのが遅く、エサも満足とはいかなかった時期が続いたために、一匹だけ胎内での成長が遅れた可能性はある。
もちろん、時期として一月。冬の最中と言う事もあるだろうが、どうしても、自分達の対応に足りない部分があったのでは、と言う思いを拭い去ることは出来なかった。
せめて、残りの四匹はきちんと一人立ちするまではナツと合わせて育ててやろう。そう誓い、私は改めてムサシの墓前に手を合わせた。
それからあっと言う間に日は過ぎていった。ナツは相変わらず、散歩らしい散歩は要求せず、ひたすら子供達の世話をして、時期が来たらトイレ、と催促する日々だ。
そしてスクスクと、子供達は育っていた。一週間ほどでもう丸々とし始め、二週目、三週目になると目も開いて、結構体もあちこち動かし始めていた。目を離せばクッションからも出て行ってしまいそうだった。
四匹が寝ている傍でナツもいよいよ狭そうではあったが、決してその場を必要以上に離れるような事はなく、じっと我が身で子供達を守っていた。
そうして、さらに日は過ぎていき、子供達ももう心配ないかな、と思えるくらい元気に、クッションを離れて歩き回るようになった頃、警察から連絡が来た。
結局、法で定められた期間内に所有者、つまりナツの飼い主が現われなかったため、ナツ及びその子供達の所有権が私達の所へ移る、と言う連絡だった。合わせて、その権利自体を放棄する事もできる、と案内された。
つまり、面倒を見切れないようなら保健所に回す、言う意味だ。
まさかここまで来て後者を選ぶわけがない。
こうして、本当の意味でナツとその子供達は我が家の家族となった。
とは言ったものの、将来的に我が家でナツ共々五匹となると、手に余るのが実情である。
子供達については、里親を探し、時期が来たら譲渡する方向となった。
そうして、さらに日は過ぎて行く。その間、子供達は日に日に大きくなり、ナツもかなりトイレ以外で外を歩きたがる時間が増えて来た。
合わせて、乳をやりたがらなくなっていた。子供達が乳をねだっても、すぐにはやらず、少し吠えたりして、距離をおきたがるようになった。子供達の歯が生え始めた証である。
離乳期に入ったとあって、私は子供達に犬用のミルクや、ふやかしたドッグフードなどをナツのエサとは別に与えるようにした。
最初は二匹が反応し、他の二匹はまったく気にせず、ナツがエサを食べてる間に乳を吸いに寄ったりしていた。
ナツもエサを食べてる間は嫌がらずに乳を与えていたが、本当に少しずつ、子供達への乳やりを避け始めていた。
合わせて、よく子供達も遊ぶようになり、これまたナツが鳴くようになった。
一種の躾というか、社会性の構築が始まったのだ。ナツは絡んでくる子供達に時には吠え、時には歯を立てずに噛み付くようにして、子供達との関係を親子から、大人へ移し始めた。
子供達はそんなナツや兄弟同士での遊びを通じて、力加減や、犬同士のマナーのようなものを学んでいくのだ。
しかし、元々ナツが鳴く事の少なかった事もあり、子供達に吠えたりする機会が増えたため、私の両親は「大丈夫かな?」といささか気が気でなかったようだ。
そんな心配をよそに、子供達は育って行き同時にナツはすっかり夜には疲れきって、子供達が団子で寝ているクッションから離れて、ぐでっと横になって眠っていた。
ナツが子供から完全に離れるまで、そんなに時間はかからないな、と思った頃には、すっかり生後一ヶ月半ほどが過ぎ去っていた。
そして、それは子供達がワクチン接種をする日が近づいた事を意味していた。
生後、子供達がナツの乳から得られる免疫力が、概ねこのくらいの期間を過ぎると低下してくるのだ。
その為、ワクチン接種を行う事で、免疫機能が低下し、病気にかかる危険を減らすのである。
同時に、このワクチン接種終了後は、里親へと子供達を渡せるようになるのだ。
病院でワクチン接種を受け、服作用が出ない事を確認し、子供達は里親の元へと引き渡されることとなった。
すぐと言う事はなかったが、この時点で母親の伝で里親は決まっており、相手の都合に合わせて、一匹、また一匹と引き取られていった。
相手は飼育経験のあるご近所や、我が家の墓があるお寺など、よく知った相手ばかりであった。
ワクチン自体は二回目を打つ必要があったが、それは引き取り手の方で行ってもらうようお願いした。
我が家がお世話になった病院を伝え、問題がなければそちらへ行ってもらい、他に通うアテがあるという相手には一回目のワクチンを接種した証明書類を渡して、次の対応をその病院でしてもらうようお願いした。
向こうもよほど心待ちにしていたのか最後の四匹目が引き取られるまで、一週間もかからなかった。そして、どこの相手も家族総出で迎えに来てくれた。
今現在も、四匹元気だと聞いている。家族で迎えに来てくれただけあって、よく面倒を見てもらっているようだ。
ナツの方はと言うと、子供達が引き取られて寂しがるかと思ったが、特にそういう様子も見せなかった。
いつも通り散歩に行きたがり、戻ってくれば水を飲んで横になる。たまに通路の外まで行って日向ぼっこをする。
そんな調子であったが、二三日ほどして、少しばかり様子がおかしくなった。
散歩にも行き、いつものように横になったと思っていたのだが、突然鳴きだし、グルグルとその場を回り始めたのだ。
散歩が足りなかったのか、と思ってリードを見せても全く反応しない。
私はとりあえず撫でて落ち着かせてやろうとして、ある事に気付いた。
ナツの乳が張っていたのだ。
私は試しに少し引っ張るようにすると、乳が勢いよく飛び出した。
ナツは嫌がるどころか、そのまま動きを止めた。
原因はこれだと判断し、私はナツの乳をよくよく搾ってやった。
牛の乳搾りは体験した事があったが、犬の乳を搾ることになるとは思っていなかった。
結局、すべての乳が張りがなくなるまで絞ると、ナツは満足したようにクッションに戻っていった。
完全に離乳する前に送り出した事で、ナツの体もまだ授乳の時期が終わっていなかったのだろう。
その後、三回ほど同じようにしてやる機会があり、ようやくナツの乳は収まった。
ナツ自身、子育て期間もこれにて本当の意味で終わった事になる。
気づけば、ナツが我が家に来てから五ヶ月程になっていた。
出会いからして突然すぎて、本当にここまであっと言う間だった。
ナツもどこかようやく落ちついたような、そんな表情に見えた。
私は、子供の世話ですっかり汚れてしまったクッションベッドを新しくしてやった。
もう慣れただろう、と思っていたのだが、新しいクッションになるやいなや、ナツは相変わらず気の済むまで噛み付いて、それから中に入って丸まった。
こういう所は変わらない。何か本能的なものがあるのかもしれない。
そんなナツの様子に、私はものはためしでおもちゃを与えてやることにした。
散歩以外、私は仕事があるのでなかなか構えない事と、あまりにもよく寝続けていて、運動不足が心配だった事もある。両親も構ってはいたが、それでもいい歳であり、やはり限度がある。
パンクしないという犬用のボールと、骨の形をしたおもちゃをそれぞれ用意した。
どちらも、よく反応した。
骨は渡してやるなり噛み付いたかと思うとクッションまで運び、前足で押えてガジガジと噛み続けた。
いつもの寝ている様子はどこへやら。散歩ですら見たことの無い素早さだった。
しかし、ものの数分でピタッと噛むのを止め、そのままドアの外へと出て行き、日向ぼっこを始めてしまった。
私はおもちゃを鼻先で揺らしたりしてみたものの、ナツはどこ吹く風で、おすわりから横になってしまった。
あまりお気に召さなかったのか、はたまた飽きが早いのか。
続いて、私はボールの方を渡してみた。最初はあまり興味を示さなかったが、転がしてみると、サッと立ち上がり一気に飛び掛った。
骨のおもちゃより反応がいい。
ナツはそのまま噛み付き、再びクッションの方へと戻っていき、これまたガシガシ噛み始めた。
こっちは気に入ってくれそうだな、と思った矢先、またも何か醒めた様子で日向ぼっこに戻っていった。
なんというか、興味は持ってくれたが、触れてみたらつまらなかった、と言わんばかりの態度である。
私は少々がっかりしたが、ナツが気持ちよさそうに日向ぼっこをしているため、なんというかもうそれでどうでもよくなってしまった。
その後は頭を撫でてやり、あとはそっとしておくことにした。
日向ぼっこが好きなら、それでいいではないか。
なお、結局ボールは気に入ってくれたようで、時々親が覗きみた折には、よく噛んでいると言う事であった。
また、私も休みの日に何度か、鎖の届かない距離まで転がってしまったボールに向かってナツが吠える所に出くわした。
結局のところは、ナツは気分屋の性分なのかもしれない。
ただ、骨のおもちゃの方はボールに比べると遊ぶ姿は少なかったので、好みには合わなかったようだ。
そんなこんなでさらに二週間ほどが経過した。ナツの体調に不審な所はなく、フィラリアの薬も嫌がらず、というか、お構いなしで食べられると思ったらなんでも食べてくれるため、そういう点では本当に手のかからない所で、体力的にもある程度回復してきたと思われた。
四月の半ばには狂犬病の注射も済ませた。担当はちょうど病院の先生であった。
予防接種も終わり、ようやくナツの避妊手術の手続きを行う事にした。
近頃は野良犬を見る事もほとんど無くなっていたとはいえ、ゼロではなく、また、どういう神経をしているのか、平気でリードをつけずに散歩をさせている飼い主が一部にはいるには居たのだ。そのため、万が一という事もあった。
年齢がわからないナツがまたも妊娠するようなことになれば、それこそ寿命にかかわってしまう。
手術当日。当然そんな事とは露知らず、ナツはいつも通り散歩コースを歩く。トイレも、すっかり犬の落し物の体となり、つまめるくらいにまでなっていた。
これなら、手術も乗り切れるだろう。
朝のご飯もお腹一杯食べ、日差しを気持ちよさそうに受けるナツを見ながら、私は仕事へ向かった。
午前中に両親が病院へ連れて行く手筈となっており、後で連れて行ったと連絡が来た。
