act.21

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act.21

<side-SHINO>  「お前さぁ・・・、美樹ちゃんを好きになった時って、どんな風に分かったの?」  俺がそう訊くと、川島がブッとお茶を噴いた。  ヤツの頼んだカレーの上に、お茶がボタボタと落ちる。 「何やってんだよ、汚ねぇなぁ」 「お前が変なこと訊くからだろ?!」  川島が大きな声を上げると、社員食堂で昼食を取っていた他の課の人達が、俺達に目を向けた。  二人で「すいません」とペコペコ頭を下げる。  側にあった布巾で、テーブルの上のお茶を拭いた。 「お前なに訊いてんだよ。質問の意味が分かんねぇ」  川島が顔を顰めながら、手についたお茶のしずくを紙ナプキンで拭う。 「いや、人を好きになった時って、『好きになった』ってはっきりと分かるものなのかと思って」 「お前は小学生か」  俺はそう言われて、少し口を尖らせた。  小学生はないだろ、小学生は。 「だから、答え、教えてくれよ。ドキドキしたとかさ、息苦しくなったとかさ」  俺は逆にそう川島に噛み付いてやった。  本当なら、こんな恋愛に関する質問、恋愛塾の先生である千春に訊くのが正しいんだろうけど。でも先週の休日、車の中での出来事があってから、何となく訊きづらくて。 「そりゃ、ドキドキもするし、息も苦しくなるさ。人それぞれ、個人差はあると思うけど」 「例えば、その人に間近で見つめられると、急に心臓が激しく脈打ってくるとか?」 「まぁ、そうだな」 「その人に触れられると、そこが妙に熱くなってくるっていうか」 「そうそう、そんな感じ」 「その人と話してると、自然と楽しくなってきて、そわそわしてくる感じ?」 「それもあるなって・・・、分かってんじゃん、お前。何? なんか確かめてんの?」  それって、車の中で千春と話した時に俺が感じた症状だ。  ってことは、今度女の人と会ってあの時のような感じがしたら、俺はその人に恋をしてるってことか。   ── なるほどねぇ・・・。 「おい、俺を放置するな。お~い」  丸めた紙ナプキンが投げつけられる。  俺の額に当たったそれは、俺の親子丼の上にまともに落ちた。 「ちょっ! 何してんだよ!!」 「俺を放置プレイにした罰」 「これ、お前が噴いたお茶を拭ったヤツだろ?」  俺が紙ナプキンをつまみ上げると、「それが何か?」と訊き返してくる。 「うわっ、きったねぇ!」  俺はうえぇと顔を顰めた。  千春のならまだ我慢できるけど、川島のじゃなぁ。  その後俺は、都内にあるお得意様の酒店を回るため、会社を出た。  年末商戦に備え、『薫風』を扱ってもらえるよう直談判するのが狙いだった。  取り敢えず、俺の受け持ちの小さな酒店での反応を確かめた後、大手の店舗に売り込む戦略を立てるつもりだった。  幸いなことに午後数軒回った感触では、非常に反応がよかった。「サンプルはいらない。そのまま商品を持ってこい」と言ってくれるお店も数店あり、俺は胸を撫で下ろした。  柿谷さん家族のためにも、今回の商戦は絶対に成功させたいから。  俺は次の店に向かうため、地下鉄の駅から地上に出た。  そこでアッと思う。  ここって、千春が連れてきてくれた床屋さんの近くだ。ええと、確か『デフォルト』・・・だっけ。  デフォルトで髪の毛を切ってかれこれ二週間ぐらい経つけど、俺を見る周囲の視線は明らかに変わった。  現にさっき乗ってきた電車の中でも人からの視線を感じることが多くて、最初の頃は内心落ち着かなくてソワソワした。今は何とかそれにも慣れて、気にしないでいられるようになってきている。  千春もきっとこんな感じなんだろうな毎日・・・とかって思うけど、千春の場合は、悪意のこもった視線も同時に浴びることがある訳で、厳密に言えば俺は、千春の苦しみなんてこれっぽっちも経験できていない。  何だかそれが申し訳なく思えて、人から視線を感じる時には、否が応でも千春のことを思い出してしまう。  でも、現に俺が以前のぼさっとしたあか抜けない男から、外見だけは脱皮できたことは間違いないし、その点では感謝している。  