共通ルート②

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共通ルート②

「ところで嶋さん、海ってここからどうやって行くんですか?」 「海に行きたいの?」 「海を見るのが好きなんです」 「店を出て少し右に歩いた所に大きな通りがあるでしょう? そこをしばらくまっすぐ降りていったら海岸に向けて道案内の 看板があるから、それに沿っていけば着くよ」 「そろそろ帰るので、寄ってみます」 「日が暮れる前に帰るんだよ」 「もちろん」  来無はカフェ・オアシスを後にする。良く晴れていて風が心地よい。少し鼻をくすぐられたような感じがあって、思わずくしゃみを してしまった。嶋の指示通りに大通りを下っていくと、程なくして看板が見つかった。 「ここから左ね」 眼前には既に海が見え始めている。開放感から来無は走り出したい衝動にかられ、全力疾走をはじめた。幸い車はあまり通っていない。 海風を感じ、海を横目に見ながら走っていると、何かにかすった。 「わっ」 かすった方を見ると、顔をしかめた若い男が憮然として走っている。 「すみません!」 「前見て走れ!」 男はそう言い残すと、走るピッチを上げてあっという間に消えていった。真っ赤なトレーニングウェアがやけに目立つ。 (怖かったー……まあ、私も悪いけど) 来無はすっかり気をそがれて、とぼとぼと歩き始めた。    いくつか看板をたどると、目的の砂浜にたどり着いた。静かな海岸に、寄せては返す波の音。目をつぶり、うーんと伸びをする。 しばらく目を閉じたままで深呼吸していたその時、何かが近づく気配を感じて来無は振り返った。 大きな犬だ。 「わんっ♪」 犬は走ると、後ろ足で勢いをつけてジャンプし、来無の胸に飛び込んできた。 「ええー!!!」 とっさに受け止める体勢を取ったが、あまりにも大きな犬なので受け止めきれるわけもなく、来無は犬もろとも地面に倒れ込んだ。 犬は嬉しそうにのしかかり、来無の顔をなめ回している。 「よしよし、いいこいいこ、だから放してーーー!あはははっ」 「わわん!」 「シリウス! 待てって!!」 (やっと飼い主さんきたのか……) リードを持って追い掛けてきたのは、先ほどぶつかったの赤い服の男だった。男は犬を捕まえると、首輪にリードをつける。 「すいません……って、お前はさっきの!」 「あ!」 赤い服の男と来無は顔を見合わせる。犬は相変わらず来無の周りをくるくるしている。 「い、犬はちゃんとしつけてくださいね!」 「知るか! シリウスはいつもならこんなことしないんだ。お前が何かえさでもやったんじゃないのか」 「そんなことしません! その子が急に飛びついてきたの! 大体リードから放してる方が非常識なんじゃないの?」 「はぁ!? 人にいきなりぶつかってきたくせに良くそんなことが言えるな?」 来無は寝転んだままなのにやっと気がつき、体を起こす。すると肘から血が出ているのに気付く。 「痛ったぁ……」 肘は気になったがとにかく立ち上がり、服に付いた砂を払い、帰ろうとする。 「おい、待てよ」 「何?」 「手当てしてやる」 「別にいいですよ。帰ってからやるんで」 「ちょっと待ってろ」 男はリードを来無に握らせると、来た方に走っていく。来無は立ち尽くす。 「帰れないじゃない……」 「くうん?」 犬は無邪気に見上げてくる。 程なくして、男が戻ってきた。 「肘出せ」 男に向かって肘を突き出すと、ペットボトルの水で砂を流した後に消毒液がぶっかけられる。 「痛っつーーーーー!!!!!」 肘を振って悶絶する。 「痛い方が効く! ほら、泡が出てるぜ。効いてる証拠だ」 「痛くない方がいいに決まってるでしょ! もうちょっと優しくできないわけ?」 「そんなの知るか。ほれ、これで終わり」 大判の絆創膏をばん!と叩きつけるように貼られた。 「だから痛いって!」 「とっとと帰りな」 来無はシリウスのリードを押しつけるように返すと、さっさと立ち去った。    寮へ帰り、食堂へ向かう。 (スープを食べたからあまりお腹は空いてないけど、何か食べないと) ちょうど混み合う時間帯を外していたのか、あまり生徒がいなかった。 「あ、丹沢せんぱーい」 大きく手を振る男子生徒は中条だった。 