act.33

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act.33

<side-CHIHARU>  「えー、今回の特別ゲストは、澤清順先生です」  僕はスタジオ中の拍手に迎えられ、インタビュアーの向かいの席に腰掛けた。  インタビュアーは、長年夕方のニュースでアンカーを務めている有名なフリーキャスターの女性だった。 「初めまして、清水です」 「初めまして、澤です」 「いやぁ、女の私が言うのもあれなんですけれど、本当におキレイですね、澤先生」 「いやいやいや」  僕は苦笑いして、思わずそう口走った。  内心、ハッとする。  それはシノさんの口ぶりにそっくりだったから。 「えー、澤先生は、実に一年半ぶりになる新作を発表されたんですよね」 「ええ」 「それが、今までの作風とまったく違って、非常にストレートと言いますか、リアルと言いますか、設定も・・・ゲイの恋愛を扱ってらっしゃいますよね、今回は。初めて、ですよね」 「はい」 「これまで澤先生は、そういった題材を選んでこなかった訳ですが、今回あえてそこに焦点を当てたというのは、何か心境の変化でもあったんでしょうか?」 「ある先輩作家さんから、『そろそろ本気になって小説を書け』と言われたことがあって。『自分にきちんと向き合え』と。 ── 正直、自分に向き合う作業というのは、僕にとってキツイ作業でした。皆さんご存知の通り、僕はゲイですから、自分に向き合うということは、自分の性的な部分と向き合うことにもなります。僕にとってそれは、容易いことではありませんでした」  インタビュアーがしきりと頷く。 「でもそれは、この道でやっていくには、やはり必要な・・・そして重要なことだと思い直して、今回の作品を書こうと思ったんです」 「なるほど。今回の本は、凄くウェットですよね。今までのドライな作風と比べて、凄く人間臭いというか。登場人物でも、醜い感情とか執着といった部分が数多く表現されています。今までとは真逆の作風にすることに、抵抗はありませんでしたか?」  僕は苦笑いした。 「己をさらけ出すためには、やはり弱い部分だったり醜い部分だったりをストレートに書く必要があると思ったからです。確かに、これまでの僕の作風が好きな方には、受け取りにくい作品になったと思いますし、出版社の担当者には悪いことかもしれませんが、以前のように売れたりはしない話かもしれません。マイノリティーが主人公の小説ですから」  僕は、スタジオの隅にいる岡崎さんをチラリと見た。  岡崎さんは、「もう、仕方ないわね」といった風に少し呆れた、でも温かい笑みを浮かべ、こちらを眺めていた。 「でも、僕にとっては、これまでの作品とは比べものにならないくらい思い出深い本となりました。執筆期間は短かったのですが、こんなに苦しみながら小説を書いたのは初めてだし、こんなに格好悪い自分に遭遇したのも初めての経験です」 「格好悪い!? いやぁ、私も読ませていただきましたけど、格好悪くなんかはないですよ。本当にとても人間的で、魅力的に思えました。それだけに、ラストは泣けてね。年甲斐もなく、私も号泣しました。それに、主人公が恋をする相手の男性! 『シュン』でしたっけ」 「はい」 「この人が、もう純粋で、ひたむきでね。おばさんにはキラキラして見えましたよ。世の中にこんな人、本当にいたらいいなぁと思ったりして。ねぇ」  スタジオが笑いに包まれる。   「ところでこれは・・・先生の実体験なんですか?」    僕はまた苦笑する。 「一応僕の小説はフィクションです」 「そうなんですか?」 「だって僕は入水自殺してない訳ですし」 「あ、そうですよね! 主人公と同じなら、今日スタジオにお越しいただけない、ということになりますものね。あら、これ、ネタバレになりますけど、大丈夫なんですか?」  またスタジオが湧く。 「で、タイトルの『All You Need is Love』ですが、これはビートルズの曲から・・・」 「と言いたいところなんですが。