第一逃 ルール

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《野良仕事#3》  三年前の冬、沢村(さわむら)静恵(しずえ)は父さんと離婚をした。おれは父さんと千葉へ残りたかったが、ヒステリー持ちの静恵がそれを許すはずもなかった。おれという動くおもちゃを、そう簡単に手放したりしないこともわかっていた。  冬休み中の急な出来事によって、お別れ会すら開かれずに終わった千葉での暮らし。静恵の兄が運転する車へ乗せられ、馬鹿寒い長野へ連れてこられたおれはその晩、自分の運のなさに泣いた。  沢村静恵はすぐに安西静恵になったが、おれの苗字はそのままだった。父さんとのつながりをかろうじて残されたことはせめてもの救いだったし、それを大事にしたいとも思った。  前の学校では暴れまくり、力で友だちを押さえつけていたおれは転入した先でも同じやり方をためした──すぐに袋叩きにされた。もちろん次の日からは無視に嫌がらせのお決まりコース。どこの学校でもそのへんは同じ。たまらなくなったおれはクラスのボスを、そいつの塾帰りに闇討ちした。二度と歯向かってこないようにしつこく、骨のずいまで、徹底的に。  そいつの取り巻きがそのことを学校中にいいふらしてまわると、それまでの無視はおべっか(・・・・)に変わり、前のボスの悪口を手みやげに近よってきたやつらが、おれのことを『さん』づけで呼びはじめた。  おれはそいつらとグループを作り、縄張りをほかのクラスにまで広げた。家が金持ちそうなやつを狙ってはいじめ、それがいやなら金やものを持ってこいといった。そうして集めた金をおれたちは買い食いやゲームセンターへ入り浸るために使った。  仲間のへま(・・)ちくり(・・・)で担任がこのことを知ると、おれはたちまち問題児のレッテルを貼られ、なにをするにも誰かの目がついてまわるようになった。金を手に入れることができなくなったおれは誰の目も届かないところまで出かけていって、ものをかっぱらうことを覚えた。  二月の雪の晩だった。勤めを終えた静恵が知らない男を連れてきて、そいつを新しい家族だといった。今日から一緒に暮らす、ともいった。ただでさえ狭い六畳二間のぼろアパートにこれ以上人が増えるなんて冗談じゃないと抗議をしたが、それはおれがふたりにぶちのめされる理由にしかならなかった。心が『おれじゃないおれ』を見たのはこのときが最初だ。  静恵の苗字が安西から出脇(いずわき)に変わると、じきにおれは畑しかないこの家へ放りこまれた。同時に二度めの転校。新しい学校で問題児とされていたやつとその役まわりを交代するのに、前の半分もかからなかった。 「ずくやんでじゃねぞ(手を抜いてんじゃないぞ)! だもはたかれっだ(だから叩かれるんだ)! こん(この)やくなしが(役立たずが)!」  切り離していた心を体へ戻す──いつもに比べて少ないダメージ。農道を行く誰かの顔がこっちに向いていた。ハツは外面(そとづら)を気にする。おれはいつでも息の根を止めてやれる老いぼれに、ごめんなさいと頭を垂れた。  弱者の残がいを土へ返し、しゃかりきになってじゃが芋を引っこ抜く。たまに出くわすミミズはもう相手にしない。引っこ抜いた芋のまわりについている土を払い落とし、畝の脇へと転がしていく。種芋からちぎれて置き去りになっているものがないか、スコップの背を使って探す。それが済んだらとなりへ移って同じことを繰り返し、一列やっつけ終わったところで、今度は転がしておいたじゃが芋を発泡スチロールの箱に詰めていく=馬鹿でもできる単純作業。  なにも考えなければ体は動く。考えはじめると途端に動かなくなる。おれの脳みそはふたつのことを同時にこなせない。それはつまり、馬鹿ということだった。  頭の足りないガキには奴隷がふさわしい。奴隷になったからには考えごとなんかしちゃいけない。考えたとおりに、もし生きたいと思うなら、今すぐここを飛びだして奴隷をやめることだ。  二列めのじゃが芋に手をかける。芋掘り専用の馬鹿になるために、おれは考えごとをやめた。 「はあ(そろそろ)しまえや(終わりにしろ)。スチロパール、こっち入れとけ」  スチロパール=発泡スチロール。長野の言葉はめちゃくちゃだった。返事をする代わりに大げさな動きで伸びをし、ついでに空も見あげる。群青色に揺れる星の光が、ほんの少しだけうっぷんを和らげた。 「オレァこれから伊勢乃(いせの)出てくる(行ってくる)(おそ)くなっから、おめは寝とけ(お前は寝てろ)」  ハツは自分のことをオレという。『伊勢乃』は街の中心に近い呉服屋で、ここからは少し離れていた。どんな用事でそこへ行くのかは知らない。おれは乾いて白くなりかけている指の土をGパンの太ももで払い、それから腰をあげた。 「そのまま一生帰ってくんなよ」  いそいそと片づけをはじめる老いぼれの背中に向かって、おれはまた口を動かさずにいった。
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