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迎え
皆は昼食を食べ終えて各々好きなことをして過ごしていた、空は快晴で時計もないこの村では時間はゆったりと流れている。そんなとある日に村に相応しくない大きな音が響いた。
巨大な車輪が回転し、土埃を巻き上げながらがたごとと進むそれは村人には馴染みのない人力車。彼らが何時やって来るかを聞かされていない村人だが、それを前にして取るべき行動は早く、道を人力車に道を開け膝をついて頭を下げた。車夫も人力車に揺られている者も彼らを一瞥することなく進んでいった。
車輪の音が遠のくのを聞きながら膝を折った村人は察した。幸福な子どもを引き取りにきたのだと。
人力車は村の中央、村人が食卓にしている場所で停車した。昼食を済ませた多くは屋根の下に留まって雑談をしながら過ごしていたが、それをみた村人は一瞬にして閉口し、膝をつき頭を下げた。場が一気に静まり空気も凛と張りつめる。
人力車に座る人物の顔は日傘で影になってしまってよく分からない。
「顔をあげなさい」
凛とした一言で皆顔をあげた。
「幸福な子どもを此処へ」
ああ。この日が来た。
アンナは木の幹を背もたれにして木陰で針仕事をしていた。木登りをしながら何やら話している自分よりも幼い子ども達の声を背景に丁寧に縫い上げていく、 端まで縫い終えるとコマ結びをして年季の入った糸切狭で糸を切って、できた。と小さく呟いて満足そうにそれを広げた。青空の下に合う草原の色。
その頭上ではぐんぐんと高いところを目指して、スカートが汚れるのも気にせずにフェリチタは木を登っていく、木のざらついた感触、風が吹くとさわさわと優しく葉っぱが揺れた。その後ろをルーカスがおっかなびっくりしながらも追いつこうと太い枝に手を伸ばしていた。
そこへ大人がやって来た。嬉しさと緊張、少しの淋しさが混じった表情で彼女は伝えた。迎えにやって来たと。
この言葉に当人のフェリチタも、他の子どもたちの顔に緊張が走る。
何時もは賑やかな屋根の下、村人たちは無言で膝をつく。フェリチタがやってきても頭を上げず視線だけで彼女を追う。フェリチタは他の人に倣おうと膝を付こうとしたのを車夫が止めた。屋根の下立っているのは車夫とフェリチタだけ。今になってフェリチタは自分が汗をかいていることに気が付いた。頬を伝う一筋の汗がやけに気になる。
人力車に乗ったままだった偉い人は車夫の手を借りながら降りてきた。
村人では決して出せない気品に満ち溢れたとても美しい人だった、すらりとした体に艶やかな長髪の髪、働くことを知らないような傷ひとつない手。壁の外の人達はこんなにも美しい人達ばかりなのだろうかとフェリチタは見惚れた。
「あなたを迎えにきました」
「はい」
凛とした美しい声に緊張した面持ちでフェリチタは頷いた。
「生活は保障されていますが、好きなものを持っていくことも可能です」
フェリチタは何か持っていくものがあったかと思案したが、そもそも村にはそんなにものというものがない。
大好きな父親と母親がいて、友達と遊んで、畑を手伝って、フェリチタにはそれが全てだ。
「フェリチタに持っていって欲しいものがあるの」
ありません、と答えようとしたフェリチタよりも先にアンナが立ち上がった、彼女の隣にいたアンナの父親は無礼だぞ。と嗜めて彼女に頭を下げるように促したが、偉い人がそれを手で遮った。
「許可する」
アンナは手にしっかりと握ったままだった布を持ってフェリチタのところへ歩いていく。緑色の布はアンナが合間を見てはちくちくと縫っていたもの。
アンナが針仕事をしたいたのは知っていたが、何を作っていたのかまでは知らなかったフェリチタは差し出されたそれを壊れ物でも扱うかのようにそうっと手に取った。肌ざわりがよくさらりとした布、それを広げてみるとシンプルなワンピースだった。装飾もなにも施されていないけれど縫い目は丁寧で、アンナがひと針ずつ丁寧に縫ったことが伺える。
「いつでも戻ってこられることは知っているけれど、でも何か持っていって欲しいって作ったの」
自分へのプレゼントだとは思っていなかった。フェリチタは胸の中から温かいものが湧き上がってくるのを感じてそれを大切に優しく抱きしめる。
「ありがとう」
嬉しくてもっと言葉を伝えたいのに、胸が詰まってそれ以上の言葉が出てこない。
「オレからだってある!」
それを見て割り込んできたのはイアンだった。ちょっと待っていろ!と飛び出して建物の影に消える、すぐに戻ってきてその手に握られていたのは花で編まれた冠だった。少し歪で歪んでいるが一生懸命に作ったことは伝わってきた。フェリチタの頭の上にぽんと乗せられる。イアンから贈り物をされるとは思っていなかったフェリチタは目を丸くしてありがとう。と伝える。