読んでいただいたら分かるように、あの曲に添わせた話ではありません。主人公が己の愚かさを痛感して、思い知った答えというか・・・そういう意味です。後悔の中から、突きつけられた言葉というか」 「ああ、だから悲恋なのに、そういったタイトルが付けられたんですね」 「はい」  後のインタビューは、少し前に話題になったヌード写真のことや、映画についての質問を受けた。  美の秘訣は何だと訊かれ、僕は笑って誤摩化した。 「では、CMの後は街頭インタビューです。今回は、澤先生の小説にちなんで、『愛こそすべてなのか、あなたの恋愛観』についてです。澤先生、ありがとうございました」 「ありがとうございました」  カメラのランプが消えた。 「はい、CM入りましたぁ!」 「澤先生、本当にありがとうございました」  インタビュアーが頭を下げる。僕も同じように頭を下げた。 「本にサインをしていただいてもよろしいですか?」 「ええ。構いませんよ」  僕はその場でペンと本を渡され、内表紙にサインを書いた。 「CM後も、もしよろしければご覧になってください。澤先生のファンを集めての街頭インタビューがありますので」 「はい」  僕は、胸元のマイクを取ると、スタジオセットから降りた。  拍手をされる。  僕は二、三回頭を下げて、岡崎さんのところまで歩いた。 「売れなきゃ、困るんですけど」  岡崎さんに近づくなり、彼女がそう言う。  僕は肩を竦めた。 「すみません。でも、売れることとか全然考えずに書いた小説だから」  僕がそう言うと、岡崎さんはニヤニヤと笑いながら、分厚いスケジュール帳で軽く僕を叩いた。 「売るのはこっちの仕事よ。あの小説が売れなきゃ、誰かが責任取らなきゃいけないぐらい広報戦略がなってなかったってことよ。あなたに責任はないわ」 「言いますね」 「プロだもの、一応」  僕達は顔を見合わせて笑い合った。  僕がこの小説を書き上げてからというもの、僕と岡崎さんの距離は微妙に変化した。  少し距離が縮まったのだ。  彼女が言うに、「これまでは得体の知れない宇宙人を相手にしてきたイメージだったけど、その宇宙人にはちゃんと赤い血が流れていたことが分かった」らしい。  元々僕は、この小説を世に出すつもりはなかった。  これは僕がシノさんを諦めるために、自分に言い聞かせるつもりで書かねばならなかった小説だった。  書いて消化しなくては、息すら止まりそうだったから。  シノさんへの想いも、自分の中の罪悪感や喪失感、そして最大級の償いの気持ちを込めて一気に書ききった後、僕はパソコンの電源をそのままつけっぱなしにして、丸二日、体調を崩して寝込んでしまった。  そんな僕を親身になって面倒見てくれたのが、他でもない岡崎さんだった。  いつもビジネス一辺倒の彼女が、スタイリッシュなスーツを脱いで、まるで母親の如くかいがいしく僕の面倒をみてくれたことは本当に意外だった。  確かに彼女にとって僕は大事な「商品」なのだから、そうするのが当然なんだろうけど。  でも彼女のしてくれたことは、ビジネス以上の温かみがあった。  ベッドになんとか起き上がれるようになった頃、僕は岡崎さんに、どうしてこんなことをしてくれたのかと訊いた。別に、いつも使っている家政婦サービスに頼むことだってできたのに、と。  岡崎さんは、一言こう答えた。 「澤清順の本心が分かる小説に初めて出会えたからよ」  岡崎さんは、僕が寝込んでいる間に、パソコンに表示されたままのあの話を読んだのだという。  あの小説を書いて僕の中の何かが変わったように、岡崎さんもあの小説を読んで変わったんだという。  あの話にそんな力があるなんて、思ってもみなかった。  ぜひ出版したいと岡崎さんに言われ僕は正直迷ったが、最終的には承諾をした。  岡崎さんに、この世の中に僕のような苦しい悩みや想いを抱えて生きている人達のことを考えてもらえるきっかけになるんじゃないかと言われ、その言葉が胸に響いた。  