第三逃 色メガネ

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《名前#3》 「たまにはおもしろい話しろよ」 「おう。実はオレひとり暮らしすんだわ」  はじまった。いくら家が金持ちだからといって、小学生の分際でそれは無理──いや、無茶な話だ。 「へえ。いつから」 「明日からだ。臥竜山(がりゅうざん)の裏っかわだけど、けっこう広いアパートだぜ」  細まる垂れ目。革ジャンの脇腹を肘で突く。 「だからマジだって、マジ」  実際がどうであってもおれには関係のない話だったが、なんのためにそうしたのかを一応聞いてやった。 「こないだも話したろ。ふたりユーカイしちまおうぜって。アレよ、やっぱ親が近くにいたらうまくいかねえと思うんだわ」  近くに親がいようがいまいが、うまくなんかいきっこない。だが、こういう無茶を考える男がおれは嫌いじゃなかった。 「大丈夫なのか」 「ダイジョーブってナニがだよ」 「その、あれだよ。なんていうか、ひとり暮らしの理由はわか⋯⋯りそうで、あんまりわかんねんだけど──」 「なんだそれ」 「まあ、聞け」 「チョー聞いてんぞ、さっきから」 ──じゃあ、黙ってそうしてろ。途中で口を挟むな。垂れ目を二秒か三秒、じっと見た。 「冗談にしか聞こえねえよ、誘拐なんて」 「サームラよお⋯⋯」  一段と低い声を聞かせる武田。嫌みなやつだ。 「オレがジョーダンなんていったことあるか?」  それはたしかに。ちゃんとやれるかどうかは別にして、口のほうはいつだって暑苦しいぐらいに本気だ。 「武田んちの親はそのこと──」 「知ってたら意味ねえだろ。ナイショでアニキたちに借りてもらったんだよ」  今回のぶっ飛び話はいつになく本当っぽい。やるときはやる武田をおれははじめて見た気がした。が、計画がうまくいくかどうかはまた別の話──と、ここで疑問。武田の兄貴たちはまだ大人じゃない。アパートはそれでも貸してもらえるものなんだろうか。そのまま武田に聞いた。 「フツーは難しいとこなんだけどよ。そこんとこはアニキのセンパイのセンパイのチカラを借りて──」 「なんだそりゃ。ほとんど知らねえ人じゃねえか」 「顔なんか知らなくたってセンパイはセンパイだ。いいか、サームラ。オレたち不良は──」  長くてわかりづらい話をまとめるとこうだ。  不良グループ──つまり暴走族だが、やつらは先輩後輩の区別にうるさい。うるさい代わりに年上が年下の面倒をみる。大人になって働くようになれば年上のやつらは暴走族をやめていくが、先輩後輩の関係はその後も続く。武田の兄貴のそのまた上の上ぐらいになるととっくに(・・・・)大人で働いてもいて、そいつらに頼めば大抵のことはなんとかなる。秘密のアパートのからくりはそういうことらしい。 「──ってワケよ」  やかましいだけの馬鹿の集まりが暴走族だと思っていたが、頭のおかしい親や親せきよりはずっと役に立つということがわかった。が、だからといって『その仲間になることで今よりも気合が入る』と思っている武田とおんなじ頭の具合にはなれない。この先もそこのところだけはたぶん、変わらない。 「で、児島をさらってきて、そこへ押しこんどくのか」 「いきなりそんなことしねえよ」  誘拐は大抵の場合、いきなりやるもの。そうじゃない誘拐というのがいかにも武田らしい。 「まずは一緒に公文へ通って、そこで仲よくオベンキョー。話はそれからだな」  漢字の読み書きも四の段のかけ算も怪しい男がいう。 「はじめて手をつなぐのが誘拐じゃ、いくらなんでも悲しいもんな」  すっとんきょうな計画も金があればこそ。こんなふうに考えるのははじめてだった。すべては今夜手にすることが決まっている札束のおかげ。金があればなんでもできる。いつもなら例のみじめな気分になるところだったが、今日はいい気分だった。金は心の中身まですり替えちまう力を持っている。 「サームラたちの部屋もちゃんとあるからよ」 「馬鹿いってんなよ」  沢村たち=おれと聖香。そんな暮らしは夢でも見たことがない。 「オマエら意地張りあってるだけだろ。見てりゃわかんだよ。ふたりでちゃんと話せばすぐにもとどおりだぜ」  なんにもわかっちゃいない武田。ことはそんなに簡単じゃない。 「勘でものいうな」 「あ? ちがうのかよ。んじゃ、先に岡崎さらっちまうか?」 「だからそういうんじゃねんだって!」  思わず出たでかい声。自習グループ、日本シリーズのグループ、プロレスのグループそれぞれから飛んでくる目線。そのなかには聖香のそれもあった。みぞおちがちくっとする。
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