「中条くん」 「ここ座る?」 「うん」 流れで中条のテーブルの向かい側に座ることになった。 中条は雑誌を読んでいる。 「何読んでるの?」 「スポーツ雑誌。割と面白いよ。先輩も読む?」 中条が適当に広げて差し出したページに来無は釘付けになる。 「これって……!」 「どうした?」 「私、今日絶対この人に会った!」 「この赤い服の人?」 「そう!」 中条は来無が指さした写真を凝視し、雑誌を丸めて持ちプロフィールを読み上げはじめる。 「砂生 友広(さそう ともひろ)。ビーチバレーの選手みたいだね。戦績を見たらそれなりに強い みたいだな……え、190センチ!? こえー!! どこで会ったんだよ」 「海」 「海行ったの?」 「海好きなんだ」 「そうだっけ……って俺、そういえば先輩のことあんまり知らないよな」 「今日も赤い服だった」 「赤好きなのかな?」 「そうかもね……これインタビュー記事みたいだけど、カッターが赤だもんね……」 「今日はどんな?」 「トレーニングウェアみたいなやつ」 「ビーチバレーの選手なら海でトレーニングするの当たり前か。赤が好きって、派手好きなのかな?」 「すごい感じ悪かったけど」 「インタビュー見てたらまともそうなこと言ってるけどな」 「ま、どうでもいっか。ご飯取ってくるね」 「行ってらっしゃーい」 小おかずの小鉢だけが選択制の定食をお盆に載せ、戻ってくる。今日のメニューはチキン南蛮丼だ。 「おかえり」 「中条くんはもう食べ終わった? 部屋に帰らないの?」 「食べ終わったけど、先輩が食べ終わるまではここにいるよ。せっかく会ったし」 「嵐野くんと一緒に来なかったの?」 「アラシさんは今日忙しいみたい」 「ルームメイト、いいなあ。一人部屋は寂しいよ」 「俺たちの部屋に来れば?」 「いやいやいや、無理でしょ」 「狭いか、さすがに」 「そういう問題じゃ……」 「半分は俺の私物だらけだし、半分はアラシさんのお庭だから」 「お庭?」 「アラシさんは部屋の中とベランダでも植物を育ててるんだ。みんな元気だよー。伸びすぎでほとんどジャングル。 おかげで部屋の空気はとってもおいしいよ。先輩にも見せたいな」 「部屋で植物育てていいの?」 「たぶん大丈夫なんじゃん?」 ご飯を口に運んでみる。 「オアシスの方がおいしい……」 「オアシスって?」 「こっちの話」 「気になるじゃん」 「……私のよく行くカフェのこと」 「カフェオアシス?」 「カフェ オアシス・バトー」 「先輩、カフェ巡りとか好きなの?」 「おいしいものを食べるのは好きかな」 「じゃあそこのカフェはおいしいんだね?」 「まあね」 「俺も今度連れてってよ」 「いいよ」 「やった! いつ連れてってくれんの?」 子犬のように目を輝かせ、乗り出してくる中条に軽くたじろぐ。 「放課後?」 「明日!」 「明日でもいいけどさ……」 「嬉しそうだな、星」 嵐野が割り込んできて来無の隣に座る。中条も体を引っ込めてぽすんと座り直す。 「アラシさん、何やってたんすかー」 「ちょっとな」 「えー、なんか怪しい」 「怪しくねえし! お前こそ何で丹沢と飯食ってんだ?」 「たまたま会ったんだよねー」 「そうそう……嵐野くん、明日暇?」 「明日? 放課後か? 1時間くらい委員会があるけどあとは空いてるぜ」 「カフェ行かない? 中条くんも一緒に」 「急な話だな」 「中条くんが行きたいんだって」 「いいけど」 「じゃあ決まりね!」 「おう……いいのか星?」 「しょうがないですねー。丹沢先輩が学食よりおいしいカフェがあるって言うから、内緒で教えてもらおうと 思ってたのに」 「ここより美味いって、結構レベル高そうだな。丹沢も覚えとけよ、うちの学食は美味いことで有名なんだ。 星、お前食い終わったならさっさと部屋帰れよ、宿題やってねーだろ」 「はいはい。あ、アラシさんこの人知ってます?」 中条は雑誌を広げて砂生のページを開いてみせる。 「砂生 友広……? 知らねーな。元々男子ビーチバレーって、そんなメジャーな競技じゃないだろ」 「この人に会ったんだよね、先輩」 「多分この人だと思うんだけど」 「え? そんな雑誌に載るほどの有名人がうろうろしてんのか? このド田舎の風紋町で?」 