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第四章 同一人物
茫然自失となった僕は、真っ白になって帰路につき、真っ白なまま家へ帰った。
学校でのこと……メッキが剥がれた後のことも、帰り道のいつもの光景も、何もかもを覚えていない。ただ、何も頭に入らずに、何も考えずにヒタ歩いて、気がつけば僕は家のリビングにいた。
僕は何も考えないままに、リモコンを持ってテレビを点けた。その画面では、まるで図ったかのように『あの事件』に関する特番が流れた。
それまで宙に浮いていた僕の意識は、突如、僕の中に戻った。
『あの事件』を起こした少年についての詳細がとめどなく流れる。
幼少期の彼は大人しい子供だった。
成長するにつれ、次第に自分の長所……勉強ができることを武器にするようになった。
誰にも負けない成績を取るようになり、県内でも有数の進学校に入った。
しかし、人とのコミュニケーション能力、対人能力……それは皆無で、酷いいじめにあうようになった。
だから、彼は『演技』をするようになった。
自分から、道化を演じてクラスの皆を笑わせた。一方で、学年トップの成績をとる……そんな、傍目には『安定した』生活を送っていた。
しかし、彼には歪んだ性癖があった。
幼少期からの歪んだ性癖……美しい蝶を何匹も殺したり、カエルを地面に打ちつけて殺したり……。
それが高じて、中学生時分には捨てられた仔猫の首を絞めて殺していたことも、近所の者の証言で分かった。
それは、高校生になったら収まった……歪んだ性癖も収まったかに見えた。
そう思っていた折の事件だった、ということだった。
「有名進学校の成績優秀な生徒が、連続少女強姦殺傷事件……どこで運命の歯車が狂うか分からないですね」
「こんな事件を起こす少年には、元よりそんな要素があったということですね」
番組の中で、そんな幾テンポもズレたコメントが交わされる。
そして、こんなコメントが飛び出した。
「全く、そんな性癖を持つ人間の気が知れないですね」
そのコメントに、僕は強い反発を覚える。
この犯人……この少年は、何も特別な人間ではない。
この性癖も……正常に見える人間でも、誰しも多少なりとも持っているだろうものだ。
少なくとも、僕にはその性癖も、そんなことをして感じるエクスタシィも分かる。
いや、分かる……なんて程度の低いものではない。
あの少年は、僕。僕は、あの少年。
まるで、同一人物……同じなのだ。
「ふっ……」
そんなことを考えた時、僕は突然に可笑しくなり、吹き出してしまった。
「ふっはっは、うわっはっはっは!」
僕は大声を出して笑った。
僕はあの少年……少女強姦殺傷事件を起こした犯人。
彼と……彼の生い立ちと、彼の思考と、全く何も変わらない。
そのことに、何故か堪え切れないくらいの可笑しさを感じた。
僕は込み上げる笑いを堪えながら家を出た。いつも歩く道……多数の人が行き交う道とは外れた路地に入る。
そこは、人通りはほぼない。
ただ、僕の視線の先……うずくまる少女と、薄ら笑いを浮かべながら彼女に触る少年を除いては。
小学校高学年くらいのその少女は、汚れを知らない純粋で美しい顔を苦痛に歪め、まるで泣き出しそうな顔をしながら、ただ震えている。その少女のシャツを捲り、胸に手を伸ばす少年。
彼はただただ震える無力な少女にニタァと不気味な笑いを浮かべている。
僕は、こいつを知っている。
最近、見た。そう、今日の通学途中の電車の中で……。
ふと顔を上げて僕と目を合わせた彼は、ニタァと薄ら笑いを浮かべる。
そして、ついに手で顔を覆い、涙を流して嗚咽し始めた少女を放置して、その路地を後にした。
*
「い……嫌だ。出してくれぇ!」
僕は鉄格子を両手で掴み、泣き叫ぶ。
しかし、出してくれ、という願望はすぐに消え去った。
何故なら、鉄格子の向こうでは、ピエロが不穏な笑顔を向けてニタァと笑っている。
僕はそれを見て、背筋が凍りつくような恐怖を覚え、後ずさった。
ピエロは檻のドアに鍵を挿しこみ、ゆっくりと回した。ギー、ギーという音とともに、ドアは開く。
鉄格子の檻の奥で震える僕は、恐る恐るドアの方に目を遣った。
ドアの前には……そこにいる筈のピエロが消え失せていた。
僕はそのドアから……鉄格子の檻の中から出た。
やった……僕は自由だ。
何に恐れることも……何に縛られることもない!
僕の気持ちは高揚した。
その時だった。
突然に周囲の風景が切り替わった。
僕の右手にはナイフが握りしめられ、その先では……美しい少女が恐怖で顔を歪めていた。
美しい瞳には涙が滲み、細い眉はグッと下がり、小さい口は結ばれて、身体全体が微かに震えている。
まるで必死に命乞いをしているかのように……。
しかし、鉄格子の檻から解き放たれた僕は容赦をしない。
ナイフを少女の身体に突き刺した!
少女はその美しい瞳から一筋の涙を頬に流し……小さな口をパクパクとさせる。
(助けて……)
僕の目は、少女の訴えを認識した。
その瞬間、僕の全身は何物にも代えがたいエクスタシィに包まれる。僕は、醜い何者かに……自分にさえその正体の分からない者に変化する。
「ふっ……」
僕は思わず笑い始めた。
「ふっはっは、うわっはっはっはぁ~」
笑いが止まらない。
何故だ?
自分にもその笑いの理由は分からない。
ただ、正体不明の快楽が僕の全身を駆け巡り、くすぐってくるのだ。
そして、その正体不明の何者かは、僕の全てを占拠した。
*
「うわっはっは……」
自分の笑い声で目が覚めた。
夢……。
しかし、それはあまりにも鮮明で。
少女を刺した瞬間の手応えの感触、そして、あの苦痛に歪んだ顔。それらは、確実に僕の中に残っていた。
しかし、それらに対する恐怖はなかった。
寧ろ、自分の身体全体を快楽が包み込む。
(僕はついにやった……やったんだぁ!)
異常なほどのエクスタシィはひたすらに僕の中を駆け巡る。
たが、何気なく見遣った目が自分の机の上に飾られたピエロの人形の不穏な笑みを捉えた瞬間……。僕は全身に鳥肌が立つような恐怖を覚え、異常な笑いを封印した。
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