act.19

1/1
2962人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ

act.19

第九章 紅葉おろしの怪 <side-CHIHARU>  岡崎さんが、僕の発言に目を丸くした。 「澤君、お料理に興味あるの?」  雑誌取材が行われるスタジオまで向かう道すがら、岡崎さんは僕の顔を覗き込んだ。  岡崎さんは僕が料理できることを知らないから、僕がその方面に興味があること自体、意外に思うだろう。 「僕じゃなくて、僕の友人なんですけどね。通いたいのは。僕は引率をさせてもらいたいだけで。岡崎さん、知り合いにフードコーディネーターがいるじゃないですか。だから、情報持ってそうだと思って」 「前川のこと? 確かに彼女、お料理教室もしてるけど」 「料理の初心者でも大丈夫そうですか?」 「ええ、そりゃそう彼女に言っておけば大丈夫だと思うけど・・・。友人って、新しい彼氏?」  岡崎さんが、急に女の顔になった。  彼女がそんな顔になるなんて、正直意外だった。  僕が普段からパーソナルな部分を余り出してこなかったから、こんなことを言い出す僕のことが純粋に女として気になったんだろう。やはり女性というものは、ゴシップ好きというか何というか。 「確かに男の友人ですけどね。残念ながら、彼氏ではないです」 「何だ」  岡崎さんが肩を竦める。  なんだってこうも女性は、僕の男性関係を勘ぐってくるのか。そんなに見たいのかな。僕と彼氏がイチャイチャしてるところとか。 「澤先生、入りま~す」  僕がスタジオに入るのと同時に、雑誌社のスタッフがスタジオ中に響く声でそう言った。 「よろしくお願いします」  岡崎さんが僕の代わりにといった勢いで、ペコペコと頭を下げた。 「まずは澤先生、こちらに」  僕はそのまま、スタジオの片隅に作られた簡易ドレッサーの前まで連れて行かれる。  雑誌撮影は大概こうして、男でもヘアメイクから始まるのだ。まぁ、ヘアメイクといっても髪型と肌色を少し整えるぐらいだけど。  今日取材を受ける女性誌は三回目の取材だったが、今日のヘアメイク担当は初めての女性だった。 「わぁ・・・、澤先生、お肌ツルッツルですね。ホント、キレイ」  そう言われて、僕は「そりゃそうだ」と思った。  昨夜僕は、自宅でとはいえ温泉に入った訳だから。  僕は昨夜のことを思い出して、少し笑ってしまった。  温泉宿に一緒に行けないから温泉の元を買ってきた、だなんて。  本当にあの人の考えることといったら ── いつも予想外だし、とてもカワイイ。その発想が。  昨夜のシノさんは、どういう訳か、僕によく『懐いて』きた。  この表現はちょっとおかしいのかもしれないけれど、ちょうどそんな雰囲気だったんだ。  いつもよりよくしゃべってたし、よく笑っていた。  シノさんは、興が乗ってくるとよくボディタッチをしてくるが、それがいつもより多かった。  これが他の男なら、そこにヨコシマな何かを感じてしまうところだけど、シノさんのには、そういうのを一切感じない。  肩やら腕やらに触られながら、僕はシノさんがまた『寂しい病』にかかっているのではないかと思った。  僕と知り合って間もない頃は、まるで家の中の空虚さを埋めるように、互いの家に帰ってから後も、よく携帯に電話をしてきた。  酷い時は、電話口でそのまま寝ちゃうようなことまであった。  シノさんは決して口には出さないけど、本当に寂しがり屋なんだなって思う。  お風呂から上がって、真っ赤っかになっている彼も可愛かったけど、頬を綻ばせながら、僕の作ったキュウリの浅漬けを黙々と食べる姿も可愛くて。  そんな彼が寂しい思いをしていること自体、自分がどうすればいいか、焦ってしまって。  葵さんが言った通り、きっと僕はシノさんに恋してる。  それがいつもと違うのは、むろんノンケ相手というのもあるけど、そういうのとは更に違って・・・なんて言うのかな。僕の中の『父性』・・・いやそれよりも『母性』に近い感情をかき立てられていることだ。  