「海の方」 「トレーニングとかかな? ビーチバレーだからビーチで練習してたんじゃね?」 「かもね。トレーニングウェア着てたし。感じ悪かったけど」 「は? 喋ったのか? こいつと」 「この人の犬に飛びつかれて」 「先輩、犬には好かれるもんねー」 「そうなのか?」 「そうだっけ?」 「中学の時もよく犬が寄ってきてたじゃん。自覚ナシ?」 「よく舐められたり匂われたりはした気がするけど……」 「普通の人はそんなことないからね?」 「体質じゃねえの」 「犬に好かれる体質? あんまりうれしくないなあ」 「何で? 犬かわいいじゃん」 「今日は怪我したし」 来無は絆創膏を貼った肘を見せる。絆創膏の真ん中には血がにじんできている。 「うわー、派手にやったな。咬まれた?」 「転ばされた」 「大型犬?」 「すっごく大きいの。かわいいんだけどね……」 「やっぱ大男は大きい犬を飼うんだね」 「そうとも限らないと思うぞ……」 「だって大男が小さい犬を飼ったら、力加減がわからなくて撫で殺したり抱き殺したりしちゃうでしょ」 「どんだけ馬鹿設定なんだよ、こいつ!」 「こいつならやりかねない……」 「丹沢?」 思い出すだに腹が立ってきたので怒りを食欲にぶつけるかのように来無はご飯をかき込んだ。    次の日の夕方、来無は中条と嵐野と共にカフェ・オアシス・バトーの前に立っていた。 「クローズドって書いてあるよ」 「休憩中を狙って来るように言われてるの」 「知り合いのカフェとかか?」 「知り合ったのは夏休み中」 「よくわからないな……」 「後で説明する」 多分頼まなくても後で全部説明してくれるだろう。ドアが開いた。漠駒だ。 「どうぞ」 違和感なく中へ案内された三人を、とっておきのソファー席に座らせる。程なくして嶋が温かい 紅茶を持ってきた。 「お友達だね。ようこそ、カフェ・オアシス・バトーへ。丹沢さん、連れてきてくれてありがとう」 「クラスメイトと、後輩です」 「中条です」 「嵐野です。よろしくお願いします」 「うん。僕は嶋、ここの店長だよ。早速お友達ができて良かったね、丹沢さん」 「多肉植物がお好きなんですか?」 「多肉植物? サボテンのことかい?」 「はい。店内にたくさんあるなあと思って」 「アラシさん、植物バカだから」 「お前にバカって言われると腹立つわ!」 「サボテンはもちろん好きさ。僕は砂漠の人間だからね」 「砂漠の人間?」 「もうだいぶん前だけどね、僕は旅をして、砂漠に魅せられたんだ。砂漠には何もないと思うだろう?」 「砂ばっかり……ですか?」 「そう。どこまで行っても砂だらけだ。昼夜の寒暖差が激しくてサバイバルな環境だし、移動手段もごく限られている」 「ラクダとか?」 「ラクダね……ラクダはロマンがあるけど、とにかく乗り心地が悪かったなあ。 砂漠はね、何もないけど、星が綺麗だ。夜は真っ暗で、その分星がクリアに見える。昼は日射しに射られて、渇いて どうしようもなくなって見上げた先に、オアシスがあった。究極の厳しい環境に置かれて、その空虚さに触れて、 改めて人生を考えさせられた。それで作ったのが、この店だ」 「砂漠を思い出すための多肉植物ですか?」 「そうだね。この店がお客さんにとって砂漠のオアシスのような存在になれればいいと思ってる……君たち、 お腹は空いてる?」 「俺おやつ食べるの忘れたから空いてる!」 「敬語使えよ星! あとちょっとは遠慮しろ」 「はは、構わないよ。何か持ってきてもらうから待ってて」 嶋は漠駒を呼び寄せ、耳打ちする。漠駒は小さく頷くと奧へ下がる。 「嶋さんと丹沢先輩は何友達?」 「えっとね……」 「行き倒れかけてた丹沢さんを僕が拾ったんだよ」 「倒れた!? 大丈夫だったのか?」 嵐野が心配げに来無を見る。 「軽い熱中症だったみたい。8月だったから」 「で、この店に連れてきて介抱したんだ」 「嶋さん超親切じゃん! 俺だったら倒れてる人に声かけらんない」 「旅先ではたくさんの方から親切を頂いたから、少しでも返していきたいんだ」 「すっげーな!」 「その後新作メニューを丹沢さんに試食してもらったら、とても的確なアドバイスをくれたから、ちょくちょく来て アドバイスしてほしいってお願いしたんだよ。本当はキャラバンになって欲しかったんだけどね」 「キャラバンって何ですか?」 