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幕間 観測者の様相『パラレルワールド』
改めて、確認を繰り返す事になるが、実行点Qの更新によって、実行線Qおよび実行点Rが観測された。無論、『観測者』によって、それらは観測されている。同時に、キリエや彼を取り巻く人間、引いては人類全てが観測している。
日常という認識を、世界、と変えたなら理解は容易くなる。
さて、ここまで、観測と呼ばれる言葉を多く使ってきた。
そこで、観測とはそもそも、何か、また、どんな事象を引き起こすのか、という事を追求すべきである。
物事において、観測とは、変化をもたらす重要な一つのファクターであり、行為そのものの意味は、単純に見る、という行動程度には収まらない。
これは論理物理学、さらに言うと量子力学の範疇に位置するためだ。
特に量子力学実験において、観測が与える影響によって、奇怪な結果が数多く報告されており、有名なところで、二重スリット実験などが挙げられる。
ここでは量子力学実験の説明は割愛し、『観測者』が行う観測が実行点に、どのような影響を与えるか、という実情に話を戻そう。
これも再確認ではあるが、実行点の更新が行われた際、それを『観測者』が観測を行うことで実行線および、次の実行点が発生する。
実行点の更新が成功であろうと、失敗であろうと、実行線の発生に成否の差異はあれど、必ず実行点は発生する。
何故ならば、実行点が発生しなければ、逆説的に観測点が発生せず、『観測者』の存在が失われてしまうからである。
さらに言うと、消失の理論がある以上、『観測者』も複数存在する、という事実にも繋がる。
それでは、観測における、一つの異常性について語ろう。
驚くかもしれないが、観測をあえてしない、という行為が、それに当るのだ。
そして、『観測者』自身も、あえて観測をしない、という行為によって、更新の反映ならびに実行点、実行線の発生を実現している。
では、あえて観測しない、という行為によって、実行点と実行線はどう影響を受けるのか、というと――――分岐、である。
実のところ、実行点Qの更新によって発生した実行線Qは、二つないしは二つ以上に枝分かれした。
つまり日常――世界は『観測者』によって複数、観測され、存在している。
実行点の更新に際し、ああしていたなら、もしくはこうしていたなら、というifが分岐をもたらし、複数の世界を発生させている。
これを、パラレルワールドといい、「この現実とは別にもう一つの、あるいは複数の現実が存在する」、というサイエンスフィクションのアディアである。
ただし論理物理学上では、実際に存在の可能性が語られている。
それもそのはずだ、なにせ『観測者』が実際にパラレルワールドの実在を観測しているのだから。
そして、実行点Rの更新によって発生する実行線は二つ以上になる可能性を秘めている。そのため、便宜上、仮に二つに分岐した場合、以降、実行点Rおよび実行点R´と呼称する。それは実行線においても、観測点においても適応される。
またしても、無論、『観測者』はその双方を観測することが可能である。
まるで『観測者』は、神という存在を肯定するならば、それに近しい存在であるとも言える。
だが、やはり、『観測者』は多くは語らない。
よって、そうであるのかもしれないが、そうでないのかもしれない。
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