act.15

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act.15

<side-SHINO>  千春が連れて行ってくれたクラブは、六本木にあった。  狭い通路を通ってフロアに出ると、そこは三階吹き抜けになっていて、凄い迫力だった。  まるで外国の古い劇場のような造りだ。  店はまだ早い時間にもかかわらず凄い人で、外界とは完全に遮断されていて、まるで深夜のような雰囲気だった。  正直俺はこんな店来たことがなかったから、面食らってしまった。  フロアの熱気にやられて突っ立っている俺の両肩を、千春が後ろから叩く。 「さ、行きましょう」  千春に押されるようにして、店の中を進む。  足を進める度に、周囲の人達が俺達を見つめてくる。皆一様に、男も女もジロリと俺の顔を見る。  女は途端に艶っぽい顔して俺を見つめ、男は逆に顔を歪ませて視線を逸らせた。  何だか凄く動悸が止まらないし、ホント落ち着かない。 「階段、上がりましょう」  千春に促され、階段に向かう。  階段前には凄く怖そうな男の人が立っていたが、千春の顔を見ると、道を譲ってくれた。  二階に上がると幾分人が少なくなって、俺はほっと胸を撫で下ろした。  千春は、やや大きめにしきられているボックス席を見回して、知り合いがいるらしい部屋に俺を連れて入った。 「あれ~、澤くんじゃん。こんな早い時間から、珍し!」  長髪で真っ白い歯が異様に目立つハンサムな人が、ダラリと座っていたソファーから立ち上がり、千春に近づいてくる。 「黒柳さんも、こんな時間からここにいるなんて、相当暇なんですね」 「出たよ、出た出た。澤くんのドS発言。毎度のことながら、鋭いね。そう思いません?」  突然そのロンゲ・ハンサムマンは俺の方を見た。  そしてきょとんとする。 「あれ? 誰? この男前」  俺が不安そうに千春を見ると、千春はいわゆるしたり顔で黒柳さんとやらを斜に構えて見ている。  俺の知らない、千春の顔。  とても冷たい、怖い顔。 「彼、この間、僕がN.Yで一緒に飲んでた人」 「え?!」  黒柳さんが、俺を頭の先から足の先まで眺める。口が開きっぱなしだ。 「本当に?!」 「嘘なんかつきませんよ。さ、シノさん、座りましょう」  バルコニーのように迫り出したところに置かれてある席に向かい合って座る。  下を覗き込むと、激しい音楽にあわせてウゾウゾと人が動いているのが見えて、ちょっと怖かった。 「ねぇ、ホントに、ホント? ただのリーマンじゃなかったの?」  黒柳さんがなおも後を追ってくる。  千春は露骨にうっとおしそうな顔つきをした。  俺は黒柳さんがかわいそうになって、「あ、俺、普通のサラリーマンです」と答えた。  黒柳さんが、また俺をマジマジと見る。 「嘘でしょ?」 「いや、ホント」  黒柳さんが顔を顰める。 「冗談はなしにしましょうよ。普通のリーマンはこのクラブのVIPルームには入ってこられないし、第一、普通のリーマンが澤くんみたいな人と知り合いにはまずなれないから」 「どういう意味ですか?」  本当に意味が分からなくて、俺はそう訊いた。  黒柳さんは笑った。  彼はとてもハンサムだったけど、その笑顔は醜く見えた。 「何言ってんの、この人。ここは一般人が入れないからこそ、VIPルームなの。金はもちろん、ルックス的にもそれなりのレベルがないと入れないわけ。澤くんや俺や、あんたみたいにね。ホントはあんた、何やってる人? モデル? 新人俳優? それとも歌手?」   ── だから普通のサラリーマンなんだって。  そう言っても、信じてもらえそうにない。というより、この人、俺の言うことを聞こうとする姿勢がない。  第一、一般の人ってなんだ。  職業によって差があるのか。  収入の差があるのは確かだけど、皆働いていることにかわりはないじゃないか。  普通のサラリーマンのどこがいけないんだ?  俺が鼻から息をフーッと吐いて腕組みをすると、千春が「もういいからさ」と黒柳さんに声をかけた。 「適当に女の子連れてきてよ」 「女の子?」  黒柳さんが、目を丸くして千春を見る。 「澤くん、女の子に鞍替えしたの?」 「違いますよ。女の子がいた方が、あなたも盛り上がるでしょ。さ、自慢のそのハンサム顔で早く女の子を引っ掛けてきたら?」  黒柳くんは、千春に「ハンサム」と言われて、満更でもないって顔つきをしてボックス席を出て行った。  俺は眉間に皺を寄せて、黒柳さんが出て行った後をじっと見つめた。  あの人は気づいてないんだろうか。  さっきの千春の口調は、褒めたんじゃない。