一日入院となるので、手術が終わって、ぐっすり寝てるのか、はたまた慣れない場所でストレスを溜めてるかな、などと考えながら家へ戻ると、ナツがいつものようにクッションの上で丸くなっていて、私は目を点にして固まった。
ナツはふいに目を開け、私の姿を見るとまた目を瞑った。なんとも連れないが、ナツは大体こうである。
両親に話を聞くと、どうも朝に餌をやってしまったのがよくなかったようだ。
私も少々気にはなっていたのだが、特段支持を受けたわけではないと言うので、餌を与えてしまったが、やはりそれは失敗だったようだ。
結局、次の日に改めて朝の餌を抜いて連れて行くことになった。
散歩が終わると餌をねだられたが、仕方ない。結局、諦めがつくまでナツはぐるぐるとクッションの回りで回っていた。
その日は仕事が休みであったので、私がナツを病院へ送っていった。
ナツは全く気にする様子もなく、呼ばれて私が立ち上がるとそのまま診察へ一緒に入ってきた。
先生からは何度か確認され、餌は抜いて来た事をきちんと伝えた。
その後、手術の跡がくっつくまでの間、患部を保護する服を着せるか、首周りにエリザベスカラーをつけるかを聞かれた。
要は傷口をなめて化膿しないようにするための措置で、最初は服にしようかと思ったが、クッションを噛んだりしていた事を思い出し、エリザベスカラーをつけてもらうようお願いした。
ナツを預けて診察室を出る時にふと振り返ったが、ナツは別にどうという風でもなく、機材などが気になるのか、匂いを嗅いでいた。
次の日、手術は無事に終わり、容態も安定しているとの事ですぐに迎えに向かった。
麻酔の効果もあったのだろうか。術後もよく眠っていたとの事で、ナツはなぜ自分がカラーを巻かれているのかわからないと言った様子でうろうろしていた。私を見ても特に反応はなく、開いたドアの隙間を抜けようとして連れ戻された。
今後の抜歯の予定や薬について話を聞いている間、ナツは外に出たいようでずっとドアの前に張り付いていた。
ドアを開けるや否やさっと駆け出し、さっそくカラーを半開きのドアにひっかけつんのめり、不思議そうというか不満そうというか、とにかくこちらをじっと見上げた。
やはり服にしておいた方が、と頭をよぎったが、どちらが確実に傷口をなめないか、と考えれば結局この方がいい、と判断し、そのまま連れて帰った。
家へ戻ってくると、ナツは車を降りるなり、さっと勝手口へ向かい、用意してあった水を勢いよく飲みだした。
そして、そのままクッションの上へ横たわる。
一日とはいえ、やはり病院ではナツなりの気苦労があったのかも知れない。
カラーが邪魔なのようで、丸まろうとしても収まりが悪いらしく、クッションの囲いの少し盛り上がったところへ顎を置きなおしそのまま目を瞑ってしまった。
何かと不便そうで、不満があるのはもっともだが、一二週間の間である。なんとか辛抱してもらうとしよう。
療養期間は、それでも出産が絡んだ時に比べればよほど楽なものであった。期間も知れている、と言うことと、先にも書いた通り、ナツ自身が薬を忌避しないタイプだったからである。そのまま薬を差し出せば餌やおやつと変わらない勢いで食べてしまうので、本当に楽であった。
散歩は少々難儀した。
いかんせん、傷口に悪いので草の深い所には入らないように、と言われていたので、せいぜい芝生か、きちんと刈られた公園等以外は歩かせないようにしないといけなかった。
だが、ナツの普段の散歩のルートにそんな場所はなく、ナツ自身、そういう開けた場所でトイレを済ませるのは好かないようで、すぐに叢の中へ入りたがるのだ。
そのため、ルートを変えなければならず、結果的にナツはトイレをなかなかしなくなり、限界までぐるぐる歩くような事が本当に多くなってしまった。
ついにするかな、といきむ体勢になったかと思うと「いや、やっぱりこの場所は気に入らない」とばかりにさっと叢に向かうというのもしょっちゅうで、夕方の散歩をよくやっていた父親いわくフェイントが多い、とぼやいていた。
そんなトイレ攻防を続ける事一週間。経過を確認するため、ナツを病院へ連れて行くことになった。
私は仕事の用事があったので、両親が連れて行き、抜糸した、とのメールを受けた。
ようやくあの大きなカラーともお別れである。散歩もこれからいつものコースに戻れるな、などと考えながら足早に帰宅すると、ナツはまだカラーをつけていた。
既視感に額をさすりつつ聞けば、手術後の傷跡の経過も良好で、抜糸をする運びとなり、そこまでは問題がなかったのだが、戻ってきてからナツが跡を舐めていると、血がにじんで来てしまったのだと言う。
あわてて病院へ取って返し、もう一度後を縫った、というかホチキスのようなもので簡易的に繋ぎ直したのだそうだ。
結局、カラーが完全にとれるようになったのは、それからさらに一週間後の事だった。
ようやくわずらわしいエリザベスカラーからも解放されたナツだったが、それでどうこうと言うこともなく、まずまずのんびり過ごしていた。
手術のため、お腹の一部は毛が刈られてすっきりしてしまっていたが、幸いもう五月に入っていた。これから暖かくなってくるので、お腹の調子が悪くなるとか風邪を引く心配はあまりなさそうである。
そこからは、あまりこれと行った騒動もなく、本当に散歩して、餌をやって、休みの日はボールを転がしてやるが、すぐに醒めては、見れば寝ている。そんな日々が続いていた。
六月に入り、梅雨でちらほらと天気予報があてにならなくなってきた。そうでなくとも雨増え始めた。
ナツは基本的に外のある程度気に入った所でないとトイレをしないので、よほど大荒れの天気でもない限りは、散歩に連れて行くように心がけていた。
完全な外飼いをしていた時はさぼったこともあったが、ナツはそういうわけには行かない。
そこで、長靴とレインコートを新調した。古いものはすっかり使わずに放置してあったので、まったく雨を防ぐ役目を果たさなくなっていた。
ナツは雨が降ろうがお構いなしで散歩になるとサッと駆け出していく。本当に天気に関わらず、こういう時は元気である。
私も雨具を新調したおかげで、そんなナツにもきちんと付き合う事ができた。
散歩から帰れば体をよく拭いてやる。いつもは散歩が終われば通路のドアから外に出て、庭先でじーっとしているのだが、さすがに雨の日はそのままクッションに戻って丸くなってしまった。
何日かそんな日が続くと、慣れてきたのか、催促こそしないものの、私がタオルを持つと「拭くのか」と言わんばかりにそのままこちらの様子を伺い、待つようになった。
この調子で、私が帰ったらせめて顔の一つも上げくれるようになってもらいたいものだ、と思ったりもしたが、その点、ナツの反応はドライそのものだった。
むしろ、意地でも顔はあげない、とばかりに目を開ける以上のアクションはなかった。
ナツは本当に、時折心配になる程に、無防備だった。
こうして、私が仕事が終わって戻ってきても、顔も上げず、目を開けるだけだ。
私だけなら、聞きなれた足音なり匂いなりで、顔を見せる前から危険はない相手、と判断されていると説明を付ける事ができたのだが、郵便配達であろうと宅配便であろうと、はてはガス屋の人にすら、ナツは反応を見せる事はなかった。
とにかく横になって人の気配を感じても目を開けるだけで、場合によってはそのまま眠り直してしまうのだ。
警戒心のけの字も感じられない様である。だからこそ、ナツが鳴き声を上げると本当に「なんだなんだ」と、ちょっとした騒ぎになってくる。
その日は、久しぶりに晴れ間の覗き、天気予報でも梅雨明けの話がちらほらと上りだしていた。
ナツもいつもの様に散歩が終わって満足したのか横になっていたのだが、私がそろそろ風呂に入ろうかと思った矢先、突然強く鳴き出したのだ。
急いで様子を見ると、先ほどまでと打って変わって立ち上がり、興奮さめやらぬとばかりに鳴き続けていた。
どこに向かって、と言うわけでもないのがとても気になり、私はすぐに出てやった。
だが、私の姿を見てもナツは鳴くのをやめない。エサやトイレならすぐによってくるのだが、どうも様子がおかしい。
私は用心しながらも懐中電灯を持って家の周囲を一周したが、怪しい人影などはなかった。
戻ってみると、少しはましになったがそれでもナツは鳴くのをやめなかった。
万が一と言う事もあるので、私はナツにリードをつけてやった。
ナツはすぐに外へ向かって駆け出した。様子は違うが、やはりトイレだったのだろうか、と私もついていくが、ナツは庭の真ん中ら辺にくると突然ピタリと止まってしまった。
本当に様子がおかしい、と思ったその瞬間、空に光が走り、ゴロゴロと音が広がった。
雨はないが、雲は多く、その隙間で雷が鳴ったのだ。
ナツは相変わらずその場から動こうとしない。私は、自分が危なかったのもあるが、通路の方へ戻ろう、と促す。
ナツは動こうとしなかったが、その後、三回ほどゴロゴロと言うのを聞き、空がまた光ると、私の引きに応じるようにして通路へと戻ってきた。
戻ってくると少しばかり落ち着いたようで、水を少しばかり舐めた。
私はナツを改めて宥めるように何度も何度も撫でてやる。
ナツはリードから鎖に繋ぎ直されると、ようやくクッションの上でそっと丸くなった。
その後、私も家へ戻り、風呂を済ませて様子を見ると、ナツは静かに眠っていた。
恐らく、との思いはこの時点で抱いていたが、それが確信となったのは、その後さらに二回ほど同様の事が起きてからであった。
ナツは、雷を怖がっていたのである。その後は、外へ連れ出すような事はなく、しばしの間撫でて宥めてやるようにすると、安心するのか諦めたのかはわからないが、鳴き続ける事もなく、すぐにクッションへ戻るようにはなった。
こうしたナツの神経質さというか怖がりというか、そういうものは今後も何度か見かける事になる。
見知らぬ我が家にやってきて、餌をもらって寝ていた姿からは想像できなかった。人には慣れていたが、それ以外はやはり不安や怖さのような部分が強かったのかも知れない。
ナツの新たな一面に驚かされつつ、梅雨は明け、七月に入り、気温がじわりじわりと上がり始めた。
気づけばナツが我が家に来てから半年以上経過していたのだ。