昔は、人の面倒を見るなんてとんでもない苦痛だって感じていたけど、シノさんだけは別だ。  いつまでも彼の話を聞いていたいと思うし、僕の作った料理を彼が黙々と食べるのを見ていたい。  だから正直、シノさんにはあまり料理、上手くなってほしくないんだ。  そうなると、僕の役割がなくなるから。  シノさんが自分で料理ができるようになったら、きっと僕はもう用済みだ。  いつか彼も自分が本当は女性からモテていることを知るだろうし、そうなれば更に僕が傍にいる理由はなくなる訳で。  それを思うだけで胸の奥に息が入っていかなくなるけど、彼のためを思えば、そっちの方がいいんだって思う。  ああ、僕が抱き締めるだけでシノさんの寂しさが消えてなくなるのなら、即座にそうするのに。  でも、それはきっと、僕に求められている役割ではない。  取材は、相も変わらず僕の恋愛論についてだった。  今度映画化される小説に搦めての話だったが、インタビューを受けたのはほんの僅かな時間で、それよりも写真撮影に時間が割かれた。  何だか、モデルでもないのに変な感じだ。皆、僕が単なる小説家だってことを、そろそろ忘れかけてきてるのではないかと思う。  今日のために用意されていた衣装は、白のシンプルなシャツに白のパンツ。  スタイリストは「全身白って、プロのモデルでも着こなすの大変なんですよぉ」なんて言いながら、ホクホク顔で着替えた後の僕を見つめた。  髭面の男性カメラマンも初めての人だったが、撮影用の衣装に着替えてきた僕を見てテンションが上がってきたようだった。  確かこの人、ファッションフォト業界で結構有名な人だったよね。  ゲイの噂は聞いてないから多分違うとは思うけど、僕を見る目が完全にギラギラとしていて、「あぁ、プロの目だなぁ」って思った。  だから、世の中を舐めてかかってる僕なんかが被写体になってもいいのかなって思うけど、それでもいいらしい。  僕が、シノさんの寂しさを癒せない無力感を抱えたまま、気怠くカメラのレンズを見ると、「君は危うい雰囲気があるな」と、どんどんシャッターを切り始めた。  壁も天井も真っ白い中でポツンと立っていると、益々シノさんへの想いが溢れてくる。  『白』は僕の中で、シノさんの色だったから。  穢れのない、純粋な存在。  僕を限りなく浄化してくれる、かけがえのない存在・・・。  白の洪水が僕を包み込んでいる。  まるでシノさんに包まれているような感じ。  僕は決して適うことのないその瞬間を想像して、迂闊にも泣きそうになってしまった。  これまでの人生の中で、ろくすっぽ泣いてきたことのない、この僕が。  ふと、シャッター音がやんだ。 「すまないが、これからの撮影、彼と俺だけにしてくれるかな」  ざわりとスタジオの空気が揺れた。  明らかにイレギュラーな要求だってことは、周りのスタッフの様子で分かった。  カメラマンは僕に近づいてくると、周囲に聞こえない大きさの声で言った。 「君、今、随分苦しい恋をしているんだな。だが、君には悪いが、今の君は最高に美しい。服を脱いでもらえないか」 「え」  さすがの僕も、目を見開いた。 「脱ぐって・・・、全部ですか?」  カメラマンは頷く。  これまで様々な撮影をしてきたが、ヌード撮影なんてしたことがない。 「男のヌードなんて、女性誌で?」 「雑誌が何かなんてこの際関係ない。俺は、君の美しい瞬間をそのままカメラに落とし込みたいんだ」  確かに、この人の言わんとしていることは、きっと正しい。  だけど・・・。  そうこうしていたら、岡崎さんが近づいてきた。  どうやら不安になってきたらしい。 「どうしたんですか?」  カメラマンは岡崎さんに向き直ると、「今、彼にヌードの撮影に応じてもらえないかと交渉していたところです」と言った。  岡崎さんも目を丸くする。 「え? ヌードですか?!」  岡崎さんが思わず大きな声でそう言ったので、スタジオ中に響いた。ざわざわとスタジオが細波立つ。  今回の取材担当責任者も近づいてくる。 