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《野良仕事#2》
女の顔が化けものになった。
「ふざけるな!」
自分の声で我に返った。ゆっくりと首をひねり、長ねぎと野沢菜の先へそれとなく目を向ける。ハツはおっさんがやるようなあぐらをかいて、さっきと同じことをしていた。心がうっぷんだらけになっていく。
前を向き、舌打ちをし、なんの味もしなくなったガムを掘った穴へ吐き捨てる──作業再開。
スコップの先が硬いなにかにぶつかった。感触としては石。そうじゃなきゃ瓦くず。体を前へ倒して穴のなかをのぞきこむ。
「馬鹿だな、お前」
ムチのようにしならせた体で絶対に敵いっこない鉄のスコップを引っぱたいている赤黒い生きもの。たかが眠りを邪魔されたぐらいで腹なんか立てていたら、とても長生きなんてできない。瓦くずの上のこいつは自分の運がとびきり悪いことに一ミリも気づいちゃいなかった。
「運のつきって言葉、知らないだろう」
自然と吊りあがっていくおれの口もと。ミミズの世界じゃでかくてえらいのかもしれないこいつを、人間の世界じゃ最低のおれ=奴隷のうっぷん晴らしにつきあわせる。尻を潰し、腹を潰した。どろどろしたものを撒き散らしながら穴のなかをのたくりまわる弱々しい生きもの。なにもいえず、なにもできず、ただされるがままのミミズは昔のおれだった。
弱い者はいつだって強い者の好きにされるのがこの世のルールだ──頭を潰しながらいってやった。鉄のスコップになったおれに敵うものはない。
「お前に選べる道なんてもんは──」
背中に衝撃。肺から押しだされた空気が咳になる。
「べとえのくってじゃね! こんがきゃ!」
ミミズの立場に逆戻りするおれ。振り返るのが面倒くさかった。二発めの衝撃でしかたなく後ろを向く。いびつになったハツの顔──つまらなかった。
「よた者のせがれが! はあ、かっけしてくれるわ!」
塊割の背で容赦なくおれをぶちのめしているつもりの老いぼれ。明治生まれのばばあの暴力など、痛みに慣れているこの体には屁でもない。それでも痛がってやらないわけにはいかなかった。
「なにが痛てもんか!」
いつもの猿芝居=くそつまらない時間。おれの尻を叩き、頭を小突いていい気になっている死に損ないのうさ晴らし。ハツの唾が顔にかかる。殺してもいい理由になると思った。
「殺生せんなってずに! やんならへえ、刑務所入ってるてめの親父やれ!」
まぶたをきつく閉じる。ハツをぶち殺したくてうずうずしているおれと、それをためらうおれが話しあいをはじめる。
「げえもねえことばかしゃがって! こんがきゃ!」
話しあいの結果が出る前に体から心だけを切り離す──去年、あの冬の晩に覚えた技。今ではそいつがくせになっている。自分がまだ死なずに済んでいるのはこいつのおかげだということをハツはわかっていない。
痛めつけられているおれの体を、ハツの後ろへまわりこんで見ているおれの心。老いぼれの後ろ姿がどこかのガキのそれに変わる。ズームアップ──傷だらけの背中。切り離された心が行き当たりばったりで迷いこんだ場所。ガキの横で突っ立っている女には顔がなかった。左手にはバットが握られている。
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