act.31

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act.31

<side-SHINO>  いよいよ薫風の発売日、クリスマスイブがやってきた。  デパ地下は物凄い数の人また人で、活気に溢れていた。  様々なコーナーで呼び込みの声がする。  俺達も負けていられないと、特設販売ブースで声を張り上げた。  今日は、柿谷酒造の従業員・・・中には杜氏の広山さんまで来てくれて、販売に当たった。  先月のキャンペーンイベントが効いたのか、『薫風』は予想以上のスピードで売れて行った。  俺はその売れ行きを見つめ、ホッと胸を撫で下ろした。  その肩を課長が叩く。 「やったな。お疲れさん。販売戦略主任として、ここまでよく頑張った」  俺は苦笑を浮かべ、軽く肘鉄を課長の脇腹に当てる。 「何言ってるんですか。まだ年末商戦は始まったばかりじゃないですか。これからですよ」 「まぁ、そうだが。この分じゃ、今日持ってきてる分も、デパートの終業時間前に売り切れるかもしれないぞ」 「そうなると、いいんですが」  俺は、販売ブースを見渡した。  柿谷酒造の皆が、生き生きとした顔つきで対応をしている。  あんなに反対していた征夫さんも、満更じゃなさそうな顔つきで、お客様と話していた。  川島と顔を見合わせ、笑顔が溢れている。   ── ああ、頑張って、よかった。  本当にそう思う。  今はメンタル的に大変な時期だけど、でも柿谷の皆がこんなに喜んでくれるのなら、こんなに嬉しいことはない。  ただここに、千春がいてくれていたら、どんなにかよかったのにと思う。  実は千春の寄せてくれたアンケートの意見のおかげで、ボトルラベルのデザインは、ユニセックスなものに変更されたんだ。  そのおかげか、購入して行く客層には男性もいた。  特に、日本酒離れが激しい20代から30代前半の男性客もちらほら見ることができて、予想外の好評ぶりだった。  なんだか日本酒の未来に少しだけ明るい光が射したような気がして、俺はちょっと鼻の奥が水っぽくなっちまった。  課長の予想通り、その日の販売は4時に終了してしまって、売り切れ後に来たお客様には、次の入荷があり次第、連絡をするという対応を急遽することになった。  販売ブースの後片付けをして、百貨店の販売部にご挨拶と入金手続きをし、今後の販売契約の確認をした後、会社に戻って更に後片付けをした。  その後、販売初日の成功を祝って、一本だけ取っておいた薫風を開け、日本酒課と柿谷酒造の皆で祝杯をあげた。  これから百貨店や一部の酒屋で断続的に薫風が販売されることになるが、次の目標は年末の30日と31日の販売イベントだった。 「何とか、数を増やせるよう頑張ります!」  征夫さんが少々酔っぱらいながらそう叫ぶと、「よ!」と川島が間の手を入れて、一本締めとなった。 「じゃ、お疲れさまです。篠田さん、ゆっくり休んでくださいね」  田中さんに声をかけられ、「ああ、ありがとう。田中さんも」と返した。  会社を出たのは夜10時のことで、今日はてっきり午前様になると思っていたから、ちょっとほっとした。  駅に向かって歩いていると、さすがに街はカップルだらけで、何だか歩きづらかった。  これまで32年間生きてきて、クリスマスイブはいつもこんな感じだったけれど、今年は特に何だか堪える。   ── もし今年のクリスマス、シノさんにまだ彼女ができてなかったら、僕と過ごしてくれますか?  ふいに俺は、千春がそんなことを言っていたのを思い出した。  そう言ったのは千春なのに、千春からいなくなるのなんて、酷いよ、千春。  俺はそう思ったが、すぐにこう思い直した。  そこまで千春を追い込んだのは、この俺だ。  なんでも千春に甘えて、千春の気持ちをはぐらかして、千春を傷つけたのは、他ならぬ俺なんだ。  