毛も生え変わりが終わっていたが、ブラッシングだけではどうしても取りきれない分がある。。そこで、晴れ間を縫って、私はナツを洗う事にした。
ナツのシャンプー自体は初めてではないが、最初に病院に連れて行った前後の話なので、実質ほとんどしていない。しかもその時はまだナツの飼い主が出てくるかも知れない、と言う事もあり、対処を決めかねていたので、病院で臭わなければいい、くらいのかなり大雑把なものだった。
今回は念入りにやってやろう、と私は捨ててもいいシャツに着替えて取り掛かった。
私はナツを抱き上げると、そのまま風呂場へ向かった。
ナツはなんだかよくわからない、と言う様子であった。
今回が二回目の風呂場だが、入った直後はここはなんだろう、と湯船の辺りで鼻をクンクンさせていた。
私がドアをしめると、キョトンとした様子で、また周囲の匂いを嗅いでいた。
私はナツの首輪を外すと、湯船から残り湯を救い上げ、ナツにゆっくりとかけてやった。
途端に、ナツはびっくりして勢いよく後ずさったが、そこには締め切ったドアしかない。私は今一度、たっぷりと、ナツの体全体がちゃんと濡れる様にお湯をかけた。
ナツは体をブルンブルン震わせ、水を払って、風呂場の隅に縮こまるが、それ以上の抵抗はしなかった。
ナツは、いつもこうだな、と不意に私の中にそんな思いがよぎった。
普段はのんびり眠って、自分の事になると滅多には鳴かないが、私や親の動きを見てすりよってくる、気分屋だが、不本意な状況におかれてもそれに対してどうこうするのではなくじっと耐える、耐え続ける。
まるで今までも、何かあれば端に小さくなってじっと耐える事を続けてきたような、そんな気がしてしまった。
だとすれば、我が家へやって来た時は、ある意味では限界だったのかも知れない。妊娠をして、エサが足りず、何かを求めてフラフラと、元居た場所を離れてしまったのではないのか。
これも所詮は想像でしかない。ただ、とにかく、こんな事をついつい考えてしまう程度には、ナツは私にとってとても放っておけない相手となっていた。
ナツにとって少しは我が侭を言いながらのんびりできる程度の居場所に我が家がなってくれていればいいな、と思いながら、私はガシガシとシャンプーを泡立てていた。
ぬるめのシャワーでシャンプーを洗い流す。
ナツはすっかり小さくなっていた。一回り、いや、ひょっとすると二回りくらいだろうか。毛がびっしょりと濡れて膨らみがなくなるとこんなにも小さいものか。
前に飼っていた三匹も同じようになったはずだが、そもそもの体格がナツは三匹よりも小さい。体重でいえば五キロは違うのだ。
その小ささに驚くと同時に、私は改めてナツは凄いな、と感嘆した。この小さな体で子供を産み、育てたのだ。
私が感慨にふけっていることなど、ナツには当然関係ない。次の瞬間、体をブルンブルンと振り回し、飛んできた飛沫で私の視界はふやけてしまった。
私は顔をぬぐって、シャンプーの仕上げに取り掛かる。
タオルで一通り拭いてから、風呂場のドアを開けてやる。ナツは脱兎の如く逃走を謀るが、ぬかりはない。洗面所のドアもしめてあるので、それ以上は逃げられない。
ナツは逃げ場がないとわかると、私から距離をとった部屋の隅に再び縮こまった。
私は改めてタオルでナツの体を拭いてやる。これでだいぶすっきりした。本当はドライヤーもかけてやりたい所だったが、電源を入れてうなりをあげたドライヤーにすっかりナツがおびえてしまったようなので、とりやめた。
幸い天気もいい。七月の太陽であれば、あっという間に乾き切る事だろう。とはいえ、さすがにもう一度、タオルでしっかり拭いてやる。ナツはドライヤーがしまわれると、ようやく少しだけ体のちぢこみを戻らせた。
洗面所のドアを開けると、ナツは一目散に玄関に向けて駆け出していく。
閉められたドアで三度目の立ち往生をしているナツに首輪とリードをつけてやり、外へ出て行く。
七月の日差しが差し込む中、私は庭の方へとナツを引く。
芝生へと下りたナツは、何もしなかった。今まで飼っていた三匹は、シャンプーが終わると、これでもかとばかりに地面に体をこすりつけ、シャンプーの匂いを何とかしようとしていたものだが、ナツはそういう事に頓着した様子はなく、さっと植え込みで小用を足していた。
私は縁側にほど近い木の下へナツを連れて行くと、ナツをそこへ繋ぎ直した。
ここは、鎖を伸ばせば太陽の下に出られ、木の傍なら木陰となり、涼しい。また、縁側も近いので、私たちも覗き易い、と日当たりとそれ以外のバランスが丁度いいのだ。
いつもの勝手口は、鎖を伸ばせば日もあたるが、建物の陰でどうしても時間が限られるので、たまには外に出さないと、と母親が布団を干すような言い方で、天気のいい日はここにナツ繋いで庭仕事をする事もちらほらあった場所である。
シャンプー後にはこういう所の方が乾きはいいはずだ。
ナツも、繋がれると慣れた様子でそのまま太陽の下に出てゴロンと横になった。
私は暫くナツの様子を見ていたが、気持ちよさそうにしていたので、また様子を見に来ようと思いながら、自室へ引っ込んだ。
そろそろ乾いたかな、とブラッシング用の櫛をもってナツの下へ向かうと、芝生の上にナツの姿はなかった。
はて、と鎖の向かう先へ視線をやると、ナツは縁側の下、つまりはコンクリートの上で横になっていた。
芝生や叢がダメ、と言う事ではないのだろうが、そちらの方が落ち着くのだろう。母親も何度か同じ様子を見たと言う。
私は後でクッションを購入し、縁側の下においてやった。
その後は、気に入ったのか、外へ出された時はよくその上で眠っているナツの姿を見かける事になる。
ただし、この場所自体は嫌いではなかったようで、いつもの散歩終わりなどでは勝手口に向かう事ばかりだが、日中に何かあってナツを連れ出した後などでは、この場所へ来ようとする事も多くなった。
確か、犬用の蚊取り線香を購入したのも、この時期だったと思う。そのせいか、ナツはあまり体を掻く仕草は見せなかった。
幸い、この夏は翌年ほど苛烈な暑さにはならなかった事もあり、この場所で涼を取らせる事で乗り切る事ができた。ナツもバテを見せる事は無く、まだ暑さが残る午後四時ごろから夕方の散歩に行きたがる元気さを見せ続けていた。
そんな夏真っ盛りだった八月は、お盆の時期である。
我が家にも人がそこそこやって来るが、ナツは本当に頓着する事無く、ゴロンとしているか、ちょこんと座ってあの哲学じみた様子を見せていた。
たまにボールで遊んで、届かない所までやってしまい、ワンと鳴く。
来客が「あら鳴けたの?」と言わんばかりに驚くくらい、ナツはのんびりしたものだった。
ただ、よほど何かを感じるのか、一部の人にはとてもよく反応していた。
訪問者をみるなりさっと立ち上がり、尻尾を振って擦り寄っていくのだ。
犬を飼っているからかな、とその親戚は笑っていたが、他にも犬を飼っている人は来ていたので、そういうわけではないだろう。
お盆とは関係ないが特に顕著だったのは新聞の集金の人で、この人はまあ、見た目も話し方もかなりやわらかいタイプで、親戚の人も同じような感じである。
そういう雰囲気というか、よく構ってくれそうな相手を見ていたのかも知れない。
ただ、そう考えると、どうにも少し、思う所も出てきてしまう。
ナツは母親についてきた形だが、もしもこれで最初に遭遇したのが私だったら、ついて来たのだろうか、と。
それから暫くの間は、散歩でリードを掴む手に余計な力が入っていたような気がする。
色々と複雑な心境になったりしつつも、無事に夏を乗り切れ、九月となった。この頃になると、ナツが来てあと少ししたら一年か、と意識するようになってきていた。
ナツが子育てで散歩もろくに行かなかった期間を除けば、ほぼ毎朝、休日は朝晩、散歩を続けて来た。
我ながらよく続いたものである。しかし、時間が勿体無いとか、そういう事はほとんど感じなかった。
今までの三匹は、そういう点は逆であった。私が中学高校、そして大学と自分の事を優先しやすかったりいっぱいいっぱいだった事もあるが、いわゆる、飼い出して最初のうちは真面目にやるが、途中から親が結局よく面倒を見る、そういう典型的な子供の対応をしていた。
しかし、ナツに対してはどういうわけか、そういう気持ちは沸かなかった。私がある程度大人になったからなのか、はたまた、気持ちに余裕があったからなのかはわからないが、とにかくナツの面倒は自分がしっかり見ないと、と言う気持ちが消える事はなかった。
そうして、明け方、日が昇るのも少しゆっくりになり始めたり、気温も涼しくなっていくのを感じながら、ナツとの散歩を続けていた。
ナツの子供と再会したのもこの頃だった。四匹のうち一匹はすぐ近所の家に引き取られていたので、その内会う事もあるだろう、とは思っていたが、思ったより早く、そうなった。
半年以上が経過し、すっかり一人前の大きさに成長していたので、最初見た時はそうだとは気づかず、連れ主のおじさんを見て、おっと気づいた。
ナツの子供のうち、唯一のオスで、確かゴンと言う名前になったと聞いていた。
ゴン達は交差点の反対側を歩いており、ナツは頓着した様子も見せず、私の信号待ちに合わせて留まっていたが、向こうはこちらの姿を見るなり、向かってこようとグイグイ引っ張っていた。
おじさんの方はと言うと、なんとか力負けしていない、といった調子で、引っ張り合いになっていた。
やんちゃになるな、と思ったその瞬間、なんとリードが切れ、ゴンがこっちに向かって一直線に向かってきた。
私以上にナツはびっくりして後ずさった。ゴンはナツに向かってくると、鼻を無理やり押し付け、その後はぐるぐる周囲を回り始めた。
ナツはものすごく迷惑そうであったが、私はこれ幸いとゴンの首輪を掴んでやった。
あわてて追いかけてきたおじさんと軽く挨拶を交わし、切れたリードをしっかり繋ぎなおされ、ゴンはまだまだ遊び足りない様子でナツに向かってこようとしたが、ずるずると引きずられていった。
ある程度距離が取れると、ナツは大きく鼻を鳴らして体をぶるぶると振るった。
感動の再会のような何かを期待していたわけではない。むしろ、やはり、と言う気持ちがあった。