「小出先生、いくらなんでもいきなりヌードは無理でしょう。もともとそういう契約になってませんし・・・」 「契約なら、し直せばよかろう。ギャラが足らんのなら、俺が出す」 「いや、うちの澤はモデルやタレントとかではないですから。作家なので、ギャラとか、そういう問題では・・・」 「小出先生、それに今回の取材記事と雰囲気が違ってきますから。今回は予定ページ数も少ないですし、ヌード写真なんてインパクトが強い写真が来ると、他の特集記事が霞んでしまいます」 「ああ、無駄な会話をしている時間がもったいない。折角の空気が壊れる。磯上を呼べ」 「編集部統括を・・・ですか?」 「君らじゃ話にならん」  どうやら編集長を通り越して、もっと上の人間が呼び出されたようだ。  同じビルの中に編集部があるので、磯上統括さんとやらがスタジオに来たのは、僅か五分後のことだった。  磯上さんは、銀髪のロマンスグレーを絵に描いたような人で、ある意味カメラマンより鋭い目つきをした人だった。  スタジオの片隅で小出カメラマンと二人、話し始める。磯上さんが二、三回頷くと、あっさりと話し合いは終わった。  やがて二人が近づいてくる。 「初めまして。お世話になります。この度は弊社の取材を受けていただき、ありがとうございました」  磯上さんが握手を求めてきた。僕は彼の手を握りながら、「この人はキレモノだ」と一瞬で分かった。 「突然の申し出で驚かれたと思いますが。『本物』を見つけた小出さんは、いつもこうでね」 「本物?」  僕が怪訝そうに顔を顰めると、磯上さんは肩を竦めた。 「ええ。本当に美しいもの、魅力的なもの、記録として残しておかねばならないもの、そういうもののことです」 「それが、僕の裸だと?」  僕が半笑いで訊き返すと、小出カメラマンがそれを否定した。 「ただの裸じゃない。君の存在そのものだ。今の、その純粋な感情を抱いている、君そのものだ。人の心はどんどん変化する。今の君は、今日の今しか存在しない。その場に立ち会えていることこそが、俺にとっては奇跡なんだ。この時はもう二度とない」  真剣な目。  どこかシノさんを思わせる真っ直ぐな目をしている。  これまでのカメラマンとは全然違っていた。  シノさんと出会ってから、まるで僕の周囲に現れる人種まで変化しているように思える。 「でも・・・、雑誌の構成が・・・」  僕も出版関係とは縁がない訳ではないから、さっきの編集担当者が言っていたことも分かる。  だが、磯上さんは怯まない。 「特集を変えます。あなたの写真を特集にします」 「え!」  更に僕は驚いた。 「そんな。いい出来になるかどうか、保証できませんよ?!」 「出来を保証するのは俺の責任だから、君は心配するな」  小出さんにそう断言される。  僕は、はぁと溜息をついた。  ここまで来たら、拒めないということか。 「ただし、条件があります」  僕は言った。 「まずは、上のシャツだけで様子を見させてください。僕も、こういったところで裸になる経験はないですから。全部脱ぐ気になったら、そうするということでお願いできますか」  小出・磯上両名が同時に頷く。 「あと、例えヌードの写真が撮れたとしても、表紙にその写真は使わないでくれますか? さすがに、自分の裸の写真が本屋に平積みになっているのは抵抗があります」  小出・磯上両名がまた同時に頷く。 「それから最後に、誌面のチェックを小出さんと磯上さん自身が必ず行ってください。『あの小説家がついに脱いだ!』みたいな陳腐なコピーをつけられるのはごめんです。芸術的な意味合いで僕の裸を撮りたいというのなら、それに相応しい扱いにしてください」 「分かりました。今回の取材内容で情報が不足だと思われた場合は、追加取材に応じていただけますか?」  磯上氏がそう訊いてくる。  僕は頷いた。  ということでというか、何というか。  僕は、人生初のヌード撮影に挑むことになってしまったのだった。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!