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 テキサス州警察ダラス署署長ハックマンはポリスカー(パトカー)の後部座席で葉巻を(くゆ)らせていた。かれの前には、お供に連れきたニヤケ面の制服警官がハンドルをさばき、助手席にはいつもニヤケ面のうしろに金魚のフンのようにくっついている制服警官の左耳のうしろが見えていた。 「署長。もうすぐでさあ。違法コピー商品の製造/販売をしている馬並大(マーピンジンダー)のところに着くのは……」  ハックマン署長は車外に目をうつした。  深夜のノース・ブロードウェイは静まりかえって、もちろんあたりには人影はない。道の両側には車が所狭しと路上駐車されて、その真ん中を行き来する車両の姿もない。ハンドルをさばいているニヤケ面が道の左のほうを見てポリスカーを減速させた。  ニヤケ面が助手席の金魚のフン(トム)の肩をたたいた。 「おい、見ろよ。カー・セックスをしてやがるぜ」  ニヤケ面の相棒が身を乗りだして外を見た。癇癪を起したかのように車体が上下に揺れ動く車が一台あった。その車は内側からの結露で窓が曇って中の様子がよく見えない。だが、かすかに見える長い髪が踊っているのと肌色の躍動するシルエットからどうやら女が上に乗ってヤッているようだ。車は黒のホンダS-MX。けしからん日本車だった。この車のキャッチコピーは『恋愛仕様。』――または『走るラブホテル』『移動式ラブホテル』と揶揄(やゆ)されている。Japanの某車評論家がそう言っているのでそのとおりなのだろう。  ニヤケ面がホンダの横にポリスカーを停めた。途端にホンダの車体の揺れがとまった。 「ちょっと、注意してやりますか?」  と、ニヤケ面がマグライトを手に持った。 「ほっとけ!」  ハックマン署長は言った。  ニヤケ面は鳩が豆鉄砲を食ったような顔になってハックマン署長を見た。金魚のフン(トム)もどうして? という表情で後部座席に振り向いた。 「でも、公然わいせつ罪ですよ。署長?」 「それがどうした! おまえは職務質問にかこつけてカー・セックス中の奴らを見たいだけなんじゃろうが!」  ニヤケ面がニヤケた。「いいじゃありませんか。目の保養ってやつですよ」 「そうです! 署長……おれもうビンビンなんですよ!」と金魚のフン(トム)が早口で言った。  ハックマン署長の顔が青ざめた。金魚のフン(トム)が「しまった!」と言ってしまった。  ニヤケ面がすぐさまマヌケな相棒の頬を張った。「しょ、署長! ス、スンマセン!」と、ポリスカーを急発進させた。  ハックマン署長は無表情で葉巻を燻らせた。等間隔に並ぶ外灯の光に横顔を照らされながら、いまひとたび車窓の外に顔を向けた。  ニヤケ面と金魚のフンは前方に向かってだが、ペコペコと頭をさげていた。 「ハックマン署長。すみませんでした。おれ、そういうつもりじゃなくて……」 「もう、いいがや……」と言ったきり、ハックマン署長は黙った。 「署長、どうです? こんどトップレス・バーとか、ウエスト・ハリウッド(WEHO)にある<リプシンカ>にでも行きませんか? 気晴らしにでも」慎重な声音でニヤケ面が言う。 「そうですよ! きっとオカマの連中なら、署長を元気にしてくれると思いますよ」金魚のフンも言った。 「そりゃあ、どういうことだ?」ニヤケ面がマヌケな相棒に訊いた。 「そ、そりゃ、アイツらもともと男だろう? だったら男のことは何でもわかっているんじゃないか? きっとアイツらなら男の悩みを解決する方法を知ってるんじゃないかと思ってね。ねえ? 署長?」 「もういい! 言うたがやっ!」ハックマンの声音には湿ったものがあった。 「おい、余計なことを言うな。――そっとしておこうぜ」ニヤケ面が金魚のフンに小声で言った。「いざというときにはトランクに例のモノがあるから……」
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