犬の親子関係は出産後、半年くらいを目処に完全になくなると言われている。独り立ちすれば、そこにもう親子の情はなくなる、と言う事であり、野性の習わしなのだ。
ナツはゴンの事を自分の子供だともう思っておらず、本当に他所の犬、と思っているからこそ、体を振るって、驚いて、嫌だったという心をいの一番に表したのだ。
それにしても、ゴンのあの腕白っぷりは私自身目を見張った。
ナツはかなり大人しい、静かなタイプだ。性格はもちろん、環境も違うとここまで親子でも似ないものか。
ゴンはこの後、ちょくちょく散歩で出くわすようになるが、結局ナツが自分から近づく事はなかった。
そうして、九月も後半の連休が来た。私たちは前々から予定していた東北へ旅行へ出かける事となった。
久しぶりの、というよりも私が就職してから初の家族旅行という事になる。
ナツをどうするかは少々悩んだが、結局、病院が併設しているペットホテルに預ける事にした。
出発が早いので、前日の夕方に両親がナツを預けに行った。
ナツの居ない勝手口は、少々寂しく感じられた。まだ一年にも満たない期間しかそこに居ないのに、と思うと不思議な感じがした。
ペットホテルでも朝晩の散歩はしてくれると言う事と、いつもの病院のスタッフもすぐ対応できるようにしてくれているとわかってはいたものの、旅行中も結局、私はナツの件でそわそわしていたように思う。
少なくとも、観光を終えて夕方ホテルにチェックインした後、真っ先に「そろそろナツは散歩してもらってるのかな?」と聞いた事は確かである。
岩手から宮城、山形と一泊二日ではやや弾丸気味ではあったが、充実した二日間を過ごし、夜に帰宅したので、迎えは次の日へと持ち越しになった。
病院へ行くと、二泊三日のホテル生活をしていたナツは、特に変わりはなかった。
迎えにいっても別にこちらに擦り寄ってくるでもなく「あ、久しぶり」と思われたかどうかも怪しく、私が先生と話をしている間、所在なさげに首をかしげていた。
とりあえず変な所もなく、外に出るとものすごい勢いであちこち行きたがり、中でゴロゴロよりも外の方がいいと言わんばかりの元気さであった。
だが、ナツにとっては残念な事に、そのまま散歩ではなく、私の車で二日ぶりの帰宅と相成った。
それでも帰って来ると外に行きたがるので、私は軽く辺りを一周してやった。
ナツはようやく満足したのか、家が見えてくるとパッと引っ張り、そのままいつもの勝手口の所へ入ると、よく水を飲んだ。
ホテルの散歩が足りなかったと言う事はないだろうが、それ以外はひょっとすると我が家の日中よりも暇を持て余していたのかも知れない。
クッションの中で丸くなるナツの姿に、本当に元気でいてくれてよかった、と私は思うと共に、旅行から日常へ戻ってきたように感じた。
私は、寝転がるナツの体をそっと撫でた。ナツは体を横にしたまま、大きく伸ばしたので、お腹の辺りに手を持っていった。
すると、ナツが不意に、左足を上げて、自分からお腹を晒したのだ。
私は最初にびっくりして、その後に喜びがこみ上げて来た。さすがに全部のお腹を出してくれるわけではないし、顔はどこか面倒くさそうにしているが、それでもナツが自分から私にお腹を出してくれたのだ。
ナツもやはりホテル自体は慣れない所もあったのだろうし、いくらスタッフ世話をしてくれるとは言え、我が家に居る時と構う頻度は少なかったはずである。そういう所で寂しさもあったのかも知れない。
ナツにどういう心境だったのかは、正直な所わからない。ただ、この旅行の合間を挟み、ナツが家族として、私にいくばくか心を本当の意味で開いてくれたような、そんな風に感じられて今にも飛び上がりそうだった。
それから、ナツに私が構うと、ナツはよくなったままだが、片足をあげるようにして、よくお腹を晒してくれるようになり、私はますます世話に気持ちが乗って行った。
初めてドッグランに行ったのはそれからすぐの事だった。確か、十月に入って最初の週末だったろうか。
ナツも我が家にだいぶ落ち着いてきた頃、たまには思い切り走らせるのもいいだろう、とは考えていた。ナツの性格上、他の犬と取っ組み合いの喧嘩になるような事もなさそうだったというのも大きい。
ただ、調べてみるとどこのドッグランも、年一回5種以上の予防接種を受けてないと利用できない所ばかりであった。病気等、複数の犬同士が利用する以上は致し方ない部分もあると思う。
予防接種ワクチンは副作用も強いと言う事で、固体によってはなかなか難儀な事になると聞いて、どうしたものかと悩んでいたのだが、先だってペットホテルに預ける際、ドッグランと同様の理由から、結局予防接種を受ける事になったのだ。
幸い、ナツは副作用もなく本当に元気に過ごしていた。おかげさまで、こうしてドッグラン利用に必要な要件を満たしていたので、それなら行ってみよう、と言う風になったのだ。
車で十分かからない程度の所に、近場では一番大きなドッグランがあり、そこへ出かけた。
ショッピングモールなどに併設されている時間で貸し切るタイプではなく、多くの犬が同時に利用することを前提としている場所であった。
小型犬と中型以上で遊べるスペースは分けられていたが、ナツの扱いは微妙な所であった。
体重の目安は一〇キロで分かれる所だったのだが、ナツは見た目が柴犬である。私個人は雑種だと思っていたが、それを証明する方法がない。柴犬だと運営側に判断されれば、それに従うしかない。
そして、柴犬は骨が他の小型犬種より強いので、中型以上のエリアをお願いしていると言われた。
私はなんだかなぁ、と思いはしたものの、それが条件なのだから仕方ないと、入場証を受け取り、中へ入った。
ナツは初めて来た場所で気になるのか、しきりにあちこち匂いを嗅いでいた。
簡単な売店スペースを抜け、外へ出るとそこは休憩スペースとなっており、その先でエリアごとの入り口に別れていた。
休憩スペースはリードを付けていれば大きさは関係なく共用できるようだ。また、入り口自体低くされており、エリアを覗けるようにもなっていた。
私は中型以上とかかれたドアをあけ、芝生の上へ下りた。
確かに、広いスペースが用意されてるな、と私は感じた。サッカーぐらいなら出来てしまいそうだ、と。
開店時間に合わせて行ったためか、他に利用者はいなかった。
私は、ナツのリードを外してやる。
ナツは勢いよく駆け出した。やっぱり走り回りたかったんだな、と私は微笑ましくその姿を眺めた。
しかし、ナツは敷地の三分の一も走らないうちにピタっと動きを止めた。
そしてまた、よく見たあの哲学的な眼差しで、じっと敷地の端の、さらにその向こう側まで見ているようであった。
駆け出しては見たが初めての広場に戸惑っているのか、はたまた他の犬の匂いでも感じたのか。なんにせよ、今は実質貸切である。
最初の様子であれば、その内また走り出すだろう、と私は木陰に設置されたベンチに腰を下ろした。
しかし、暫く待ってもナツは動く様子を見せず、その場にじっと立ち尽くしていた。
飽きてしまったのかな、と私は腰を上げ、ナツの方へ向かう。
私がある程度近づくと、ナツはトテトテと歩いてピタリと立ち止まる。私がさらに近づくと、またゆっくりと距離をとる。
そんな事が何回か続く。私は思い切って駆け寄ろうとすると、ナツも合わせて走り出し、素早く距離をとり、私が止まると、その後少し進んでからまた足を止めた。
どうやら私は、嫌われているわけではないが、慕われているわけでもないようで、これが今の関係そのものだと感じた。
同時に、ナツが止まった理由についても、どうしていいかわからないのだな、と感じた。
ナツは散歩は好きだが、自由に走り回るだけで楽しいと言うタイプではなかったのだろう。その状況で、広いとはいえ区切られた場所で、ある程度走った後は、おもちゃもなければ設置遊具もない所で、する事がなくなってしまったのだろう。
私は、どうせだからと走ってみると、ナツも距離をとるようにして走り出し、ようやく少しは遊んでいるようにはなったが、普段からろくに運動をしていない身では早々に息切れを起こしてしまった。
結局、私はベンチに腰掛け、ナツはひたすらボーっとしている、家に居る時と変わらない状況になってしまった。
とりあえず息が落ち着いた所で、水を用意してやり、ベンチの傍に置いて、またずっと立ち止まったままのナツの様子を眺めていた。
そこへ、ようやく他の利用者が現れた。女性がコリーを連れて入ってきた。
あまり犬に詳しいわけではないが、最初に見た時にラッシーだな、と思ったのでコリーで間違いないだろう。
ナツはわずかに反応したが、まだリードで繋がれていた相手が近づいてこないと見ると、すぐにプイと向き直った。
コリーの方は人懐こいようで、真っ先に目に入ったのか私の方へ向かってきた。
噛んだり吠えたりする事もなく、抱きつくようにして私の顔を舐めようとしたが、すぐに静止されていた。
飼い主の女性は、ナツを見ながら大丈夫でしょうか、と聞いたので私もナツを見て、大丈夫じゃないですか、と答えた。
リードを外されたコリーはナツにようやく気づいたようで、ゆっくりと歩み寄っていく。
ナツはトトトと駆けて距離をとった。私も、答えた手前ではあったが、やはり大きさが俄然違うのでさすがに心配になって腰を浮かせてナツ達から目を離さないようにした。
ナツとコリーの追いかけっこは暫く続き、結局あちこち回ってナツはこちらに向かってきた。
ナツが乗り気ではないので、コリーの飼い主が離れるように指示を出していた。
ナツは私の近くまで来ると水に気づいたようで、勢いよく水を飲み始めた。
水を飲み終えると、ナツはそのままささっと離れ、私の後ろに回ったかと思うと、壁の向こうを気にし始めた。
小型犬のスペースにも利用者が現れ始めたようで、ナツはそちらの気配に釣られたようだった。
壁の高さは大型犬でも超えられないか、超えるにしても一筋縄には行かない高さだったが、大人であれば男女関係なしに覗ける余裕はあったので、私はナツの隣で小型犬のスペースを覗く。
スピッツが二匹、ナツ同様に壁に鼻を押し付けていた。