でも・・・例えそうだったとしても・・・。  やっぱり会いたいよ、千春。  同性を好きになることで、これからどれだけ困難なことが起きるのか俺にはさっぱり思いつかないけど。  でも千春となら、何も怖くはないって思えるから。  千春が贈ってくれた革のコートの襟元を引き寄せて、俺がホゥと白い息を吐き出した時、携帯が鳴った。  美住さんからだった。 『澤くんが、ラ・トラヴィアータに現れたって。あそこならまだマシだから! 行ったことがあるでしょ?! ほら、オペラ座みたいになってるクラブよ!』  オペラ座と言われて、あっと思い出した。  ショットガンを何杯も飲まされかけた、あのクラブだ。  俺は電話を切ると、急ぎ六本木を目指した。  クラブ・ラ・トラヴィアータは、予想通り、物凄い人だった。  夜通し開催されるクリスマスパーティーのまっただ中で、入口で入場チケットを買うように促された。  俺は、入口通路から人でごった返す中を何とか分け入って、フロアに出た。  物凄い騒音。  ビートの強い音楽と人の騒ぎ声、フラッシュが瞬くような刺激的な照明、タバコの煙、ダンスフロア以外でも踊りまくってる人、また人。  あまりの熱気に、俺は思わず立ちくらみがした。  俺は緩く頭を振ると、フロア中を見回した。  ステージの脇には、巨大なクリスマスツリーが吹き抜けの上まで伸びていて、なかなかの迫力だった。本物のもみの木だ。いくつもの頑丈なワイヤーで壁や手すりに固定されていた。 「どこにいるんだ、千春・・・」  俺は人にモミクチャにされながら、千春を探す。  多分一階にはいない。  俺は、二階のバルコニー席を見回した。   ── いた!  中央バルコニーからひとつ左側のボックス。  幾人もの取り巻きに囲まれ、赤いクラッシックな形のソファーに、まるで帝王のように長い足を組んで座りながら、酒を浴びるように飲んでいた。  彼の周囲を固める男や女達にベタベタと触られ、次々と気のないキスを交わしている。 「何やってんだ、あいつ」  俺は思わず、カッとした。  俺は再び人を掻き分け、二階への上がり口を目指した。  階段の前には、相変わらず屈強そうな男が立っている。  俺は階段を上がろうとしたが、男に止められた。  俺が男を見ると、「あなたは上がれません」と言われた。 「ここは、VIPと店から認定されるか、認定された方同伴でないとご利用できません」  男からそう言われると、周囲にいた客がバカにするような目で俺を見た。  だが、俺は怯まない。 「少し話をするだけだ。長居をするわけじゃない。話が終わったら、直ぐに出る」  俺は千春を今すぐここから連れ出すつもりだったのでそう言ったのだが、全く相手にされなかった。 「 ── クソッ・・・」  俺は唇を噛んで、フロアまで戻る。「千春!」と数回呼んでみたが、騒音が凄くて全く声が届かない。  表情がはっきり見えるまで近い距離にいるのに、手が届かないなんて・・・。   ── 考えろ・・・、考えろ・・・。  俺の視界に、もみの木が入ってくる。  俺は視線を上に上にと滑らせた。  もみの木を支える“控え”として伸びたワイヤーが千春の座るボックス席のすぐ上まで届いていた。 「これだ」  俺はそう呟くと、もみの木に近づいた。  フロアの連中は飲めや踊れやの大騒ぎだったので、俺が柵を乗り越えてもみの木の枝に手をかけたことに気付く者は誰もいなかった。  俺は自分の腕力だけを頼りに、もみの木を登る。  木登りは初めての経験だったが、案外登れるものだ。もみの木が、予想以上にしっかりしていて、助かった。  やがて、一人二人と、俺がもみの木を登っていることに気付き始めたらしい。  下のフロアで、明らかにさっきまでの喧騒とは異質のざわめきが起こっていた。 「ちょっと、あんた!! 何をしてるんだ!!」  