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《女スパイ#5》
金があればなにができる?──ガキのおれでも大人のように生きられる。
大人のように生きてどうしたい?──やりたいことをやる。
やりたいこと? それはなんだ?──わからない。ただ、奴隷の暮らしはもうたくさんだ。
そんなに奴隷はいやか?──当たり前だ。そんなもの好きなやつがどこにいる。
ふと我に返る。おれは誰としゃべっているのか──顔なし女か。目をつぶり、心のなかをのぞきこむ。
〈なんかようか〉
化けものは札束を積み木代わりにして不気味なものを作っていた。そいつがなんなのかを聞く。
〈いもむし。おまえにそっくり〉
相変わらずふざけたことしかいわない化けもの。ぶっ飛ばせる手段がなにもないことにいらつく。
──さっきのはお前か。
〈しらない〉
──じゃあ誰だ。
〈いもむし〉
話にならなかった。
「寝てるのかしら」
耳もとでいきなり声がした。目の高さもがつんと低くなる。
「ちっとも聞いてないわね、私の話」
床から立ちあがり、ぶっ倒した丸椅子をつかんで起こす。尾てい骨が少しだけしびれていた。
「聞いてたし、寝てもいねえよ」
「そう。じゃあ昆布茶が体にいい理由、いってみて」
「はい、先生。昆布茶はカルシウムなどのミネラルをたくさん──」
「あなたに聞いてるんじゃないのよ、児島さん」
壁の時計を見た──二時十五分。五時間目は二時何分までだったか。
「ほら、答えて」
「だからあれだろ。酸っぱさが体にいいとか、そういうことだろ」
「『全然聞いてませんでした』っていってるようなものね。なに考えてたの?」
「なんでもいいだろ。授業じゃねんだから」
相馬が目を閉じて口をすぼめる。
「なんか、生まれたばかりのカマキリ見てるみたいだわ」
どうせいい意味じゃないに決まっているたとえ──舌打ちだけした。
「気にいらない?」
「うるせえな」
「うるせえな、か。そんな言葉づかい、柳原中でもされたことないわ」
下を向いて笑う相馬──弱々しい笑い。どういう意味でそうしてるのかはわからないが、見ていてなんとなくいやな気分になった。
「まあ、そういう年頃なのかしらね」
「ガキ扱いかよ」
「ほらまたそうやって」
相馬が顔をあげる。レンズの向こうの目がこっちをまっすぐに見つめてくる。反射的に睨み返した。大人と目が合うと、おれはどうしてもそうなる。
「怖い目ね。怒ったの?」
「別に」
「もっとやさしい目をしたらどうかしら」
「生まれつきこういう目なんだよ。今さらどうにかできるもんじゃない」
「今さらって、あなたまだ小学生よ」
「まだってなんだよ、まだって。結局ガキ扱いしてんじゃねえか」
相馬の口が開きかけて閉じた。口争いはおれの勝ち。
「⋯⋯そうね。今のは私のいい方が悪かったわ。ごめんなさい」
「別に謝んなくたってい──」
相馬が──大人の相馬がおれに頭を下げだした。いったいなんの真似だ。児島の顔を見る──まん丸の目玉。おれのそれもたぶん、同じ。首の向きを戻す。目の前のつむじを見ているほかに、なにをすればいいのかわからなかった。
「急になんだよ」
「なんだよって、謝ったのよ。見ればわかるでしょ」
頭をあげながら相馬がいう。
「謝るだけじゃ足りないかしら」
「⋯⋯いや、そんなことねえけど、だからってそんな、子供に頭なんか下げんなよ」
「どうして。悪いと思ったら謝るのは当然でしょう。相手が子供だから謝らなくていいなんて道理はないわ」
相馬は変わっている。大人は普通、子供に頭なんか下げない。少なくともおれはそんな大人を見た覚えがない。今の話がそのとおりなのはわかるが、ほとんどの大人は子供に対していばっている。だから謝らない。それだけならまだしも、場合によっちゃことの責任をこっちへなすりつけてくるまである。
「いいよ、もう。なんか調子狂うわ、そういうの」
「許してもらえたのかしら」
顎で頷く。かなりぎこちない動きでそうしたのが自分でもわかった。
「そう。じゃあ、さっきの続き──」
相馬の態度から今までの申しわけなさが消し飛ぶ。
「ああいうもの言い、わざわざ自分を弱く見せてるようなものよ」
「モノ⋯⋯なんだって?」
「も、の、い、い。すぐ人に食ってかかる沢村の悪いくせのこと」
別に──なにかいい返しそうになるのを顎に力を入れて堪えた。へたなことをいってまた謝られても敵わない。少し間を置いてから、どうしてそれが自分を弱く見せてることになるのか、なるべく角が立たない言葉を選んで聞いてみた。
「ことわざにもあるでしょう。弱い犬ほど──」
「もらいが少ない」
それは犬じゃないと笑われた。児島までけらけらやっている。正解を聞いてそっちだったか、と思った。が、そんなことは大きなお世話だ。
「先生、先生」
「ちょっと待って⋯⋯」
目とメガネの間を魚の柄のハンカチでこする相馬。食ってかかりたい気分が復活してくる。だいたい、そこまでいわれるほどぼろかすに弱いわけじゃない。静恵やハツをぶちのめすぐらいなら朝飯前だ。
「⋯⋯なに、かしら」
ハンカチを白衣のどこかへしまった相馬が児島に聞く。
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