共通ルート①

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共通ルート①

道に迷っていた。 でも、ここがどこなのかはもうとっくにどうでもよくなっていた。暑い。のどが渇いた。 「水……」 街の真ん中だというのに自動販売機すら見当たらない。目眩で視界が歪む。とうとう力を失って座り込んだその視線の先に、金色の砂が 見えたのは気のせいだったろうか。 丹沢 来無(たんざわ らいむ)の意識はそこで途切れた。  首と脇の下にひんやりとした感触がある。 「少し顔色がよくなりましたね」 低く澄んだ声。薄く目を開けると、見知らぬ眼鏡の男性が心配そうにのぞき込んでいる。 「飲めますか」 男性はそう言って、ショットグラスに入れた透明の液体を差し出してくる。 「経口補水液です。少しずつ飲んでみてください」 来無は頷くと、グラスを受け取ろうとするが腕が上がらない。男性は微笑むとグラスを来無の口まで持ってきてくれた。 来無は一口ずつ飲むと、最後には一気に飲み干した。 「喉が渇いていたんですね。もっと飲みますか?」 「はい。……生き返ったみたいです」 「そうでしょう……渇くことは一番辛いことだ。どんどん飲んで、心も潤すといい」 男性は立ち上がり、グラスを持って行く。来無ははじめて自分のいる場所をゆっくりと見まわした。カフェの一角のようだ。客はおらず、 来無は6人掛けの席のソファーの肘掛けにもたれて寝かされている。首と脇にはタオルで巻いた保冷剤が当てられている。 「どうぞ」 カウンターで水を入れ、男性が戻ってくる。今度は大きいグラスで、氷が入れられている。水を飲みながら聞いてみる。 「助けてくれたんですか」 「うちの前でしゃがみこんでいらっしゃったので」 「すみません」 「いいんですよ。渇いた人を潤すのが僕の仕事ですから」 「このカフェはお兄さんの?」 「そうです。カフェ オアシス・バトーといいます。ところでどこに行こうとしていたんですか?」 「そうだ!」 来無は慌てて立ち上がろうとするが、ふらついてソファーに倒れ込む。 「まだ休まないと」 「行かなくちゃ」 「そんなに急いでいるんですか?」 「秋から編入する高校に行く途中で道に迷ったんです」 「どこの高校ですか」 「燦土学院(さんどがくいん)です」 「ここから歩いてすぐですね」 「11時の約束なんです」 「今10時半……あなたはもう1時間くらいは休む必要があると思いますが」 「電話してみます」 「それがいい」 「もしもし、塩名先生はいらっしゃいますか。……はい、1時間ほど遅れそうで……失礼します」 「どうでした?」 「大丈夫だそうです」 「では、もう少し休んでいってください。今日は暑すぎるのか、ちょうどお客さんも少ない。ゆっくりしていくといいですよ。落ちつい たら、なにか食べていくのもいい」 「本当にありがとうございます。……嶋、さん?」 嶋は自分の胸元の名札を見る。 「ああ、嶋 潤史(しま じゅんし)です。あなたは?」 「丹沢 来無(たんざわ らいむ)です」 「丹沢さん、学校も近いしまた来るといいよ。確か燦土って全寮制だったよね?」 「はい。秋から寮に入ります」 「何年生?」 「高2です」 「そうか……いいね、楽しそうだ。僕の試作品のサンドイッチ、食べる?」 「いいんですか?」 「食べれそうかな? 気分悪くない?」 「たぶん」 「じゃあ持ってくるよ」 嶋が厨房に下がると、ドアが開いて上の方に付いているベルがカランと鳴り、無表情な男が入ってくる。嶋は慌てて戻ってくる。 「いらっしゃいませ……漠駒(ばっこま)くん?」 「今日はお客様はお一人ですか」 「この人はお客さんじゃないんだ。さっき道ばたで倒れてたから助けた人」 「またですか」 「紹介するよ、この子はキャラバンの漠駒 佑ノ進(ばっこま ゆうのしん)くん、漠駒くん、そちらは丹沢 来無さん」 「よろしくお願いします、漠駒さん」 「ああ」 「ところで、キャラバンって何ですか?」 「キャラバンっていうのは、このカフェのスタッフのこと.オアシス・バトーは砂漠のオアシスをテーマにしている。