店側の俺を制止しようとする怒鳴り声と、俺を見て異様に盛り上がっている客の声が入り交じって、フロアはちょっとしたパニック状態になっていた。  店の人間が下から追って登ろうとしていたが、俺ほど腕力がないのか、下で随分もたついている。  その間に俺は、二階のブースを上から見下ろすところまで到達していた。  さすがに、高い。  これで落ちたら、ただじゃすまないだろうな。  千春のボックスを見やると、皆、驚きの顔でこちらを見ていた。  千春はまだ俺だと気付いていないのか、怪訝そうな目でこちらを見ている。  枝に阻まれて、よく見えないんだろう。  俺は、自分の頭上にあるワイヤーを手で掴んだ。  結構太い。  これなら、俺の体重を支えてくれるだろう。 ── まぁ、根拠のない自信だけど。  俺はベルトを引き抜くと、それをワイヤーに引っ掛けた。  両手にきつく巻きつける。  俺はもう一度下を覗き込んで、ゴクリと唾を飲み込んだ。  ええい、一か八かだ。  俺が身を乗り出すと、やっと千春は俺だってことに気がついたらしい。 「シノさん!」  驚愕の顔で千春は立ち上がり、手すりから身を乗り出した。 「何やってるんですか?!!」  ── 何って、お前に会いにきたんだよ、俺は。 「危ないから、降りて!」   ── ここまできて、誰が引き下がれるか。  俺は、俺を囃し立てる群衆の声援に押されるように、枝を蹴った。  ワァ────っと歓声が上がる。  俺の身体は、まるでそういうアトラクションを楽しんでいるかのように、二階の千春のいるバルコニーまでワイヤーにぶら下がったまま一気に滑った。  ワイヤーの端にガツッと引っかかると同時に、ベルトを手放す。  今度は、キャ──ッという悲鳴が上がった。  ヤバい、ちょっと飛距離が足らないか・・・・!!  俺は両目を瞑った。  だが次の瞬間、俺はグイッと引っ張られ、気付けばバルコニーの中に転がり込んでいた。  顔を上げる。  俺の身体を、千春の腕がしっかりと掴んでいた。  店中が、歓声に包まれる。拍手喝采だった。  だが、店内の喧騒とは打って変わって、俺達は肩で息をしながら、しばらく無言で見つめ合っていた。  千春は、信じられないモノでも見るかのように俺を見つめていたが、やがて顔をくしゃくしゃに顰め、言った。 「なんて・・・、なんて無茶なことを・・・!」  俺はハァハァと息を吐きながら、「だって、こうでもしないと会ってくれなかっただろ」と言い返した。  千春は緩く頭を横に振る。 「何しに来たんですか?」 「千春を取り戻しにきたんだよ、俺は」 「取り戻す? 何を言ってるんですか?」 「だって、急にいなくなっちまうから・・・!」  千春は立ち上がって、ソファーに座り直した。足を組んだ後、腕も組む。そして床に踞る俺を冷たい目で見下ろした。 「あの夜の謝罪を求めているんですか? なら、今すぐここで謝りますよ」 「違う、俺はそんなことを言ってるんじゃない」 「なんなら、土下座でもしましょうか?」 「そうじゃない!」  俺は立ち上がった。  周囲の人間が俺達を見ていることは分かっていたけど、今は構っていられなかった。 「謝ってほしいんじゃない。帰って来てほしいだけだ」  千春は俺を見上げ、ハッと軽薄な笑みを浮かべる。 「帰るって言ったって、どこに帰るんです? もうあのマンションは引き払ったんですよ。僕はもう新しい生活を始めているんです」 「その生活、楽しいか?」  千春が、俺を睨む。  俺は怯まない。 「毎晩遊び歩いて、無駄に酒飲んで。美住さんからいろいろ聞いたけど、店で悪酔いしてぶっ倒れたこともあったそうじゃないか。そんなの、前はなかったって。それのどこが楽しい生活なんだ。新しい生活なんだ。 ── さっきだって見てたら、千春、全然楽しそうにない顔して、酒を煽ってるだけじゃないか。そんなのがいいっていうのか?」  千春は一瞬俺から視線を反らせると、唇を噛み締めて洟を啜り、また俺を睨んだ。 