act.07

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act.07

<side-SHINO>  「篠田さんは、何を飲まれますか?」  向かいの女の子にそう話しかけられ、「え!」と俺は思わず肩を竦ませた。  こんなキレイな女の子見るの滅多にないことだから、ホント緊張する。 「えっと・・・、取りあえずビール・・・」 「ビールって?」 「はい?」 「どっちですか? 生? それとも、そうじゃないビール?」 「あ! 生、生でいいです。すみません」  俺が恐縮すると、「いいえ」と言いながら笑顔を浮かべた。わぁ、感じのいい子だな。何かテレて、まともに顔見られない。  俯くと、手の甲に汗がパタッと落ちてきた。  俺は慌てて額の汗をスーツの袖口で拭う。  どうしよう。どうにもこうにも、汗が止まらない・・・。  そうこうしているうちに飲み物が運ばれてきた。  皆、生ビールだ。ジョッキではなく、細身の背が高いグラスにビールが注がれている。  泡とビールの割合は完璧だ。この店、さてはビールマイスターがいるな。 「では、乾杯しましょうか」  俺の左隣の男の人がそう言った。成澤くんといやに親しげだった人だ。確か、渡海さんだっけ。 「かんぱ~い!」  皆でグラスを併せると、俺は一気にゴクゴクとビールを飲み干した。「あー」と息を吐きながら、完全に空になったグラスを降ろすと5人がグラスを持ったまま、じっと俺を見ていた。  えっと。・・・俺、なんか悪いことした? 「喉が渇いていたもので・・・」  俺がそう言うと、真ん中に座っていた女の子が、「そうでしょうね。分かります」と呟いた。 「篠田さん、おかわり、頼みましょうね」  向かいの女の子がそう言ってくれて、その場の時間がまた元通りになった。  俺は、人知れず「はぁ」と溜息をつく。  合コンって本当に難しい。いつも女の子とのペースが掴めなくて、自分が何をしているか分からないまま時間が過ぎていくんだ。  最初の料理が揃ったところで、名前を紹介しあった。  俺は、メンバーの名前を一生懸命覚える。  ええと、女の子の名前は、向かって左から真美ちゃん、由紀ちゃん、聡子ちゃん。で、男性陣は、渡海さんに鈴木くん。  俺はまたも額の汗をスーツの袖口で急いで拭いつつ、隣の二人の男性に目をやった。  どちらも、俺なんか足下にも及ばないくらい格好いい。  渡海さんは如何にも大人の落ち着いた男って感じだし、その向こうの鈴木くんは溌剌としていて、着ている服も彼によく似合っている。特に鈴木くんは、女の子の扱いが慣れているのか、二人の女の子相手に巧みな話術を展開していて、女の子達はよく笑っていた。  ── 何だか、俺の向かいの女の子に悪い気がする。彼女も貧乏くじ引いちゃったよな、こんな俺が向かいなんて。  俺は、申し訳ないやら気恥ずかしいやら何を話していいやらで、猛然と目の前の料理を食べ続けた。  美味いかマズイかすら、よく分からん・・・。 「篠田さんは、お仕事、何されてるんですか?」  ふいに聡子ちゃんが話しかけてくれる。 「酒類卸の営業をしています」 「シュルイ?」 「あ、お酒です。お酒のこと」  俺は懐から名刺を取り出した。  聡子ちゃんが名刺を覗き込む。  思わずハッとする。  俺は、先日の成澤君の表情を思い出していた。そう、俺が名刺を出した時の。  いけない、危うく轍を踏むところだった。  俺は、慌てて名刺を引っ込める。  聡子ちゃんは、パチパチと二回瞬きをした。 「じゃ篠田さん、お酒、お好きなんですね。だから、ビールも一気に」 「いやいやいや。俺、実はお酒弱いんです。日本酒を担当してるんですが、酒蔵で試飲とかしてると、酔っぱらっちゃってブッ倒れたり。いつも課長から、怒られてるんですよ。