第一章 演技

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第一章 演技

 満員電車のドアが開き、今日も滔滔と流れる駅の人波に呑まれてゆく。 「おい、オヤジ! キモいんだよ!」  ズボンをだらしなくずり下げた金髪の男子高校生が、足のぶつかったサラリーマン風の男をホームの壁の方へ押しやって睨みをきかせていた。 『ああいうくだらない人種はいつか滅びる』  そんなことを考え、もちろん見て見ぬ振りをしてほくそ笑んだ。僕だけでない、これだけ流れている人波の全てがあからさまに避けていた。  当たり前だ。  誰にとっても、そんなくだらない揉め事は所詮他人事……彼らを見て眉をひそめながらも、内心では嘲笑しているに違いない。 『仮面で己を隠せる者ほど強い』  それが、この僕のモットーだ。  クラスの中では『ピエロ』として、『面白いいじめられ役』を演じながら心の中でクラスメイト達を見下している。 「さて、今日は教室を舞台にどんなピエロを演じようか」  考えながら駅を出て歩いた。  煌びやかなゲーセンやカラオケが建ち並び、僕の住んでいる辺りの田舎道と比べると限りなくトレンディな学校への道のりをひた進んだ。  つまらないスクールカースト-クラス内での階層-も、ゲームだと思えば面白い。  ピエロを演じて自分をクラスで最下層のいじめられ役に仕立て上げ、心の中でクラスメイトを嘲笑う。その上で、勉強では誰にも負けない成績をとり、奴らを見下す。  この上ない快感だ。 「おい、相沢ぁ」  始業の十分前、校庭に建てられた創設者の石碑に差し掛かったあたりで、不意に背中をバァンと叩かれた。 「うわぁぁぁあぁ!」  わざと大声を出して驚くのが、ピエロの挨拶だ。 「やっぱ阿呆やわ、こいつ」  うちのクラスの階級では上位に位置するが、実はヘタレなラグビー部員、今西だ。 「お前、駅でおっさん見殺しにしたろ」  責めるわけでもなく、ニヤニヤして絡んできた。 「ほっときゃいいのに、あんなキモい奴。あいつも好きだなぁ」  後ろで、同じラグビー部員の山川が呆れ顔をしている。 「あいつ流の愛情表現なんだって」  同部員の古道が擁護した。  今西が続ける。 「いつからそんな薄汚い人間になってん、お前」  僕は心の中で反論した。 『ヘタレなお前だって、どうせ嘲笑いながら避けたんだろ』  しかし、ピエロはそんな当たり前の返しはしない。  真剣な顔で、声を張り上げた。 「ぼ、ぼ、ぼかぁ、見殺しにしてなんかないぞ、見えなかっただけだぁあ」 「はぁ? 何言ってるか分からんわ、こいつ。いっつものことだけどな」  今西は満足げに右の口角を上げてそう言い、ラグビー部員のグループに戻って行った。暫くして、グループの方から大きな笑い声が聞こえてきた。  勿論、今日一日はそのネタでいじられるのだろう。面倒くさいが、自分でネタを考えなくてよくなっただけ楽というものだ。  教室に入り席につくと、早速、新ネタが披露されていた。 「ぼ、ぼ、ぼかぁ、見えなかっただけだぁ」  教室内では、どっと爆笑が起きる。  いつものこと……僕が『ピエロ』として残す名台詞をクラス中の者達が笑い物にする。  それを空気だと見做すように、極端に無視するうちに日本史の授業が始まった。  この授業では教師の独自のやり方がとられている。  空欄をまぜた文章を並べたプリントが配布され、あてはまる言葉が分かった生徒が挙手をする。正解すると日本史の成績に一点ずつプラスされていくという仕組みだ。  授業は、順調に進んでいったが、一つの問題で停まった。 『受領は倒るるところで土を掴め、という言葉を残したのは、( )である』  答えは藤原陳忠。確かに、やや難問だ。  でも、学年トップの成績を誇る僕には、難なく分かった。  しかし……ピエロは正しい答えを言ったりしない。挙手をした。 「おっ、さすが相沢。ちょっと難しいかと思ったけど、分かったか」  教師が期待の眼差しで僕を指名した。  立ち上がった僕にクラス中が注目し、その答えを待っている。  僕は一片も真剣な表情を崩さない。  これが、ピエロであるためのポイントだ。実際のピエロのように笑ったりしてはいけない。間違ってもニヤついたりしたら、即座に自分の演技を見抜かれてしまう。  完全にピエロとなった僕は、声を張り上げた。 「チ、チ……チッチョリーナ」  一瞬、クラスが静まり返った。  その静寂の中、教師は僕を無視して言う。 「はい、みんな分かりませんね、答えは藤原陳忠です」  直後、クラス中が笑いの渦に包まれた。 「さすが、新たな伝説を残しよった」 「チ、チ、チッチョリーナって誰? 何人!?」  休み時間もいじりは続いた。  今西が席の前に来て、真っ直ぐ前を向いて座っている僕の顔を覗き込みながら茶化す。 「ぼ、ぼ、ぼかぁ、チ、チ、チッチョリーナなんて、見殺しにしてなんかないぞぉ!」 (ウザい、ウザい。かなり、ウザい)  そんな思いはおくびにもだしてはいけない。ピエロは、ここでもう一発ぶちかまさなくてはいけないのだ。  今西の胸ぐらをガシッと掴んで立ち上がった。次のネタを予感した今西は、期待の表情になる。  僕は腹の底から大声を出した。 「お、お前、ぼくぉお誰だと思ってんだ。いいかげんしぉお!」 「うわっ、唾が飛んだ、汚ねぇ!」  今西が大袈裟に背中を反らし、仰け反った。しかし、口元をいびつに歪め僕を見下す笑いを浮かべている。 「いくら成績が良くても、あれじゃぁダメだよな」  周囲が僕を蔑む。  しかし僕は、自分自身を見下すように周囲をコントロールしていることに優越感を持っている。  これが、ピエロ流の高校生活の楽しみ方なのだ。
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