僕とシノさんはダメだったけれど、僕の小説が世に出ることによって、世の中がもう少し、ほんの少しでも好転したなら。  僕とシノさんのような辛い思いをする人が少なくなるかもしれない・・・。  一瞬、シノさんに読まれてしまったら困ると頭に過ったが(なにせ小説全編、シノさんへの女々しい想いをあからさまに綴ってるし、シノさんが読めば一発でシノさんと僕のことだってバレる)、シノさんの家の本棚は雑誌とビジネス書しか並んでいなかったし、あんな酷い切り捨てられ方をしたんだから、シノさんが僕の書いた本を読むはずもない。  僕はそう思って、出版にGOサインを出したのだった。 「中継、入りまぁす!」  突如、ADスタッフの声が、スタジオに響いた。 「どれどれ? どんなファンが出てくるかな?」  岡崎さんが側のモニターを覗き込む。  僕はその後ろに立った。      中継場所は渋谷のスペイン坂付近で、若い人でごった返している様子だった。  案の定、路上に据えられたカメラには、僕のファンらしき女性達が群がっているのはもちろんのこと、僕の名前を知りもしなさそうな冷やかしの男達もいて、ちょっとしたカオス状態だった。 『はい、こちらのスペイン坂では、澤先生の最新刊を手にした若い女性がたっくさん集まってきています! では、お話を訊いてみましょう。こんちにはー』 『こ、こんちには』 『あ、先生の本、もうお持ちですね』 『発売初日に並んで買いました』 『わぁ、凄いですね。スタジオには、おそらく澤先生もまだいらっしゃると思いますけど、いかがでしたか? 本を読んだ感想は』 『ラストで、思わず泣いちゃいました。凄く切なくて』 『そうですか』 『先生の今までの作風とは全く違って、最初戸惑ったんですけれど、でも読んでるうちに、こういうのもいいなって思えたんです』 『では、あなたの恋愛観についてお伺いします・・・』 「よかったわね」  岡崎さんがモニターを覗き込んだまま、そう言った。 「え?」  僕が訊き返すと、岡崎さんは振り返る。 「意外に反応、いいじゃない」 「でも、一人だけの意見ですからね」 「そりゃそうだけど。全く、たまには素直に喜んだら? いつも天の邪鬼なんだから」  僕は肩を竦ませる。 『では、次の方・・・。あ、先ほど物凄い勢いで人を掻き分けていらっしゃった方ですね。男性の方です。女性だけじゃなくて、男性の方にもお訊きしてみましょう』  レポーターが、次の人にマイクを向けた。  カメラがパーンするが、その人の身長が高くて、一瞬ぶれた。  その一瞬過ったスーツの生地が、黒地にシルバーのピンストライプで。  あっと思ったら、画面にシノさんが映っていた。  驚いた。  何をやってるんだ、シノさん。  どうしてそんなところに。 「あら、随分ハンサムな子だわ」  岡崎さんが呟く。 『え~、あなたは澤先生のファンでいらっしゃるんですか?』  レポーターがマイクを向けた瞬間、あろうことかシノさんは、そのマイクを奪った。  究極的に思い詰めた表情。  シノさんがカメラを指差す。 『おい! お前の認識は間違ってる!!』  その第一声に、現場もスタジオも一瞬動きを止めた。 『俺は死んでなんかないし、それに、あのタイトル! All You Need is Loveは・・・、あの曲は、そんな意味じゃないんだからな!!』 『えっ、ちょ、だから、ビートルズの曲とは違うって言ってたじゃない・・・』  レポーターの声が小さくシノさんにツッコミを入れたが、シノさんは全くの無視だ。  あの顔。  完全に頭に血が昇ってる。  その顔は、過去に一度だけ見たことのある顔だった。  僕の中に、あの時の記憶が蘇る。  ラ・トラヴィアータで、シノさんが危険なスタントまがいのことまでして、僕を捜しに来てくれた夜のこと。  あの時も凄く真剣な顔をして、僕を見つめていたっけ。  僕はその表情を見ただけで心臓がギュッとなったけど、なんとかそれを表に出さないように耐えた。  