すっかり小型犬スペースにご執心のナツだったが、コリーの方は他に相手もいないこともあってか、ナツと遊びたい様子であったが、ナツは鼻にもかけない。コリーが近づくと迷惑そうにすぐに距離をとっていた。
ただ、ナツがいくら気になっても、小型犬スペースに入るわけには行かないため、最初は向こう側のスピッツと一緒に壁の前で右に左に行ったり来たりしていたが、やがて見切りを付けたのか、結局敷地の端っこに陣取ると、そのまま座ってしまった。
コリーの方は暫くナツと遊ぼうと苦心していたが、ナツの方がもうすっかりやる気がないので、他の犬がこちらに入ってくると、そちらとじゃれあい始めた。
私は座り込んだナツに近づく。ナツは距離をとろうとはせず、大人しくしていた。
リードをつけると、ナツはすくっと立ち上がり、入り口に向かって歩き始めた。私は水のみの容器を回収し、ナツと共に帰路に着く。
休憩スペースに入ると、ナツは小型犬側にまだ未練があるようにしていたが、すぐに出口に向けて私を引っ張った。
入場証を返却し、出入り口傍に設置された専用のオブジェでナツに小用を足させて、車へ乗り込む。ナツは今までで一番大人しく私に抱き上げられると、大人しく車の中で横になった。
家に戻ると、そのままクッションの中でそうそうに丸くなり、ぐっすりと眠りについた。
初めての事でもあったし、やはり疲れたのだろう。
私はおやすみ、と声をかけてから自室に戻り、あれこれと考えてしまった。
結局、今回の体験はナツにとってどうだったのだろうか。
あの空間で勢いよく走り出した時は嬉しそうであったが、その先はいつも通りであった。他の犬との交流も、あまり好まないように見えたが、反面、小型犬スペースの方の犬には興味があったようでもある。
今回の件で、ナツにドッグランは向かない、と判断するのは簡単だが、果たして本当に向いていないのか。あるいは、小型犬スペースに入れてもらえていたらどうだったのだろう。今回とは違った交流があったのではないか。
結局、答えは出なかったが、もう一回くらい訪れてみて様子を見よう。無理そうならすぐに帰って来ればいいのだ、と、夕方の散歩を元気に要求するナツの姿を見て思った。
その後、一週間ほどナツの様子を見ていて、私は気がかりな事が出てきた。ナツが耳を掻くのが止まらないのだ。
今までも時々掻いている姿を見てはいたが、最初に見たのは我が家と言う不慣れな環境からくるストレスかな、と思っていた。その後、まもなく子供が生まれたのでそんな姿を見る事もなく、夏場は蚊の影響か、と蚊取り線香を用意して様子を見ていた。
だが、さすがにもう十月である。いくらなんでも耳を毎日のように掻いてる姿を見るというのは多すぎる。
私はナツの左耳を見ようとしたが、手を伸ばすとナツはいよいよ嫌がったが、さすがにおかしいと私はやや強引にナツの耳を見た。
最初に見た時は、なにやら黒い塊が耳たぶのすぐ裏についていた。耳垢だろうか、と思い右の耳を見てみると、そちらは何と言うこともなかった。
私は、ナツを病院へ連れて行く事にした。何事もない、癖だと言うならそれでいい。放っておいて大事になるよりはよほどいい。
症状を確認し、先生はすぐに外耳炎ですね、と告げた。
耳の中で細菌やらなにやらが入って炎症を起こしているとの事だった。
すぐにどうこうはならないが、放っておいて重症化するととてもよくないとの事で、治療することになった。すぐに治るものではないので、気長にやる事となった。
まずは耳の中で炎症から出血して耳垢と血がまざってこびりついているのでそれを取り除き、消毒する事となったが、これがもう一大事であった。
ナツも耳を触られるのは嫌がってはいたが、いよいよ耳掃除となって綿棒を入れようとした瞬間、いつもの調子はどこへやら。一気に暴れだした。
私はナツの上体を抱きしめて、大丈夫だよと声をかけて頭や首を撫でてやった。それでもまだ逃げようともがいていたが、私はその動きを抑え続けた。
その間に先生が綿棒を入れたのだが、その時のナツの鳴き声といったら、たまらなかった。
文字通り、悲鳴だった。
文字にはとても起こせない、あの感じは聞いてるこちらまで辛くなってしまう。
あまりの鳴き声に、他のスタッフの人まで顔を覗かせる状況だった。
ホテルとして預かってもらった事もあり、ナツが普段鳴かないのを知っているスタッフは本当に驚いていた。
耳掃除をされ、その後、消毒液だったか抗炎症薬だったか、とにかく外耳炎の薬が塗られて処置は終わった。
私が腕を緩めると、ナツはものすごい勢いで台の上から飛び降り、診察室から逃げ出そうとする。
そんな様子だったので、私は自宅での薬の塗布は難しいと考えて、とりあえずは通院で様子を見る事にした。症状かナツの様子が落ち着いてくるようであれば、自宅でも対応できるはずだ。
とりあえず一週間後にまた来る事になった。合わせて、外耳炎に効果があるとして認可された犬用の漢方があるというので、それを処方してもらった。
ナツは会計を待つのも嫌になるくらい治療が辛かったのだろう。入り口のドアのガラスに張り付いていた。
家に戻ってくると、もうよほど参ったのか、水をよく飲み、クッションの上に立つとじっとこちらを見つめてきた。
私は、試しに歯磨きガムを取り出すと、途端に態度を変えて擦り寄ってきた。
この反応が返ってくるうちは大丈夫だろう、と感じながら、私はガムを餌ばこに置いてやる。
ナツは先ほどまでの嫌な事など全部忘れたと言わんばかりにガムにかじりついていた。
その後のナツは本当にけろりとしたもので、病院での騒ぎが嘘のように静かで、いつもの調子に戻っていた。
その後、一週間様子を見たが、ナツが耳を掻く仕草をする事はなかった。
そして、再度診察のため、私はナツを連れて病院を訪問した。
ナツは車に乗っての移動こそ大人しくしていたが、たどり着いた場所が病院の敷地だとわかると、露骨に腰が引けて見えた。
よほど嫌な印象を持ってしまったのか、今までだったら何てことはなく、むしろ我先に建物へ入ったと言うのに、ナツは病院へ入るのに初めて抵抗した。
なんとか病院へ入り、受付を済ませた後も、ナツはずっとそわそわしていた。私はそんなナツを撫でてやった。
診察と処置は先週と変わらず、耳の中の掃除と薬の再塗布であった。
これで二週間ほど、様子を見て欲しいとの事だった。さすがに先週掃除したばかりと言う事もあり、そこまでの汚れはなかったが、それでも痛かったのだろう。ナツは処置の間、ずっと悲痛な声を上げ続けていた。
診察が終わって、私はすぐに抱いて撫でてやったが、ナツは体を震わせて、早く外に出たいとアピールしていた。
この件で無理も無い事だが、すっかりナツは病院嫌いになってしまった。
そのせいもあって、今までは散歩の時に私の車のすぐ側を通るのだが、その時もやや身構え気味で、そっちには行きたくないといわんばかりになっていた。
ナツの症状は存外重かったようで、二週間後に病院へ行った際は、最初ほどではないが、やはり綿棒を差し込むとべっとり赤黒い、血のついた耳垢が出てきていた。
結局、暫くの間、ナツは定期的にこの耳治療の為、病院へ通う事になってしまい、ますます病院へ行くのに抵抗するようになって行った。
十一月に入ると、時期的に私の職場も忙しくなり始め、ナツとは毎日の朝の散歩と、休日の夕方の散歩、そして病院と言うルーティンが続いていった。
ナツは相変わらず、よく食べて、よく寝て、朝の散歩が終わると差し込む光に向けてお座りして、何と言うか、本当に哲学をしているように目を瞑っていた。
ナツが我が家に来てから、一年が経ったわけだが、あまり感慨のようなものはなかった。
むしろ、まだ一年しか経ってなかったのか、と我ながら驚いてしまった。
ほぼ毎朝散歩を続けた影響だろうか。本当に、一年ではすまないくらい、長いこと一緒に居たような気持ちになっていたのだ。
それでも、一年というのは記念日だ。誕生日がわからない以上、我が家でナツの一年の記念日は、保護した日になる。
もっとも、ナツ自身がそんな事を気にしてはいないであろうから、これはちょっとした私のエゴではあったが、結局、普段はやらないような犬用のおやつを与えてやった。
確か、犬用の、棒付キャンディーのような形をしたおやつだったと思う。
なんとか覚えさせたおすわりとお手、伏せはきちんとやらせてから与えてやった。
ナツは、理由など本当に気にするでもなく、指示に従ったのだから当然とばかりに、猛烈にかじりついた。
ぺろりと平らげて、ナツは、もう終わりかな?と首を傾げる様にしてこちらを見上げてくる。私は両手を広げて、何も持ってない事を示してから、ゆっくりとナツの頭や喉の辺りを撫でてやった。
がんばったな、これからも元気でな、とか、とりとめなく出てくる様々な気持ちを込めながら。
この一年、本当に大変だったはずだ。我が家へ来て、子供を産んで、手術もあった。
それでも、ナツはマイペースで本当に元気な姿を見せてくれて、私も、家族も元気をもらっていたように思う。
私は、ナツとの出会いに改めて、感謝の念を抱いていた。
そんな気持ちが伝わったのか、ナツはすとんと腰を下ろし、気持ちよさそうに目を細めていた。
十二月も、通院と朝の散歩で過ぎて行った。師走と言うとおり、あっという間であった。その分、というわけでもないが、出かける前や後に、出来る限り私はナツに声をかけてやった。もっとも、ナツは横になったきり、私の声に、耳を動かすときがあるくらいのものであったが。
そうして、年は明ける。ナツが我が家に来てから二度目の年明けだった。
正月休みの間に、私はナツを今一度ドッグランへ連れて行く事にした。
ナツは病院通いですっかり私の車に乗るのも抵抗するようになっていた。ナツにしてみれば、私の車はそのまま病院のイメージと結びついてしまったようだ。
なんとかナツを車に乗せて、私はドッグランへ向かった。
受付で、私は体重が一〇キロ未満である事を改めて伝えると、今回は小型犬のスペースの利用証を渡されたが、小型犬の中ではかなり大きく強い部類なので、他の犬との接触はよく注意してくださいと釘を刺された。
そうして、私は小型犬のスペースへナツを連れて行った。
