永遠が流れ尽きる果ての更に先まで

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 父の仕事の関係で南の離島に引っ越してきてから半年以上が過ぎていた。   私は芝生の上に寝転んでいた。  視界にはどこまでも広がる夜空。  距離感が分からなくなり、身体が浮いて吸い込まれるような感じになる。  濃い緑の匂いが身体にまとわりつくようだった。  昼の陽光に十分に照らされた緑の匂い。  まるで、私の身体に包み込むようだった。  秋の夜。虫たちの宴の声が染みこんだ風がゆっくりと流れる。  ほのかに潮の匂いが混ざっていた。   海の近くの公園。  だけど、私は地球と宇宙の狭間にいるんだ――なんて、少し思った。   「きれい」  以前住んでいた、ところでは決して見ることの出来ない満天の星たち。  見ているだけで心が吸い込まれて行きそうになる。  薄く青色を帯びているかのような夜光が染み込んでくるようにも感じる。 「さてと――」  私は起き上がり身体についた草を払う。天体望遠鏡を設置を始めた。  四月、中学生になったとき、父が入学祝にと買った望遠鏡だ。  母は、私が小さいときに死んでいた。  私はニュートン式の反射望遠鏡を操作する。  スマホに繋げデータを得て、星の位置を自動的に追尾する機能もある。   「見えるかな……」  私は夜空を見上げる。  数多(あまた)の星が光を放っている。  手を伸ばせば届くのではないかと思うような星のきらめきが零れ落ちていた。  夜光に中にかすかに雲が浮き上がるが、概ね青天といってよかった。  美星は接眼レンズを覗き込む。  望遠鏡は山羊座の方向に向いている。  薄らぼやけた水色の円がふやけたり、小さくなったりする。  微調整することで、徐々に焦点が合ってくる。   「天王星だ……」  私は見ている星の名を口の中でつぶやく。  三〇億キロ彼方のメタンの大気が水色の波長を私の網膜へ送り込んでいる。  天王星は望遠鏡だと、漆黒の空に浮かぶ水色の円のように見える。  他の恒星を見ているのと大差はないけども、太陽系の星を見ているという事実に胸は高鳴った。  私は星が好きだった。宇宙が好きだった。  それは、天文学者である父の影響があったのかもしれない。 「もうちょっと……」    私は望遠鏡の視界を微調整する。  そのとき―― 風で木の枝が揺れるような音がした。  一瞬、望遠鏡を覗き込む視界が真っ暗になる。 「え?」  声を上げていた。  望遠鏡から眼を離す。周囲を見る。  視界に広がる地上の風景が夜光で青白く染まり、まるで時間の流れから取り残されたような感じがした。  違和感を感じた。  その理由が分からず困惑と不安が入り混じる。ぎゅっと手を握った。  ――静かなんだ。  私は気づく。  先ほどまで鳴いていた秋の虫の声が聞こえない。  青白い夜光と静寂が空間を支配していた。 「なんなのじゃ、これは?」  唐突な声。  背後から。  私は心臓が止まるか思った。  危うく叫んでしまいそうになる。  それを必死で我慢してゆっくりと振り返った。声の方に――  そこに少女がいた。  赤い眼。  夜光がそのまま張り付いたような青みがかった様な白い肌。  夜の闇のような黒い服。  髪は銀色に近い色。少し青味がかっている。  ――アメリカ人?  まっ先に私は思った。 「なにをしておるのじゃ?」  少女が続けて質問を投げかけた。  燐光を放つかのような滑らかで真っ白い肌が夜光の中に浮き上がる。 「あ…… あの?」 「それはなんじゃ? なにをしておるのじゃ、訊いておるのじゃがな」  変な、おばあさんみたいな話し方で、方言かなと思った。  アメリカ人と方言の組み合わせに変だなと思う。  声は凄くきれいだった。  透明で硬質な、やや尊大さを感じさせる声音だった。  背丈は小学生くらいに見えるのだが、雰囲気は中学生の私より年上のような感じがした。  顔をよく見る。  やや釣り目気味目が大きくまつ毛が長い。羨ましいほどに。  すごくきれいな顔だった。 「どうした? われの顔になにかついているか?」 「え、いえ」  私は息を飲んだ。   