第三逃 色メガネ

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《名前#6》  終鈴がぶち鳴らされると、気配だけでおれを攻撃していた羊どもはなにごともなかったかのようにてんで(・・・)バラバラの行動を取りはじめた。  ようっ!──背中に衝撃。 「⋯⋯ってえな」  文句を口にしながら首を後ろへひねる──机の上でバッタの親子みたいな格好をしているおれたち。 「なんだよ」 「損した」  ハの字眉で返されてきた答え──いやな予感。今夜の計画に関係した損だとするとうまくない。 「廊下へ出よう」 「どうして?」 「どうしてって、ここじゃその⋯⋯まずいだろう」 「まずい? 自習ってわかってたら宿題なんかやってこなかったのにって話が?」  鼻でため息をついた一秒後に別の意味で驚くおれ──くそまじめな松本。肩にあったパンダ模様の顔が脇腹のほうへと移動してくる。 「やばすごいね、顔」 「じろじろ見るな」 「朝わかんなかったけど、またパワーアップしてんじゃん。なんで?」 「人のこといえる顔か」  昨日のケンカ──松本の攻撃で受けたダメージはほとんどゼロ。お互いにそれはわかっている。興味剥きだしの目はそれ以外の理由=自分がまるで敵わなかった相手をここまでぶちのめすことができる暴力の正体を知りたがっていた。遠慮というものを知らない目玉に指で突く真似をしてやる。 「ガイジンにやられたんだとよ」  武田がおれと松本の顔を見比べる。 「だけど松本の顔もハンパねえな」  生傷の品評会なんてものがもしあれば、おれたちはきっといい線を狙えるにちがいない。 「ホントは松本とケンカしたんじゃねえのか?」 「だからさっき──」 「したよ。ボク、負けた」  松本が武田に対して照れ笑いをする。おれに対して『そうだろ』という顔をする。 「なんだよ、ババアのシワザじゃねえじゃねえか」 「松本ともケンカしたし、外人にもやられたんだよ」 「なんだそりゃ。だいたいそのガイジン、マジでババアの仲間だったのか?」 ──それは武田、お前がいいだしたことだろう。 「なに!? ぶっかけばばあって仲間いるの!? ボク、見たことないよ!」  質問を無視して教壇の脇へそれとなく目をやる。やわらかな声とやさしい言葉で豚を慰めている聖香。休み時間だというのに。きっとその心には天使が住んでいるにちがいない。  ふいに気持ちが高まった。もう会えなくなることを聖香に伝えたい。すぐにそれができないことにも気づく。気持ちをうやむやにするために札束のことを考えた。頭のなかを飛びまわる、どこか笑顔の聖徳太子たち。札に印刷されている顔のヒゲが消え、髪が伸び、顔がそっくり聖香のそれになると次には誰の顔でもなくなった──顔のない札。 〈よんだか〉 ──消えろ。  化けものが心のなかのあちこちへ唾を吐く。 「岡崎見てる」  背中越しにぼそっと聞こえてきた声。焦りを顔に出すことはしない。気持ちや考えていることを隠すのは奴隷の得意技。体を後ろへねじる。パンダ顔の右目がやたらとぱちくりしていた。 「なんだよ、ちがうよ」  松本が小さく首を振る──繰り返されるまぶたの動き。口には出せないなにか=家出の計画は内緒。 「⋯⋯ああ、わかってる」  おれは小声で早口し、左手で腰の脇の太ももを軽く叩いた。 「だけどオメエら、ケンカしたわりには仲いいな」  マジソンバッグをごそごそやりながら武田がいう。 「そりゃそうだよ、だってボクたち今晩──」  たった今、口にしないと決めたことを口走る松本。武田からは見えない側の肘で後ろの脇腹を小突く。あ、ごめん──息で返されてきた言葉。おれはさっきの合図の意味がまったくわからなくなった。 「あ? 今晩なんだって?」 「今晩じゃねえよ。昨日の話だ、昨日の」  武田の耳の記憶をぶっ飛ばす。 「昨日は虫のいどころがお互いちょっと悪かった。そういったんだ」 「そうそう、悪かった。昨日。ちょっと。虫の。お互い。いどころが」  言葉を変な順番に入れ替えて松本がオウム返しをする。
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