小型犬スペースは、入ってみると前回覗いた時よりもずっと小さく感じられた。
少なくとも、一〇キロ以上とされている方のスペースの半分あるかないかという所である。
ナツはリードを外されるとまたさっと駆け出し、一通り端まで走りきり、向きを変えてまた走り、そのままピタっと、前回同様に止まってしまった。
他の利用客もいないので、私はベンチに腰を下ろし、今回ナツはどうするのだろう、と見つめていた。
ナツはちょこちょこと場所を変えては立ち止まり、じっと遠くを見つめる。
前回と全く同じ調子であった。
お正月で冬の最中とはいえ、日差しはよく風もほぼ無いので、体感では暖かい陽気であった。ナツも同様だったのか、ある程度歩いた所で、そこが気に入ったのか、座り込んだ。
私はボーッとナツを眺めていたが、本当に置物のようだった。
二十分程度だっただろうか。まったく進展もないので、また追いかけっこもどきでもしてやるか、と私が腰を上げたところで、他の利用者が現れた。
十時半ごろと言う時間もあったのだろう、三人ほどが立て続けであった。
その中の一匹、ポメラニアンかその辺りの犬種だったと思うが、ナツに興味を示した。
ナツは騒がしくなってきたと思ったのか腰を上げて距離を取り出した矢先だったが、いかんせん、一〇キロ以上の方とはスペースがまるで違うので、すぐに追いつかれてしまった。
回りこまれたナツはその場で相手と向き合った。
ナツの方が明らかに体が大きいので、もしもの事があってはいけない、と私は様子を伺いながら近づいた。
相手の飼い主は、うちの子は噛みませんよ、と笑っていた。
ポメラニアンはナツの前を右に左に興味深そうにうろうろしていたが、ナツの方は完全に立ち尽くし、困り果てている様子だった。
ポメラニアンは全く相手をしようとしないナツに痺れを切らしたのか、その場でピョンとはねた。
その途端、ナツはくるりと踵を返して走り出す。
ポメラニアンはナツの後を追いかける。
そうして二匹はぐるぐるとスペース内を走り出した。なんともはや、見てるこちらが戸惑う光景で、ポメラニアンの飼い主も「普通は逆になりそうなもんですよね~」と笑っていた。
私はナツに助け舟を出してやろうかと思ったが、そんな私をナツは避けて行った。
私はわずかな落胆と共に、ベンチに腰を戻した。
ナツは特に逆襲する様子もなく、ひたすらポメラニアンに追われていた。
やがてポメラニアンの方が先に追うのを諦めた。と言うよりも、ナツがすっかり相手をしないので、見切りをつけたと言うべきか。
ポメラニアンは他の遊んでいる犬たちの方へと向かっていき、ナツは珍しく私の方に向かって歩いてきた。
予想以上に走り回っていたのだ。私が水を用意してやると、ナツは勢いよく飲み始めた。
水を飲み終えて落ち着いたのか、ナツはトテトテと歩いて適当な所に腰を落ち着けた。
他の犬達が盛り上がっている中、完全に我関せずであった。
私はそんなナツに近づくと、今回ナツは距離をとろうとはしなかった。リードをつけてやると、まるで待ってましたといわんばかりに立ち上がる。
休憩所に入り、売店でコーヒーを注文する。いくら暖かく感じるとはいえ、やはり一月の気温で待ちぼうけしていると温かいものが恋しくなる。
合わせて、ナツにはじゃがいもで作った骨の形のおやつを注文した。
よく走り回った事だし、新年のお祝い的なつもりであった。
ナツはコーヒーにはあまり興味を示さなかったが、おやつが出てくると目を輝かせた。
手で軽く制すると、ナツはその場におすわりをして、前に置かれるまでずっと目でお皿を追いかけていた。
私がよし、と告げるとナツは嬉しそうにおやつにかぶりつく。私がコーヒーを少し口にしている間に、お皿の上はすっかり空っぽとなり、ナツはお皿をずっと舐めていた。
紙製のお皿まで食べかねない勢いに私は思わず頬を緩ませた。花より団子、というわけではないのだが、なぜかその言葉が頭に浮かんだ。
私もコーヒーを飲み終える。ナツは出入り口の方をしきりに気にしていたので、帰る事にした。
すると、そこへ他の利用者が入ってくる。ダルメシアンを連れていた。
ダルメシアンは特にナツに興味を示さなかったが、ナツは惹かれる所があったのか、ついていこうとした。
付き合いが苦手というか、嫌いなのかと思ったが、どうやら選り好みが強い傾向のようだ。
ナツの事はまだまだわからない事が多いな、と思いつつ、気に入った相手がいればここでも楽しんでくれそうだな、と私は思った。今回の様子から、もう来るのは終わりにしようかという考えがあったが、気に入る相手が見つかるまで来てみるのもいいかもしれない、と方針転換を検討する事にした。
帰り際、受付へ利用証を返すと、小袋のおやつを三つばかり渡された。
何かと思ったが、一緒に挟んであった紙にハッピーニューイヤーと書かれており、戌年だったな、とありがたく受け取った。
それから仕事も始まり、いつもの調子に戻っていった。
そんなナツの耳の調子は、少しは改善が見られた。耳の中の色が最初よりはよくなり、血もついていた量が減ったのか、耳垢の色も薄くなっていた。それでも、ナツは相変わらず処置の間は辛そうであったが、今まで程鳴き声を上げなくなっていた。
状況の改善が見られた事で、通院の回数を減らし、処方された点耳薬を自宅で処方する方向へと切り替えることにした。
一日一回、耳に注してください、との事であった。
朝の散歩の終わりに薬を与えることにした。
そうとは知らず、ナツは散歩が終わると相変わらず通路の入り口に出て気持ちよさそうに日向ぼっこをしていた。
私が薬を持って外に出ると、最初は歯磨きガムを追加でもらえると思ったのか、おっという目でこちらを見てきたが、雰囲気が違うとすぐにわかったのか立ち上がると及び腰で後ずさった。
この感の良さは動物の本能かな、と思いつつ、私はナツの上体を抱えあげる。
最初は抵抗したものの、すぐにじたばたはしなくなったが、代わりとばかりに、私が薬を入れるため耳に手の側面を合わせた途端、最初に病院で聞いたときと同じような、あの声を上げた。
私は思わずビクっとしたが、ナツを放す事はせずにすんだ。
ナツが悲鳴を上げながら体を震わせる中、私は心を鬼にして二滴、ナツの耳の穴に薬がしっかり入るのを確認してから開放してやった。
ナツはすぐに私から距離をとり、なんでこんな事を、と言わんばかりの目を向けていた。
説明のしようがないので、私はそんなナツを撫でてやるだけであった。
そうして部屋に戻ると、改めて驚きがやってきた。
まさか病院ではすっかり鳴き声をあげなくなっていただけに、また鳴かれるとは思っていなかった。
ひょっとすると、病院では諦めが勝っていたのかもしれない。
私や家族相手なら、嫌だ、と鳴いてアピールしたらやめてくれるかも、と思ったのではないか。
そう考えると、あの鳴き声は聞いていて辛いが、反面、一種の甘えを見せてくれた事は嬉しかった。
それから毎日、散歩終わりに薬を注すようにしたが、ナツは本当によく鳴いた。
決して我が家の周辺は田んぼが多いとは言え、すぐ向かいはもちろん、一〇〇m圏内にはそれなりの数の家が建っている。
あまり鳴かれると、通報されないかと気が気ではなかった。
しかし、それも本当に最初のうちだけで、いつしかナツは病院の時と同じように体を震わせながらも、鳴き声をあげる事なくじっと耐えるようになっていた。
その効果は如実に現われ、なんだかんだで回数が減ったとは言え見かけていた、耳を掻く姿はめっきり見なくなった。
反面、今まで以上にどてっと寝る時はお腹を晒して無防備に、リラックスした姿をみせてくれるようになっていた。
一月も折り返しになり、いよいよ朝の散歩も寒さがきつくなり、霜がじゃんじゃん降りる様になっていた。
私も、仕事の手前、体が資本である。暖はきっちりとろう、と防寒のズボンを購入した。
おかげで上下共に寒さ対策はばっちりとなったが、ナツが我が家に来て二年目である。
去年は散歩で寒さはあまり気にしてなかったような、とよくよく思い返してみると、一年前のこの時期、ナツは子育ての真っ最中であり、散歩らしい散歩などしていなかったのだ。
一年前の事なのに、もう子供を産んだのが、何年も前のように感じてしまっていた自分に、私は思わず苦笑するしかなかった。
寒さ対策もばっちりになると、冬の早朝の寒さや静けさは心地よく感じることもあり始めていた、一月の後半、雪が降った。
それは季節的な大雪となり、私の職場も早々に仕事を中断し、帰宅させるほどであった。
早めに帰った私は、ナツの様子を真っ先に確認に向かった。
冬場になってから、クッションの上には毛布を敷いてやっていたし、おかげさまで屋根もあり、通路の入り口も閉めてあったので、外よりは寒さはだいぶマシではあったが、それでもかなりの寒さであったので、心配したのだが、ナツは普段通りであった。
むしろ、いつもとは違う時間に私が顔を見せたのが意外そうに顔を上げた。
ナツの平気そうな様子に私は一安心した。
外の雪はボタとなり、時間が経てば経つほどにドンドンと積もって行く。
だが、ナツはそんな事はお構いなしで、夕方になるとそわそわし始めた。
散歩に行きたい、と言うサインである。
私は用意したばかりの防寒具の上から雨合羽を羽織って臨む。
ナツは、リードを結ばれ、ドアが開くなり勢いよく飛び出していく。
もはや雪は足の甲まですっぽり埋まるほどで、長靴でなければとても歩いていられない状況になっていたが、ナツはグイグイと雪を踏みか固めて進んでいく。
そして、気に入った場所を見つけるとトイレを済ませる。
私は状況が状況なので、さすがのナツも用が済めばすぐに戻ろうとするだろう、と思ったのだが、どっこいであった。
ナツはさらにグイグイと先に行きたいと促す。
私はあまり遠くに行かない範囲でなら、と民家やコンビニが見える範囲から出ないように注意しながら、ナツとの散歩を続ける。
その間にも雪はドンドンと積もっていき、暫くしてからナツが落し物をしたのだが、飼い主の義務としてそれを回収するのは本当に一苦労だった。
雪もものともしないナツだったが、大きい用を足した所で、さすがに帰るつもりになったのか、急に進行方向を変え、家の方へ向かって歩き出した。