まるで現実から切り離されたかのような彼女の雰囲気に呑まれていたのかもしれない。 「星を…… 天王星を見ていました」  思わず丁寧語で答える私だった。 「ふむ、天王星?」 「はい」 「『てんのうせい』…… それは星か?」 「そうですけど……」 「それで見ていたのか?」  彼女はすっと視線を望遠鏡に向けた。  強い赤みを帯びた瞳がきゅるっと動いた。 「そうです」 「ほう、面白そうじゃな」  彼女は望遠鏡を物珍しそうに見つめた。 「反射望遠鏡」を知らないのかな、と私は思った。  望遠鏡は反射式のものだ。珍しいとはいえないけども、一般にイメージする「天体望遠鏡」とは少し違うかもしれない。  小学生くらいの少女であれば、知らないこともあるのかもしれないか。 「それで見ると星が大きく見えるのか?」 「そうです」 「なるほどのぉ。見せてくれまいか?」 「はい」  見慣れぬ異国の少女だし、妙な雰囲気があった。  私はまだ少し緊張していた。  少女は望遠鏡を覗き込む。  望遠鏡はアプリとGPS情報によって天王星を自動追尾している。  だから、天王星が見えるはずだ。 「水色の玉だな…… これは星か?」 「それが天王星よ」 「ほう、これが『てんのうせい』か…… 飴玉のようじゃな。ははは」  少女は望遠鏡を覗き込みながら笑った。  心底楽しそうに笑った。  美星は、天王星が太陽系の七番目の惑星であること。  ガス惑星であること、青く見えるのはメタンのためであることを少女に言った。  当然、分かりやすくだ。  星のことを父以外の人と話すのはこの島に来て初めてのことだった。 「ほぉ~、そうか。天王星は遠いのか?」 「地球から一億五〇〇〇万キロメートル」 「ぬ……、この国から葡萄牙(ポルトガル)よりも遠いか?」 「ポルトガル?」  アメリカ人じゃなかった。  意外な国名に言葉に詰まる。私には全く縁のない国だ。  イメージが浮かばない。鉄砲伝来?  歴史の時間で習った気がする。 「外人=アメリカ人」という自分の思い込みを少しバカだなと思った。  でも――  天王星と故郷の国の距離を「どっちが遠い」と聞いてくる人がいるとは思わなかった。  やっぱり小学生で、見た目よりずっと年下なのかもしれない。  私はそう思うと、身体に感じていた窮屈な感じがすっと無くなった。   「ずっと遠いよ。比べ物にならないくらい」 「比べ物にならぬのか! なるほど、星というものは遠くにあるものじゃなぁ~」  銀髪の少女は望遠鏡から目を離し、美星の顔を正面から見つめた。  長い(まつげ)が揺れる。 「われは、フェリシダーデじゃ。おぬしは?」 「美夜(みや)。星崎美夜」  それが私とフェリシダーデとの出会いだった。         ◇◇◇◇◇◇ 「星にその星の人が住んでおるのか?」 「ん~ 住める星もあるかもしれないって話かな」 「火星か?」 「火星にはいないみたいだよ」 「む、そうなのか……」  私はフェリシダーデと出会ってから、毎晩のように星を見て彼女と話ていた。 「宇宙には100億×一兆個の惑星があるんだって、ケプラー望遠鏡の観測データで分かってきたことなの」 「それは…… 多いのじゃな」 「だから、絶対にどこかにいるよ」 「なるほどのう。美夜の話は面白い」  フェリシダーデは赤い瞳で夜空を見上げる。 「わしのような者もどこかの星にいるのかのぉ~」  ふと、彼女が言った。  どこか、遠くさびしげな響を私は感じた。  なんででそう感じたのかは分からない。 (フェリシダーデは実は宇宙人で…… まさかね)  同性の私から見ても、見とれてしまうほどにフェリシダーデはきれいだ。  外人で日本人とは違うというより、なんか人間離れしている感じもしていた。  だからといって、『宇宙人説』は彼女にとってあんまりだ。     私とフェリシダーデは夜空を見ながら、星や宇宙の話をした。  季節は変わる。  やがて、吐く息が白くなり、そして花の匂いが風に混ざる。  夜気が湿り熱を孕むようになり、そして再び虫の声が聞こえる夜がやってきた。  そんな時間がずっと続くんじゃないかと、漠然と私は思っていた――         ◇◇◇◇◇◇ 「誕生日は東京で祝うことになる。美夜」  父は言った。  私の15歳の誕生日は一ヵ月後だった。 