第三逃 色メガネ

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《ニュータイプ#1》 「色がちがうだけだろう。赤く塗ればいいんじゃねえのか」 「赤いだけじゃないんだよ! 使われてる部品も性能も全部ちがうんだから」  プラモデルに性能のちがいなんてあるのか。あんパンをかじりながら聞いた。 「指揮官専用機だからね。出力系統がまるでちがう。あと量産型には(*008)レードアンテナがついてないけど──」  だめだ。なにをいってるのかさっぱりだ。 「新井、悪い。聞いといてなんだけど、全然わかんねえわ」 「マジで~」  例のこづかい稼ぎ。おれは今日最後の客=(*008)ンダムが大好きな新井(あらい)(まこと)といつもの取引場所=ワックスのにおいがぷんぷんしているこの視聴覚室で、金と注文された品物を交換していた。  新井はとなりのクラス=三組のチビで、いつも学者みたいなメガネをかけている。そいつを外したときの顔が想像できないほどのガリ勉顔だが、頭がいいという話は聞いたことがない。 「店へ返しに行くわけにもいかねえしなあ⋯⋯」  家が車屋をやってるせいか、新井はスポーツカーやバイクなんかにも詳しく、そのへんに関係するものもよく欲しがった。今日もこれのほかにチョロQ三個をDrスランプの最新巻とセットで渡している。しめて七百円のお買いあげだ。 「で、どうするよ? これ」 「どうするっていわれても、ボクこのタイプ三つ持ってるし⋯⋯」 「まいったな⋯⋯」  半年前にこの稼ぎをはじめてから今日まで、新井が注文をしてこなかったことは一度もない。いってみればお得意さんだ。使ってきた金も断トツで一番だろう。おれの学費の半分はこいつが払ってきたようなもんだ。 「んじゃ、この分はタダにしとくわ。それなら文句ないだろ」  最初で最後のサービス。たかだか百数十円のそれで申しわけないが、これまでの感謝の代わりだ。 「マジでいいの? タダで?」 『SOARER(ソアラ)』と刺しゅうされた帽子の奥で目を輝かせる新井。その帽子も運動会の前に売ってやったものだった。おれは頷いて、食いかけのパンにかじりついた。 「そうだ、ちょっと待って」  六年ものとは思えないきれいなランドセルから取りだされてきたのは雑誌。表紙にはガンダムの絵が描かれている。そいつを細長い指でパラパラとめくりはじめる新井。連続したページの起こす風がおれの鼻っ面に新しい紙のにおいを運んできた。 「どこだったかな⋯⋯」 「ガンダムはいいぞ、おれ」 「あったあった」  ページとページの間から抜きだされてきたなにか。ペラペラしている。 「写真見ながら描いたんだけどね」  どこにもガンダムの描かれていない、風景だけのセル画=どこかの海。それか湖。白い灯台の向こうに島だか山だかが見えている。船やかもめのような鳥も描かれていた。パンをかじる顎が思わず止まる。 「うまいな⋯⋯」  まるで写真だった。よく見ると半分に少し足りない月が、夕方と夜の両方を混ぜあわせた空へ透き通るようにして浮いている。セルの左下には『たそがれの海』と小さく書きこまれていた。なんだか懐かしい気分におれはなった。 「こういうとこ、いっぺん行ってみたいと思ってさ」 「海が好きなのか?」 「うん。長野には海がないからね。余計にそう思う」  もう一度絵を見た。波とその泡、流れている感じの雲、近くの島、遠くの島々、月の模様。細かいところを見ていけばいくほどよく描けている。ただ── 「灯台だけ、なんかちょっとあれだ。小さいな」 「実物見たことあるの?」 「長野(こっち)へ来る前は千葉にいた。あそこのまわりは海ばっかりだ」  新井の問いに答えながら、おれはいろいろと思いだしていた。焼けた砂の海岸、防波堤の灯台、沖の灯標、コンビナート、でかいタンカー、貨物列車。そして──ヘドロの浮いた海。 「まあ、この絵ほどきれいじゃなかったけどな。おれがいたところの海は」  口の奥にあったあんパンを飲みこみながらいった。 「ところで『たそがれ』ってなんだ?」  歌の歌詞なんかじゃよく聞く言葉。なんとなく寂しい感じの意味だろうと、おれは勝手に思っている。 「夕方と夜の間をそう呼ぶんだって」  丸っきりはずれでもないが、正しいともいえない言葉の意味。いや、どっちかといえばはずれか。 「あげるよ」 「あげるって、これお前、一生懸命描いたんだろ」 「なんかね、急にあげたくなった。ザクをタダでもらったっていうのもあるけど」  おれたちは互いに礼をいいあい、手にしているものをそれぞれのランドセルへとしまった。
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