「うちではアルバイトスタッフのことをキャラバンと呼ぶんだ。そこにいる漠駒くんもキャラバンだよ」 漠駒は三人分の皿を持ってきていた。色鮮やかなケーキが載っている。丁寧な手つきでお皿をそれぞれの前に並べ、漠駒は 引っ込んでいった。 「だからバイトOKかどうか急に聞いてきたのか?」 「実はね」 「変だと思ってたんだよな」 「バイトしちゃえばよかったのに! きっと楽しいよ」 「ここは学校からそんな遠くないからすぐ見つかって停学になるぞ」 「じゃあアラシさんも一緒に」 「2人でやっても結果は一緒だからな!? 赤信号、みんなで渡ったとしても轢かれるときは轢かれるぞ!?」 「燦土を卒業したら検討してね。待ってるから。そうそう、ぬるくなる前にケーキをどうぞ」 「全員ケーキの色が違うんですね」 「レインボーケーキだよ。7人で食べたら全色揃うんだ」 「いただきます!」 嵐野は一口分を几帳面に切り分けて食べる。 「うん、おいしい」 中条はケーキを2つに割り、大きいまま口いっぱいに含んで食べる。 「ふまい!」 「一口で欲張りすぎだろ! あーあー、こぼれてるし!」 嵐野は慌てて卓上のペーパータオルを取り、中条の口からはみ出たクリームを拭ってやる。 「ふふふ、嵐野くん、中条くんの本当のお兄ちゃんみたいだね」 「実の弟の方がしっかりしてるな……」 「弟、いるんだ。だからお兄ちゃんっぽいんだね」 「いるいる。俺より出来がいいけどな」 先ほどまで頬袋いっぱいに食べ物を詰め込んだリスみたいだった中条の頬がしぼみ、目を潤ませながら言う。 「嶋さん! これおいしすぎるよ! 今まで食べた中でも一番おいしい!」 「ほんとに? じゃあ私も……」 来無は控えめに一口食べる。 「うん、おいしいね」 「あれ? 反応薄くない? 丹沢さんにしては珍しいなあ」 「私、甘い物はそんなに得意じゃなくて」 「そっか……」 嶋がしゅんとしたように見えた。 「このケーキ、上にナッツの砕いたやつ乗せたらもっとおいしいよ! うん絶対!」 「中条くん!!?」 「やってみるか!」 嶋は砕いたアーモンドを持ってきて中条のケーキにかける。すかさず中条が残り半分を口に押し込む。 「最高!」 「なら何のナッツを乗せるか研究して、お店に出してみるよ。中条くん、ありがとう。どうかな、よかったら 君もうちのキャラバンに……」 「却下! 停学になっちゃうってば、嶋さん」 嵐野がまだもぐもぐしている中条の前に乗り出してくる嶋を通せんぼするようにかばう。 「そうだった。すまない、ついつい。代わりにこれをあげよう」 嶋はミールカードを取り出して中条に渡す。 「何これ?」 「キャラバンたちに渡しているミールカードだ。これがあればうちの新メニューをタダで試食できる。丹沢さんみたいに お友達を連れてきてくれてもいいよ。僕はいまいち舌に自信がないから、丹沢さんや中条くんみたいに味のわかる 人に意見を聞かせて欲しいんだ。丹沢さんにも同じカードをこの前渡したんだよ」 「やったー! ありがとう!」 「ありがとうございます、だろ!」 中条は嵐野に後頭部をどつかれて咳き込む。 「嵐野くんも、来てくれたらいいよ。ここに来たのも何かの縁だ」 「多肉植物が元気なさそうなので、お世話させてもらえませんか?」 「本当かい? いいのかな?」 「オレ、植木屋を目指してるんです。一本でも多くの植物を元気にしたいから……」 「時々見に来てくれたらきっとサボテンたちも喜ぶよ」 「嶋さんが舌に自信がないなんて不思議です。こんなにおいしい料理を作れるのに」 「旅先で色々食べ過ぎたから味の好みが外国寄りになってるかもしれないからね。3人とも、今キャラバンになれないのは 惜しいけど、卒業したらまた検討して欲しい。楽な仕事ではないけれど、勉強になると思うよ」 「覚えておきます」 「俺、内緒で働いちゃおうかなー。ここ気に入った!」 「秒でチクるぞ」 「アラシさん、心狭い! 後輩には優しく! それパワハラ!」  帰り道、まだ日が長く、外は明るかった。学校へ向かう道をだらだら歩きながら中条は言う。 「ケーキ、ただで食べれるなんてラッキー! 丹沢先輩のおかげだね」 「本当にお金要らないのか? あの店大丈夫か!?」 