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 GOD本社での打ち合わせの最中、シンドウマリコの携帯電話が鳴った。ディスプレイには「美華」とある。妹からだった。美華から直接連絡がある時は。たいてい困ったことが起きた時である。美華とは歳が十歳離れている。両親のいない姉妹にとって、姉の呉広華は母親代わりであった。子供の頃から随分と甘やかせて育ててしまったが、それには他人には言えない理由がある。親は異なるが、兄弟のようにして育ったエビサワユウジと三人しか知らない秘密。そのことを思うと、妹の我がままにもつい目を瞑ってしまう。それがいけなかったのかもしれない。 「ちょっと失礼、会議を続けてちょうだい」  シンドウマリコが席を立った。 「社長、では来月の企画はご了解いただいたということで」  シンドウマリコが携帯電話を耳にあてながら頷く。会議室の扉が閉じた。 「美華、仕事中はかけてこないでって言ったでしょう」 「姉さん、私・・・」  声が微かに震えている。 「どうしたのよ、また店の調子が悪いから融資してくれ、なんて言うんじゃないでしょうね?」  数秒の沈黙の後、 「姉さん、私・・・人を殺しちゃった」  シンドウマリコが眉をひそめた。 「あなた今、何て言ったの?」  吐く息を止めているのがわかる。 「だから・・・人を殺したって、言ったの」 「美華・・・」  頭の中が白く焼け、その後の言葉を失ってしまった。 「姉さん、私、どうすればいい?」 「どうすればって・・・あなた、一体誰を殺したのよ」 「ヤマザキっていう芸能プロダクションの男。ユウジの女のことでトラブってて」  シンドウマリコはヤマザキという名を聞いてすぐにわかった。ライバル会社であるフロントビジョンに女優を供給していた芸能プロダクションの社長だ。薬物使用や強引な契約の噂の絶えない男だった。 「なんで、あなたが手を汚してしまったのよ!」  怒りのこもった強い口調だった。 「ごめんなさい、姉さん。私、気付いた時には・・・もう」  溜息をついた。 「美華、あなた、それを誰かに見られた?」 「一人、ヨシザワエリナっていうユウジが付き合っているAV女優よ。でも、その子なら大丈夫。だって私、その子を助けようとして、こんなことになったんですもの」 「あなたが、その子を?」 「ええ、その子、ユウジと付き合うようになって、ユウジの事務所に移籍することになったんだけど、ヤマザキって奴が契約違反だの何だのって、ユウジとトラブってたのよ。それで、その子が一人でヤマザキの事務所に話し合いに行ったんだけど、連絡がないからユウジに頼まれて、そいつの事務所を見に行ったの、店と近かったから。そしたら、その子、かわいそうに事務所でその男に乱暴されそうになってて、私、それを見た瞬間、頭に血が上っちゃって、気付いたらガラスの大きな灰皿両手に持って突っ立ってた。目の前に頭から血を流したあいつが倒れていて・・・」 「わかったわ、美華、もういい、よくわかった。あなたは悪くない。卑劣なのは女を食い物にしようとした、その男よ」  シンドウマリコが目を瞑った。あの時と同じ。すぐに妹の美華の傍に駆け寄って抱きしめてやりたかった。私がついていてやれなかったばっかりに・・・。思わず唇を噛んだ。 「美華、後のことは私に任せなさい。そのことを知っているのは、そのヨシザワエリナという女一人なのね?」 「でも、姉さん」 「あなたは、ただ、黙っていればいいのよ。ユウジには悪いけど、その子、放っておくわけにはいかないわ」 「姉さん・・・」  一方的に通話を切った。そして、思い出したくもない忌まわしい過去の出来事を思い出していた。  あれはまだ、美華が中学三年の頃だった。呉広華はすでに錦糸町の街でホステスとして働いていた。両親を早くに亡くしてしまった姉妹だったが、何とか在日の親戚の助けを借りて暮らしていた。水商売をしていた広華は家を空けることが多かった。まだ幼い美華のことは心配ではあったが、家計を支えねばならなかった。当時から在日に対するイジメはあった。それは広華も身を持って味わってきたことだった。イジメは日本人から受けるというよりも、同じ中国人から受けるものの方が酷かった。特に両親のいない姉妹が受けた陰湿なイジメは、目を覆うものがあった。それでも広華は社会人になって自分で金を稼ぐようになれば、そんな偏見や差別も、子供の頃のようには気にならなくなることを知っていた。美華がどうやらイジメを受けているようだと気付いた。あまり柄の良くない連中と付き合っていることは知っていた。ユウジもその頃から学校では手のつけられないようになっていて、学校へは行かず街の暴力団組織と関わっていた。そんな影響もあったのかもしれないが、美華の生活も次第に荒れてきているのがわかった。広華は仕事の忙しさにかまけて、若い二人を見て見ぬふりしていたのかもしれない。  ある日の早朝、広華が仕事を終え自宅マンションに戻ると、エントランスで若い数人の男女数人とすれ違った。乱れた服装と髪、どこか捨て鉢になったような甲高い笑い声を発している。男の手に白い下着のようなものが握られていた。広華は嫌な予感がして、すぐに部屋に向かった。嫌な予感が的中した。美華はすでに輪姦された後だった。妹の涙は枯れていた。広華が裸のままの美華を抱きしめた。自分が家を空けていたことを責めた。どうして私たち姉妹ばかりが酷い仕打ちに遭わねばならないのか?暴力を振るった餓鬼と共に、この生き難い社会に対して憎しみが込み上げてきた。すぐにユウジに知らせた。ユウジが組の連中を連れて、美華を犯した奴らを拉致した。そして、命乞いする中、荒川の河川敷に連れて行って、一人ずつ河に蹴落とした。荒川の護岸はコンクリートで固められ、急深になっている。引き潮に乗ればあっとという間に東京湾まで持って行かれる。東京湾に何人もの遺体が浮いても構わなかった。奴らは溺死する寸前のところで救助されたが、リーダー格の少年が一人死んだ。この件でユウジは少年刑務所に入った。そして、美華はユウジと組をバックにレディースと呼ばれる暴走族のヘッドとなった。しかし、広華は今でも、あの忌まわしい事件のことで自分を責めている。錦糸町の単なるホステスだった自分が、ユウジと美華という裏社会の力を借りて、今や百億円企業のトップとなった。AVが猛烈に普及し始めた頃にユウジの店の女を使い、AVを自ら撮り始めた。それが飛ぶように売れた。一本一万円で売っても製造が追いつかないくらい売れた時代だった。広華は会社を興し、その頃からシンドウマリコと名乗るようになった。AVを全国のセル店に流通させた。大当たりした。金は毎月、湧いてくるようだった。広華はそれを、美華とユウジに使った。二人に対する罪滅ぼしだった。二人はそれぞれ力をつけたが、広華の心は癒されなかった。AV業界も近年は苦境に立たされている。そろそろ潮時かと思うが、数百人いる社員のことを考えると身動きが取れなかった。最近は平凡なAVが売れないこともあり、企画が奇抜でエスカレートしたものが増えた。法律に触れるギリギリの刺激がなければ話題にもならなかった。女優との際どい契約も耳にする。自分の指揮下ではそんなことはさせないけれど、業界としてもそろそろ限界が来ているのだ。美華が偶然手に入れたSDカードによって、池袋方面の仕事がやりやすくなった。際どい仕事にも警察の捜査が及ばないように手をまわしてくれている。だが、元々、美華とユウジと三人、三位一体で伸し上がってきたのである。美華が殺人を犯した以上、いつかその綻びが出る日が来る。安住は永久には続かないのだと悟った。
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