12人が本棚に入れています
本棚に追加
水のような夜気が頬を撫で、青瑠は身震いした。十一月ともなると、陽の出ているうちは温かくとも、朝晩は指先が悴むほどに冷え込んだ。
庭に植えられた草木は闇を呼吸し、シークヮサーの実が朧に浮かび上がる。小鈴を振るうような虫の音が、さやかに響いていた。戸板はあらかた閉められているため、隙間から漏れる明かりだけが頼りだ。
覚束ない足取りで縁側を曲がろうとしたところ、にわかに手首を掴まれ、引きずり下ろされた。足裏が湿った黒土を踏んだ。
ヤブツバキの下で、若い娘が笑みを浮かべて青瑠を見つめた。
「っふう! 無事に抜け出せたね」
「玉弥(たまや)」
親友の名を喘ぐように呼ぶと、緊張の糸が切れ、凭れ掛かるようにして抱きついた。
「ずっと、ずっとね、山羊の鳴き声を待ってたのよ……!」
玉弥は素早く抱き締め返すと、青瑠の肩を掴んで引き離した。
「早く着替えよう。時間が掛かれば、美屋久に不審に思われる」
玉弥は何のためらいもなく腰の結び紐を解くと、襟を開いて肩を出した。青瑠も慌てて、着慣れない花嫁の衣装を脱ぎ始めた。
「わっ!なんだよ、これ。ビラビラして気持ち悪いなぁ」
裙(カカン)を履いた玉弥が、ブツブツと零した。普段は上下の繋がったウシンチーを着ているため、腰から踝までを覆う裙を持て余していた。月明かりだけを頼りに、青瑠は玉弥の着付けを手伝った。
常であれば、玉弥はハイ(横の髪)やウシル(後ろの髪)を膨らませず、男髪かと思うほどにさっぱりと結い上げているが、今日は見事な女髪だ。ややきついが整った顔立ちは、月光を浴びて妖艶とも形容できそうだ。
「美屋久が惚れてしまわないか、心配だわ」
友を危ない目に曝す事態に、今さらながら後ろ髪を引かれた。青瑠の不安げな眼差しを、玉弥はあっけらかんとした笑みで吹き飛ばした。
「へっ! 顔を見られる前に逃げ出すさ。それよか、途中で捕まらないようにしなよ。いつまで時間稼ぎできるか、わからないんだ」
言い含める玉弥の視線が、青瑠の胸元で留まった。
「へぇ、綺麗な蝶だね!」
青瑠の小さな乳房の間に、蝶の形の鉄細工が揺れていた。羽根の文様まで丁寧に再現されている。
最初のコメントを投稿しよう!