むろん、髪の毛を切ってくれて、服を選んでくれた美住さんにもね。 「ちょっとお礼でも言いに行こうかな・・・」  俺は腕時計を見て、まだ時間に余裕があることを確認した上で、デフォルトに向かった。  あとワンブロックでデフォルトに着くというところで、俺は路地の方から女の子の悲鳴にも似た怒鳴り声を聞いた。  反射的にそっちに目をやると、女の子の腕を派手な色のスーツを着た若い男が引っ掴んでいるところだった。 「本当にやめてください! 人を呼びますよ!!」  女の子が顔を上げた。  聡子ちゃんじゃないか!  俺は、走った。 「おい! 何してるんだ!!」  俺が怒鳴ると、二人が同時に俺を見た。  聡子ちゃんはすぐに俺だって分かったようで、ほっとした表情を浮かべた。  男は極限的に不機嫌そうな顔をして、俺を睨みつけてきた。  男は明らかに俺より年下だ。色白で、鼻筋が曲がった男。背は高いが、身体は薄っぺらい。 「君、手を離せよ」 「何だ、お前」 「彼女、嫌がってるだろ。手を離せよ」 「はぁ?」  男が俺を小馬鹿にするように、顔を歪めた。   ── カッチーン。  日頃、ビールケース運び続けてる俺の握力、舐めんなよ。  俺は、聡子ちゃんの腕を掴む男の手首をギュッと握って、力の限り締め上げた。 「いててててて!!!」  男が悲鳴をあげて、手を離す。  聡子ちゃんが俺の身体の後ろに回り込んだ。 「てめぇ、何すんだよ!」  男が手首を擦りながら、怒鳴る。 「それはこっちの台詞だろ? お前、彼女に何してんだよ。変質者か?」 「何を!!」  男が殴りかかってくる。でもヘナチョコパンチだ。 「聡子ちゃん、危ないから」  俺はパンチを余裕でかわして、聡子ちゃんの身体を安全な距離まで押し下げた。 「篠田さん、大丈夫ですか?」 「あ~、大丈夫、大丈夫。早くお店に戻って」 「でも・・・あ! 篠田さん、後ろ!!」  俺は咄嗟に男の頭に左手を置いて、つっかえ棒のように腕を伸ばした。  男は俺よりは背が低かったので、当然腕が俺まで届かない。  俺の左腕は人よりきっと長いから、男がいくら手を振り回そうとも当たるはずがない。  あれ? こういうコント、大阪の方でやってなかったっけ? 「チクショー!!」  男が顔を真っ赤にして、もがく。  俺は、もう一度聡子ちゃんを見た。 「いいから、今のうちにお店に帰りな。ここは俺に任せたらいいから」  聡子ちゃんは「でも・・・」とためらっていたが、やがて何かを思いついたように店の方に走って行った。  聡子ちゃんが角の向こうに消えるのを確認してから俺が手を離すと、男は勢い余って前のめりに転けた。 「ほら、暴れると自分が痛い目みるだけだろ」  俺がそう言うと、男は立ち上がって俺を睨んだ。酷く汗をかいている。 「この野郎!!」  また掴みかかってきた。  スーツの胸ぐらを掴まれる。  男は「しめた!」という表情を浮かべたが、俺は男が次の行動を起こす前に男の襟元を両手で掴むと、グイッと男を上に持ち上げた。  筋トレの効果もあってか、相手の身体がふわりと宙に浮く。  男が目を白黒させた。 「もう観念しろ」 「う~~~~!!!」 「観念するっていうんなら、下ろしてやる」 「うぅ~~~~!!」  男が頷いたので、俺はパッと手を離した。  男がその場に崩れ落ちる。ゲホゲホと咳を繰り返した。 「クソォ、こんな暴力許されると思ってるのか・・・」  男がそんなことを言ったんで、俺はほとほと呆れてしまった。 「暴力ふるったのはそっちだろ」 「けっ、警察呼んでやる!」 「呼べよ。はっきり言って、正当防衛だから」  俺はネクタイを緩め、しわくちゃになった襟元を少し開いて、男に見せた。  さっき胸ぐらを掴まれた時に、男の長く伸びた爪に引っ掻かれて、左の鎖骨のすぐ下に傷ができていた。血が滲んでいる。  男がどうしようかと迷っている間に、デフォルトの美住さんや男性スタッフが「おい! 何やってるんだ、そこ!!」と走ってきた。男はそれを見るや、そそくさと走って行った。  あ~、しつこかった。やだねぇ、粘着質な男は。  俺がフゥと息を吐くと、美住さんが俺の首もとを覗き込んだ。 「ちょっと! 怪我してるじゃない!!」 「ああ、こんなの大したことないですから」 「大したことない訳ないでしょ! 