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《差別#1》
「あれ、こんなとこにいた」
くだらないやつに声をかけられた。
「教頭が『沢村はなんのために学校へ来てるんだ』っていってたぜ」
ちくり屋の石森。転入してきて三日めの放課後に、おれはこいつをぶちのめした。
「へえ、そうか。じゃあな」
「もしかしてずっと保健室にいたん?」
石森が扉のなかをのぞきこむ。
「⋯⋯ふうん、そういうことか」
二組のボスの座を追われた次の日から、ほかにやることがないのかというぐらい、こいつはおれのことを嗅ぎまわった。担任や佐東にあることないことをちくっては喜んでいるくだらない男。くそや死がいのまわりを飛びまわっている蝿とこいつはなにも変わらなかった。
「武田が知ったら怒るぜ」
「そう思うんなら、今すぐ教えてこいよ」
蝿野郎の顎をつかみあげていった。盆につまようじを乗せたような顔がひくつく。廊下掃除の準備をはじめていた下級生どもがこっちを見たり、目を伏せたりしていた。
「そ、そんなことするわけねえじゃん⋯⋯」
「おれのことが気にいらないんだろう。もういっぺん、勝負するか、おい」
「だから⋯⋯ちがうって。オレはただ、岡崎が沢村のこと探してたからそれで──」
いいよ、放課後ね──頭よりもみぞおちが聖香のセリフを覚えていた。その時間まではまだあとひとつ、授業がある。おれと話すのをやめてやっぱり塾=公文へ行くことにしたのか。
「あ、児島!」
蝿野郎が保健室の扉に向かって叫ぶ。そうしながらおれの手をさりげなく顎からどけた。
「無視かよ、おい!」
まるで自分はそんな名前じゃない、といった態度で脇を過ぎていく児島。なかなかスパイっぽかった。
「なんだよ、あいつ⋯⋯」
「別にいいじゃねえか。武田の彼女なんだから」
「ま、まあな」
盆の上のつまようじが細くなる。寝てるといわれれば、そうだろうなと思う目が女スパイの背中を追いかける。
「ところで、なんで急に岡崎と口利くように──」
こっちを向いた居眠り顔の顎をもう一度つかむ。今度は右手で襟首もつかみあげてやった。
「口利いちゃ悪いのかよ」
「⋯⋯いや、変な意味じゃなくてさ」
相変わらず邪魔くさいことばかりいってくる蝿野郎。保健室に殺虫剤は置いてあっただろうか。
「ちょ、ちょっと放してくれよ。みんな見てんじゃん、まずいって──うわっ」
まだだいぶ味の残っているガムが蝿の顔に当たって落ちて転がる──十円弱を無駄にした計算。大金を手にすることが決まっているとはいえ、ちょっともったいなかった。
「まずかねえよ。ただ話してるだけじゃねえか」
「⋯⋯ああ、そうだ。いいもんあるんだ。沢村にそれ、やるわ」
蝿野郎がポケットからなにか──トイレットペーパーでくるんだものを取りだし、そいつでおれの左手を突っついてきた。
「なんだよ、これ」
ふわふわしていた。マシュマロかなにかか。男から、ましてや蝿野郎にそんなものをもらっても気持ち悪いだけだ。食う気になんてとてもなれない。
「いいから、いいから。でも内緒にしといてくれよ、絶対」
寝てるといわれれば、そうだろうなと思う目がわずかに開く。
「だからなんだって聞いてんだよ」
「開けてみなって、そっちの端っこのほうで」
おれはトイレットペーパーでぐるぐる巻きにされたそいつを、巻物を広げるようにして手のひらへ転がした。
「お、おい、もうちょっと見えないとこでやってくれって」
「なんだこれ。お前、頭おかしんじゃねえのか」
「そういうこというなよ。苦労したんだぜ、手に入れるの」
中身は女子が使うあれ。それも血のついたやつだ。この男はいつもこんなものを拾って歩いてるのか。
「捨ててこいよ、ヘンタイ野郎」
爪でつまんだそいつを蝿野郎の足もとへ放った。
「おいおい、それ岡崎が昼休みにトイレで──」
「あ? 岡崎?」
「しっ、声がでかいって」
「てめえ⋯⋯」
「え? なんで⋯⋯そ、そんな怖い顔すん──」
殴って蹴って踏んづけた。
「わわわ、悪かった! 叩かないで──」
鼻、喉、みぞおち、脇腹、股ぐら──急所だけを狙う。どこをぶん殴ればどうなるかはわかっている。死にたいなら殺してやる。そうじゃなくても殺してやる。蝿野郎の目玉のふちへ親指をかけた。
〝やめなさい!〟
弱い力で羽交い絞めにされた。後ろへ頭突きを食らわそうとしたときに白衣の袖が目に入った。
「どうしたの!?」
血まみれでぶっ倒れている蝿野郎。たぶん、気を失っている。
「なんてことを⋯⋯」
「そいつの足もと見てみろよ」
相馬が、伸びているヘンタイの横へ屈みその肩を揺さぶる。聖香のそれかもしれない生理用品は無視された。君づけで繰り返し叫ばれる蝿の苗字──やっぱり差別をされていたおれ。
「しっかりして!」
廊下の前後へ目を走らせる──どこからともなく集まってくる教師ども。誰かがおれの体を階段脇の壁へ押さえつける。コンクリートの冷たさが頬に心地よかった。
「あなたたち⋯⋯原因はこれなの?」
これがどれのことをいってるのか目じゃ確認できなかったが、見当はすぐについた。
「持ってたのはその野郎だ」
壁に押さえつけられたままいった。おれの名前をがなる声がどこからか急接近してくる。誰だかわからない教師に放せと怒鳴った。頭と背中にかかっていた力が弱まる。壁から勢いよく体を離して後ろを見た──渡辺。佐東にいつでもへいこらしている三組の担任が特急でおれから逃げていく。
〝また貴様か!〟
右後ろからの怒鳴り声。振り向いた。げんこつ=のろまな佐東のパンチ。当たり前に避けた。空を切った拳がそのままおれの背中にまわる。汗くさい脇の間から見た相馬の顔は青ざめていた。そのすぐ後ろで騒ぎを見物している、なじみのない教師ども。細い目をした女のそいつがおれを見てあからさまに顔をしかめる。
「相馬先生、救急車を!」
佐東が叫ぶようにいい、それからおれの首根っこを引っつかんできた。
「貴様は何度いったらわかるんだ!」
どいつもこいつも色メガネ。佐東、お前の話なんか何度聞かされてもわかんねえよ、馬鹿。
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