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 第二章 人類総ホモ化現象 <side-SHINO>  夕べは、よく眠れなかった。  当たり前だ。  俺にとって、非日常的な人物が隣の部屋に住んでいたと判明したからだ。  ここに引っ越してきた頃から隣は住人が変わっていない筈だが、俺が引っ越しの挨拶をしに行った時にはいつも不在で、結局いつも家にいる美優にその挨拶を頼んだ。  美優の話からすると、隣には品のいい老婦人とそのお孫さんが二人で暮らしていると聞いていたけど、今夜遭遇した彼は年格好からしてその「お孫さん」なんだろう。しかしまさか、その『お孫さん』に男の恋人がいたとは。  いや、俺ははっきり言ってホモセクシャルだからって偏見は持ってないつもりだ。  人間それぞれ十人十色。それぞれの個性があるからバランスのとれた社会が形成されるのであって、ゲイの人たちも彼らなりの役割があるんだと思う。  だから、俺が感じていたのは嫌悪感ではなく、純粋な驚きだったに違いない。  世の中には、そういう嗜好の人がいることは知っていたが、まさか自分の隣に住んでるとは誰も思わないだろ?  しかも、夕べは己の孤独感に浸りきっていた訳だから、こうも思ったのだ。  ── 男同士だなんて、そんなハードルの高い条件の人間だって恋愛ができてるっていうのに、何で俺にはそれしきのことができないんだろう。  そんなことを考えていると、益々自分が病的にダメな人間じゃないかと思えてきて、その夜はカップラーメンを啜りながらメソメソと泣いた。またもや泣いてしまった。  ああ、嫌だ。こんな俺。  32歳で、メン啜りながらメソメソ泣いてる男って。  ── ・・・。  ダジャレにもなってない・・・・(泣)。  案の定、次の日、瞼は腫れていた。  それはもう酷かった。  予想した通り、スターウォーズのヨーダのような瞼。── ついでといっては何だが、頭も酷く痛む。  それでも会社を休むわけにはいかない。  サラリーマンが、泣きすぎて頭が痛いから休みます、だなんて言えるかよ。  どうしよう。会社に着くまでに治ってくれるだろうか・・・。  そんなことを思いながら顔を洗ってヒゲを剃り、「あっ、今日はゴミの日だ!」と気がついた。  例え俺がヨーダになるほど泣きはらした朝を迎えても、ゴミ収集車は待ってくれない。  美優がいた頃は、美優が家事一切を切り盛りしてくれていたが、今日からはそうもいかないのだ。  手っ取り早く燃えるゴミを纏めて、スウェット姿のまま部屋を出た。  エレベーターの前まで行って、ぎょっとする。  夕べの彼がいた。  寝癖の爆発ヘアにスウェット姿の俺とは大違いで、栗毛色のサラサラヘアに薄手のVネックセーター、濃い色のジーンズという寸分狂いのない男前な姿でそこに立っていた。  俺より細い身体つきなのに、Vネックの胸元から覗く胸板は俺と同じぐらいしっかりありそうだ。  ハンサムな上に、筋肉もしっかりついててなおかつ細身で、頭が小さくて足が長いって、どれだけスペック高いんだ。サイボーグかよ。とても同じ人類とは思えん。  彼も俺に気づく。 「おはようございます」  そう声をかけられたので、俺も「おはようございます」と返した。  ── わー・・・昨日の今日で会っちゃったよ。き、気まずい・・・。  そう思ううちにエレベーターが来て、二人で乗り込んだ。  二連チャンで会ってしまった衝撃ですぐ気づかなかったのだが、彼の手にもゴミ袋が握られていた。  なんだ、こんなイケメンでもゴミ捨てに行くんだな。  そう思うと彼が決して宇宙人なんかではなく、同じ人間なんだって思えてくる。  だから、夕べみたいな俺の態度は凄く失礼だったんだって、思わず反省したんだ。 「いいお天気ですね」  反省も込めて、思い切って彼にそう声を掛けると、「ええ、本当に」という答えが返ってきた。  ── 普通だ。極めて普通の受け答えだ。やっぱり同じ人間なんだ。  そう思う一方で、ブラック・シノダがどうしても耳元でこう囁く。  ── でもこの人、ゲイだよ。ゲイなんだよ。しかも恋人、芸能人だぞ。凄いな、あり得ないよな、こんな非日常・・・。  いかん、いかん。そんな偏見の目で見てはならん。人の道に外れる。  ゴミ捨て場に行くと、彼がゴミ捨て場のドアをさっと開けてくれた。 「どうぞ」  先にそう促され、「あ、すみません」と先にゴミを放り込んだ。  そうしてお隣さんの顔がはっきりと分かるくらい近くまで俺らの距離が近づく。  側で見ると、また更に末恐ろしいほどのハンサムだ。  俺よりは幾分丸い輪郭だったが頬は程よく痩けていてすっきりしている。凄く顔が小さい。くっきり二重で少しだけ垂れ目の甘い瞳とふっくらとした唇。それなのに鼻筋や眉はやたら男らしい。  やっぱゲイの男っていうのは、こうもキレイっていうか男前じゃないと務まらないものなんだな・・・。