「試食だからって言っていつも払わせてくれないんだよね」 「嶋さん、よっぽど丹沢のこと気に入ってるんだな」 「え!? そんなんじゃないと思うよ。行きがけの駄賃というか旅の恥はかき捨てというか……」 「日本語おかしくないか!?」 「アラシさんに指摘されてるようじゃ、丹沢先輩の国語は赤点だね」 「なにー!?」 「嵐野くんって成績悪いの?」 「無邪気に聞くな!」 「まぁ、俺とおんなしくらいには悪いんじゃないの。宿題聞いてもいっこもまともに教えてくれないもんね。一個上のはずなのに」 「ばらすな! あー……恥ずかしー」 「中条くんも成績悪いんだ?」 「中学の時からそうじゃん。覚えてないの? 先輩」 「学年違うしね-」 「そっか」 「図書委員って本好きのわりに頭いいやつばっかじゃないんだよなー」 「中条くんは本、好きじゃないでしょ?」 「まーねー。でも一冊だけ、好きな本あるよ」 「誰でも一冊くらいは好きな本あるよ」 「オレは図鑑は大体好きだな」    ある日のホームルーム。笑がおもむろに黒板の前に立ち、黒板を中指の関節でコツンと叩く。 「今日は重要なことを話し合います。11月の文化祭の、クラスでの出し物についてです」 教室端の椅子で見守る塩名先生がにやつきながら言う。 「しっかり決めるのよ-。うちのクラスの命運にかかわるわよー」 「大げさな!」 ヤジが飛ぶと笑が発信元の男子を睨む。 「クオリティ大事だから! どうせなら全力でやったほうが楽しいでしょう。 それで、出し物なんですが、部活に所属している人は部活の方の出し物もあると思うので、 基本的には帰宅部の人を中心に進めてもらおうと思います」 「がんばれ帰宅部! ふだん部活頑張ってない分がんばれ!」 塩名先生が教師らしからぬ茶々を入れる。 「このクラスの帰宅部は嵐野くん、清水さん、丹沢さん、出口くん、並河くん、横山さんの6名です。 今日出し物を決めた後は仕切ってもらうので、よろしくお願いします」 「ちょっと待てよ! オレは委員会やってるぞ。しかも帰宅部が仕切るとか、去年はそんなんなかったぞ!? 帰宅部だからがんばってないわけじゃねーし!」 「委員会は出し物ないでしょ。去年部活と両立がしんどいって声が上がったからこうなったの」 反発する嵐野に笑が冷たく言い放つ。 「そんなぁ~」 帰宅部以外のクラスのメンバーがどっと笑う。 「嵐野、適任だと思う! お前なら最高に面白くできる!」 体格のいい男子が嵐野の肩を力強く掴んで言う。 「賛成!」 「お前が文化祭番長だ!」 勝手に番長へ祭り上げられていく嵐野の姿を見てなぜかほっとしていたのは来無をはじめ他の帰宅部も同じだっただろう。 「はーい! 出し物候補!」 笑が当てたわけでもないのに手を上げて発言しようとする男子。 「なになに~?」 笑はチョークを握り板書の体勢で耳だけ貸している。 「番長劇!」 「何それ?」 「嵐野番長が主人公の劇だ!」 嵐野を祭り上げた男子たちが爆笑する。 「最高じゃん!」 「俺、特攻服作ってやるよ! きんきらのやつ!」 「俺、敵の役な。お前をボコるわ」 「空手、教えてやろうか?」 盛り上がってきた男子たちはがやがやと好き勝手なことを言う。 「……面白そう」 ぽつりとつぶやいたのは帰宅部眼鏡女子、横山だった。 「私、お話考えます!」 普段ほとんど言葉を発することがない横山が目を輝かせて立ち上がった。その声を合図に教室には静寂が流れる。 みんながこれまで見たことないくらい元気なの活き活きした表情に注目していた。笑は一息ついて言う。 「決まり、ね?」 「あいつらー!!!」 後は帰宅部集団で話し合い、次回のホームルームで意見をまとめるということでお開きになり、帰宅部6人組 (嵐野組と名付けられた) で教室に居残りしている。 嵐野は不本意そうにうじうじ言っている。 「似合うと思いますよ、嵐野くん。体格的には番長っぽくはないですけど、覇気があるから」 「サラッとオレが背ー低いって言ってないか、横山?」 「嵐野くん、本当にクラスで人気あるんだね。前から人気者だとは思ってたけど」 「これっていじめじゃねーの」 「適当に決めてさっさと帰ろうぜ。主人公は嵐野だろ、でライバル校の番長が俺」 クラス一チャラいと噂の並河が長い前髪をかき上げながら気怠げに言う。 