砂漠では通常商人 などがキャラバンと呼ばれる隊を組んで行動したんだ。それになぞらえてそう呼んでる。店長の僕が隊長ってことになるのかな」 「砂漠のオアシスっていいですね」 「そう言ってくれると嬉しいよ。オアシスは本当に綺麗なんだ。行ってみるとわかるよ」 「行ったことあるんですか?」 「うん。僕は昔バックパッカーでね、色々な国を旅してたんだ。中でも砂漠とオアシスの景色が最高だった」 「それでこの店を?」 「まあね。そうだ、サンドイッチ食べてよ。漠駒くんも食べる?」 「では」 「漠駒くん、今日はお休みだよね? 何か用事あった?」 「いや、なんだか気になったので」 「そっか」 嶋はサンドイッチを並べる。 「おいしそう! 頂きます」 来無は目を輝かせて食べ始める。 「うん、とってもおいしい」 「来月から店に出そうと思ってるんだけど、どうかな」 「絶対売れますよ! これ。おいしい物大好きなんですけど、このサンドイッチは今まで食べた中でも特別においしいです! ただ……なんだか味が足りない気がするんですよね。酸味かな……? レモンの刻んだのとか入れてみたらどうでしょうか」 「へえ、詳しいね。漠駒くんはどう?」 「うむ」 漠駒は頷く。 「じゃあ、もう少し改良して来月から出してみるよ。試食ありがとう!」 「嶋さん、料理上手なんですね。カフェのメニューを見せてもらっていいですか?」 漠駒が無言で棚からメニューを取り、差し出す。 「ありがとうございます、漠駒さん。どれどれ……経口補水液って、メニューに入れてるんですか?」 「僕のポリシーでね。喉が渇くのって一番辛いから、本当に喉が渇いてる人に出してあげたいと思って」 「変わってるなあ……あ、このケーキおいしそう!」 嶋と話していると、あっという間に時間が過ぎた。漠駒はその間傍らでずっと頷いていた。 「そろそろ行きますね。お世話になりました」 「本当に、また来てね」 「ん」 外に出ると日射しがさらに強くなっている。来無は目を細めて歩き始めた。  今日は始業式。燦土学院への編入初日だ。 (緊張するな) おろしたばかりのパリッとした慣れない制服に身を包み、校内の道をぎこちなく歩いていると、目の前に大量の葉っぱがいきなり 降ってきた。 「わわっ!」 「ゴメン!」 葉っぱまみれになりながら声の主を探してきょろきょろするが、見当たらない。 「ここだよ!」 「どこ!」 「上!」 上を見ると木の上から手を振る人影が見える。 「すぐ降りるから待ってて!」 人影はするすると木を降り、来無の前に立った。来無より背が低い男子だ。制服が同じなので燦土学園の生徒だろう。 「うわー、葉っぱいっぱいついちゃったね、ほんとゴメン! つい夢中になって」 「何やってたの?」 「木の剪定。夏の間に伸び放題だったから」 「そういうのって業者がやるんじゃないの?」 「やりたくなっちゃってさ」 「何年生?」 「ん? 2年だけど」 「じゃあ一緒かも」 「あれ? でも会ったことないよ、ね?」 「私今日からだもん」 「転校生?」 「そうだよ」 「制服、もしかして新しい?」 「うん」 「うわー」 男子は気まずそうな顔をする。 「だったらよけいゴメン! こんなとこ人が通るなんて思ってなくて」 確かに学校の敷地内のはずなのに生徒が全然いなかった。 「え? 校舎に向かってると思ってたんだけど」 「校舎は反対側だよ」 「ええー! 私、8時までに職員室に来いって言われてるんだけど」 「あと10分……ぎりぎりだな」 「校舎どっち?」 「あっち! 案内しようか?」 「お願い!」 来無は指さされた方向に走り出す。 「ちょっと待った!」 「え?」 「葉っぱだらけだってば! 落としてけよ」 来無は目に付く所の葉っぱを払う。男子も遠慮がちに背中や髪の葉っぱを取ってくれる。 「これでいい?」 「待て待て」 男子は自分の鞄から何やら取り出す。 「何それ」 「服用のブラシ。さっとかけろ。ちょっとはましになるだろ」 前側を自分でかけると、来無から取り上げて背中側をサッとかけてくれる。 「よし、行こう」 男子は自分の鞄をひっつかみ、来無と一緒に走り出す。 