その課長というのが・・・」 <side-CHIHARU>     ── あ、ダメだ。篠田さん、合コンで上司のグチ話は御法度ですよ。それよりもっと相手のことを訊いたり、自分のことを話さなくては。  僕は、イヤホンから漏れてくる篠田さんと聡子チャンの会話を聞きながら、右手で顔を覆った。  どうやら僕の生徒は、恋愛のダメさ加減でいえば、かなり酷いようだ。  合コンがスタートしてからこれまで、客観的に判定してしまうと、篠田さんの行動や態度はダメ出しだらけ。  乾杯の前、女の子が何を飲むか訊かないばかりか、逆に確認される。  乾杯後、他の参加者を置き去りにしての一気飲みの後、居心地が悪そうに溜息をつく。  汗をスーツの袖で拭う。  女の子に話しかけることなく、ひたすら黙々と料理を食べる。  仕事の話を振られたら、専門用語のオンパレードで女の子が会話に混ざれない。  オマケに、一度出してしまった名刺はそのまま渡すしかないのに、僕との会話を思い出したのか、慌ててそれを引っ込める。 ── 事情を知らない人だと、名刺に疚しい情報でものっかっているのかと思ってしまうじゃないか(事実、聡子ちゃんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていた)・・・。  『合コンでやってはいけないルールブック』というものがあるとするなら、まるでその教習DVDを見ているような気分になった。  確かにこれでは、合コンで意中の相手を獲得するのはよっぽど大変だ。  なぜ、こうなってしまうのだろう・・・。昨日、町で偶然彼を見かけた時は、あんなに輝いていたのに。  僕は、マジマジと篠田さんを観察した。   表情は相変わらずガチガチに固くて、頻繁に俯いてしまう。  時折チラチラと他の男性陣の様子を見て、溜息をついている。  ── はは~ん・・・。要するに篠田さんは、自分に自信ないんだ。恋愛対象が目の前にいる時に限って。  だから必要以上に萎縮しているし、視線も完全に挙動不審者だ。  もっと仕事の時のように堂々としていれば、彼の魅力も素直に伝わるだろうに・・・。  けれどそれにしても、自信がなさ過ぎる。  今まで女性と話したことがないだけで、そんなに自信をなくすだろうか。 「何かトラウマ、ありそうだな・・・」  僕は頬杖をつきながら、呟いた。 「コーヒーのお代わり、持ってこようか?」  ふいにそう話しかけられて、僕は顔を上げた。  この店のオーナーシェフ・西森さんだ。今年還暦を迎えるそうだが、わりと僕とは波長があって、いつも親しく話しかけてくれる。  今日はお願いして、小型マイクをテーブルの背面に仕掛けさせてもらっていた。  僕は西森さんを見上げると、「グラッパをワンショットください」と言った。西森さんが目を見張る。 「いいのかい? 冷静に観察したいから、酒はいらないって言ってたのに」 「この状況、飲まなきゃ乗り越えられそうにないですよ」  と僕が肩を竦めると、ハハハと西森さんが笑った。 「澤くんでも冗談、言うんだねぇ」 「冗談なら、いいんですけど」  僕は溜息をつく。  西森さんは階下を覗き込んだ。 「一番左端の彼? 君の観察相手」  西森さんが篠田さんを視線で指して訊く。  僕は頷いた。 「確かに、本人が言うように相当の恋愛下手っぽいです」 「う~ん・・・まぁ、そうかもしれないけれど。彼いいんじゃないの?」 「え?」  僕は思わず西森さんを見上げた。  西森さんは篠田さんに目をやったまま、先を続ける。 「うちの店にも合コン関係でいろんな男の子が来るけどさ。彼、結構いい方だと思うよ」  西森さんが僕を見た。 「だって現に、あんなにネガティブオーラを出してる彼だけど、女性陣は満更でもないって感じだよ」  僕は、再び下のテーブルを覗き込む。  