「その発言、ここの人達に対しても、凄く失礼な発言じゃないですか?」 「周りなんて関係ない。俺は千春に話してる」  また千春が唇を噛み締める。 「千春、一緒に帰ろう。千春の部屋がなくなったって、俺の部屋があるじゃないか」  一瞬、千春の顔が泣き出しそうに顔が歪んだ。 「 ── 千春」 「じゃぁ、一生愛してくれるって言うのか!? あんたは!!」  千春が立ち上がって怒鳴った。 「ゲイでもないのに、男なんて愛したこともないのに、それができるっていうのか、あんたは!!」 「できる」  千春が息を飲む。  俺はもう一度「できる」と言った。  千春は頭を項垂れ、また首を横に振る。        「シノさん・・・、分かってないよ。全然、分かってない。辛いんだよ。こういう生き方は。自ら望んでくるところじゃない。どれだけのものを失うことになるのか、シノさんは分かってないんだ」 「そんなの、その時に考えればいい」 「だから! その時に考えて、ダメだったら? そしたら、あなたは消えてしまうんだろ? あの人みたいに、どこかの女と結婚して、何事もなかったかのように、あわよくば親戚の子か自分の娘と付き合うように、そそのかしたりとかして、そうしてまた僕を傷つけるんだろ? もうたくさんなんだ!! 失うのは、もう嫌なんだ!! 分かってくれよ!!」  俺はそこまで聞いて、初めて動揺した。  千春が何に怯えているか、まるで分からなかったし、同時に分かったような気がした。 「千春・・・」  俺がそう呟いた時、間に入ってくる人影があった。 「ハイハイ、もうそこまでにしなよ」  どこかで見たことがある男だと思った。 「お兄さんもさぁ、どこの新人俳優だか知らないけど、スタントの仕事でもやってるの? とにかくアンタは、フラレたんだからさぁ。観念しなよ」  そう言って男は、俺の胸元をポンポンと叩く。 「大体ねぇ、ノンケは長続きしないんだよ。一時、男を好きになったとしてもさ。俺らみたいな生粋のゲイにとっちゃ、アンタみたいなのが、一番始末が悪いの。いい夢見させてあげたと思ったら、あっさりと女の元に帰ったりさ。出世に響くとか、世間体が悪いとかなんとか言ってね。澤先生が言ってるのは、そういうこと。分かった?」  男は千春に近づくと、ゆっくりと俺に見せつけるように千春にキスをした。  俺は、ハッとする。  あの晩。  千春と初めて出会ったあの晩、一緒にいた男だった。  確か、花村祐介とかいう俳優。  俺の左目の下の皮膚がピクリピクリと震える。 「ノンケは、人前でこういうことできないでしょ。そういうの、シラケるんだよね」  俺は目を細めて男を見ると、男を突き飛ばした。  俺は今、人生初めて『嫉妬』という感情を覚えていた。  こんなにも激しく、一気に頭に血が昇るような感覚だったとは。  俺は千春に近づくと、その胸ぐらを引っ掴んで、唇を押し付けた。  周囲から、ワァと声が上がる。  ハッと息を吐きながら唇を離し、目を開くと、静かだけど無表情な千春の目が見えた。 「 ── シノさん、一度でも僕が『好きだ』とあなたに言いましたか?」  俺は目を見開いて、千春を見た。 「僕が一度でもあなたに、好きだと言った?」  俺は・・・。  首を横に振った。  ハハハッと花村が笑う。 「つまり、そういうことですよ」 「 ── 俺の勘違いだと?」  しばしの沈黙の後、千春は言った。 「そうです」  俺の中で、何かがぷつんと切れた。  俺は、千春を掴んでいた手を離して、だらりと両腕を下げた。   ── 俺の・・・勘違い。  それなら・・・、仕方がない・・・。  そこからの記憶は、あまりない。  俺は、花村に笑われながら、VIPルームを後にしたのだった。
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