彼をバカにしながら、そう言ったんだ。  俺は腕組みをしたまま、千春を見た。 「なんですか? 何か気に入らないことでも?」  俺の表情を見て、千春が訊いてくる。  俺は口の中の肉を、口を閉じたままカチカチと噛んだ。  なんて言っていいか分からない時に出る癖。 「言いたいことがあるのなら、言ってくださいよ」  そう言われたので、俺は仕方なく言った。 「何だか、俺の知ってる千春じゃない」  俺が俯き加減のまま千春を見ると、千春は無表情のまま、テーブルの上に頬杖をついた。  本当に、何を考えているか表情が読めない。  俺は、益々不安になる。  やがて千春が口を開いた。 「こっちの方が本当の僕なんですよ。澤清順。世の中の誰もが知ってる姿です。 ── だから、あなたが日頃目にしている僕の方がイレギュラーなんだ。時々、僕自身も戸惑うほどにね」  そうなのかな?  俺は頭の中がごちゃついて、分からなくなる。  俺が視線を外すと、急にボックスの中が騒がしくなった。  黒柳さんが三人の女の子を連れてきたのだ。  どの子も凄くオシャレな格好をしていて、キレイな子達だった。しかもそのうちの一人は、テレビで見たことがある。 「キャァー! ホントだぁ、澤くんがいる~」  女の子の一人がそう言いながら、千春の膝の上にいきなり座った。  俺は、それを見て面食らう。  なんなんだ、これは一体。  そうこうしてたら、俺の膝の上にも誰かが座ってきた。  俺はびっくりして、女の子を見上げる。  テレビで見た子だ。 「やだ、カッコいい。これ」  俺の膝の上に座った子が俺を見下ろしたまま、そう言う。黒柳さんが「澤くんの新しい友達」と答えた。  “これ”って・・・俺はものかよ。 「お名前は?」  女の子は小首をかしげて、そう訊いてくる。確かに、そういう仕草をされるとカワイイ。 「 ── し、篠田です」 「下の名前は?」 「俊介」 「シュンスケ~。かわい~」  頭をグリグリ撫でられた。  何だ、ここは。キャバクラか? って、キャバクラ行ったことないけど・・・。 「誰か、適当に飲み物持ってきてもらえませんか?」  千春が女の子を膝に乗せたまま、淡々とした口調でそう言う。  何だよ、千春。  お前、全然楽しそうじゃないじゃん。  こんなところのどこが楽しいんだよ。  お前、いつもこんなところで、こんな風に過ごしてきたっていうのか?  俺はジッと千春を見つめたが、千春は俺の視線に気づかなかった。 「あ! 私、行く! ね、行きましょ」  俺の膝に乗った女の子が、そう言って立ち上がり、俺の腕を掴んだ。 「え? 俺も?」 「そ、行くの。じゃ」  俺は女の子に連れられて、一階のバーカウンターに連れて行かれた。  カウンターの背面の壁には、様々な酒が乱雑に並んでいる。  蒸留酒もリキュールもごっちゃごちゃに並んでいる。  ラベルも表を向いたり、横を向いたり、酷いのになると真後ろを向いてしまっているボトルもある。  なんか、お酒が大切にされてないような気がして、俺は胸焼けがした。  女の子は俺の手を掴んだまま、カウンターに身を乗り出し、「ショットガン、2つ」と頼んだ。 「ショットガン?!」  俺は思わず大きな声を上げたが、俺の声はズンズンと低温が響く音楽にかき消された。  いきなりそんな強い酒飲むのか?!  ショットガンは、テキーラやウォッカなんかの強い酒に炭酸を注いで、それをテーブルに打ち付け、泡が立ったところを一気飲みする飲み方だ。  俺がおろおろしている間に、ライム一切れとショットガングラスが目の前に出された。 「かんぱ~い」  女の子は俺を振り返ってグラスをかざすと、ライムもそのままにそれをテーブルに打ち付け、一気にあおった。 「さぁ、篠田さんも飲んで」  俺はライムをひと齧りすると、無理矢理一気に飲み干した。  この味は、テキーラベースだ。  喉の奥がカッとなる。  俺が顔を顰めると、女の子がペロリと俺の頬を舐めた。  ぎょっとして、女の子を見る。 「お酒弱いの? カワイイ。 ── ちょっとお兄さん、もう一回、同じの」  女の子がカウンターを叩いて、バーテンに促す。 「ちょっ、ちょっと。頼まれた皆の飲み物、持って行かないと」  俺がそう言うと、女の子はキャハハと笑った。 「いいのよ、そんなの放っておけば。VIPルームは店の人に声をかければ、オーダー取ってくれるんだし。 ── ちょっとぉ、お兄さん、早くしてよ」  またカウンターを叩く。  俺は頭がグラグラした。 「すご~い、真っ赤になってる。ホント、カワイイ」  熱くなった頬を、何度も撫でられた。  