百度目の泡沫

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**********  九十九回目の参拝は、雨であった。天気予報ではほとんど雨は降らないと言っていたが、捻くれ者の俺は傘を持参していたのだった。  彼女は賽銭箱の前で空を見上げ、静かにため息を漏らした。「傘、持ってきてないです」そうして、俺の方をちらと見た。 「相合傘なんて、歳に合わないよ」  俺は持っていた傘を彼女に渡した。冗談だったのか、少し面食らっていた。 「いいんですか」 「帰りに安物の傘でも買うから、大丈夫だ」  彼女は渋々といった風に傘を受け取り、しばらくその場に立ち尽くしていた。 「どうかしたのか?」 「……やっぱり、申し訳ないです」  そう言って、傘を突き返してきた。こうなると互いに引けなくなる。しばし譲り合ってから、結局どこか適当なファミレスに入って、雨宿りするということになった。  傘の柄は彼女に渡し、俺はその歩幅に合わせて歩く。 「……まさか、降るなんて思っていなくて」 「心配性なだけだ。持ってきて正解だった」  俺の肩口が濡れているのに気づいた彼女は、身を寄せてきた。「いや、やめた方がいい」少なくとも彼女は一般人である。傍から見てこの関係がどう見えるのかではなく、殺し屋と一般市民が並んで歩いているのはあまりよくないと判断したためだ。  ふと、肩が触れ合った。不意に、寒気を感じた。雨のせいだろうかと傘越しに空を仰いだ。 「風邪でもひいたかな」 「あったかくして、寝てくださいよ」 「俺みたいな風の子は、病気になんてならないよ」 「なんですか、それ」  やがて、目当ての店が前方に見えてきた。傘を閉じて、傘立てに突っ込む。彼女は自動ドアの前で突っ立って、しかし一向に反応しないようで、あれこれと手をかざしたり、足場を踏んでみたりしていた。 「反応悪いな」 「ちょっと、やってみてくださいよ」  促されて、俺が手をかざすと、意外にもすんなりと開いた。奥の方から店員が出てくるのが見える。軽く店内を見回すが、昼過ぎということであまり客の姿は見られなかった。 「お一人様ですか?」  一人? 俺は彼女を振り返ってから、指を二本立てた。 「いや、二人だ」 「かしこまりました」  恭しくお辞儀をされて、席に案内される。メニューを開いて、ドリンクバーだけを注文する。機械的に店員は応答して、それから二人でそれぞれ飲み物を持ってきた。俺がコーヒーを選んだのに対し、彼女は炭酸飲料であった。なんとも若者らしい選択である。 「……雨、いつまで降るんでしょう」 「さあ。もし止まなかったら俺の傘、持ってってくれ」 「流石にそんなことはできませんって」  別にいいんだが、と俺は持ってきた炭酸飲料を飲み干す。思えばこの歳になってから水分を取る量も減った気がする。いよいよもって老人かもな――人間、三十を超えれば十分年寄りである。 「えっと……貴方は」  そう言われて、そういえば自己紹介もまだだったと気づく。 「椎奈と呼んでくれ。名字は尾山」  彼女は一つかぶりを振ってから、シイナさん、と呼んだ。 「シイナさんは、私の妹が助かると思いますか?」 「単刀直入な」 「正直に、答えてほしいです」  語尾が震えていることに気づいた。恐らく、彼女自身も薄々気づいているのだろう――こんなことをしても、自己満足でしかないことを。同時に、どうしようもない時、何か人智を超えた存在に縋りたくなる気持ちも分からないわけではなかった。 「……神と呼ばれる存在がいるとすれば、私の仕事は成り立たない」 「シイナさんは、どんな仕事を」 「フリーランスの、殺し屋」  って言ったら信じるかな。そうおどけてみる。彼女は少し驚いた表情をして、それからまさか、と笑い飛ばした。「シイナさん、冗談とか言うんですね」冗談ではないのだが――殺し屋など、架空の職業だと思われている。それはある意味、世の中が平和であることの裏返しなのではないだろうか。 「君の妹さんがどんな病気なのかは知らない。だけど、人間なんて呆気ないものだよ」 「それは……知っています」  彼女は俯いて、そう呟いた。酷なことを言ってしまったとすぐに思ったが、今更そのような良心があるとは、我ながら変な話である。 「でも、百度参りをしていることに意味はあるはずだ」  フォローとも取れない台詞を吐いた。彼女は少し微笑んで、飲み物を持ってきますと席を立った。俺はその背中を見ながら、溜息をついていた。 「意味、か……」  朝から一つの妙案が、俺の頭には浮かんでいた。  その案を実行するには幾ばくかのリスクがあったが、それを全て負っても構わなかった。今更死んでも後悔はない。近頃仕事に辟易し始めていたこともあり、形がどうであれ、裏社会から身を引くのにはいい頃合いのように感じる。  彼女が戻ってきた。俺は姿勢を戻し、彼女に尋ねる。 「そういえば、君の名前は」  私も名乗ってませんでしたね。そう言って、席に座った。 「『聖なる』で聖、聖柚希です」 「ヒジリ」  当てつけのような皮肉である。そう思って、流石に笑えない冗談だと感じて閉口した。  彼女が窓の外を見やった。 「雨、弱まってきましたね」  つられて俺も外を見て、首肯する。「出るか」年上という理由で、レシートを持って会計に行く。遅れて彼女がやってきて、払いますと言ってきた。 「いや、払わせてくれ」 「駄目ですって」 「年上には黙って従っとけ」  言うと、意外にも大人しく彼女は食い下がった。会計を済ませ、外に出ると、一時的にではあるが、太陽が顔を覗かせていた。 「今日はありがとうございました」  ぺこりと彼女は頭を下げ、慌ただしく走っていく。やはり元気な子である。少しだけ羨ましくあった。 「……ヒジリ。いや、聖、か……」  中々聞かない名字である――ならば妹の方も見つけやすいだろう。俺は携帯を開いて、常に携帯に挟んでいるメモ帳を取り出した。 **********
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