隣に西森さんがしゃがみ込んだ。 「ほら、彼を見てるの、向かいの女の子だけじゃないでしょ。こっちから見えにくいけど、他の2人もことある毎に彼を見てる。ただ、彼が鈍感で全くその視線に気づいてないけどね。女の子は本能的に鋭いから、いくらオシャレに着飾っても中身が伴わないとダメだってこと、分かってる。だから、鈴木くんみたいなタイプは、にぎやかしにはいいけど、頭のいい女の子なら興味は表面的だよね」  ── なるほど、そうかもしれない。 「だから彼は、ダイヤの原石っていうのかな。顔も柴犬みたいで男らしいくせに可愛いし、背が高くて胸板も厚そうだ。あれだけ汗掻いて不潔そうに見えないのは奇跡じゃない? 磨けば光るよ、きっと。── それに、あの澤清順が興味を持って彼を手助けしようとしていること自体、彼の持ってるものは普通じゃないと僕は思うがね。だって、恋愛は抜きなんだろう?」  僕は、西森さんを横目で見る。 「・・・・・確かに」  オーナーはフフフと笑って、僕の頭をポンポンと叩く。 「そうやって口を尖らせてると、まるで子どもみたいで可愛いよ。澤くん、そんな顔もするんだな。よし、グラッパはオジサンが奢ってあげよう」  そう言って、笑いながら西森さんは去っていく。  え? 僕、そんな子ども染みた顔してたかな?  思わず口元を右手で被った。珍しく頬が熱くなる。   ── もう、何というか。篠田さんと知り合ってから、僕のペースは乱れまくりだ。  僕はひとつ(かぶり)を振って、階下を見た。  確かに、西森さんが言うように女の子達は時折、篠田さんに視線を注いでいる。しかも好意的な視線だ。  それなのに篠田さんは、一向に気づく気配がない。 「要するにモテないんじゃなくて、モテてることに気づいてないっていうのが正解か・・・。どんだけ鈍感な人なんだ」  ── 史上最強の『空気読めない男』なのかも、篠田さんって。  僕は、運ばれてきたグラッパを一気に煽ったのだった。 <side-SHINO>  成澤くんがセッティングしてくれた合コンは、あっという間に終わってしまった。  肝心の俺はというと、1次会でもうヘタヘタになってしまっていた。  本当のところ、大したことはしてないし、話してないし。それでもヘタヘタなのは、俺が余計なところに力を砕いていた証拠で。 「2次会行きましょうよ、2次会!」  鈴木くんが、店を出たところで大声を上げる。  なんで彼はこんなに元気なんだ? 俺の十倍以上はしゃべってたのに。  渡海さんも女の子達も「いいですね、行きましょう」と返事をしている。  皆の視線が俺に集中した。  と、その時。  スイッと俺の肩に長い腕が回され、グッと左に引き寄せられた。気づけば、俺は成澤くんの胸元に頭を押しつける恰好になっていた。  なぜか真美ちゃんと由紀ちゃんがキァーと黄色い声をあげる。 「悪いけど、彼にはこれからちょっと話がありますから」 「え~、そんなつまんないじゃぁん。2次会、澤くんも一緒に行こうよぉ」  鼻にかかった声でそう言う鈴木さんに向かって、成澤くんは一言さらりとこう言い放つ。 「勝手に行けば」  俺はギョッとして成澤くんの顔を仰ぎ見た。  女の子もいるのに、友達にそんなこと言って、大丈夫なのか?!  俺は相当ヒヤヒヤして皆の方を見たが、実際不機嫌な顔つきをしているのは鈴木くんだけだった。 「出た! 澤くんのドSぶり」  真美ちゃんがそう言って、笑っている。 「私、初めて経験しちゃった~。確かにこれは快感かも」  由紀ちゃんもそんなこと言ってる。  ── これって有名なのか? それにドSってどういうこと?  俺が目を白黒させていると、渡海さんが女の子達をエスコートしながら、「彼らはこれから反省会をするんだよ。さ、僕の店に招待するから、皆行こう」と言って、先を促した。  