第三逃 色メガネ

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《女スパイ#7》 「彼女のほうがものわかりいいみたいね。大事にしてあげなさい」 「だから、なんでも決めつけんなよ」 「そうかしら。ほかの子たちも見てるけど、私の目、けっこう確かよ」  そこまでいうなら、聖香の名前を出してみろ──鼻息で吐き捨ててやった。 「まあいいや。問題児がなにいっても無駄だからな」  相馬がおれの前に来て腰を屈める。 「なんだよ」 「見くびらないでほしいものね」  目の下の痣を反対向きに映しだすレンズ。顔が近かった。 「私がそのへんの大人みたいに、あなたのことを色眼鏡で見てると思ってるの?」  相馬のメガネは透明で色なんかついていない。そのへんの大人どもがどうなのかも知らない。それともまたことわざかなんかだろうか。聞くとまたしても笑われた。おれは日本語がだんだん嫌いになってきた。 「偏見や先入観⋯⋯ちょっと難しいわね。思いこみよ。人を見ためやうわさで勝手にこうだと決めつけて、はじめからその人の常識を疑ってかかること」  馬鹿なおれにもわかる言葉で色メガネの意味を説明してくる相馬。 「あなたも含めて生徒たちをそういう目で見たことは一度もないわ」  そういう目=うそつき、問題児、常識のないガキ、よた者のせがれ、やくなし、うじ虫、ごったく、奴隷──そんなものを見る目。 「見てるじゃねえか。色つきメガネで児島とおれを」 「あら。じゃあ、また謝らなくちゃいけない?」  謝らなくていいから、決めつけるのをやめろ──口を返す代わりに無視をした。 「沢村は誰からもそういう目で⋯⋯誰になにをいっても無駄だって思ってるの?」 「別に。他人にどう思われようがおれはおれだ」 「なんか悲しいわ。そしてとても残念」 なにが悲しいのか知らないが、残念なのはこっちも同じ。放課後を最後に会えなくなる聖香のことを思うと、みぞおちが馬鹿みたいにちくちくしてくる。昼を過ぎた今にしたってそんな調子だ。 「おれも残念だよ」  だけどおれは腹を括った。一度決めたことをやらないのは男として最高に格好が悪い。自分の本当の人生を手に入れる代わりに聖香への思いを捨てるのはしかたのないことだった。 「誰も『おれ』をわかってくれないから?」  わかってもらいたい相手はいる。だが、その気持ちが相手に伝わることはない。相馬の問いには答えなかった。 「わたし少しわかるよ、沢村くんのこと」  またしてもすっとんきょうを口走る児島。 「そういうこというから変に思われんだぞ」 「だってわかるもん」 「はいはい、ご馳走様。続きは放課後にでもやってちょうだい」  おれと児島は完全に疑われていた──超色メガネ。こうなったらなにがなんでも武田に登場してもらうしかない。 「とにかく沢村を問題児だなんて思ってないわ。私はね」  うそつけよ──鼻で笑ってやった。 「まずそれね。人に──特に目上の人間に対する態度がなってない。なにも年上だからえらいっていってるわけじゃないわよ」  そうはいっても大人の相馬がいってる以上、そういうふうにしか聞こえない。 「勘ちがいしないで聞いて。あなた、かなり損をしてるのよ。さっきも話したけど、だめじゃないのにだめなふり。弱くないのに強がってるように見せちゃう。そういう⋯⋯なんていうのかしら、あまのじゃくな態度? まあ、ひと言でいうと生活態度の悪さね。人から誤解を受けやすい原因はそこ。わかる?」  問題は生活態度だけじゃなかった。生まれた場所にはじまって、運に頭。けっこういろいろとどうしようもない。 「悪いのはそこばっかじゃねえからな」 「あら。ほかにどこが悪いの?」 「なにもかも。特に頭は悪すぎて困ってる。おかげで勉強がさっぱりだ」  勉強という言葉を口にして笑いそうになった。おれの人生は今夜から、そんなものとは一ミリも関係ない方向へ進んでいくことが決まっている。国語、算数、理科、社会用の脳みそはもう必要ない。 「そっちはたぶん、やる気の問題ね。あなたは馬鹿じゃないわ」  馬鹿なガキへのお決まり文句。ケガや体の調子のことならともかく、馬鹿と利口の区別を保健医にできるわけがなかった。それに馬鹿じゃないことがそのまま利口につながるわけでもない。大人は言葉を使い分ける。便利ないいまわしをたくさん知っている。相馬は慰めのつもりかなんかでそういうことをいってるだけ。今のおれにそんな話をしても無駄だということをちっともわかっていない。 「さ、ふたりとも早く教室へ戻って。あなたたちのズル休みが二時間コースになると、私も面倒くさい報告書を作らないといけないの」  上履きをきっちり踵まで履き、それから扉に手をかけた。 「あ、テレビ!」  相馬の前でその話はするな──目で児島にいった。 「テレビがどうしたの?」 「沖田浩之が今夜どっかの歌番組に出るって話」  でたらめを口にしながら扉を引き開けた。いつもどおりのざわめきが耳に飛びこんでくる。おれは放課後までの時間をどう潰すかペンギンの包みを剥きながら考えた。
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