100の男

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・ ・ ・ ・ ・  ――なんて思っていたのが、つい先日のことのように思える。  俺は今、どんな顔をしているんだろうな。  愛用の杖も今日ばかりは重く感じられる。 「お忙しいところを――」  迎えてくれた奥さんの表情は暗い。  当たり前か。  永く連れ添った伴侶を喪って悲しくないワケがない。 「いえ、彼のためならいつでも……」  本心だった。  思い返してみれば、あいつがコレクションを見せたいと誘う度、俺はすぐにここを訪れた。  理由を付けて断ることもできたのに、何だかんだといつも付き合ってきた。  そんな俺が別れの時を拒むものか。  案内されて部屋に通される。  棺に眠る琢磨はうっすらと笑みを浮かべているようだった。  だが表情の端々には憂いも見えた。  翳りは死者特有のものだと思ったが、そうではないらしい。  奥さんによれば彼はみるみる気力を失っていったという。  ろくに食事もせず、日課の散歩もやめてしまったとか。  そしてあの誕生日会からちょうど半年。  ――琢磨は息を引き取った。  特に病気でもなかったから、彼女にとっては突然の別れも同然だったらしい。 「どうしてこんなことに……! 100歳まで生きて、まだまだこれからだって言っていたのに……」  彼女の欷歔の声を聞いて俺はようやく理解した。  こいつが生きる気力を失った理由。 (そうだったのか……思えば、あの時も――)  誕生日を祝おうとした時、彼はこう言った。 ”考えないようにしていた”  その時は意味が分からなかったが、今なら理解できる。  言葉どおり、彼は生きる気力を失ったんだ。  多分、去年や一昨年あたりならそんなことは考えもしなかっただろう。  100を愛した男だ。  自分の年齢が100に近づくことが何より嬉しかったにちがいない。  だがその日が近づくにつれ、彼は恐れたハズなんだ。  やがて自分が100歳になったら、と――。  それが彼にとっての幸福の絶頂期なんだ。  100歳の誕生日を迎えてしまったら、あとはそこから遠ざかっていくしかない。  101歳、102歳……。  日を経るごとに彼が最も愛した数字から遠退いていく。  きっとそれが耐えられなかったのだろう。  だから彼はきっと死を選んだのだ。  永遠に“100歳のままでいられる”ように。  彼女はこのことに気付いているだろうか?  ――いや、おそらくそこまで考えてはいないだろう。  それは棺の傍に置いてあるいくつかのものを見れば分かる。 「あの、それは?」  念のため俺は彼女に訊ねた。 「夫が特に大切にしていた品々です。玩具のようなものばかりですが、これらもきっと100に関係があるのでしょう」  風車に鉄道の模型、何の形か分からないキーホルダーやどこかのポイントカード等々。  なるほどたしかに玩具箱というか、机の引き出しに適当に放り込んでいたものを並べたように見える。  置いてあるものに統一性はまるでないが、琢磨が持っていたということは彼女の言うとおり100に因むものだ。  値段か型番か――そういったところだろう。  俺が引っかかったのはそれらに混ざって置いてある手裏剣だ。  きれいな十字型の手裏剣が3枚、向きを揃えてきっちりと並べられている。  どこかの土産だろうか。  しっかりした作りのようだから、さすがに100円で買ったとは考えにくい。  忍者といえば百地なんとかっていう有名人がいたな。  なるほど、それで大事に持っていたのか。  だが奥さんもこれが3枚ある理由までは分からないだろう。 「手を触れてもいいですか?」 「もちろんです。もしよろしければお持ち帰りくださっても――」  形見分け、ということか。  俺は固辞した。  どんなものであれ琢磨が一生懸命に集めてきたものだ。  俺には100に対する拘泥りはない。  譲り受ける資格なんてないんだ。  それよりも――。 「少し触るだけですから」  友人への手向け、なんて高尚な気持ちからじゃない。  ただ、琢磨だからこそ、こんなふうに扱われたままでは報われないだろう。  その程度の気持ちだ。  俺は並んだ3枚の手裏剣のうち、真ん中の1枚だけを傾けてやった。 (お前はあっちの世界でも変わらず趣味を続けるんだろうなあ……)  なんて思いながらもう一度、琢磨の顔を覗きこむ。  そんなハズはないのに微笑んだ気がした。 「奥さん、この手裏剣はこのまま動かさないでください。そのほうが彼もきっと喜びますから」  そう言って彼女にも見せる。  『 + × + 』  少ししてその意味が分かったらしい彼女は落涙した。
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