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足音を殺し、青瑠は筋道を風のように駆けた。
月の表を海蛇のように細長い雲がぬるぬると這い、月明かりは風に揺らめく灯心のように定まらない。あらゆる物陰に、誰かが悪意を持って潜んで、青瑠を捕えようと手薬煉を引いている気がして、青瑠はいっそう足を速めた。
目指す福利(フクリー)の家は海の傍だ。アカバナーの垣に囲まれた萱葺きの小屋が、月明かりに濡れている。
波音が聞こえ、潮が強く香った。家の裏手は、アダンの林を挟んで海が広がっていた。
入口に近づいたところで、場違いに能天気な笑い声が響いた。
「わあっ! 本当に逃げてきたの! 玉弥が入れ替わったんですって? 可笑しいったらないわ」
すっかり息を切らし、唾を飲み下すのもやっとの青瑠に、福利は大はしゃぎだ。花嫁を逃がす手伝いを、単純に面白がっている。
久高島では、婚礼の式の途中で花嫁が逃げ出す風習があった。親の決めた結婚相手が気に食わなかったり、まだ結婚したくないと考えた娘が、花婿から逃げ回るのだ。
当然、花婿は面目を潰された形となり、必死に花嫁を探し回った。
島は、東西に細長く、四刻もあれば一周できるほどの小さな島だ。男性禁忌の場所に隠れない限り、居場所はすぐに知れた。
昔は一年余りも逃げ回った娘もいたと聞いた。
しかし、十数年前、花嫁が逃げている最中に結婚相手が亡くなり、絶望した花嫁が、後を追って海に身を投じる悲劇が起こった。以来、嫁捜しは形骸化され、三日もすれば捕まる状態が常となった。
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