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《番犬#1》
「それじゃ私はこれで」
安西地獄屋敷へ到着したおれとハツ。岩倉は教え子の顔をちらりとも見ずに、そそくさと自分の車へ乗りこんでいった。
敷地にきちがいどもの車=銀のサニーの姿はまだなかった。が、そのうちやってくるかもしれない。計画の実行を前にあいつらと顔を合わすのはできれば避けたいところ。ハツひとりならともかく、きちがいオールスターズの総攻撃ともなれば札束どころかおれの命までおじゃんだ。チャンスは確実に活かしたい。おれはハツにそのあたりのことを聞いてみた。
「よけなこんしんぺしねっても、今はあ呼んでくれら!」
ビンタと引き換えに得た情報。あいつらはまだこのことを知らない。おれのなかで計画成功の確率が三十パーセントあがった。
ハツが玄関扉の鍵をガチャガチャやる。老いぼれた目じゃ鍵穴もろくに見えないらしい。その間おれは目でハナコに話しかけた。
〈きょうはおまえのめいにち〉
ちゃかしは無視。焦げ茶色をした瞳をひたすら見つめる。
〈いぬはしゃべらなーい。しゃべろーとするやつは、あほー。ばかー。まぬ──〉
自分の胸の肉を思いきりつかみあげた。顔なし女が首を押さえてのたうちまわる。化けものの弱点をひとつ、見つけた。ハナコのことはなにもわからなかった。
尻をせっつかれるかたちで母屋に入っていく。おれはいつもの場所=仏間へ正座をさせられた。鴨居の上から睨みつけてくる、会ったこともないハツの親たち。どちらかといえば男親に似ている老いぼれは今、勝手口の近くで練炭コンロに火を入れている。
「今日は許さねど。やんなるっくれ、かっけしてくれらな」
テレビがつけられ、ボリュームもあげられる──でかい声をごまかすための準備。となり近所もないのにご苦労なことだ。
ブラウン管のなかでは石原裕次郎が無線マイクに向かってなにかしゃべっていた──刑事ドラマの再放送。重大な事件が起きているみたいだったが、それはこっちも同じ。
拳ひとつ分腰を浮かせ、正座もどきの姿勢を取った。足がしびれて動けなくなるのを防ぐためだ。ぶつぶついうハツの声を聞きながら、やるべきことを順番に考えていく。
まずは道具だった。使えそうなものがないか、母屋のあちこちを目玉の動きだけでチェックする。仏壇の脇、ちゃぶ台、テレビのまわり、茶だんすの上⋯⋯熨斗の絵が描かれた包みに目がいった。頭のなかにぼんやりとしたなにかが浮かびあがる。
「ちゃんと座っとけ!」
正真正銘の正座をしてチェックを続ける。台所、勝手口、縁側⋯⋯豆やキュウリがヒゲを絡ませる竹の枝と、そいつを結わく黒い麻のロープに目が留まった。頭のなかに電球が灯る。ひらめきは二秒でグッドアイデアになった。計画成功の確率がさらに三十パーセントアップする。
「動くだねど」
ハツが練炭コンロへ火箸をぶっ刺したまま靴脱ぎのほうへと歩いていく。たぶんきちがいどもへの電話だ。おれは音を立てないように腰をあげ、練炭の穴から火箸を抜いた。
畑の肥やしにもってこいの背中へ忍びよる。受話器を耳に当てた老いぼれの顔がこっちに向いた。
「てめは──」
プレイボール──ハツが文句をいいきる前にその頭を火箸でぶっ叩いた。髪の焼ける音がハツの喚きにかき消される。いやなにおいが鼻を突いた。つかみかかってこようとするハツの腕と肩を取り、足の甲を踏みつける。自分の重さと勢いで勝手にぶっ倒れていくハツ。その脇腹を死なない程度に一発、蹴った。
「きちげんなっただか、てめは!」
「それはお前の娘だろう」
いって、もう一発。今度は反対側。
「ば、婆ちゃ死なす気か!」
笑わせてくれる。オレといえ、オレと。念のために受話器を耳に当てる。連続した『ツー』という音から細切れの『ツー』に切り替わった──どこともつながらなかった証拠。電話のフックを叩いてハツの前へしゃがみ、火箸の先を目と目の間にかざしてやる。
「いつまでも好きにできると思ってたら大まちがいだ」
いい返してこようとする口のなかへ火箸の先を突っこんだ。ハツの口が『あ』のかたちのままかたまる。
「おとなしくしてろ。そうすれば殺さない。ただし騒いだらすぐに殺す」
計画成功の確率、百パーセント。口を開けたまま顔の筋肉を震わせるハツに、おれはもう一度同じことをいった。
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