途中の信号を越えて、地元の神社の前まで来た所で、ナツは急に足を止めた。
気づけば、すっかり積もった雪はナツのお腹の高さに達していた。
ナツは暫く立ち止まったままキョロキョロしていたが、不意にこちらを振り向いて、そのままじっと見つめてくる。
寒さが応えたのか、はたまた雪がお腹に当たった事で気分を害したのかはわからないが、とにかく、もう自分では進まないというメッセージを、私は受け取った。
ナツはなされるがまま、私に抱きかかえられた。
私はナツを抱いたまま、家へ向かって歩き出す。
ナツは神妙な面持ちで、抱きかかえられていた。
最後の直線まで来た所で、ナツは身をよじらせたので、私は下ろしてやった。
ナツは轍の上に立つと、これなら平気とばかりにグイグイ引っ張り出した。
私は転ばないよう、あえて轍からそれで新雪を踏み固めながら、自宅へと戻った。
ナツについた雪をしっかりとってやり、足から順に拭いてやる。
ナツは散歩が出来てご満悦だったようで、疲れた様子も特にみせず、ご飯が欲しいとばかりに見上げてくる。
私は餌と水をやり、ようやく人心地ついた。すっかり冷え込んでいたので、お茶を飲み、もう一度ナツの体を拭いてやった。
拭き終わると、ナツは最後の仕上げとばかりに体をブルンブルンと振るわせる。
明日の散歩も大変だな、と思いながら、私は何度かナツを撫でてやり、部屋へ戻った。
風呂を済ませてから夜に改めてナツの様子を覗くと、ナツはぐっすりと眠りについていた。
見た目や態度ではわかりにくかったが、やはり寒さは応えたのだろう。
私が勝手口から出ても、ナツは目を開ける事すらなく、眠っていた。
私はナツの体に余った毛布をかけてやった。それから戻る前に振り返ると、ナツは暖かくなってきたのか、少しだけ体を丸めて、すっぽり顔以外は毛布の中に綺麗に収めていた。
あまりにも気持ちよさそうだったので、私はその光景を写真に収め、ゆっくりお休み、と声をかけてから眠りについた。
雪は翌朝には止んでいたが、すっかり凍り付いていて、ナツと一緒にツルツルと滑りながら、転ばないようにだけ注意して、散歩する事になった。
結局、雪が融け切るまでは三日ではきかず、暫く朝の散歩では道路の凍結に悩まされる事となった。
夕方の方はむしろ日中の日差しで凍結は改善しており、朝に比べたらなんてことはない、と親は言っていた。
雪がすっかりなくなる頃には二月となり、仕事は繁忙期が続いていたので散歩と通院の日々である。
ナツの耳の具合はずっとよくなり、病院でもこのまま点耳薬のみで様子を見ましょう、と言う事になった。
三月に入り、日中は暖かさが増してきた。
台風でもない限りは、どんな天気でも散歩をしてきたので、晴れた日を見て、ナツのシャンプーをしてやった。
四月に入れば、狂犬病の予防接種もあるので、一度さっぱりさせておこう、という気持ちもあった。
ナツは本当にされるがまま、風呂場に連れ込まれてようやく、しまった、というような反応であった。
またも念入りにシャンプーをしてやり、タオルで拭いて天日干しである。
ナツも陽気が心地よかったのだろう。ボールを持っていってもあまり反応せず、珍しく軒先ではなく芝生の上に出て日向ぼっこを満喫していた。
狂犬病の予防接種は、市の一斉接種に親が連れれていった。さすがに平日の日中では私は行くのが難しかった。
去年と同様、処置には、いつも行っている病院の先生が来ていた、との事で、「息子さんは?」と聞かれたと言う。
病院はほぼ毎回私が連れて行っていたので、どうもいつも一緒の印象がついてしまったようだ。
ナツは予防接種の副作用もなく、のんきに過ごしていた。
予防接種も済んだので、またドッグランへ連れて行った。結局、一〇キロ以上のエリアへ案内された。
ナツもだいぶ慣れてきたのか、走り回る事はなかったが、小型犬の方との仕切りの間の匂いをしきりに嗅いだりして、他の犬にも興味を出し始めていた。
ただ、今回はグレートデーンだかなんだか、とりあえずかなり大型の犬が二頭おり、ナツもどこか緊張している様子だったので、あまり長居はしなかった。
ゴールデンウィークも控えているので、またドッグランに来るか、親が二つ隣の市にある大きな公園に孫を連れて行くと言っていたので、それにかこつけて散歩させてやるのもいいか、と言う思いもあった。
しかし、運悪く、GWの初日は仕事がずれ込み、その後は旅行の予定もあったため、ナツをドッグラン以外へ連れて行く時機がうまく噛み合わなかった。
そして、私は一人、東北への旅行に向けて出発した。
事前に車の点検もしてもらっており、意気揚々だったのだが、次のサービスエリアで食事を取ろうと案内標識を確認していると、車のスピードが急に出なくなってしまった。
トランスミッションを操作していくと、中段のギアがはまったので、何とか突然停車したり、制御不能になるような事はなかったが、スピードが上がらず、結局車の流れの隙間を縫うようにして、時速六〇キロと言う、高速道路では異例の低速でなんとかサービスエリアにまで車を運び込んだ。
事故にならなかったのは運がよかったとしか言いようがない。結局、旅行を諦め、業者に頼んで車をトラックに載せて、帰る事になった。
夜中の帰宅となり、勝手口から家へ戻るため、通路へいくとナツが気だるげに顔を上げた。
こんな時間にどうした、と言わんばかりであったので、私はナツの頭を撫でてやり、起こして悪いね、と告げて家へ戻った。
そのまま翌日は九時過ぎまで眠っていた。
車の不調の原因は、動力伝達のホースが外れた事であった。
東北道は高速道路とはいえ、結構ガタガタしている所が多く、私が四駆で点検済み、と調子に乗って走っていたものだから、外れてしまったようだ。もともと古い車で構造としては振動が伝わりやすい車だった、と言う点も大きい。
当然、点検でもチェックはされていたが、目に見える劣化やオイル漏れ等がなければ、問題なしになるのは当然の事で、結局、私の運転がいささか乱暴だったと言うほかない。
私はもう少し気をつけよう、と反省した。
旅行はお流れになったので、結果的に、私はGW中ナツの散歩を毎日してやれることになった。
ナツは春の陽気に散歩となるとすっかり上機嫌で、普段と違うルートも行きたがるようになった。
川の土手もこの時はよく歩いた。いつもは用水路脇だったが、そこよりもさらに北へ向かうと、利根川の支流となっている川があるのだが、ナツは珍しくそのあたりをこの時は歩きたがっていた。
GW中ナツをどこかに連れていってはやれなかった、と言うよりも旅行の件があったので、この長期休暇は出かけない方がいいかも知れない、と言う私の中で縁起を担いだ所もある。
ただ、その分、ナツの散歩にはゆっくり時間を取ってやるようにしていた。それが、ナツの普段とは違うルートへ行きたい気持ちを刺激したのかも知れない。
見晴らしのよい土手をゆったりと歩きながら、旅行とはまた状況は違うが、こののんびりとした時間は心を癒してくれるな、と感じていた。
ナツは、ただ新緑の茂みに入ったりして、春を楽しんでいるよるうに見えた。
けれど、そういうゆったりした時間こそ、あっという間に過ぎていく。
いや、ゆったりしているからこそ、時間はすぐに過ぎるのだろうか。
気づけばGWはもう最終日であった。
また明日から仕事だな、とちょっと億劫に感じながら、私はナツのブラッシングをしてやった。
本格的に暖かくなり、ナツの毛は生え変わりをはじめていた。
四月にだいぶとってやったが、太ももの辺りにまだ残りがあったので、それをきっちりとってやった。櫛が通る間、ナツは気持ちよさそうに上を向き、首周りもやって欲しい、とアピールしていた。この毛づくろいの時は、ナツは特に身を任せてくれた。結構お気に入りだったのかもしれない。
仕上げでシャンプーも、と思ったが少し前にやったばかりなので、濡れタオルで拭いてまとめてやった。
毛づくろいが終わると、ナツは満足したようにその場に横になり、春の日差しをいっぱいに浴びていた。
撫でてやろうと手を伸ばすと、ナツはもはやいつもの事となった、片足だけ上げて片腹を晒すポーズになった。
私はそのお腹を何度も撫でてやった。ナツはもう、私にとって紛れもない家族であった。
旅行は我ながら残念であったが、その分、ナツとの時間が多くとれ、結果的には本当に気持ちは充足したGWとなったな、と私はその夜、心地よい眠りについた。
翌朝、私はいつもより早く目が覚めてしまった。トイレ等を済ませていると、鳴き声が聞こえた気がした。
ふと、ナツの様子を見に行った私は、思わず声を上げて、飛び出した。
ナツは、ク通路の入り口に向かってうつ伏せになっていたのだ。
私が飛び出しても、ナツは微動だにせず、ただ力なく臥せっていた。
私は両親を呼び、ナツの上体を抱き上げたが、その目には力がなく、呼吸もとても不安定で弱弱しかった。
突然の状況に、私はただナツの名前を呼ぶ事しかできなかった。
すると、ナツが体を浮かせた。私は抱く力を入れすぎたのか、と力を緩めると、ナツは体を横たえてしまった。
体に本当に力が入らなくなってしまったのだ。
私は必死に声をかけ、両親もナツの体を撫でたり、なんとか水だけでも飲んでくれないかとやってくれたが、ナツはもうどこを見ているのかも、わからなくなっていた。
交代で食事を取り、ナツの様子を私たちは見守り続けた。
しかし、ナツは小康状態とでも言うように、小さく息を続けるだけだった。
やがて、時間が来てしまった。両親は、自分達が見ているし、時間が来たらすぐに病院に連れて行くから、仕事へ行くようにと私に伝えた。
私は休みたかった。しかし、転職して一年余りの新人の身である事、両親が居る事、とにかく取り巻く状況が、私に休むという選択肢を、許容させきらなかった。
私は時間が許す限り、ナツに声をかけ、手を添え続けた。
出勤してもナツの事が頭から離れない、離れるわけがなかった。
それでもなんとか仕事をこなし、午前の休憩時間。ロッカーに戻ると、母親から連絡が来ていた。
病院へ連れて行き、緊急入院となったとの事だった。
