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《女スパイ#3》
ほんとは染川さん嫌いなの、わたし。自分だけがえらいと思ってる。やな感じ──頷いてやった。
でも本人にはいえないの。あ、これ聖ちゃんにも内緒──頷いてやった。
聖ちゃんがね、うるさいの。武田くん不良だよ、怖いよって。おもしろいのにね──秘密なのかどうかわからなかったが、頷いてやった。
「武田くんて将来やくざになっちゃうのかな」
「知らねえよ」
しゃべってることがもう秘密じゃなくなってきている。児島が残念そうな顔をした。
「やくざは困るの。秘密を扱うスパイとしては」
完全にぶっ壊れた児島のイメージ。竹の子族に目がないただの女かと思っていたが、なかなか変なやつだ。
「そんな言葉、よく知ってるな」
そんな言葉=やくざ。刑務所にいるおれの父さん。父さんのまわりにいたやつらも同じ。
「こないだ弟とそういう映画見たの。やくざがたくさん出てきてお金持ちがさらわれて殺されちゃうやつ」
映画のあらすじをしゃべりながら、のんきにガムの包みを剥きはじめる児島。お前だってそのうち同じ目にあうかもしれないぞ──言葉が声になる前に喉の奥で押し潰す。
「でも馬鹿みたいと思った。やくざかっこよくない。ねえ、どう思う? 武田くんの将来。お兄さんたち、うるさいオートバイで走りまわってるよ」
この女は本気でそんなことを心配しているんだろうか。
「ならねんじゃねえか。あいつんちの父ちゃん、やくざじゃねえし」
「そっか⋯⋯そうだよね。映画にオートバイ出てこなかったもん。沢村くん、本物のやくざ見たことある?」
たくさんある、という代わりに『ない』といった。児島がさっきよりもっと残念そうな顔をする。
「意外とよくしゃべるんだな。そんなになまってもねえし」
「沢村くんはちっとも方言出ないね。都会の人みたい」
「しゃべれねんだよ、方言が。覚えらんねえっつうか」
きちがいどもと同じ言葉をしゃべるなんてまっぴらだった。考えただけでもぞっとする。
「ふうん。ヒロくんに会いたいなあ」
──ヒロくん? 誰だそれ。
「知らないの? は~、E気持ぉ~ち~」
歌う女スパイ。話の飛び方が武田よりひどいうえに、垂れ目の彼氏とは似ても似つかない沖田浩之に会いたいときた。この女は冗談抜きでおかしい。
曲の一番を歌い終えた女スパイの目線がおれを飛び越える。振り向く前に扉の開く音が聞こえた。
「あなたたち怪しいわね。なにしてたの」
空色のシャツの上へマントのように白衣を引っかけて現れた女。手には書類=何クラス分かの成長記録を持っている。
「相馬先生、お帰りなさい」
児島が宙に目をさまよわせながらいう。
「ただいま。具合はどう?」
体調の悪そうな表情をとっさに浮かべる児島──カメレオンのような早技。さすがはスパイだ。ただし顔色のほうは追いついていない。追加で頭痛、腹痛、筋肉痛。どういうわけか尻まで痛いといいはじめている。これも作戦か。
「どうしてここにいるの? 授業はどうしたのよ」
話す相手を変えてきた相馬。スパイじゃないおれは本当のことをいった。
「サボったって、あなたもずいぶんはっきりいうわね。で、誰もいない保健室で逢引き?」
机とベッドの間にある窓が開けられた──なだれこんでくる秋のにおい。冷たくもぬるくもない風が顔の傷をなでまわしていく。おれは上履きを脱ぎ、身長計の柱へよりかかった。
アイビキってなんですか=児島の質問。
相馬がベッドのまわりで揺れまくっている白い布を括りながら、アイビキについての説明をはじめた。児島がおれと同じタイミングで、そうじゃないといった意味の言葉を口にする。おれはそこに絆創膏の予備をくれといい足し、それから身長計の針を読んだ──百五十四センチ。春に測ったときからひとつも伸びていない。
「あなたたちって、クラス別よね?」
メガネの位置をなおした手がおれに伸びる──絆創膏。たったの一枚。けちな保健医はおれの抗議には取りあわず、部屋の隅の給湯器をいじくりはじめた。
「岩倉先生の留守をいいことに遊びまわってると、後でこっぴどく叱られるわよ」
岩倉はめったに怒らない。おれや武田がなにかやらかしても、面倒くさそうな顔をするだけだ。
「担任でもない佐東のほうがおれのことをよく引っぱたく」
壁に貼りつけられた全身を映せる鏡で、顔や首、肩の傷を確かめながらいった。
「先生を呼び捨てにするような生徒は叩かれて当たり前よ」
本当の肌の色がわからなくなっているおれの体。傷はいつもとは逆=左側に集中していた。デブの馬乗り攻撃に老いぼれが輪をかけたかたちだ。おれは左肩のどす黒くてぶよぶよしているところを指で軽く押してみた。
「痛て」
「それから──」
思わず出た声と相馬の説教が重なった。ガムが口から転げ出そうになる。左肩の痛みは一旦無視。というより、今日はもう触らないでおくことにした。
「どうしたの?」
「なんでもねえよ。で、それからなんだよ」
相馬がおれを差した指で自分の口もとを叩き、『休め』の格好=小言専用のポーズを取ってくる。
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