「お前なんていうの」 「丹沢 来無 !」 「オレは嵐野 英斗(あらしの えいと)!」 「嵐野くんも寮?」 「もちろん、うちの学校の奴はだいたい寮から通ってるから !」 「じゃあ後で寮の場所も聞くかも !」 「いいぜ!」  職員室のドアをノックするなりドアが開き、来無はびくっとする。 「待ってたわよ。丹沢さん」 濃いめのメイクにきりっとした顔の女性教師である。 「えっと……塩名先生、おはようございます」 「入ってきて」 塩名先生の席に行くと、パイプ椅子があるのでそこに座る。 「丹沢さんは私のクラス、2組よ。教室は3階。あとで一緒に行って、自己紹介してもらうわね」 「わかりました」 「今日は迷わずこれた?」 「少し迷ってしまいました」 「結構わかりにくいからね、うちの学校。少しずつ慣れていくといいわ。みんな親切だから、教えてくれると思うよ」 「はい。変な時期に転校なので、ちょっと緊張します」 「そうね。高2の夏に編入っていうのは私も初めてだわ。お父様の遺志なんだっけ?」 「そうなんです。春に亡くなった父が燦土学院へ行けって、遺言に書いていて、手続きも全部してあって……」 「きっとお父様にも何か考えがあったのよ。大丈夫、きっと楽しいわ。うちは自由な校風だから。私も燦土の卒業生なのよ! だから 楽しいことは保証する!」 「だといいです」 「あら、もう時間ね、行きましょう」  塩名について教室に行くと、すぐにホームルームが始まり、自己紹介をした。話しながら教室を見まわす。 (新しくてきれいな教室だな) 来無が前に行っていた学校とは全く違い、教室の備品などが新品同様でとても綺麗だ。建物の内装も新しそうだ。伝統のある学校だが、 最近リノベーションしたのかもしれない。生徒に目をやると、知った顔が見える。 (あ、嵐野くん、同じクラスだ) 「じゃあ丹沢さん、席はそこね」 前から三列目の空席を促され、着席する。ホームルームが解散すると、隣の女子が話しかけてきた。 「丹沢さん、よろしくね。私は鐘山 笑(かねやま えみ)」 「鐘山さん。よろしく」 「寮に入るの?」 「うん」 「寮生活したことある?」 「ううん。ずっと家から通ってたから」 「そうだよねー、寮があるとこなんて珍しいもんねー」 「鐘山さんも寮?」 「そうだよ。中学から」 「中学も?」 「うん。私は中学から燦土だから」 「中学もあるんだね」 「知らなかったの?」 「燦土学院のことを知ったの最近だから……。転校決まったのも最近でバタバタしてて」 「そうなんだ。この時期に転校って珍しいよね。燦土では転校生自体珍しいし」 「色々教えてね」 「もちろん。うちの学校広いから、慣れるまで大変かもしれないけど」 笑と話していると嵐野が近づいてくる。 「今朝はゴメン。同じクラスだったんだな」 「嵐野、おはよう」 「おう」 「丹沢さんとなんかあったの?」 「いや、ちょっとね」 「なになに?」 「上から葉っぱ落としちゃって」 「いきなり?」 笑は爆笑する。 「丹沢さん、気をつけなよ。嵐野のまわりにいると葉っぱやら虫やらついてくるから」 「なんで?」 「嵐野は木登りが大好きで、植木屋になりたいって言って学校の木の手入れを勝手にしてるんだけど時々失敗するから」 「修行中なんだよ」 「学校で修行すんなっての!」 「それに勝手じゃねーんだよ。園芸委員だから!」 「園芸委員がやるのは花壇とかでしょ。高所は業者に任せろっての。危ないったら」 「楽しいからいいんだよ、な? 丹沢」 急に同意を求められる。 「えーっと、葉っぱはいいけど虫はやめてほしいかな」 「たしかに! ハハハハ」 笑はツボに入りっぱなしのようでずっと笑い続けている。  始業式と長めのホームルームが終わると解散になった。塩名先生が寄ってくる。 「丹沢さん、寮に行くわよね」 「はい。寮母さんから説明があるって言ってました」 「私、案内しましょうか」 笑が言ってくれる。 「鐘山さん、お願いしていい?」 「はい。じゃ、行こうか」  寮は山の上の方にあった。 