金曜日まで待てない

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「えー、財布落としたくらい命落としたに比べれば屁でもないでしょ」 「死人ジョークは今いらんわ!」 「生きてれば給料日がくるじゃん?」 「それまでどうやって生きればいーんだよ! カード悪用されたりしたら……」 「使えるカードだったっけ?」 「あっ……」 どこまでも不甲斐ない自分に愛想が尽きた瞬間だった。しかし。 「あいた! イテテテ」 少年が屋上の縁にうずくまり、左胸をかきむしるように掴んだとき、尚樹の胸のうちに突如として清らかな水のような感情が溢れてきた。 「どうした少年!」 「胸が……背中が焼けそう……」 「おいそれって!」 不揃いの翼が、いつか大きく羽ばたくための準備を始めたのかもしれない。 「少年それは成長痛だ! おめでとう!」 「えー、なにそれ」 「何でもいいから。俺が見届けてやるから。立派な天使になって、お前が天に昇るのをさ」 尚樹はなんでかこの時、貯金を始めることを胸に誓った。それからフェンスを掴んでいた手を片方外して、熱いものが込み上げてくる目頭を少年に気づかれないよう不自然に拭った。 「もし天使になれたとしても空に行くとは限らないよ」 「なんでだよバカモン」 「だってさー、またあんたみたいな人がここにやって来るかもしれないしさぁ」 「お人好しかバカモン」 「今までだって実際何人か来たしさぁ」 きっと少年は彼らの自殺をなんとなく阻止してきたのだろう。天上人の嫌がらせメールにもやさぐれることなく、健気にそれを受け入れる純真さを買われたのだ。だから羽が片っぽ生えてるいるに違いない。しかしそのことを、少年は全然理解していない。 「あーもう! どいつもこいつもバカモンだ!」 尚樹は両の目から溢れそうになるものを誤魔化そうと思わず両手を離してしまった。 「やべ……うあぁぁ!」 そしてもちろんコンクリートの上に尻をしたたか強打した。 「だ、だいじょうぶ?」 ハート形に歪んだ金網に顔をくっつけ、少年はM字開脚でへたりこんだ尚樹の身を案じた。 「少年……うっ、ぐぅぅ、あっ、ありがとう」 「何が? ねぇお尻大丈夫?」 「割れた……てか折れた?」 「えーっっ!」 「いいんだ……君の、お陰だ。たぶん保険下りるわ。アイタタタ」 よくわからないと言った顔で金網からこちらを見ている少年の背中が、服のなかでまた少しだけ膨らんだ。それを見た尚樹は、激痛をゆうに越えてくるほどの喜びがあることを知った。 「なぁ、手ぇ貸して」 「無理だよ、フェンスの向こうには行けないの」 「うそじゃん」 これがダメ男と天使のたまごの出会いであった。二人はまだ互いの名前さえ知らない。 「金曜日まで待てない」 完
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