第二章 一節 『隣人R -revise 調和と反転- 』

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第二章 一節 『隣人R -revise 調和と反転- 』

 梅雨が明け、六月のカレンダーは最下段の列へと(くだ)った。七月を前にして、例年以上の蒸し暑さへと、気温と不快指数こそ、昇ってゆく日々に在る。  キリエの学園では、夏服への転換期の最中(さいちゅう)で、学園内を見渡す限り、まばらな生徒が夏服の制服を纏っている。  ブレザー型の制服を採用する()()(たま)学園では、この時期、最も生徒それぞれの様相が雑多であるという印象を(みな)が抱いている。  まずは、男子生徒。  夏服に換装している場合は、ノータイの半袖のワイシャツに、冬服に比べると生地が薄手のスラックスを着用する。スラックスに関しては任意での換装であるため、見た目では上半身より判別が付きづらい。  もしくは、冬服仕様の長袖のワイシャツの袖を肘まで捲り、ネクタイを着ける、あるいは、未だに冬服のブレザージャケットを羽織り、長袖のワイシャツにネクタイまで着けたまま――つまり完全な冬服仕様、という姿である。  次に、女子生徒。  夏服のデザインは中高問わず周辺の学校生徒から定評があり、服冬の濃紺のブレザージャケットから一新、白のワイシャツに薄紅色のリボンが映える仕様へと変わる。  学園内の女子生徒には当然、人気を得ており、転換期初日から夏服へと換装する女子生徒が多数で、肌寒さを感じたならば、冬服用の長袖のワイシャツに、同じく冬服用の紺色地に薄紅色のラインの入ったリボンを取りつける。  つまるところ、半袖のシャツには夏服用のリボン、長袖のシャツには冬服用のリボンしか取り付けることが出来ない、という融通の利かない規則が夏服への即転換を促している、とも言える。  さて、この時期に制服の着こなしについての話題は尽きない、というのが実情で、キリエに関しても転換期特有の姿は話題として、日常に溶け込んでいる。 「よう、キリエ。おはようさん」  さも当然の如く、着座しているキリエに朝の挨拶を飛ばす男子クラスメイト――名を槇旗(まきはた)と、いう。  槇旗の姿は、長袖のワイシャツの袖を捲り、ネクタイを着けている。 「うん。おはよう。槇旗は、まだ半袖じゃないんだ」  たどたどしくもキリエは切り口を広げ、彼を見上げてみせる。  実行線Qにおけるキリエの日常――気軽な朝の挨拶から続く雑談。この日常にリキエ自身も満足はしている、ただ、未だ不安が拭いきれていない、というのも事実であり、――それもまた、キリエにとっての日常の一部であるのだ。 「てか、ソレ。お前にだけは言われたくないっつーの」  なぜだろうか、と、胡乱(うろん)な表情で彼を見上げるキリエの制服姿は、まさしく完全なる冬服のままであった。 「うん。それも、そうだよね。転換期、だしさ。まだ、いいかなって」 「まぁ、そらそうだけどよ。蒸し暑くねーのかぁ?」  槇旗はタイを緩め、元から外していた第一ボタンの隙間に指を差し入れ、あたかも、この世の蒸し暑さを糾弾(きゅうだん)するかのような、険しい表情を浮かべる。 「うん。俺は、平気」  その後、さぞかし辟易(へきえき)とした顔つきで、まじでかー、と舌を出して笑うと、キリエと世間話を続けた。  と、その時――、このクラスにおいて、キリエ並に珍しい姿と、事情を携えた人物が、やって来た。 「……チッ、あっちぃなぁ」  教室の中で、盤面の黒がひっくり変えるようにして、彼の独り言に合わせて、夏服を纏った白たちが振り向いた。 「うわ、笠堂(りゅうどう)のヤツもまだ冬服かよ」  嘲笑(ちょうしょう)気味に、彼を見て、槇旗が呟く。  その姿は、まさしく当人が口にしている事と相反していおり、なにより、彼が目立つ理由――、笠堂(らい)は、このクラス、並びに、この学園において、数少ない不良のレッテルを貼られている、その一点に事尽きる。 「俺、話してみたいな。笠堂……君、と。話したこと、無いし」  比較的、優等生と思われがちなキリエにとって、正反対の人物。それが、笠堂來であり、不意に思い知れず口に出した言葉にキリエの鼓動は、突如として、跳ねた。  それは無意識に近い、ごく感覚的に沸いて出た意思、言葉であった。されど、いざ反芻し、深く吟味してみると、別段、違和感のない心の在り様だ、と、キリエは、ほっと胸を撫で下ろした。 「は? やめとけって、アイツ柄悪ぃし、何されるか分からねーぞ? ちょっと前のキリエとは別のベクトルで絡みずれぇヤツだしよ」  そうかな、と自問しつつキリエは、同じ冬服姿の彼を目の端に捉えながら、 うわの空で授業の開始まで臨み、一方で來は周囲の視線に一瞥もくれず着座すると机に突っ伏し眠る体勢をとったようだ。  一限の選択科学――第二理科室で行われた化学の授業を終え、教室へと戻る(おり)、選択科学を共にする槇旗が再び、來の話題を通じてキリエの隣に並んだ。 「なぁなぁ、知ってっか、キリエ。笠堂のヤツ、一年の途中で転入? 編入だかしてきてよー、前のガッコじゃ居づらくなったからって噂だぜ」  如何にも槇旗という男子生徒を体現するかのような発言――噂好きで、その情報の信憑性もおぼろげで曖昧、また、やや他者を陥れるような言葉をしばしば吐露するきらいがある。リキエ自身も槇旗の言う噂について、前述に即して、そんなことってあるのかな、とぼんやりと思い浮かべていた。 「ほかに、事情があったのかもしれないよ?」  例えば、親の仕事の事情で引っ越しだとか、と口にする前にキリエは、はっとした。  なぜかと云うと、自宅の火災が起因して引っ越し、代間珠に移り住んできた、という過去がキリエにはあったからだ――思い出す事を(いと)うし、拒むべき追憶であるから、咄嗟にキリエは話題を逸らした。 「あ、そういえば、今日の体育ってグラウンドだったかな?」  廊下の窓から見下ろすグラウンドが目に付いて僥倖(ぎょうこう)だったと言えよう。 「ん? いやぁ、そらそうだろ、先週からサッカーのまんまじゃんか。つかさー、サッカー部のヤツらってありえなくね? 授業で本気(ガチ)でやんなっつーの! 舟志(ふなし)のヤツなんてマジでソレ」 「はは、確かに。まるで歯が立たないよね、久池下(くちした)君には」 「ガキ相手と遊んでる、まであるよな、アレ」  キリエに向かって破顔する槇旗とは逆に、話題逸らしが上手くいった様子で、安堵するキリエであったが、そのサッカーの授業では、とんだ災難に見舞われる事をまだ、知り得なかった。
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