遅れてはならんと、鈴木さんも後を追う。  聡子ちゃんは心配そうに何回か俺らの方を振り返ったが、鈴木さんに話しかけられながら人混みの中に消えていった。  俺は成澤くんの腕から解放されると、ほぅと大きく溜息をついた。  正直、助かった。かなり疲れていたので、女の子連れの2次会なんて、到底無理だ。  俺は、隣に立つ成澤くんに訊いた。 「それで、俺の点数はいかほど・・・」  俺に向き直った成澤くんが、目を細めて俺を見る。  なに、その目。その氷のような視線。 「8点」 「10点満点中?」 「200点満点中です」  ── きっ、気を失いそう・・・・。  俺はその場でヨロヨロとよろけた。  予想はしていたが、100点満点どころか、200点満点中の8点とは・・・。  俺は両膝に手をついて、項垂れた。 「今のコケ方は自然でよかったので、オマケで10点にしてあげます」  俺は顔を上げた。さっきまで冷たかった目が、うっすら笑っていた。 「やったー」  俺は囁くようにそう声を挙げて、ようやく小さなガッツポーズを作ったのだった。  その後、本当に反省会と称して、成澤くん行きつけのバーに行った。  長いL字型カウンターがあるオシャレな店だ。  壁一面独創的な絵が描かれてあって、鉄骨の骨組みがむき出しの無骨な造り。それに、布製の照明器具が変わった形をしている。  薄暗い店内は、20代から30代のキレイな恰好をした人達で混んでいた。 「オーナー、今日はテーブル席がいいんだけど。空いてますか?」  成澤くんがカウンターに寄りかかり、長い足を軽く組みながら、店の人に声をかける。  何気ないそんな仕草すらファッション誌の写真のように様になっているから、カウンター近くの客はおろか、店中の人が男女関係なしに成澤くんを見る。  成澤くんは、もちろん男だから褒め言葉としては『格好いい』というのが正しいんだろうけど、俺の頭の中に浮かぶのは、なぜか『キレイ』という言葉の方だった。キレイ・・・うーん・・・『美しい人』っていう方がもっと近いかな。  世間では、『美人は3日で飽きる』っていうことわざがあるけど、それは本当の美人を前にしての言葉じゃないと、俺は思う。  だって成澤くんの姿は、3日見たって飽きることはないし、もっともっといろいろな表情とか仕草を見たいって女の人は思うはずだ。だって、現に俺がそう思ってるし。 「すぐに席を構えるよ」  店の人がそう言う。成澤くんは、軽く頷いて少しだけ笑みを浮かべた。  それだけで店の中がざわつく。  俺が立っている傍の席に座っていた二人組の女性客は、「ちょっと、あれ、澤清順だよ。同じ人間とは思えないくらいカッコイイ」「えー、初めて実物見たー。背、たか~い。足なが~い」と甘い声をあげている。 「もう少し、待ってくださいね」  成澤くんが俺の方を振り返って、そう言う。  店内の視線が、一気に俺に集中した。  俺は背筋にタラリと冷たい汗が流れ落ちるのを感じながら、ゴクリと生唾を飲み込んだ。  こわごわさっきの女性客を横目で盗み見ると、対外的に見せるには問題がありそうなほどに酷く歪んだ顔をして、俺を見上げていた。  その視線は、明らかに俺が成澤くんに不釣り合いだと言いたいのだろう。  彼女達は二人で顔を見合わせると、「あれ、澤清順の恋人?」と怪訝そうに呟きあっている。  ── いや、そんな。俺は、そうじゃない。そんなのある訳ない。 「あ~~~~、早く彼女欲しいなぁ!!!」  俺は、店内に響き渡る大声でそう言った。  成澤くんは、驚いた顔で俺を見る。 「どうしたんですか、篠田さん。突然」 「いや、思いの丈が、つい出ちゃって・・・」 「あなたが彼女欲しいことは、僕が一番知ってますよ」 「うん、だから相談にのってもらうんだよな」  俺らが態とらしい会話をしているうちに、客は俺達の関係を理解したのか、元の会話に戻っていく。  