「メインキャストをオレらで固めるのか!?」 「当たり前だろ。セリフ覚えるのとか負担多いし、練習も帰宅部ならしやすい ……ヒロインは丹沢だな」 「ええっ!? 何で!?」 「身長のバランス。ここにいる女子だと丹沢が一番嵐野と並んでも身長差が目立たない」 来無は周りを見る。たしかに他の女子は来無より背が高かった。 「でも私も嵐野くんより背高いけど……」 「嵐野はシークレットブーツでも履いとけ」 「雑だな!」 「清水は嵐野の親友かつブレーンの役、あ、男な」 「男装すんの!?」 「男子が足りないからな」 「僕もいるんだけど……」 出口が自分を指さしながら控えめに言う。 「お前じゃパンチが足りないし頭良さそうに見えない。清水のほうがキリッとした男顔で 適役だ」 「ちょっと待ってー!!!」 横山が割り込んでくる。 「何だよ」 「並河くん、勝手に配役決めないでくださいますか! まだお話も考えてないですのに!!」 「ある程度決めといた方が考えやすいだろ。俺の言うとおりにすればまず間違いない」 「その自信どっからくるんだ……オレに分けろ……!」 震え声で言う嵐野をいなすようにぽんぽんと撫でると、並河は続ける。 「横山は番長たちの争いを遠巻きに見守る優等生の役な」 「まんまだな!」 「多分かなりカオスな話になるからな。普通のキャラもいたほうがいい。横山の役は一歩引いた視線で 物語を語る、いわばナレーターの係だ」 「私も出るんですか!? 脚本だけでいいと思ってたのに……人前で話すなんて恥ずかしいです」 「大丈夫だって! 横山、英語とか国語の時音読うまいもん」 「嵐野くん……」 「そうそう。それに、読書好きって設定にしといて、カンペがわりに台本持って喋っていいから」 「じゃあ僕はー?」 出口がのんびりと話す。 「出口は俺陣営で、ひょんなことから舎弟になってみたものの争いには向かないが、運が強いのと時々鋭いことを言うため 俺に取り立てられて幹部になった奴、ということでどうだ?」 「設定1人だけ長!」 「なんかかっこいいねえー。さんせー」 「お前と話してると気が抜けるなー……」 「ストーリーだが、まず丹沢を俺がさらう。で、嵐野が取り返しに来る。決闘とかなんだかんだあって無事取り返す。以上」 「某配管工の兄弟のゲームを丸パクりしたようなストーリーだな……」 「横山は俺たち一人一人に見せ場を作ってくれ」 「オレは別に見せ場なんていらないぞ!? 目立ちたくないし」 「何言ってるんだ。お前が主人公だろ。主人公に見せ場がなくてどうする」 「わかりました。皆さんもともと個性的な方々ですから、うまく考えられると思います」 「時間がない。脚本はどのくらいでできる?」 「そうですね……今週末までに物語の枠組みを考えてきますので、来週中でどうでしょうか」 「十分だ。あらすじがわかれば衣装や小道具・大道具にも取りかかれるだろうしな。あとは帰宅部以外に どのくらい動いてもらうかだな……」 「みんな忙しそうだもんな……特に舞台系と展示系」 「舞台系は稽古があるし、展示系は当日のシフトがあるからな……」 「得意な人に得意なところをやってもらったらどうかな?」 「丹沢、つまりは?」 「例えば、手芸部の人に衣装を作ってもらったり、美術部の人に背景を描いてもらったり、放送部の人に 音楽を任せるとか……」 「そうだな。できる範囲でそうしたほうが色々スムーズにいきそうだ!」 「何が得意かアンケートしようぜ」 「いいな、そうしよう! あと、特技を持ってる奴を知ってたら頼んでみてくれ」 「オレそれならできそうだ!」 「嵐野は友達多いからな、頼りにしてるぜ番長。っつーことで今日はお開きだ」 並河はパンパン! と手を打って鞄を肩に掛け、颯爽と去っていった。横山、清水、出口も帰って行く。 出遅れた来無は慌てて鞄を取りに席へ戻る。 「めんどくせーことになったな」 机に突っ伏して頭を抱えながら嵐野が声を掛けてくる。 「しょうがないんじゃない? 帰宅部なのはどうしようもないし」 「あっさりしてんな」 「嵐野くんの番長姿、想像するだけで楽しそうだし」 「丹沢まで面白がってんのか!?」 「一緒に頑張ろうよ。そういえば並河くんがあんなに仕切ってくれるなんて意外だったな」 「あいつはああいう奴だぜ。