血が出てるじゃない。手当てするから、お店に来て」 「いや、ホント、いいですって」 「ダメ!!」  ひっ!  俺は身をすくませた。  美住さんの顔、鬼瓦みたいだ。  俺は美住さんに手首を掴まれると、そのままデフォルトまで連行された。  「本当に、ごめんなさい」  傷の血を拭ってくれながら、聡子ちゃんが泣きそうな顔をして言う。 「いや、聡子ちゃんが謝る必要ないから」 「でも、私のせいみたいなものですから」 「はい、聡子、寄って」  美住さんが、消毒液と傷を保護するテープを持ってきた。  テキパキと手当をしてくれる。 「でも、聡子。篠田さんが通りかかってくれて、本当によかったわね」  由紀ちゃんが聡子ちゃんを抱き締めながら、そう言った。 「あいつ、時々姿見せちゃ、聡子につきまとってるのよね」 「え、そうなの?」  俺が聡子ちゃんを見ると、彼女は困り果てたような表情を浮かべた。  俺の胸元で美住さんが溜め息をつく。 「ストーカーってほどじゃないんだけどね。元々は店の客で、あれでもいいとこのお坊ちゃんなのよ。店で聡子に目を付けて、ことあるごとに強引に聡子を誘ってくるから、この前、お店を出入り禁止にしたの。まさか実力行使に出るとは思わなかった。・・・はい。手当完了」 「あ、どうもありがとうございます」 「シャツに血が付いちゃってるけど、洗っていく?」  美住さんはそう言ってくれたが、こんなところでシャツを脱ぐのも恥ずかしいんで、俺は丁寧に断った。  そのまま俺がシャツのボタンを止めようとすると、「あああ! 待って!!」と美住さんが止めた。 「?」  俺が美住さんを見上げると、「ちょっとアタシにやらせなさいよ」と言って、俺を椅子から立たせた。  美住さんが俺の前に立ってシャツのボタンを止め、襟を直すと、ネクタイを締め直してくた。 「いやぁ~、萌えちゃうわ~、このシチュエーション。身長差も丁度いいじゃな~い」 「オーナー・・・、お客様が若干引き気味です」  シャンプーボーイが美住さんに耳打ちする。 「いいのよ! イケメンのネクタイ締めさせてもらうだなんてチャンス、滅多にないんだから!!」  美住さんがシャンプーボーイに物凄い形相でそう噛み付いたのを聞いて、その場に笑いが起こった。  重かった空気が、なんとなくほぐれる。 「美住さん。今日は彼女、一人で家に帰さない方がいいですよ」  俺がそう言うと、美住さんは「そうね」と頷いた。  美住さんはシャンプーボーイを振り返ると、「今夜、あんたが送っていってあげなさい!」と言った。 「え?! 俺、ですか・・・」  ジャンプーボーイは完全にビビり顔だ。 「オーナー、上田くんに護衛は無理ですよぉ」 「そうですよぉ、頼りない」  スタッフから口々とそう声が上がる。 「うんもう! 情けないわねぇ!」  美住さんがヒステリックな声を上げた。  俺はなんだか気の毒になって、「よければ俺が送っていきましょうか?」と言った。  店内の視線が、一斉に俺に注がれる。皆の視線が爛々としているのは気のせいだろうか。  俺は姿勢を正しながら、唾を飲み込んだ。 「いや・・・、この中で一番ガタイ大きいのは俺だし、外回りが終わったら直帰も可能なんで、仕事帰りでよければ」 「聡子、よかったねぇ~!」  真美ちゃんが聡子ちゃんの背中を叩いた。だが聡子ちゃんは、「そんな! 悪いです!」と首を横に振っている。 「聡子、送っていってもらいなさい。篠田くんも折角言ってくれてるんだし。あんたに何かあったら、アタシが嫌だもの。お礼は向こう一年間、アタシがただで篠田くんの髪の毛カットしてあげる」 「一年間は多いんじゃないですか?」  俺がそう言うと、美住さんが「多いかしら」と首を傾げる。その後ろからシャンプーボーイの上田くんが「それ、単にオーナーの趣味入ってるでしょ」とツッコミを入れた。 「うるさい! 生意気よ!!」  上田くん、美住さんにヘッドロック食らってゲンコツで頭をグリグリ擦られ、悲鳴をあげた。  何だか俺、この店に来る度にプロレス技見てるような気がする・・・。
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