だって、隙を見せたら、きっとシノさんを拒絶できなくなる。  シノさんを、僕の住む汚れた世界に引きずり込んでしまうことになると思ったから。  僕からすればシノさんは、完璧で理想の人だった。  男として生まれたからには、この人のように生きていきたいと思えるほどの人で。  そんな人、僕にはもったいなさ過ぎる。  ましてや、僕のせいで辛い人生を歩ませることになるなど。  シノさんを拒絶してシノさんが傷つくことは分かっていたけど、それは一時のことだと自分に言い聞かせて。  皆の前でキスまでしてくれたシノさんに、本当に涙が出そうになったけど。  これをいい思い出にすればいいと、心の中で歯を食いしばった。  僕が最後の引導を渡した時のシノさんの顔。  究極的に物寂しげな、傷ついたというよりは魂をぽっかりと抜かれたような表情をしていた。   ── ああ、シノさん、ごめんよ。  でも僕は、あなたの手を取ることはできないんだ。  あなたを得て、そして失う時を想像しただけで、怖くて恐ろしくて震えるんだ。  そう。  僕は卑怯者だった。  シノさんのためと言いながら、本当は僕のためだったんだ。  僕が、あまりにもシノさんを好き過ぎて。  シノさんを失うことが耐えられないと思ったから。  だからそうなる前に、シノさんの手を離すことにしたんだ。  それなのにシノさんは、まだこうして僕のことを追いかけてきてくれるのか・・・。  画面の向こうのシノさんが、真っ直ぐ僕を見る。  そしてこう言った。  『あの曲には、“人間、背伸びしたってダメなんだ、あるがまま自分が自然にいれる場所で、自分に素直に生きていけばいいんだ”って、そういうメッセージが込められてるんだ。だから千春、もう変に装うのなんてやめちまえ! 俺に嘘をつくのなんて、やめろ!!』   ── シノさん・・・・。  僕は思わず口を覆った。  その指は、小刻みに震えてた。  シノさんがあの小説本を読んでくれていたことにも驚いたが、あの本を読んだ上にまだ、何もかもダメな僕にそんなことを言ってくれているのが信じられなくて。 『あっ、あなた、なんなんですか? 千春って、誰よ・・・』  レポーターはシノさんからマイクを奪おうとするが、背の高いシノさんはマイクを上の方に避けながら、奪われないように抵抗してる。 『そんなに俺の気持ちが信じられないっていうんなら・・・、どっか、どこでも、今すぐ結婚できるところに行って、結婚しよう!! 俺は、本気だ!』 『え? プ、プロポーズ?』  スタジオのフロアディレクターの仕草で一瞬中継が切られかけそうになったが、シノさんのその台詞で、中継続行が指示される。 『好きだよ、千春。君がいなくなって痛感してる。本当に、千春が傍にいないとダメなんだ。全然頑張れないんだ。だから千春、もう逃げないでほしい。返事、待ってる。俺、ずっと待ってるから』  シノさんはそこまで言うと、ふいに正気に戻ったかのように周囲を見回し、レポーターの女性を見た。 『以上です』  シノさんはそう言って、レポーターの女性に向かって丁寧に頭を下げると(レポーターもつられて頭を下げていた)、マイクを返して画面から消えた。   ── 僕は・・・。僕はと・・・いえば・・・ 「ちょ、ちょっと・・・、千春って・・・」  モニターを食い入るように見つめていた岡崎さんが、僕を振り返る。  そして彼女はポカンとした後、苦笑いとも泣き笑いとも取れる表情で僕を見た。 「 ── やだ、澤くん。あなた、泣いてるの、笑ってるの? どっち?」  僕にも、それは分からなかった。  笑ってるのか、泣いてるのか。  多分、その両方。   ── シノさん、やっぱりあなたは凄い人だね。  意固地な僕をこんな気持ちにさせるのは、世界中であなたしかいない。  世界中でたったひとり。  あなただけです。
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