「そんな、いつなの」 「ああ、来週にはだ」 「そんな急にっ!」 「すまん」 「なにがあったの?」 「いろいろあるんだ。すまん。オマエの進学のこともあるし」 「関係ないよ。この島の高校でいい」 「いや、本当にすまんと思っている」  どこか取り繕ったような、なにかを隠しているような声音。  なにを取り繕っているのかは分からないけども。  私はこの島を離れる。  一週間後にはだ。それでも、フェリシダーデには中々言い出せなかった。  私がそれを伝えられたのは三日後のことだった。 「そうか…… 詮無きことじゃ」 「ごめんなさい。せっかく友達になれたのに」 「謝ることはない。美夜は何も悪くないのじゃからな」  相変わらず、フェリシダーデは小さな女の子のようだった。  まるで私と出会ってから時間が止まったように。  毎日会っている私には彼女の変化が分からなくなっているだけかもしれないけども。  それから島を離れる前の夜まで、私とフェリシダーデは一緒に星を見た。いろんな話をした。         ◇◇◇◇◇◇  東京に戻って私は高校生になった。  四年が経ち、私は大学生で学ぶようになっていた。  大学二年生の夏――  私は、世界が終わってしまうことを知った。 「お父さん、本当なの」 「嘘であればいいがな。残念だが今日は四月一日じゃない」  父はやけくそ気味の諧謔(かいぎゃく)を含んだ声で言うと、カレンダーをちらりと見た。 「あと五年だ。間違いなく『アグニ』は地球周回軌道上に到達する。そのときの距離は最大でも45万キロだ。影響は免れない」 『アグニ』というヒンズー教の炎の神の名をもった星。  それは中性子星に近いほどの強烈な磁場をもった異常な星だった。  光速の10分の1という恐ろしい速度で接近している。 「軌道を反らすとかできないの」 「もうリードタイムは使い果たしたよ。出来るのは、被害を最小限にできるかどうか。人類という種が全滅を避けるためするべきことをするしかない」  強烈な磁場をもった星が急速に地球に接近していることを父から知らされた。  地球に接近する天体の軌道をそらすまでのリードタイムは、その星の質量と速度が大きく関わる。  光速の10分の1の速度で進み、恐ろしいほどの質量を持つ星は、人類のどのような技術をつかっても軌道変更はできなかった。  物理学を学んでいるとはいっても、大学生の自分が思いつくようなことは、すでに試されていた。 「最悪衝突はないと予測されているが。接近するだけで、生物生態系に破滅的な影響が出るだろう」  父はとつとつと語った。  磁場による電波通信障害、電子機器の使用不能だけでも、人類の築き上げた文明には致命傷だ。   「アグニの磁場は地球のバンアレン帯を吹き飛ばすだろう」 「そんな……」  地球を覆う磁場のバリアである『バン・アレン帯』が無くなる……  容赦ない太陽からの放射線が大地に降り注ぐことになる。  地表の生命体はひとたまりもない。人類だけじゃない。 「それだけで済みそうもないんだ」  破滅要因はそれだけではなかった。  アグニの磁場は接近しただけで流体化した鉄を主成分とするマントルに影響を与える。  最悪では自転の停止すら考えられるている。  最小の被害でもマントルプルームを発生させ、巨大な火山噴火が起きると父は断言した。   「プロジェクトは進んでいるが、全ての人類を救うことはできない」  父は罪を告白するかのように言った。  すでに先進国では海中のシェルターの建設が進んでいる。  強烈な磁場と地殻変動による破滅的天災を回避するためのものだ。  しかし、それで人類が救われるかどうかなど分かったものではないと父は言った。 「閉鎖された環境で長期間だ。人類がどうなってしまうのか。社会心理学、精神医学のデータだってない」  それは、要するに潜水艦の中に世代を超えて篭っているようなものだ。  そんな環境に人類が耐えられるのかどうかなど、父でなくとも分かるわけがない。 「それでも、おまえには、権利がある――」  ぽつりと父は言った。  それでも可能性は少なくとも、海中シェルターに住む権利を私と父は持っていたのだ。  父は天文学者として、早くからこのプロジェクトに関わっていたからだった。 「おまえの人生だ。