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《女スパイ#2》
「ああ、誕生日のあれか」
魅力的な紙きれを見ながらいった。
「なんでわたしの誕生日知ってんの!?」
「武田が話してたのを聞いた」
二枚の紙きれはどっちも聖徳太子だった。それもでかいほうのやつだ。児島もそんなものをおれに見せびらかしてどうしたいのか。
「なーんだ、つまんない」
うちわ代わりの聖徳太子。見ているだけでばちが当たりそうだった。
「つまんないってなんだよ、大金じゃねえか」
乞食ヤッケのポケットにある、稼ぐのにめちゃくちゃ苦労した金の五倍ものそれを彼女にポンとくれてやれる武田。それなのに手すら握らせてもらえない武田。わりに合わないことが好きなのかもしれない武田。金持ちの心のなかがどういうしくみになっているのか、まだ貧乏人のおれにはわからなかった。
「⋯⋯手ぐらい握らせてや──」
「テレビ欲しいんだけど、頼んでもいい?」
口を開いたのはおれのほうが早かったが、声の勢いは児島のほうが勝っていた。
「足りないかな?」
意味がわからなかった。二万円でテレビが買えるのかどうかも知らない。
「いってることが⋯⋯よくわかんねんだけど、その金でテレビを買ってきてくれっていってんのか?」
「ううん。お使いとかそういうのじゃなくて売ってほしいの。わたし用のテレビ。最近、弟の力が強くてチャンネル取りで負けちゃうから。ある?」
おれは電器屋じゃない。もしかしてかっぱらってこいという意味でいってるのか。
「沢村くんに頼むとなんでも安く買えるって聞いたよ」
──やっぱりか。
「だめ?」
新井、武田、村瀬、篠原、飯塚、山越、森。五年の克也、直己、高志、創一、淳二、晃──例のこづかい稼ぎを知ってるのはこいつらだけ。松本ですら知らないことをなんで児島が知っているのか。おれはおしゃべり野郎の名前を聞きだすためにベッドの脇へと移動した。
「武田に聞いたのか?」
「ううん」
「じゃ、誰に聞いたんだ」
「染川さん」
「染川? 豚⋯⋯生徒会長のか?」
「うん。家近いの。わたしも染川さんも児童公園のそば。ねえ、その顔の傷って痛い?」
家が近いとか傷が痛むかどうかなんてどうでもいい。なんでおれの秘密を豚なんかが知ってるのか。問題はそこだ。
「染川にそれ聞いたの、いつだ?」
「ちょっと待って、今思いだすから」
「ほかに誰がいた!?」
「染川さんとわたしだけ。沢村くん、怖いよ」
焦るとどうしても力が入る。おれは児島に謝り、体から力を抜いた。
「運動会のちょっと前ぐらいかな。塾行くときか帰るときか忘れちゃったけど。でもなんで?」
二週間以上前だ。豚はどこからそのことを聞いたのか。いや、それよりもおれのことをあれだけ目の敵にしておいて、なぜそれを佐東どもにちくっていない? 引っかかるのはこっちのほうだ。
「ねえ、なんでそんなこと聞くの? わたし変なこといった?」
変などころの話じゃない。この話をほかの誰かにしゃべったりしてないか聞こうとして──やめた。そいつをちくられようがバラされようが、明日にはもうどうでもいいことだ。今までちくられなかったことを素直に喜んでおけばいい。考え方を切り替える。
「まあ、別にいいや」
「よくないよ。テレビ欲しいもん」
「悪いけど無理だ。テレビなんてあんなでかいもの」
「小さいのでいいよ」
「もうやめたんだよ、なんでも屋は」
ベッドに背を向け、扉のほうへ歩く。サボりはまた今度。いや、今度はもうないか。
「納得いかない」
納得? 誰が誰にだ? またまた、まわれ右。
「わたしスパイになるのが夢なの」
自分の将来を力強く宣言してくる児島。いってることの意味がつかめなかった。言葉をどう返していいのかもわからない。
「⋯⋯へえ、そうなのか」
「だから秘密を話して」
ぶっ飛んだ理屈。凄まじいにっこり顔。ベッドから身を乗りだしてヤッケの袖を力強くつかんでくる右手。口も顔も手もやってることがまるで噛みあっていない。なんだか武田がかわいそうになってきた。
「そんなもんねえよ。だいたいスパイに秘密なんか話さないだろう。あったとしても」
「わたしまだスパイじゃないよ」
鏡を見なくても自分の目が点になっているのがわかる、そういう珍しい気分。
「だからうそはやめて」
「うそなんかついてない」
「ふうん⋯⋯そう」
疑いのまなざし。それも絵に描いたような。そんな目をされなきゃならない覚えはない。
「なんだよ」
「どうしよっかな⋯⋯」
児島がさらに身を乗りだしてきた。
「どうもしなくていい。手を放してくれ」
「待って」
「待てない」
この時間=五時間目の残りはプールの脇かどこかにいて、六時間目は⋯⋯広げた教科書越しに聖香の背中観賞でもしておこう。
「じゃあじゃあじゃあ、わかった。わたしから話す。秘密。ね、それならいいでしょ?」
「別に聞きたくない」
人質に取られている右手を引っぱり戻す。
「すっごい秘密かもしれないのに?」
腕から力が抜ける──怒る気力すら失せるこぢんまり笑顔。好きにしろとしかもう、おれにはいいようがなかった。
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