「燦土学院は山の斜面に建ってるんだけど、寮はさらにその上の方なんだよね」 「思ったより遠いね」 「そうそう。頑張っても15分くらいはかかるかな。帰りは登りだけど、行きは下りだから若干早く感じるけどね」 他の学年も同じような時間に終わったようで、生徒がぞろぞろと寮への道を歩いている。1人の男子生徒が寄ってきた。 「おーい」 男子生徒は駆け寄ってくる。子犬のような目をしている。 「誰?」 笑が不思議そうに見ている。 「誰だろう……?」 来無に追いつくと、息を整えて男子生徒は言う。 「俺のこと、覚えてる? 丹沢先輩」 来無はしばらく考える。 「覚えてないか……」 「あ! もしかして中学の時の……中条くん?」 中条は嬉しそうに笑う。 「うん! 覚えてくれててよかった!」 「まさかこんな所で再会するなんて」 「俺もびっくりしたよ。だってここ、オレらの地元から遠いじゃん? よかったー、人違いじゃなくて」 「え? 2人は何友達?」 話についていけていない笑が質問する。 「えっと、中学の時の委員会の後輩で、中条 星(なかじょう あすた)くん」 「図書委員だったんだよね」 「へー。本好きなんだ」 「うん、結構ね」 「俺はじゃんけんで負けて図書委員になったんだ」 「図書委員って人気なイメージなのに」 「当番とか多いじゃん? オレの学年は人気無かったんだよね-」 「あー確かに。拘束時間は長そう」 「でも図書委員になってからちょっと本好きになったよ。だから今も図書委員」 「本当? 良かった」 「丹沢先輩のおかげかな」 「え? 私なんかしたっけ」 「したした!」 来無が首をひねっていると、嵐野が寄ってくる。 「おい星! 部屋散らかしすぎだろ! 今日こそ片付けろよ、時間あるから」 「うわっ! アラシさんじゃん」 「お前自分のスペースはみ出しすぎだから全部寄せといたぞ。ベッドの上とかに」 「やめてよー!寝るとこなくなるじゃん!」 「自業自得だ!」 楽しそうにやりあっている2人を来無と笑が呆然と眺めていると、嵐野がこちらに気付いた。 「あれ? お前ら知り合い?」 「そっちこそ」 「星とオレは寮で同じ部屋なんだ」 「アラシさん、この2人と友達なの?」 「クラスメイトだ」 「丹沢さんと中条くんは中学で一緒だったんだって」 「ええ! すごい偶然だな」 「私もびっくりしたよ。そんなことあるんだね」 「とにかく、今日中に片付けろよ、星。明日にはお前のはみ出た持ち物全部窓から捨ててやるからな!」 捨て台詞を残して嵐野は去っていった。 「あーーー、どうしようーーー」 星は頭を抱える。 「寮って2人1部屋なの?」 「だいたいね。別の学年の人と同じ部屋になるよ。私たちは高2だから、高1か高3と同じ部屋。だから高1の中条くんと高2の嵐野が同室 なんだ」 「なるほど」  女子寮の前で中条と別れると、寮母さんが迎えてくれた。ふくよかな中年の女性だ。 「私は寮母の田中です。わからないことがあれば何でも聞いてくださいね」 「よろしくお願いします。田中さん」 「鐘山さん、もうお友達になったの?」 「クラスが一緒なんです」 「そう。よかったね、丹沢さん。では、お部屋に案内しますね。荷物も届いてるから。普通は2人部屋なんだけど、編入生だからいまは 1人でお部屋を使ってもらいます。春になって新入生が入ってきたら多分2人部屋になるから」 「わかりました」 「鐘山さん、お部屋に帰っていいですよ。いろいろと丹沢さんに説明があるから」 「はい、じゃあ丹沢さん、またね」 田中に案内されて自室に着く。 (今日からここで暮らすんだ) 田中から寮の規約を手渡される。 「今日中に目を通しておいてね。重要なところだけ説明しておきますね。机もベッドも、どちらか好きな方を使ってくださいね。 洗濯はランドリー室があるから、自分ですること。朝ご飯と晩ご飯は食堂に行けば食べられます。ご飯が要らないときや具合が悪くて おかゆにしてほしいときは食堂のスタッフに言ってくださいね。お風呂は大浴場があります。門限は21時。遅れる場合は連絡して ください。あと、自分で生活するのは初めてですか?」 「いえ」 「なら心配ないかな。