なんつーか、凄い・・・。いや、何が凄いか分からんが(汗)。  俺は自分でも気づかない間に、しばしぼんやりしていたらしい。 「いいんですか?」  とふいに訊かれ、俺は正気に戻る。 「は?」 「時間」  彼は小首を傾けて、腕時計を指し示す仕草をした。  そ、そうだ。ここで呑気に突っ立ってる場合じゃない。 「ありがとうございます」  俺は頭を下げると、慌てて部屋に戻った。    結局、ドライヤーと格闘しながら爆発頭を何とか纏めている間に朝飯を準備する時間がなくなり、仕方なくスーツに着替えて部屋を出た。  その時。  俺はまた、隣のお兄さんと出食わしたのだ。  なに? この三度の遭遇。  その疑問はすぐ解けた。 「これ。持って行ってください」  彼はオシャレなデザインが印刷されている紙袋を差し出してきた。  ── え? 何だろう?  俺の頭の中には、『?』マークが飛び交っていたが、俺は言われるがまま紙袋を受け取った。  お兄さんは少しだけホッとしたように微笑むと、何も言わず自分の部屋に消えていく。  どうやら、俺にこれを渡すために待っていてくれたらしい。  俺は受け取った紙袋を胸に抱えたまま、ぼんやりとした足取りでバス停に向かった。  バス停でようやく我に返って紙袋を開けると、俺は思わず「嘘だぁ・・・」と呟いていた。  そこにはテイクアウトのコーヒーとサンドウィッチ、そして目薬と目を冷やすシートが入っていた。  なんという優しさ。  見も知らない人からこんなに優しくされたのなんて、今まで経験ない。  思わずジーンとして、また少しグスッと鼻を鳴らしてしまった。  きっとあのお兄さんは、昨夜ベソをかき過ぎて亀顔になってしまった俺を見て、朝早くにこれだけのものを買いそろえてくれたんだ。  ── いい人だ。ゲイガイだけど、取りあえず、すげぇいい人だ。  夕べは、ゲイのくせして何でモテるんだとふて腐れもしたが、こんなにいい人ならモテて当然だと思った。  それだけに自分の不甲斐なさが益々募って、そんなこと思ってるから、誰も俺のこと愛してくれないんだと思った。  俺はバスが来る前にコーヒーとサンドウィッチを食べ終えると、目薬を幾度かさした。スッとした使い心地で腫れが幾分か静まる感じがする。  多少不気味だとは思ったが、バスに乗る間と電車に乗る間に冷感シートを目に貼って過ごした。  通勤ラッシュにもみくちゃにされるので、目が塞がっていても流れに逆らわず立っていれば倒れることはない。周囲の人も、貼る前の俺の亀顔に納得してくれたようで、俺が冷感シートを貼ってもそれ以上気にするような人はいなかった。  結局、あのお兄さんの神のような差し入れのおかげで、会社に着く頃には俺の瞼も頭痛もかなり回復していた。  受付の女子社員に茶化されることなく、俺は3階にある自分のオフィスまで無事に辿り着いた。 「昨夜はごめんな」  俺に遅れて会社に現れた川島が、開口一番そう言う。 「何言ってるんだよ。昨日のデート、うまくいったのか」  昨日とはまるで違う素直な気持ちでそう訊くことができた。  これもきっと、あのお兄さんの差し入れ効果だ。  川島は、俺の質問にテレ笑いで答えてきた。  ── よかった。何だか本当にうまくいきそうだ、川島と美樹ちゃん。  俺は清々しい気持ちで、企画書の続きに取りかかった。  夕べグダグタでやった箇所を全て消してやり直しても、企画書は午前中のうちに仕上げることができた。 「すみません、遅くなりました」  課長に提出すると、課長はパラパラと目を通して頷いてくれた。 「よし、他のヤツのと併せて、上と検討する」  なかなかいい感触だ。  俺は心底ホッとして昼飯を取ることにした。一人で最上階の社員食堂へと向かった。  社員食堂といっても、うちの会社は三年前に改築していたから、オシャレなカフェテリアといった風情だ。  首からスタッフ証をぶら下げた社員達が思い思いに昼食を取っている。なかなかの混み具合だ。俺は外回りが多いこともあって、昼の社員食堂にあまり来たことがなかった。  中には、外部の業者と砕けた感じの打ち合わせをしている者も少なくない。  うちの社長は、日本にボジョレーヌーボーブームの仕掛け人となった幾人かの中の一人だ。  先見の明があるうちの社長のおかげで、我が社はワインブームにも焼酎ブームにもきちんとのってきた。  全国はおろか世界各国の上質な酒を根気よく発掘しては、仕入れて市場に送り出す。そんな地道な努力の積み重ねの上にこの新社屋が完成した訳だ。  時代の流れに乗ってワインや焼酎が業務のメインとなっている加寿宮社長も、元々造り酒屋の息子である。しかし、今はもうその酒蔵はない。だから本当のところ、社長が一番思い入れがあるのは日本酒だってこと、俺たち日本酒課の人間は痛いほど分かっていた。  だから一見、洋酒課や焼酎課から見ると俺達日本酒課は格下に見られていたが、その実社長が一番期待をかけているのが我が課であることは、周知の事実だった。