香水とテキーラの香りが辺りに渦巻く。  その匂いでも酔いそうだ。 「はい、飲んで」  またグラスを持たされた。  目の前で女の子が一気飲みする。    俺はグラスに口を付けたものの、半分ぐらいまで飲んで、喉が受け付けなくなった。 「もう、しょうがないなぁ」  女の子は甘えた声でそう言って、俺が飲み残したものも飲んでしまう。  ゴホゴホと咳き込む俺に、女の子がグッと近づいてくる。  彼女の大きな胸が俺のみぞおちに押し付けられ、彼女の手が俺の尻を掴んだ。 「ね、これからホテル、行こうか」  俺は目を見張って彼女を見た。 「本気で言ってるの?」  俺が聞き返すと、彼女は聞き返してくる意味が 分からないといった表情を浮かべた。「なんで?」と肩を竦める。 「だって、さっき会ったばかりだよ」 「うん。それが?」 「それがって・・・。怖くないの? 知らない男だよ」 「知ってるわよぉ。篠田さんでしょ? 私はトモ。バラエティー系で頑張ってまぁす」  トモと名乗った彼女は、オーバーにそう言って、またキャハハと笑った。  俺は、呆れてしまった。  頭が痛い。  気持ちが悪い。  俺は頭を横に振ると、彼女を置いて二階に向かった。  階段を上がり際、先ほどの屈強そうな男の人にジロジロと見られたが、彼はそのまま俺を通してくれた。  俺は多少もたつく足取りで千春のいるボックス席まで帰ると、千春の側に立ち、「帰りたい」と言った。  千春が俺を見上げる。 「どうしました?」  俺の顔色が真っ赤なのに気がついて、千春が眉間に皺を寄せる。  俺はただ、帰りたいを連発した。  そのうち、カウンターに置いてきた女の子が凄い剣幕でボックス席に入ってくる。 「ちょっと、何、この人! 全然空気読めないし!」 「何があったんだよ」  黒柳さんが女の子をなだめる。  俺は、そのままボックス席を出た。  もうここには、いたくない。  確かに、俺の姿が以前とは比べものにならないくらいよくなったことも分かった。今までのモテなさ過ぎなのが嘘みたいに女の子が積極的に迫ってきて、ホテルにまで行こうって言ってくれた。  へたしたら、今夜いよいよ童貞にさよならできる最大のチャンスが到来したかもしれなかったのに、俺にはこんなの無理だった。  千春が、後を追ってくる。 「シノさん! 待って!!」  俺は、止まらなかった。  青いライトに照らされた出口までの長い通路を、時折壁にぶつかりながら歩く。 「シノさん、足下が危ない。そんなに急がないで」  俺は頭を横に振って、なおも歩いた。本当は走りたかったけど、足がもつれて走れない。 「シノさん!! 何をされたんです?」 「 ── ホテルに行こうって言われて、ケツを掴まれた」  俺はまたよろけて、壁に肩をぶつけた。  その腕を、千春が掴む。  「シノさん」 「分かってるよ。チャンスなんだってことは。それを望んだのは俺だし、千春にお願いした最大の目標がそれだってことも。 ── でも、嫌なんだ、こんなの!」  俺は、振り返って千春を見た。  俺の顔を見て何を思ったのか、千春は顔を顰めた。  通路を行き交う他の客も、俺の怒鳴り声に驚いて、俺達を見て行く。  でも俺は、構っていられなかった。  胸の中に渦巻いた気持ち悪い感情全部を吐き出さなくては、気を失いそうな感覚が俺を襲っていた。 「 ── ごめん。分かってる。千春が俺のためにいろいろ考えてくれてることは・・・。でも、こういうのは、俺は向いてないんだ。ホント、嫌なんだ」 「分かりました、シノさん」 「本当に嫌なんだ・・・」 「分かったから、シノさん」 「無理なんだ、こんなの・・・」 「シノさん!」  俯く俺の両肩を掴んで、千春が俺を揺さぶる。  俺は再度千春を見た。 「僕は、どうすればいいですか?」  千春が、そう訊いてくる。  俺はハァと息を吐いて、千春の胸元に左手を置いた。 「 ── 俺の知ってる千春に戻って」  千春の瞳が泳ぐ。 「シノさんの知ってる僕って、どんな僕ですか? 僕にはそれが分からない。 ── どうしたら・・・」  俺は思わず千春に抱きついた。  正確には、縋り付いたみたいなものだ。  俺は千春の肩口に顔を押し付けて、「お願いだから、 俺の知ってる千春に戻ってくれよ」と何度も何度も呟いた。  千春が困っているのは分かっていた。  でも、千春が戻ってくれないと、俺は不安で不安で仕方がないんだ。  やがて千春は俺の頭に優しく手を置くと、「シノさん、ごめん。僕が悪かった。だからもう泣かないで・・・」と囁いた。
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