大体の人が初めてだから、どうやって生活したらいいかわからない人もいます。特に洗濯を貯めちゃったりとか、 朝起きられなかったりとか、ベッドの手入れを全然してなくて万年床になったりとかね」 「あー」 (嵐野くんに怒られていた中条くんの姿が浮かぶ……) 「そういう人のために、相談できる寮のリーダーが各フロアにいます。なにかあればいつでも相談してくださいね。このリーダーたちが 最初のうちは週に1回、ちゃんと生活しているかお部屋を見にくるから、そのつもりでね。このフロアのリーダーを紹介するから、 ついてきてくださいね」 「はい」 田中は部屋を出て、2つ隣のドアを叩く。すぐに中の住人が出てくる。 「はーい。あ、田中さん」 「新入りさんを紹介します。2年2組の丹沢さんです」 「よろしくお願いします」 「よろしくお願いします。リーダーの道永 さよりです」 「道永さんは3年生です。しっかりしてるから、なんでも聞くといいですよ」  部屋に落ち着いて、荷物をほどこうとするが、手を止めてベッドに倒れ込む。少し湿ったようにひんやりとしたシーツの感触と、 ほこりっぽいにおいがする。新築の木のにおいもした。 「疲れたなあ……」 朝からいろんな事があった。慣れない土地に、慣れない学校。初めて会う人。これからどうなっていくんだろう。 (お父さんは何を考えて、私を燦土学院に送り込んだんだろう) 考えてもわからないことを考えてしまう。荷物を整理する気は結局起こらず、しばらくゴロゴロしていると、不意にあることが思い 浮かんできた。 (あのカフェに行ってみたい) 来無は起き上がると、傍らの棚の上に置いていた寮の規約を開いた。 (外出について……放課後の校外への外出は外出届を提出し、門限までには帰ること) 部屋を出て、さよりの部屋をノックする。 「どうぞ」 「丹沢です」 一応名乗ってからドアを開け、部屋に入る。リーダーの部屋らしく綺麗に整理されているが、残り半分はピンクやオレンジの雑貨類で 埋め尽くされていた。ラグの上でゆったり雑誌を読むさよりの傍らに小柄な女の子が座っている。多分彼女の持ち物だろう。 さよりは雑誌を閉じると立ち上がり、来無を出迎えた。 「どうしたの?」 「外出届の出し方がわからなくて」 「1階の受付で書くの。外出届を入れる箱があるから、そこに入れておけば大丈夫。見本持ってるから書き方を説明しようか?」 「お願いします」 さよりは机から見本を出してきた。パウチされていて見やすい。 「ここに名前と学年・クラス・部屋番号を書いて、日付と帰ってくる時間と目的地を書けばいいの」 「わかりました。ありがとうございます」  部屋に戻って着替えると、外出届を出して外に出た。残暑が厳しく、肌が灼けていくのを感じる。 (あのカフェどこだったっけ) 帰り際にもらったカフェ オアシス・バトーの簡単な地図と電話番号の書かれた名刺サイズのカードをスマホの地図と照らし合わせ ながら歩いているが、なかなかたどり着けない。前回来たときは行き倒れ状態だったのでもともと場所はうろ覚えだ。 (このへんだと思うんだけどな) うろうろしているうちに喉が渇いてきた。 (そういえばお昼も食べてないな) いい加減疲れてきた頃、看板を見つけた。 (あった……!) 意気揚々とドアを開ける。 「いらっしゃいませ!」 はつらつとした声で迎えられる。漠駒がウェイターとして出迎えてくれた。爽やかな笑顔だ。 (漠駒さん、働いてるときはこんな感じなんだ。全然雰囲気が違うな) この前と違ってほぼ満席で、繁盛しているようだ。漠駒が窓際の席へ案内し、水を出してくれる。メニューを見て悩んだあげく、 アイスティーと焼きカレーを頼んだ。注文してからメニューを再び熟読すると、この前のサンドイッチが入っている。 (来月から出すって本当だったんだ) 周りを見ると、サンドイッチを頼んでいる人が半分くらいいる。 (人気みたい。よかったな) 「お待たせいたしました」 漠駒がアイスティーと焼きカレー、小さなプレートに載ったクッキーを運んできてくれる。 「こちらは店長からです」 「え?」 来無はぎょっとして漠駒の目を見る。