16人が本棚に入れています
本棚に追加
/160ページ
「――それでね、わたし大スターになったのよ! ふらっとはいった店だったんだけど、そう! 店の名前は<リプシンカ>! 店のオーナーだと名乗ったジョン・エパーソンっていうママ――もちろんオカマ――が声をかけてきたのね。それで、わたしの姿を見るやいなや、わたしみたいな美人は見たことがないって南部訛り丸出しで言うのよ。『あんた! ステージにあがってみいひん?』 って――」
ビュイックの後部座席にベッキー、ブロンディー、ナスターシャ――三名の女が窮屈そうに座り、うちふたりの頭が車の天井に触れそうな具合だった。
ベッキーだけが追い抜いていったパトカーに気づいていたのか、車の窓にほっぺたを押しつけ、前方にちいさくなっていくシボレーを見ていた――が座り、キャシーは助手席からうしろをむいてブロンディーを問い詰めている最中だった。が、話はドンドンそれて、いまはブロンディーの”スターへの道”になっていた。
「なんて言うから、どうしようかなぁ? って考えていたけど、わたし、決心したの! ここでひと旗あげてやるって――」
ブロンディーのよこでかつてこの女(男)にセクシャルな嫌がらせをうけていたナスターシャがやきもきしていた。
「それより、どうしてアナタがここにいるんです!? ワタシたちはお昼ご飯を食べにいくのですよ。アナタは関係ないでしょう!」とナスターシャが言った。
「いいじゃない! わたしもお腹がすいてたからちょうどよかったもの」と、ブロンディーはくびれた腹をさすりながら言った。
以前、ほぼ全裸で長屋の二階から下り立ったときに見せたたるんだ腹ではなく、中世のイギリス女性らが悶絶の苦しみをもってサロンにいく際着用した拷問器具にも等しいコルセットで絞めつけたようなくっきりとくびれた腹だった。
ナスターシャは角張った顎を引き締めて、車窓からそとの景色を眺めながらに言った。
「それに……このあとバーにもいくんですよ。ミスター・オニールのバーに……」
「それって! サンセット・ストリートのオニールのこと? それならわたしもぜったいにいくわ!」
「ア、アナタ! ミスター・オニールのことを知っているんですか!?」
ナスターシャは声をあげたひょうしに車の窓に額をぶつけてブロンディーに振り返った。
「そうよ! おしりあいナノヨン! だって”オニール”と”わたし”は……キャハッ! もうこれ以上は言えないワ」
ナスターシャは口と目をビニール製の人形のように開けた顔でブロンディーを見た。
そして、そのように口を開けたままでキャシーのほうも見た。
キャシーはそんなナスターシャに見つめられて、肩をすくめてみせるしかなかった。
後部座席に並んで座っている大柄な女ふたり――片方は最近女になった――が言い争いをはじめた。
「いいから! 降りて下さい!」
「どうして!? オニールのところにいくんでしょう? わたしもゼッタイにいくぅ!」
ベッキーが片眉を吊り上げて、キャシーを見た。呆れて、どうしようか? とでも言っているような顔だった。
「それはもういいから! ナスターシャもブロンディーもやめなさい! さあ、ブロンディー! どうして外国にいたのかを説明してよ! それとどうして女になったのかもね!」
キャシーが助手席のシートから身を乗りだし、言った。
「さあ! 最初から順番に話すのよ!」
リチャードの顔のよこにキャシーのジーンズの尻がフロントガラスにむけて持ち上がった。
即座に対向車からクラクションと冷やかしの口笛が聞こえた。
リチャードは中指を立ててそれに応えた。
「ウップス! えーっと? そうそう、救急車で病院に担ぎ込まれたときにはまだ意識があったの。ストレッチャーで運ばれているときに見たわ。救急車からストレッチャーごと降ろされて、病院の夜間出入り口から運び込まれたの。頭がぼやけていたけどしっかりと見たわ! 大勢がわたしのまわりに集まってきて、白衣を着た看護師連中とスーツを着た連中だったの。病院のなかなのにスーツ姿の連中たらサングラスなんかしちゃってね。レイバンのタレサンよ。ダサイったらありゃしない! なかにはガーゴイルのサングラスをしていた時代遅れもいたけど……あいつらはなんだったのかしらね?」
ベッキーの顔が曇った。「あいつ……だから、やめろって言ってるのに……」とつぶやいた。
「それでね、緊急手術だと言って、みんな散らばっていったのよ。緊急だと言っていたわりにはストレッチャーのうえで随分待たされた気がするわ。わたし以外に緊急を要する人間がほかにどこにいるっていうの? どこの病院も同じね! 待合室から暇つぶしにきている年寄り連中が姿を消すのはいったいいつになることやら!」
ベッキーがとなりから、鼻息荒く喚いているブロンディーの肩をたたいて落ち着かせた。
「それであなたはどうしていたの?」
「とにかく待ったわ。でもいっこうにわたしを手術室に運び込むようすがないから、ヒマで、ヒマでしょうがなかったから、わたし寝ちゃったみたい。――たぶん救急車で麻酔薬を打たれたせいね。そのあたりはもうおぼえてないわ」
ブロンディーが首を振った。
「でも、あなたはそこで手術を受けて、女に生まれ変わったのよね?」
「いいえ、キャシー。それはまだよ」
ブロンディーは目玉をうわまぶたに半分隠し、じぶんの頭スレスレのビュイックの天井を見つめていた。
ベッキーも腕組みをしてなにかしきりに考え込んでいるようすだった。
最初のコメントを投稿しよう!