それだけにプレッシャーも感じるし、やりがいもある。やっぱり世の中、簡単で楽な仕事などない。  けれど、こんな清々しい気持ちで迷いなく企画書を仕上げられたのも久しぶりだ。  やっぱり、気持ちのコンディションって大切なんだなと痛感させられた。  まだお昼だというのに、既にいい仕事をしたって気分だ。  夕べから今朝にかけてすっかり失せていた食欲も、バス停でサンドウィッチを腹に収めた段階で、元の健全さを取り戻したようだ。 「カレー大盛り」  だなんて言えちゃう自分に喜びを感じてしまう。  昨日はホント、最悪だったもんなぁ・・・。 「篠田さん、ここ、席空いてますよ」  同じフロアの女子社員達がテーブルの上に広げていた雑誌を少し避けて、場所を空けてくれた。 「ああ、ありがとう。お昼かい?」  ── おい、俺、当たり前のこと訊いてんな(汗)。  俺は、自分の冴えないトークに内心がっかりしていたが、彼女達はさして揚げ足を取ったりせず、「早めにお昼にしたんです。今は食後のデザート中」「おしゃべりもね」と4人が互いに目配せし合い、キャッキャと笑っている。  女の子達って、いるだけでその場が明るい雰囲気になるからいい。  俺は女性といきなり話すのが苦手で、相手がどういう人か分からない間はまともな会話ができない。  それは社内でも同じ事なのだが、特に彼女達4人は俺と会話ができるようになるまで辛抱強く話しかける努力をしてくれた。  きっとそれは同僚だから必要があってのことだと思うけれど、それでも彼女達の優しさはありがたかった。だから苦節3年やら5年かけて、彼女達とはやっと普通に会話をすることができるようになったのだ。  じゃ、その中から恋人を選べばいいじゃないって思いますよね、普通。  きっと皆さん、そう言ってることでしょうよ。  けれど現実は、俺が3年やら5年の間マゴマゴしているうちに同僚や後輩にあっという間にかっさらわれて、4人ともが既に既婚者か彼氏ありの状況だ。 「篠田さんはお一人ですか?」 「うん、川島はまた外回りに出たからね。俺は企画書をすませたところ」 「あら、篠田さん、企画書もう上げちゃったんですか」 「うん。でも遅い方だと思うけど」 「全然そんなことないですよ」  日本酒課唯一の女子社員・・・田中さんが身を乗り出してくる。 「ほとんど企画書が出てきてないって、課長、嘆いてましたもん」  ああ、そういえば田中さんは課長から一番近い席に座ってるんだっけ。 「確かに、川島はまだネタが決められないって、いまだ外回りしてるけど・・・」 「篠田さん、手が早いから」  田中さんにそう言われて、ドキッとした。 「え? お、俺、手が早いように見える?!」  俺がギョッとして切り返すと、女子共は目を見合わせて、「あ、やだ~、そういう意味じゃないですよぉ。仕事の手が早いって言ってるんです。そっちの意味じゃないですよ」と笑い声を上げた。 「実のところ、手が早いんですか? 篠田さん」  俺は慌てて首を横に振った。何回も振った。 「そんな訳ないじゃないか」  ── もしそうだったら、今更不毛な悩みで頭を痛めてなんかいないさ。 「ですよね~。篠田さん、真面目そうだもん。遊んでない感じ」  他の三人も、うんうんと頷く。 「ははは~、遊んでなさそうかぁ~・・・」  よもや彼女達も、俺が遊んでないどころかセックスすらしたことないって夢にも思わないだろう。 「彼女としては、いいんじゃないですか? 浮気されるの最悪だもん」 「彼女なんて、全然いないよ」  俺が苦笑いすると、4人とも「え~、そうなんですか~。いそうなのに~」と気のない声で返してきた。  ま、社交辞令っていうヤツだろう。 「篠田さん、部長からきたお見合い断ったって聞いてたから、てっきり付き合ってる人がいるんだと思ってました」 「いや、俺なんて見合いって柄じゃないよ」  見合いを断った理由の一つとしては、妹と甥っ子が片付くまでは結婚してる場合じゃないっていうところだったけれど、本音を言うと見合い結婚なんかじゃなく恋愛して結婚をしたい・・・というセンチメンタルなことを考えてもいたりもするのだ。  ── 俺って、どんだけ乙女だよ(大汗)。 「誰かにモテる秘訣を教えてもらいたいところだ」  冗談交じりに俺がそう言って笑うと、4人が口を揃えて、「じゃこれ、読んだ方がいいですよ」と言って、今まで彼女達が読んでいたファッション誌を差し出してきた。 「え、なんだい?」  そう言いながら覗き込んだそのページを見た瞬間。  再び俺は、非日常的空間に自分が落っことされた感覚を覚えた。  日本女性の10代から30代まで幅広く読まれていると言われるその雑誌に特集が組まれていたのは。  なんと、お隣の超絶ハンサム・ゲイ・ガイ、その人だった。
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