「イアンちゃんと言いなよ。ミュゼと一緒に作ったものだって」
ファビアンの声にイアンの顔がさっと赤く染まる。
「べ、べつに!ミュゼとは仲良しじゃねぇし!結婚するのだって仕方ないからだし、ミュゼに一緒に作ろうって言われたわけじゃないし!かわいいとか思ってないし!!」
べらべらと喋りたてるイアンに父親フランクが肩を震わせながら笑っている。当人のミュゼもくすくす笑っていた。
「ありがとうミュゼ」
フェリチタのお礼にミュゼは微笑んで何かを言おうとしたけれど、その前にルーカスが立ち上がった。
「ぼ、僕だって!僕だってある!!」
そう言ってポケットから出てきたのは少し草臥れた四葉のクローバー。
「なんだそれ!くったくたのただの草じゃないか!」
イアンがそれを取り上げようと手を伸ばす。
「草じゃないよ!幸運のお守りだもん!!」
それから逃れようと後ろにのけぞって倒れそうになるのをいつの間にか立ち上がっていたミュゼが支え、イアンの手から四葉のクローバーを取った。
「ミュゼ!」「ミュゼ!」
イアンとルーカスの台詞が被る、イアンはどうしてミュゼがそこにいるのか驚いた様子で、ルーカスはミュゼまでいじわるするのと涙目だ。
「お守りの袋を作ったのだけれど肝心の中身がなくて困っていたの。幸運のお守りがお守りの袋に入っていれば最高じゃない?」
そういってウィンクをしてみせる。ルーカスは嬉しそうに頷いて、イアンはつまらなそうに顔を顰めた。
「なぁにが幸運のお守りだよ!ただの草のくせに!」
「草じゃない、草じゃないよ!草じゃない!」
「ふたりともいい加減にしろ!偉い人がいるんだぞ!!」
収まりそうのないふたりをフランクが怒鳴りつけるとふたりはぴしゃりと大人しくなった。偉い人が前にいるからということでなく、草むしりの刑のことを思い出しての行動だった。
「ふふ、あは、あははははははっ、あははははっ」
突然フェリチタが笑い出して、村の人達の視線はフェリチタに集まる。
「なんだか、緊張していたのが馬鹿みたい。イアンもルーカスもアンナも、みんな、ありがとう。わたし、帰ってくるよ、必ず帰ってくるよ」
目に涙を浮かべてフェリチタは笑う、今生の別れというわけではない、いつでも帰ってこられる。緊張する必要だって、悲しむ必要だってない。それを見た子どもたちは胸がいっぱいになって、フェリチタを抱きしめになだれ込む。大人たちは顔を見合わせて笑いあった。
「あなた方も話があるのでしょう」
偉い人の視線がフェリチタの両親に向かう、立つことを許されてフェリチタのところへと歩いていく、子どもたちはフェリチタからゆっくりと離れた。
「おとうさん、おかあさん」
ふたりは幸福なことだと知りつつもまだ娘をそばに置きたかった、旅立つにはあまりにも幼すぎる、それでも彼女を不安にさせないためにも微笑んで見せた。
フェリチタは壁の外を見たかった。素晴らしい世界をみんなに話すのを楽しみにしていた。でもいざ出かける日になって、両親を前にして両親と離れ離れになりたくない気持ちが沸いてきた。駆け寄ってまだそばに居たい、行きたくないと言いたくなる気持ちをぐっと堪える。
「向こうに行っても、寝る前は歯磨きするんだぞ」
「泡が目に入るからってシャンプーの時に暴れたりしちゃ駄目よ?」
「もう、分かってるよ」
ぷっくりと頬を膨らませる。
「それから、ちゃんとご飯を食べること」
「食べる前の手洗いだって忘れたら駄目だ」
「わがままばかり言って困らせないようね」
「珍しいからって迷子になるんじゃないぞ」
「おなかを出して寝ないようにね」
「それから、それから」
「分かってるよ。おとうさん、おかあさん」
このままふたりに喋られていたらずっと心配事を話していそうで、フェリチタはふたりの話を止めた。いつもならうっとおしいと思ってしまう小言なのに、今は胸が痛い。喉が熱い。
「それから、いつでも帰ってきなさい」
両親の声が重なって、フェリチタの動きが瞬止まる、途端に耐え切れなくなってぼろぼろと涙が零れた。まろいほほをいくつも流れていく大粒の涙はきらきら反射しながら地面に吸い込まれていく。
「うん、うん」
ふたりは娘を抱きしめた、まだこんなにも小さく幼い娘。いつでも帰って来れると偉い人は言うが、壁の向こうからこちらに帰ってきた人はひとりもいない。
でもこの子はきっと帰ってくる、たくさんのお土産話を持って、無邪気でかわいい笑顔をふりまいて。
頭に花冠を乗せて、両手にお守りとワンピースを抱きしめて、フェリチタは人力車に乗り込む。日傘の下は幾分か気温が低く感じた。がたごとと慣れない振動で進む人力車に乗りながら、フェリチタも村人も見えなくなるまで手を振っていた。ずっと、ずっと。
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