心臓の動きが弱いということで、すぐに検査して処置をするとの事だが、次の発作が起きたらかなり危ない、とも言われたそうだ。
病院へ行く前に、ナツは自力で立ち上がり、水を飲んだという、一文が添えられており、私はきっとよくなる、よくなってくれと祈った。そして、せめて、せめて生きてくれ、とも。どんな状況になったって、面倒を見てやるから、と。
状況はよくなったわけではないが、病院へ行く事ができたという事実は少しだけだが、私の心を軽くはしてくれた。
私は、きっとなんとかなる、なんとかなってくれと、頭の片隅で願いながら、仕事を続けた。
昼休み、連絡は来ていなかった。しかし、この場合はその方がいい。報せがないのがよい報せだ。
午後の休憩時間、メールが届いていた。電話があって、父親と一緒に改めて病院へ行ったという。
肝臓の数値がかなり悪くなっていたので、薬を投与したり、酸素吸入などを行い、舌の色が戻って、何度も瞬きをしたと書かれていた。
ナツは頑張っているのだ、あの小さな体で、と私は胸に色々とこみ上げてきてしまった。
携帯を戻した所で、しかし、私はひっかかりを覚えて、改めてメールを見直した。
いや、本当はわかっていたのだ。ただ、その部分を、認めてしまうわけにはいかない、そんな我が侭だったのかも知れない。
診察と処置の報告のために、昼の診察時間外に家族が病院へ呼ばれるわけがないのだ。
メールには処置内容の下にさらに文章が、やはり、あった。
「一時半、心停止」。
私はよろけた。何てことはない。先ほどこみ上げた全てが消えてしまい、力が抜けたのだ。
壁にぶつかり、そのまま座り込んでしまった。
何故だ。その気持ちしか、沸いてこなかった。
とにかく、ぐるぐると頭の中はもはや何も考えられなくなっていた。
同僚に、声をかけられるまで、私はその場に座り込んでいた。
私は、大丈夫とだけ答えたと思う。
なんとか立ち上がり、私は仕事へ戻った。
その後は、何かの導きでもあったのだろうか。始まりから終わりまで、大きなミスを犯さずに済んだと言う事だけだ。
ラインの都合で一時間の残業はあったが、大きなトラブルにも見舞われず、すぐに職場を後にする事が出来た。
家へ戻り、私はすぐに勝手口に向かった。
ナツがいつも寝ていたクッションはどかされ、箱がおかれていた。
私は、箱を開けた。
ナツの姿が現われた途端、私の中で、全てが崩れた。
その後の事は、あまり記憶がない。ナツに触れる事すら、その時は出来なかった。それだけは間違いない。
後は、親に声をかけられるまで、本当によくわからない。
その場に泣き崩れていたと言われたが、その通りなのだろう。
その後、改めて私はナツを見た。寝ていた。まるで、いつもと変わらないように、横になって、綺麗な姿で、ナツは眠っていた。
起きることのない眠りだ。私は泣いた。今度は、全て覚えている。込み上げて来る全てをとめることができず、私はひたすら泣いた。
自分の中のどこに、そんな部分があったのかと問いたくなる程に、泣き続けた。
落ち着いたのは、七時もとっくに回っていた頃だ。
ようやく、私はナツの体に触る事が出来た。冷たかった。いや、冷たいはずなのだが、私はまだどこかに温もりが残っているように感じた。
それほどに、ナツの姿は、あまりにもいつも通りに見えてしまった。
それから、箱に蓋をして、私は家の中へ入った。
両親から、改めて話を聞いた。結論から言えば、フィラリアによる発作であった。
わかっていた事ではあった。それでも、すぐには認められなかった。
昨日までとても元気だったのだ。あまりにも突然で、あっけなさ過ぎて、こんな事があっていいのか、と。
病院でも、確かに説明されていた。それでも、どこかでこんなにナツは元気だし、薬もやっているから大丈夫と、楽観視しすぎていたのかも知れない。
病院でも、先生がとても申し訳なさそうにしていた、と母親は言った。
耳の件でとはいえ、よく通っていたので、もっと診ておけば、という感じだったそうだが、それこそ、こちらが申し訳なくなってきてしまう。
やれる事はやってくれたのだ。どうして先生を責められようか。
合わせて、母親は私が仕事に向かうとき、ナツが顔を上げたのだ、と教えてくれた。
それを聞いて、私はまた目の前が滲んでしまった。
病院へ一緒に行けなかった私への気休めだったのかも知れない。だが、それは私にとって、とても悔しい事実であった。
どうして、私はやはり無理をしてでも一緒に病院へ行ってやらなかったのだ。
ナツはきっと、車の音で、病院と結びつけたに違いない。病院へ、行きたい、行こうと思ったのではないか。
都合のよい解釈をするなら、私が行ってしまう事に寂しさや不安を感じたと言えなくもないが、あまりにも、都合が良すぎるだろう。
私は、改めてナツの元へいき、そっとその体を撫でてやった。
ずっと、意識がなくなるまで、ナツの側に私は腰を下ろしていた。
翌朝、私はまた時間の許す限り、ナツの側に座っていた。
朝の散歩のコースを思い出し、この時間だと大体あの辺にいたよな、と声をかけたりしながら、ナツの側にいつづけた。
あれだけ泣いたというのに、次の日も、その次の日も、ナツの姿を見るたびに、私は涙がこみ上げてきてしまった。
こうしてナツと一緒にいられる時間は、残りわずかとなっていたのだ。
いつまでも、ナツをこのままにしておくわけにはいかないのだから。
そうして、私は、毎朝毎晩、ナツに声をかけて、惜しみ続けた。
耳がようやく綺麗になってきた所だったのにとか、ゴンは元気で今日もこっちに様子を見に来たよとか、もっと遊ばせてやりたかったのにごめん、とか、言いたい事はいくらでもあふれてきた。
全てを吐き出すには、五日間は、あまりにも、早く、短すぎた。
土曜日。朝一番に、両親と共に、私はナツを車に乗せて、家を出た。
ナツと通った散歩道をたどりながら、火葬場へと向かう。
そして、ナツを荼毘に付した。最後の最後まで、面倒を見ると約束したので、単独葬だ。。ナツを職員に預ける前に、私は改めて、ナツの姿を目に焼き付けた。これが本当に最後になるのだ。
最後の最後、一緒にいてくれてありがとう、と私は声をかけた。
火葬が終わるまでの間、会話は少なかった。
意外だったのは、父親が一緒に来た事だ。こう言う事については、結構ドライな反応をとる印象だったので、留守番をするかと思っていたのだ。
私の仕事がある日の夕方の散歩は、ほとんど父親が行っていたので、その点から思う所があったのかも知れない。
火葬が終わり、部屋へ向かう。
骨だけになったナツがそこにいた。あまりにも、あまりにも小さかった。ナツの体から推測して、骨を治める缶を用意したのだが、大きすぎたほどに。
これが、ナツなのか、と私は驚きを隠せなかった。もともと大きくはなかったが、それからすらも想像が出来ないほどに、小さくなっていた。
この体で、ナツは子供を産んだのかと、思うと私はまた涙が零れてしまった。
ナツの骨を缶に納め、職員の方に礼を告げて、私たちは自宅へと戻ってきた。
すぐには埋葬しなかった。出来なかった。ちゃんと場所を決めてやりたいと思ったからだ。
話し合いの結果、夏みかんの木を墓標代わりに植えてやろう、と言うことになった。
ナツだけに、と言う安直な理由だが、そのまま埋めるよりよほどいい、と私は思った。
そして、ナツを埋葬した。窓から見やすい、庭の一角を決めてやった。
土をかけて、線香と花を供えた。
私は、部屋へ戻ると、ひとしきり泣いた。泣いてしまった。自分でももうわからない。ただ、ナツの事を思い出すたびに、こぼれてくるのを止められなかった。
あまりにも、あまりにも突然過ぎたのだ。覚悟がなかった、といっても言い。
拾ったので、年齢はわからない。十年も一緒にいられたら良い方だろう、とそのくらいの気持ちでいた。
これが、二年、三年と過ぎて、五年もした頃にナツももういい歳になっちゃったな、と思いながらであれば、別れの覚悟が出来ていたのかも知れないが、そうではなかった。
その衝撃は私に決して癒し切らない傷痕をつけていたのだ。
思い返せば、あっという間であった。同時にとても一年半とは思えない、そんな時間であった。
だからこそ、悔しくてたまらない。
ナツは、もっと、もっと生きていてよかった。生きていて欲しかった。
迷子になり、保護され、子供を産み、子育ても終えた。耳の病気も治り始めて、もっとこれからと言う所だったのだ。
散歩で出会った公園のおじさんや、修理工場の奥さんは、その後に出会うと「あの子はどうしたの?」と聞かれるくらい、ナツは可愛がられていたし、馴染んで来ていた矢先だったのだ。
たくさん楽しむ事ができたはずだし、できる限り、そうしてやりたいと思っていたのに、一瞬でその思いは崩れ去ってしまった。
もっと、私が見ていてやれれば、フィラリアの状況に気を配ってやれていれば、何かが変わっていたのかも知れない。
そう思うと、悔しくて、悔しくて、溜まらなかった。
そして、ナツとの別れから、まもなく一年が経とうとしている。
こうして思い返してみると、語らうほどに大きな出来事は決して多くはない。
それでも、事あるごとに、ナツの事を思い出さずには入られない。
ナツとの散歩道は、私がよく使う道も多い。そこを通ると、やはりふとした拍子にはナツとの事を思い出してしまう。
ゴンの姿も、ナツを思い出させてくる。
一年半と言う期間の方がむしろ錯覚だったのでは、と思えるくらい、私はナツと一緒にいたような気がしてしまう。
しかし、だからこそ、今でも私は自問している。
私は、ナツにとってよい飼い主であったのだろうか、と。
答えは、ナツにしかわからないし、それを知る機会はもはやない。
ただ、そうあろうとした。それだけは、間違いないし、胸を張って言える。
何より、誰が何かを言うとしても、私にとってナツは大切な、かけがえのない家族だったのだ。
秋の終わりに訪れ、春と共に去っていった家族は今、病院から送られた肖像として、首輪と共にリビングにいる。
いつみても、ちょっとぼやけた一枚だが、それもまた、大切な記憶の一ページとして、微笑んでいる。
《了》
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