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第二逃 計画
《チャンス#1》
「ボク、もういやになってる」
いつもピカピカのジャンバーを着ている松本亨がいった。今日はおろしたてのスニーカー=真っ赤なナイキまでセットだ。もしかすると松本はこいつを買うために午前中、学校を休んだのかもしれない。
「いやになったって、なにをさ」
いいながら、自分の着ているものを見た──乞食にしか見えなかった。
「兄ちゃんと比べられんのが」
おれたちは決められた通学路から外れ、りんご畑のなかを歩いていた。下校時間を知らせる放送が風に乗って聞こえてくる。
「兄貴と比べられることのなにがいやなんだよ」
「全部」
おれには兄弟がいない。だから兄貴と比べられることがどんなふうにいやなのかわからないし、わかる必要もない。
「答えになってねえけど⋯⋯まあいいや、別に」
「なにそれ。ちょっと、やな感じ」
松本には松本の、おれにはおれの悩みがある。自分以外を本気で心配できるやつなんかいやしない──そういおうとしてやめた。
「兄ちゃんは勉強ができて野球もうまい。でもボクは、そうでもない」
「おれなんかもっと『そうでもない』」
「沢村!」
「悪りい悪りい。だけど松本だってそんなに成績悪くねえだろ。野球も今年はピッチャーだったじゃねえか」
枝から落ち、半分土に埋もれたりんごを蹴った──腐っていた。りんごはズックの先でほとんど潰れてから脇へ転がっていった。
「兄ちゃんは一番だ」
自分の背の何倍もある影を見ながら松本がいう。
「学校で一番。勉強も野球も。背だってボクよりずっと高い」
たしかに松本の背は高くない、というよりチビだ。背の順でいくと前から⋯⋯たしか二番めか三番め。前ならえで腰に手を当てるポジションまであと一歩、というのがいやなのはまあ、わかる。
「背なんてそのうち伸びる。だいたい兄貴、中学生じゃねえか。松本より勉強や野球ができて当たり前だろ」
ズックの先で染みを作りかけている腐ったりんごのジャム。落ち葉へそいつをこすりつけながらいった。
「ちがう。兄ちゃんは小学校んときも一番だった。背だってそうだ。ボクみたいなチビじゃなかったし、足も速かったし、モテたし、それにどけちだ!」
おれからすると松本と松本の兄貴は双子といっていいぐらいよく似ていた。頭の中身とどけちについてはわからないが、見ためだけでいけば松本を縦にちょっと引っぱって学生服とメガネをくっつければ兄貴がそのままできあがる。なにをどう比べたところで、いうほどちがいがあるとは思えない。
「そんなにちがわねえって。ちがうとしても気にするほどじゃねえよ」
「ちがう! 沢村はなんにもわかってない!」
──そりゃ、わからねえよ。お前んちに住んでるわけじゃねんだから。
「だけど怒ったってしょうがねえだろう。人はみんなどっかちがうんだからよ」
「わかってるよ、そんなの!」
おれに怒鳴ってくる松本。むかついたが黙っていた。
「今のまま、あの家で暮らしてたらボクは絶対おかしくなる!」
「でかい声出すなよ、うるせえなあ」
どこかで音がした。顔をあげてあたりを見まわす。三本先のりんごの木でカラスたちが枝を揺らしながら、萎びたりんごを突っついていた。
「あんな家、もうやだ!」
あんな家=両親がちゃんといて、食いものもこづかいもある家。
「なんでさ。いい暮らししてるじゃねえか、松本んちは」
「そういう問題じゃないんだ! ちくしょう!」
松本がりんごの木を怒鳴りつけながら、その幹も殴る。木はもちろんびくともしない。まずいに決まっているりんごを突っついていたカラスたちが跳びのいただけだった。おれはポケットのなかで剥いたガムを親指と人差し指でくるくるやり、そいつを口のなかへ放りこんだ。
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