第一章 ティサジと蝶(ハベル) 

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 水のような夜気が頬を撫で、青瑠は身震いした。十一月ともなると、陽の出ているうちは温かくとも、朝晩は指先が悴むほどに冷え込んだ。  庭に植えられた草木は闇を呼吸し、シークヮサーの実が朧に浮かび上がる。小鈴を振るうような虫の音が、さやかに響いていた。戸板はあらかた閉められているため、隙間から漏れる明かりだけが頼りだ。  覚束ない足取りで縁側を曲がろうとしたところ、にわかに手首を掴まれ、引きずり下ろされた。足裏が湿った黒土を踏んだ。  ヤブツバキの下で、若い娘が笑みを浮かべて青瑠を見つめた。 「っふう! 無事に抜け出せたね」 「玉弥(たまや)」  親友の名を喘ぐように呼ぶと、緊張の糸が切れ、凭れ掛かるようにして抱きついた。 「ずっと、ずっとね、山羊の鳴き声を待ってたのよ……!」  玉弥は素早く抱き締め返すと、青瑠の肩を掴んで引き離した。 「早く着替えよう。時間が掛かれば、美屋久に不審に思われる」  玉弥は何のためらいもなく腰の結び紐を解くと、襟を開いて肩を出した。青瑠も慌てて、着慣れない花嫁の衣装を脱ぎ始めた。 「わっ!なんだよ、これ。ビラビラして気持ち悪いなぁ」  裙(カカン)を履いた玉弥が、ブツブツと零した。普段は上下の繋がったウシンチーを着ているため、腰から踝までを覆う裙を持て余していた。月明かりだけを頼りに、青瑠は玉弥の着付けを手伝った。  常であれば、玉弥はハイ(横の髪)やウシル(後ろの髪)を膨らませず、男髪かと思うほどにさっぱりと結い上げているが、今日は見事な女髪だ。ややきついが整った顔立ちは、月光を浴びて妖艶とも形容できそうだ。 「美屋久が惚れてしまわないか、心配だわ」  友を危ない目に曝す事態に、今さらながら後ろ髪を引かれた。青瑠の不安げな眼差しを、玉弥はあっけらかんとした笑みで吹き飛ばした。 「へっ! 顔を見られる前に逃げ出すさ。それよか、途中で捕まらないようにしなよ。いつまで時間稼ぎできるか、わからないんだ」  言い含める玉弥の視線が、青瑠の胸元で留まった。 「へぇ、綺麗な蝶だね!」  青瑠の小さな乳房の間に、蝶の形の鉄細工が揺れていた。羽根の文様まで丁寧に再現されている。
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