器用の塊なんだ」 「器用の塊って?」 「なんでもそれなりにこなすんだ。だからモテる」 「そういうもん?」 「……よく知らないけど。やる気なさげに見せかけといて、やるときはやれるんだよ。しかも効率的に、無駄なくな。 無駄だらけのオレとは違う」 「ふーん」 「だからあいつがいてくれて今回は良かったと思うぜ。言うとおりにしとけばなんとか形にはなるだろ」 「笑が求めてたクオリティは主演の嵐野くんにもかかってるんじゃないの?」 「プレッシャーかけんな! オレは本番に弱いんだ……」 「大丈夫大丈夫。私は本番に強いから。側にいてあげるって」 嵐野は意外そうに頭を上げると、来無を見上げてくる。 「丹沢、度胸あるタイプなんだ?」 「さあね?」  雨の降る学校帰り、来無はオアシス・バトーに寄ってみることにした。 (ちょっと早く来過ぎちゃったな……) 時間はまだ15時台、恐る恐るオアシス・バトーの前に立つと、CLOSEDと書かれている。 (あれ?) 看板をよくよく見ると、今日は定休日と書いてあった。 (お休みの日もあるんだ) さすがに休みでは誰も中にはいないだろう。来無は諦めて海の方へ歩き始めた。 来無がオアシス・バトーのある通りから消えたのと入れ違うように中条がやってきて、 オアシス・バトーの扉を叩いた。中は暗いが、しばらく待っていると返答がある。 「どうぞ」 鍵が開き、中条は中へと招き入れられた。  来無は海岸へ来ていた。灰色の空と海を眺め、雨の音と波音にひたすら聴き入っている。 雨の日の海は不思議だ。見回す限り水、響く波の音、傘に当たる雨の音。灰色の世界に閉じ込められたような感覚。 気圧の影響で朦朧とする頭で立ち尽くし不思議な感覚に浸っていると、何かがつんと脚に触れた。振り向くと大きな犬が雨粒を 思うさま撒き散らしながら尻尾を振っている。 (この子、もしかして……) 来無の予想どおり、程なくして朱赤のレインウェアを着た男がやって来た。朱赤の撥水性パーカーのフードを被って、 走る風圧でフードが脱げないようにフードの先端を引っ張りながら。 「またお前か!」 「砂生友広……!」 「なんで俺の名前を知ってる!?」 「雑誌でたまたま見つけたんです。」 「だから取材受けるの嫌なんだ。俺は望んでないのに無駄に有名になる」 「ビーチバレーの選手なんでしょ。あと砂生さん、もともと目立つけど」 「どこが?」 背の高さと大きな犬とはっきりした顔立ちとけばけばしい赤色の服と、目立つ要素しか持っていないのだが あまり言及するとキレられそうなのでコメントを避けておいた。 「とにかくシリウスは渡さん!」 「私が呼んだんじゃないし!」 「じゃあ何でまたお前のとこにいるんだよ!?」 「知らないよ。この子が来たいから来たんでしょ。ちゃんと綱持っといてよね」 「後輩のくせに生意気だな!敬語も使えないのかこいつはー!」 「自分が犬を管理できてないのを人のせいにするような輩に使う敬語はありませーん。あと私、砂生さんの後輩じゃないから」 「燦土学院だろ、お前。だから後輩だ」 「なんでわかったの!?」 「制服見りゃわかる。あいにく俺も燦土の出身だからな。お前名前は?」 「不審者に名前教えたり出来ないよ」 「俺はとっくに知られてるのに不公平じゃないか?名前くらい教えろ」 「……丹沢来無。」 「来無な。覚えられたら覚えとく」 「覚えないでよ!」 「名前も知らない奴にシリウスを誘拐されたら困るからな」 「誘拐とかしないから!人聞きの悪い」 「人聞きだって?ここに俺と来無以外に人なんていないぜ。雨の日に海に来るような物好きは珍しいからな」 「そういうことじゃなくて!……なんか砂生さんと話してたら疲れる」 「友広って呼べよ」 「いきなり名前呼び?」 「外国じゃファーストネームしか使わないからな」 「まさか外国帰り?」 「違うけど。苗字で呼ばれるのが慣れないだけ。来無さ、海相当好きだろ?」 「どうしてそう思う?」 「こんな日に海に来るのは物好きしかいないってさっき言っただろ」 「そうだね。海を見てるとなぜか落ち着く」 「俺もだ。海から離れて暮らすなんて考えられない」 「だからビーチバレーを?」 「さあな」 「私帰るね。じゃあね、……友広さん」 「それでいい。多分また会うぜ、俺たち。