第三逃 色メガネ

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《女スパイ#6》 「沢村くんは弱くないと思います」 「あら。弱いなんていってないわよ」 「さっき、そういったじゃねえか。犬だとかガキのカマキリだとか」 「そう見えるっていったの。あなた実際、ケンカ強いでしょう」  そういわれると自信がなくなる。同い年のやつらや女のきちがいには勝てても、男のきちがい=デブにはどうしたって負ける。金曜の晩も野球でいえばスコンク負けに近いやられ方をした。きちがいども全員をぶちのめせないうちはミミズも同じ。いや、転がされて、いやおうなしにそいつらを食わされたおれはミミズ以下の生きもの。鉄のスコップはおろか、針金にもほど遠い。 「気分としては芋虫だな」 「なに、芋虫って」 「それぐらい弱いってことだよ。上には上がいる」 「いつか蝶になればいいじゃない」  おれがなりたいのは硬くて丈夫な鉄のスコップだ。鳴きもしないペラペラの虫に用はない。  結局、昆布茶と健康についての話は終鈴を聞くまで続けられた。話を聞いているふりが効いたのか、相馬は絆創膏の予備を二枚、追加でよこしてきた。メガネを相手にするときは好きなだけしゃべらせてやれ──後で松本に教えてやろうと思ったが、もうその必要もないことに気づいた。 「さ、ふたりとも戻って」  おれは相馬に礼をいい、サービス分の絆創膏をポケットへねじこんだ。 「先生、わたしまだ具合がよくないです」  弱々しい声と例のカメレオンで児島は相馬に体調不良を訴えたが、ものすごく元気そうな顔色が芝居を台なしにしていた。 「そういうのはだめよ」 「もう吐きそうです。お腹も頭も全部痛いです」 「あなたがいつもベッドでスパイ小説読んでること、私が知らないとでも?」  アーモンド型の目がまた宙をさまよう。都合が悪くなると目の上の埃を追っかけたくなるんだろうか。変なくせだ。 「今日は、読んで、ません」  うその咳をしながらうそをつく児島。黙っていた。 「沢村がいたからでしょう、今日は(・・・)」  児島は根っからのサボり魔だった。おれや武田みたいな馬鹿ならともかく、たぶんそんなに馬鹿じゃない児島が、こんな調子で勉強についていけるんだろうか──どうでもいい心配。いんちきな咳はまだ続いている。 「無駄な抵抗よ、児島さん」 「ほんとに具合悪りい⋯⋯んだと思うけどな」  助け船──武田の彼女へのスペシャルサービス。派手に宇宙遊泳をしていた目玉が痣だらけの顔に着地する。 「どうしてそう思うの?」 「おれがここへ来たとき、苦しそうに唸ってた」 「ほんと?」  病人の顔から笑顔へカメレオン──左目を軽く閉じてくる児島。 「もうあなたたち、うそばっかり」  上手なウインクもここじゃ余計な真似。せっかく手助けしてやってるのに、この女はどうしていらないことをするのか。こんなんじゃスパイなんて到底無理だろう。 「担任の先生にふたりのことをバラされたくなかったら、おとなしく教室へ戻りなさい。さ、も、な、い、と」  的はずれな脅し。武田のことを知らないんだろうか。いずれにしろ、それをされたところで痛くもかゆくもない──いろんな意味で。 「わかりました。じゃあ戻ります」 「そうよ、児島さん」 「別にいいじゃねえか。今の話、ビビることでもなんでもねんだから」 「沢村はよくても彼女は困るんじゃない?」  勝ち誇ったような顔にむかついた。口もとのあたりが特に憎たらしい。児島はそして彼女じゃない。 「そうやって、ありもしないことをいいふらして生徒に迷惑かけんなよ」 「なかなか駆け引きが上手ね。絆創膏、没収しようかしら」 「児島も黙ってないでなんかいえよ。勘ちがいですって。ちゃんと武──」 「戻ります、戻ります。だから沢村くん、もういいよ。ね」 「おい、児──」  お願いだからもうやめて──全力でそいつをアピールしてくるこぢんまり顔。しかたなく口を閉じる。
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