おまえが自由に選ぶ権利がある」  父は言った。 「お父さんは?」 「俺か? 俺は、俺のなすべきことをする。それだけだ」 「じゃあ、私も―― 私ができることをしたい。それから決めたい」 「ああ、分かった」         ◇◇◇◇◇◇  父は海中のシェルターに入ることを選ばなかった。  私と父はかつて住んでいた南の離島に戻っていた。  そこで、私たちの仕事をするために。 「俺たちはロケットを飛ばす」 「ロケット?」    父の言葉を聞いたとき、私の頭に真っ先に思い浮かんだのは人類の移住だった。  でも、それは今の人類の技術で夢の夢だ。  父は私の顔色から考えていることを察したのだろうか。  説明を始めた。 「そうだ。移住じゃない。発見されている地球型外惑星まで人を運ぶ技術はどこの国にもない。今から開発も出来ない」 「はい」 「地球型といっても、それは外からの観測で水が存在する。空気が存在する程度の話だ。人類がそのまま住めると確証できる惑星はまだない」 「知っています」 「そうだったな。美夜も、専門家だったな」  父は自分の参画しているプロジェクトの説明を始めた。  それは、人類のDNA情報と、文化、技術などの情報をロケットに載せ打ち上げるというものだった。  核パルスエンジンで加速して最大で光速の20分の1の速度に達する。  それですら、べらぼうな技術で膨大な予算のかかるものだ。 「そんな予算――」 「有志による募金でな…… 国の税金は当てにならないしな」  世界は混乱していた。 『アグニ』が最接近するまでの時間は2年を切っていた。  すでに一年前に『アグニ』の情報は公開されている。  先進国の海中シェルターの建設がひと段落したタイミングで公開されたのだった。    凄まじいパニックが世界を襲った。  悲惨なニュースはかろうじて生きていたネット網で知ることができた。  そして、ネットに流れるデマと真実は悲劇を更に大きくしていた。    海中シェルターの存在を蔽隠することなどできなかった。  各国政府は、すでに決まっている人選をまだ決定していないと発表した。  その欺瞞は残された時間。プロジェクトに関わった人間、選ばれた人間が重圧に押しつぶされることで漏れた。  凄まじい暴動の発生は世界中の都市を破壊と混乱の中に叩き込んだ。  治安は最悪となり、経済活動にも大ダメージを与えた。  山地であれば、安全であるというデマも流れ移住する人も続出していた。  やがて都市部は閑散とし、ゴーストタウンのようになったらしい。  それでも、あるかないのか分からぬ希望にすがりつくように暮らす人間もいた。  暴動を起こそうが静かにしてようが、その結果には変わりはなかったのだけども。    そして、私たちにとって最悪のデマがネットに流れた。         ◇◇◇◇◇◇ 「どいうことだ! バカが!」  父はタブレットを見て叩きつけるような言葉を吐いた。 「説明しているのに……」  私は困惑するしかなかった。  天文学者として私も父と同じプロジェクトに参画していた。   「俺たちのロケットが移民ロケットだって。そんなこと、世界中のどの国だってできやしない!」  私や父の加わっているプロジェクトの資金は寄付によって成立していた。  それが悪かったのかもしれない。  つまり、寄付をした企業関係者、資産家個人などが移民のための宇宙船を建設していると誤解されたのだ。  デマは燎原の火のごとく電子の波の中を広がっていった。  そしてそれは、多くの人間を動かすことになる。  決して誰も得しない方向に―― 「核融合パルス推進だぞ! 人間なんか乗せたらひとたまりもない」  父の言葉は正しい。  核爆発による加速に人は耐えられない。  おまけに、生物に対する放射線対策はなにもしていない。  宇宙の航行すれは考えらないほどの重粒子線を浴びる。  しかも、長期間に渡ってだ。被曝を対策は重要だ。  とにかく、質量からして極めて小さいDNAに対し放射線被曝対策するだけでも大変なことなのだ。  有名なSF小説の「冷たい方程式」のような安全係数、余裕を考えないギリギリということはないにせよ、余裕はない。  人類に対する完全な被曝対策などできるものではない。  