来無が海を見に来る限りな」 「……もう来ないから!」 「漠駒さんって、店がお休みの日も店にいるんだ?」 オアシス・バトーのソファー席に腰掛けた中条がふんぞり返りながら言う。 「留守番を頼まれたので」 「バイトもかなり長い時間入ってるんだよね? 来たらほとんど毎回会うって丹沢先輩が言ってたよ」 「そうですね。キャラバンの中では一番長いです」 「バイトリーダーみたいな?」 「そんなものでしょうか」 「将来はここに就職するの?」 「そんなことを聞いてどうするんですか? まだ決めていませんが」 中条は靴を脱いでソファーの長椅子に寝そべる。 「あなたの家ではないのでそこまで寛がないでください。ほらちゃんと座って。ケーキあげますから」 「ちぇー。子供扱いするー」 「今日は何をしにこられたんですか?」 「嶋さんに会いたかったんだ。ここって休みの日でも入れてくれるんだね?」 「キャラバンとあなたたちは入れてもいいと嶋さんから言いつかっています」 「嶋さんにも会いたかったけど、漠駒さんと一対一で会えたのもよかった」 「何故ですか?」 「俺、漠駒さんに聞かなきゃいけないことがあるんだ」 漠駒は驚いた顔をする。中条はにやりと笑う。 「どうする?俺があなたの秘密を全部知ってるって言ったら」 「……何のことだか」 「しらばっくれるねー」 「お会いするのはまだ2回目ですよ。私の何がわかるというのですか」 「何もかも」 「高校生が大学生をからかわないでください」 「あなたがからかうには歳上すぎるのは確かだけど、別にからかってるわけじゃないよ。俺が言ってるのは全て本当のことだけ。 漠駒さんのことは初めて会った瞬間に全部わかった」 「……そんなことはあり得ない」 「あり得ないことがあり得るんだよ。俺が俺だから。あなただってそうだろ?」 「……どういう意味ですか」 「言葉通りだよ。俺が今ここにいることや漠駒さんが今ここにいること自体があり得ないことの始まりなんだから」 漠駒はカウンターに入り、苦い顔でカップにコーヒーを注ぐ。 「黙っちゃって。あ、俺苦いの苦手なんだ。甘くしてね。紅茶ならストレートでもなんとか飲めるけどコーヒーは無理だわ」 漠駒は無言で角砂糖を5個入れる。ドアが開く。 「ただいまー! あー、漠駒くん、そんなに砂糖入れたらコーヒーの味が死んじゃうよ。らしくないな……」 漠駒は憮然として歩いてきて、中条の目の前にコーヒーを置く。なみなみと注がれたコーヒーがタプンと跳ねて、一滴テーブルに落ちる。 「入れすぎだって! ミルクの入る隙間がないじゃんもー」 「中条くん、来てたんだね。雨で大変だったんじゃない?」 「雨だとずっと部屋にいるけど、ヒマじゃん? だから来てみた」 「またケーキ食べる? 今は新作ないけど昨日の売れ残りでもよければ」 「食べる! 嶋さんって、休みの日でもお店にいるんだね」 「僕の家はこの上だからね」 「漠駒さんも?」 「漠駒くんはここには住んでないよ。あの子はお店が好きだから、よく来てくれるだけ」 「漠駒さんって、単なるアルバイトって感じじゃないよね。休みの日もバイト先に来るってあり得ないじゃん? 丹沢先輩も、 いつオアシスに来ても漠駒さんがいるって言ってたしさぁ」 中条はカウンター席に座ってコーヒーを啜る漠駒の背中を見ながら言う。 「シフトによく入ってくれるからとても助かっているよ。うちは少数精鋭だからね。中でも漠駒くんは格別だ」 「勉強とか大丈夫なのかな」 「彼は真面目で賢い子だから大丈夫。漠駒くんのことがそんなに気になる?」 「……まあね」 「コーヒー飲んでなくない?」 「一口飲んでみたけど無理だった。だってミルク入れれないんだもん!」 「何か代わりに淹れてあげようか。何がいいかな」 「紅茶!できればくだもののにおいのやつ!」 「わかった」 立ち上がりざま、嶋は中条に囁くように聞く。 「漠駒くんと何かあった?彼があんなコーヒーを淹れるところ初めて見たよ」 「さあ?」 中条が白々しくそっぽを向くと、嶋はそれ以上聞かずに飲みかけのコーヒーを携えてカウンターへ向かった。 中条はソファーに深く腰掛けると足を組み、鼻歌を歌い始める。
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