漠駒は小声で言う 「また来てくださってありがとうございます。学校生活楽しんでいますか? と」 それだけ言って漠駒は下がっていった。来無はアイスティーにシロップとミルクを入れるとストローでぐるぐる混ぜながら考える。 (覚えててくれたんだ……!) なんだか胸がいっぱいだが、カレーを食べてみる。 (ん、おいしい……でも少しマイルドすぎるかな。チーズで味が柔らかくなってるから、もう少しカレーをぴりっとさせた方が 引き立つかも) 「いかがですか」 「おいしいけど、もう少しカレーにスパイスを効かせた方がいいかも……え?」 いつの間にか戻ってきて側に立っていた漠駒に来無はびっくりする。 「やはり……」 漠駒は難しい顔をしてそう言うと、また厨房へ消えていく。 (何なんだろう) 気になったが、忙しそうなのですぐにそのことは忘れておいしく完食した。    会計を終え、外に出て右に曲がったところで来無は立ち止まった。 (えっと、ここからどうやって帰るんだっけ) 「おーい!」 声のした方を見ると、嶋がエプロンをしたまま走ってきている。 「嶋さん!?」 追いついた嶋は来無に向かって両手を合わせる。 「頼む! うちのキャラバンに入ってくれないか!?」 「ええっ!?」 「丹沢さんが必要なんだ!」 「どういうことですか?」 「君はうちの座敷童だ!」 「はぁ?」 「君がいるときっと商売が繁盛する!」 「どうしてそうなるんですか?」 「これを見てくれ!」 嶋はポケットからスマホを取り出して画面を見せてくる。 「今食べたい絶品サンドイッチベスト10に選ばれたんだ!」 「このサンドイッチってもしかして……!」 「そう、君の試食したサンドイッチの改良版、シトラスサンドイッチだよ! 自分でもおいしくできたと思ったんだけど、まさか こんなことになるなんて思わなかった。うちの店は別に赤字ではないし経営状態も悪くないけど、後にも先にもこんなにお客さんが 来たのは初めてなんだ。絶対に丹沢さんのおかげだと僕は確信している」 「私は試食して意見を言っただけですよ」 「その意見がなかったらシトラスサンドイッチはできてない。君の舌は本物だ」 「おいしいものが好きなだけです」 「それが貴重なんだ。本当に頼む! キャラバン入りしてくれ! うちの座敷童に!」 「座敷童って言われても嬉しくないんですけど」 「じゃあうちの救世主に!」 「……考えさせてもらってもいいですか。高校でバイトOKかどうかわからないので」 「わかった。いくらでも待つよ。ただ、店にはいつでも来てね」 嶋がカードを手渡してくる。 「なんですか? これ」 「うちのキャラバンたちに渡してるミールカードだ。試食メニューを賄いとしてタダで食べられる。だからいつでも来て、意見を言って くれると嬉しいんだ。うちのカフェは11時オープンで16時から18時に休憩、18時から22時までがディナータイムだから、16時から18時の 間に来てくれると特に話しやすい」 「はい。……あと、もし働くことになったら、なんですけど」 「うん」 「さっき後にも先にもって言いましたよね」 「お客さんの数のこと?」 「先は知らないですけど、後々は増やしましょう。お客さん。きっと増えると思います」 来無は言って、まっすぐ歩き始める。 「おーい」 「何ですか」 「そっちは逆だよ。学校に帰るんなら、あっち」 来無は慌てて、逆方向に歩き始める。その姿を嶋は見送ると、楽しそうに笑う。 「また道に迷いそうだね」  学校が始まって一週間、大分生活に慣れてきた。授業も本格的に始まり、寮生活も軌道に乗ってきた。荷物は全て開封し、棚など 所定の位置にきちんとおさめた。洗濯はもともと父が病気で倒れてからずっと1人でやってきたので全く問題なかった。 (残る心配事はこれか……) 来無は嶋に渡されたミールカードを見ながらベッドに寝転がる。 (あれからカフェには行ってないけど、どうしてるかな。そういえば、アルバイトOKかどうか聞くの忘れてた。毎日忙しかったから) 来無は生徒手帳をめくる。 (アルバイトに関しての記載は特にないな……特に書いてないってことはOKってことかな。