しかし、専門家の「正しい」「合理的」な説明は、どんなものであったとしても一度「疑惑の目」を持った者を転向させることはできなかった。  よしんば、乗せられるとして、最も近い地球型惑星であってもこのロケットでは1000年以上かかるのだ。  冷凍睡眠技術だって確立していないし、世代型ロケットを打ち上げるような技術はない。 「移民ロケットなんて不可能なのに――」 「まったく、分かるだろう。俺たちがやっていることは、そんなことじゃない」  そして、デマの混乱と暴力は、南の離島にまで迫ってきた。         ◇◇◇◇◇◇ 「遮蔽材(しゃへいざい)の納入は遅延…… このままじゃ間に合わん!」  ロケットの重要部分を被曝から守るための遮蔽材にはイリジウムを特殊格好したシートが使われる。  鉛は鉄の2.5倍、コンクリートの9倍の遮蔽性能を持っている。  私たちが使用する予定の遮蔽シートは鉛の4倍の遮蔽力をもっている。  そして、重量は軽く出来ている。  人類の平等を訴えるデモ隊と称する、ロケット打ち上げの暴徒たちは、島の周囲を固め、物資の納入を妨害する行動に出ていた。  そのため、私たちは選択を迫られていたのだった。 「人類が生きた、その証、情報だけでも打ち上げるべきだわ」 「それだけじゃ意味がない」 「DNA配列もナノデータ化して運べます」 「可能と言えば可能だが、それが何を意味するか? 正確に理解できる文明を持つ存在が――」 「それを言ってしまえば、DNAそのものを乗せても同じでは?」  私は父に言った。  プロジェクト内で大きな発言力を持つ父はDNAをロケットに乗せることに拘っていた。  しかし、もう時間がない。 『アグニ』は迫ってきている。炎の神は待ってはくれないのだ。  地球は「アグニの炎」で焼き尽くされる。         ◇◇◇◇◇◇  私は島の海岸を歩き、いつの間にか、星を見ていた公園に来ていた。  物資の不足する中、ロケット発射の準備は非常にきつい労働を私たちに課していた。  私は久しぶりに休みをもらっていた。  ふと、思い出のある公園にまだ行っていないことに気づいた。  そして私は公園にやってきたのだ。  すでに陽は落ち、あたりは暗くなっている。  見上げれば、星たちが煌めいている。  経済活動が停滞しているせいか、昔よりいっそうきれいな星空に見える。  手を伸ばせば、星々が採り放題の宝石のように掴めそうだった。  この島の住人の多くは島に残っている。  彼らは島と共に生きて死ぬ覚悟があるのかもしれないし、それは所詮は部外者である自分の思い込みなのかもしれない。  海上はともかく、島の上では治安は悪くなっていない。  風が吹く。  黒い色をした風に見えた。  夜よりも暗い風――  旋風のようになって、私は髪を巻き上げられ押さえた。 「もしかして、美夜か?」  懐かしい声だった。 「え…… あ……」 「なんじゃ、忘れたのか? フェリシダーデじゃ」 「わ、忘れてない、忘れてないけど…… 本当に。でも、そんな」  それは見た目、全く持ってフェリシダーデ以外の何者でもなかった。  夜光の中、光を帯びたような真っ白い肌。  銀色の長い髪の毛。  長い睫が深紅の瞳に影を作っている。  間違いない。  フェリシダーデだった。  それは、私が中学生時代に出会ったフェリシダーデだった。  寸分違わぬ、その姿。時が止まったかのように彼女の姿は変わっていなかった。 「あり得ない……」 「ああ、この姿か。わしは年をとらぬからなぁ~」  彼女は細い腕を上げて細い肢体を私に見せ付けるようにした。 「え?」 「吸血鬼じゃからのぉ」 「吸血鬼?」  世界がこんな状況じゃなければ「冗談でしょ」と答えていたかもしれない。  年をとらないように見える病気だってあるのだから。  私はなにか合理的な説明を頭の中ですぐに組み立てだろう。  でも、今はそれができなかった。 「不死者じゃなぁ。この国に来たのは…… 五、六百年前になるかのぉ……」  私は黙って彼女を見つめていた。 「信じるかのぉ?」  彼女はそう言った。深紅の瞳に少し悲しい影がよぎったような気がする。  「まあ、信じるも信じないも、この地より人はいなくなってしまうようじゃしな。