誰かに確かめた方がいいかも。 アルバイトについて知ってそうな人って誰だろう。友達の多い嵐野くんかな……よし、明日聞こう)  少し早めに登校し、学校の裏手に回る。最初に嵐野にあったあの木の近くまで来ると、別の木から葉っぱが落ちてくるのが見えた。 「嵐野くーん!」 作業に没頭しているようでなかなか気付かない。もう少し近づいて大きく手を振ってみる。 「嵐野くん! おはよー!」 葉っぱが止まった。 「おはよう! どしたー? 丹沢」 「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」 嵐野は木から降りてくる。 「なんだよ、こんなとこまで来て」 「嵐野くん、ここにいるんじゃないかなと思って。クラスだと聞きにくいしさ。嵐野くん、いつも友達と喋ってるし」 「で、聞きたい事って?」 「うちの高校ってアルバイトOKなのかな」 「なに、丹沢バイトしたいの? だめだったはずだぜ。隠れてやってる奴はいるけどな。お金に困ってるのか?」 「ちょっと誘われちゃって」 「金に困ってないんならリスクを取る必要はないんじゃないか? ばれたら停学らしいし」 「そっか……」 「そんな断りにくい感じなのか?」 「うーん……今度話してみようかな。ありがとう」  放課後。 (オアシス・バトーに行こう) 来無は今度こそ迷い無くオアシス・バトーにたどり着いた。16時ちょうどになるがまだ店内にお客さんがいる。少ししてお客さんが 出ていったタイミングで、漠駒が「OPEN」の札を「準備中」へと掛け替えに出て来た。 「こんにちは」 漠駒はちらっとこちらを見て小さく頷くと、ドアを開けて来無を通した。 「おお! いらっしゃい」 嶋が嬉しそうに出迎える。 「あの、残念なんですけど、アルバイトできないみたいです。学校と寮の決まりで」 「そっか……」 少し落胆の色を見せるがすぐに気を取り直したように言う。 「キャラバンにはなれなくても、いつでも来てよ。お友達も連れてきてくれたらその子にもごちそうするし……寮の食事だけじゃ 飽きるでしょ?」 「そこまでしてもらうわけにいかないです。普通にお客さんとして来ます」 「君は僕が見込んだ人だ。きっと君の考えた商品は売れるよ。間違いない」 「どうしてそんなこと、自信満々に言えるんですか?」 「僕は旅をして、多種多彩な人たちと出会ってきた。人を見る目は持っているつもりだよ。それに君には……丹沢さんにとっては ここがきっとかけがえのない場所になる。そんな気がするんだ。ね、漠駒くん?」 「……」 「漠駒くんにも最初そう言ったはずだよ。わかるんだ。ここに集まってくる人は。僕は渇いている人を潤し、癒したい。そのための 場所になってほしい……ここ、オアシス・バトーには」 「……そ……私はここに居たい……ここが大切だ」 漠駒がもごもごと言う。 「漠駒くんはいつもこう言ってくれる。丹沢さんがどうかはわからないけど、君がこのカフェの前で行き倒れたのも何かの縁だよ。 きっとここに来ることは君にとっても、この店にとっても実りをもたらすはずだ。どうかな?」 「……そこまでおっしゃるなら、たまに来ます」 「うん、それでいい。……試作品、また食べる?」 「頂きます」 嶋は皿に盛った料理を運んでくる。 「わぁ、おいしそう……パイを崩したらスープが出てくるやつですね」 「そう。食べてみてよ」 来無はパイをスプーンで崩し、ふーふーして冷まして一口食べる。 「んー、おいしい……冬に出すんですね、あったまる」 「そう、冬の新メニューにしようかなと」 どんどん食べ進める。器の底が見えるまで完食する。 「ふー、おなかいっぱい、ごちそうさまでした」 「どうだった?」 「そうですね……味は凄くいいと思います。ただ、量が多すぎるかもしれないですね。サイドメニューとして出すなら、器をもう少し 小さくするか、スープを軽い食感のものにしたほうがいいと思います」 「参考にするよ」
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