どうにも困ったものよ――」  指で頭をかきながらフェリシダーデは言った。  自分の感情を隠すようなしぐさだった。  彼女は、世界の終末――  人類文明の終わりを知っていた。 「信じる。私は信じる」 「信じるのか!?」 「吸血鬼ってことは血を吸うの?」 「吸うことは吸うが、この国に来ては吸うおらんのじゃ」  吸血にとって、吸血とは食事というより、眷属を増やすための行為だった。  そして、フェリシダーデは眷属を増やす気がなかった。 「永い時を共に過ごすに足る者は、おらんではなかったのじゃがな。わしは強要はしない主義なのじゃ」 「そうなの」 「永遠の命を得るというても、人とのつながりを断ち切るわけじゃ。この島にはそのような者はおらなんだ」 「島?」  「この島から五〇〇年以上出ていないのでなぁ」  私は吸血に関する伝説のひとつを思い出した。 「もしかして、海、川が渡れないとか?」 「ん、違うな。単に面倒だったのじゃ」  まったくもって土着化した吸血鬼だった。    「お願いがあるの。フェリシダーデ」 「なんじゃ」 「私を、吸血鬼にしてくれる?」  私は気がつくとその言葉を自然に口にしていた。         ◇◇◇◇◇◇ 「なんか、こう恥ずかしい物があるわ」     私は首元をフェリシダーデに晒していた。  向き合っている彼女は「ほぉ~」と声を上げる。  なにを感心しているのか分からない。 「なかなかに、美味そうな首筋じゃ」 「食事じゃないんでしょ」 「まあ、眷属を増やすのだから、人間で言えば性行為に近いかのぉ」 「もう!」    私は余計に恥ずかしくなる。  フェリシダーデはからかうような笑みを浮かべた。 「美夜だけでよいのだな」 「父は、残ってロケット打ち上げを見たいって……」 「そうか、まあ人生別れはつきものゆえなぁ」  吸血鬼が人生を語るのはどうかと私は思った。  これから、私も人外になるのだけど。 「では吸うぞ」 「どうぞ!」  私はぎゅっと目をつぶった。  鋭い者が首に突き立った感じがした。  次の瞬間、痺れるような快感が全身に広がっていく。  身体の中がドロドロに溶けてフェリシダーデに吸い込まれているかのような感覚。  心地よい酩酊感ですっと魂が抜けていくような感じ。 (ああ、私は人間じゃなくなるんだ――)  頭の隅でそんなことを思った。  そもそも、人間ってなんだろう。人間じゃなくなるというけど、私は私のままだし……  ぼんやりと、薄れ行く意識の中で、そんなことも考える。  ただ、私の思考も意識も揺らぐように掻き消えていった。         ◇◇◇◇◇◇  超伝導磁石を使った、レールがン方式のカタパルトは人間の肉体では耐えられない加速を産み出す。  私は凄い重みを感じたけど、動けなくはなかった。  もう人間ではないということを実感させられる。 『ほう、星が瞬かないのじゃな。書で読んだ通りよ』  フェリシダーデは念話で私に話しかけた。  真空空間では大気の揺らぎがないので星は全く瞬かない。 『聞こえておるのじゃろう』 『一応』  おそらく私は苦笑していただろう。  自分が更に人間ではなくなったんだなーという思いを強くする。ダメ押しのように。  そもそも、このロケットは人間が乗るようにはできていない。  だから、機密性も維持されていないので、空気は無くなる。    吸血鬼の怪力で無理やりこじ開けた整備用ハッチから身を乗り出し、真空の星海を私たちは見ていた。  絶対零度に近い空間でも、私たちには問題なかった。死なないのだから。  真空も温度も放射線も関係ない。   『長い旅になるのじゃろう』 『そうね』    定期的な核爆発力で加速するロケット。  最終的には光速の二〇分の一に達する。  それでも、宇宙はあまりに広すぎる。  でも、広いからこそどこかに、私たちの存在を伝えることのできる生命体がいるかもしれない。  『一〇〇〇億×一兆の星々があるのだろう』 『よく覚えているのね』  私とフェリシダーデ。  吸血鬼とその眷属は、果てしなき星海を旅することになった。  永遠が流れ尽きる果ての更に先まで、長い旅になるだろう。 -完-
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