例の女性客も、「そうよね~」と頷き合っていた。  ── 本当に、恰好悪いのって、ここまでくると犯罪に近いんだな。  俺は内心、長い長い溜息をついた。  そうしてようやく席に案内される。  店の奥に、隣のテーブルを離してわざわざ作ったような席だった。  隣の女性四人組は、いきなりテーブルの面積が半分になって不機嫌そうだったが、成澤くんが席に着く時に、「すみません。迷惑をかけてしまったみたいで」と胸に手を当てそう断ると、途端に彼女達は「いいんです、いいんです、気にしないでください」「私達、仲良しだから、全然大丈夫」と口々にそう言った。  俺は正直、ぽかんとする。  眉を八の字にして、甘えるような目の表情を見せる成澤くんは、鈴木さんに「勝手に行けば」と冷たく言い放った彼ととても同一人物には思えない。一体、どっちが本当の彼なんだ???  席に着くと、店員がオーダーを尋ねてくる。 「僕は、グレンフィデックのストレートにビール。篠田さんは?」 「えっ・・・あ、彼と同じの」 「畏まりました」  店員が去っていくと、俺は俯き加減のまま、成澤くんを見た。 「スコッチのストレートにチェイサーがビールだなんて、ホント大人の飲み方だな・・・。君、本当に26か?」 「ガキだからチェイサーにビールなんて頼むんですよ。本当の大人なら、素直に水を頼んでます。それより、僕と同じものなんて頼んでいいんですか?」 「え?」 「だって篠田さん、お酒弱いって自分で言ってなかった?」  俺は思わず口を噤んだ。  ── 自分でも分かってる。また『やせ我慢』したってことは。少しは恰好つけたいって思っちゃったんだ。  俺が唇を噛み締めていると、成澤くんが溜息をついた。 「そんな悲しい顔をしないでください。責めてる訳じゃないです」 「成澤くんが俺を責めてるだなんて、思ってないよ。ただなんていうか、全てにおいて劣ってる自分が悔しいんだ」 「・・・全てにおいて劣ってる? 篠田さんがですか?」  成澤くんの声が棘立った。俺はドキリとして顔を上げる。  明らかに怒った顔の成澤くんがいた。 「なぜそう思うんです? 自分が劣っていると」 「だって、そうじゃないか。俺は鈴木さんみたいに女の子とうまく話せないし、渡海さんみたく上手にエスコートもできない。君みたいに人の目を釘付けにすることもないし。さっきだって、この店に入った時、皆が君と俺を見比べたよ。成澤くんみたいな人の連れが、なんで俺みたいな冴えない男なんだって顔してた。それは、曲げようのない事実だろ?」 「それは、篠田さんの目がそう見ようとしてるだけです」 「いいや、いいや。成澤くんの方こそ気づいてないんだ。さっきの皆の視線。あんな視線、君は受けたことがないから、分からないんだ。君は生まれた時からきっとずっと、好意的な視線に囲まれてきたんだろう。だから、劣っている人間がどういう気持ちでいるか、きっと理解できないんだ」  俺がそう一気に捲し立てて成澤くんを見ると、今度は成澤くんが、酷く悲しげな顔をしていた。  俺はドキリとする。  彼にそんな顔をさせちまうなんて・・・。  俺は酷い罪悪感を感じた。 「あ・・・、ごめん。そもそも無理なお願いをしているのは俺の方なのに、こんなこと言って・・・」  成澤くんは、長い溜息をついた。本当に本当に長い溜息だった。  恋愛講座1日目にして、愛想尽かされちまったのかも。でも、それも当然だ。こんなダメダメな生徒じゃぁ・・・。  ふいに、成澤くんが両手で俺の右手を握る。 「── 一体、何があったんですか、篠田さん」 「え・・・、何って・・・」 「あなたのコンプレックスは、一体どこから発生したのかと訊いているんです。中学ですか、それとも高校の頃? 女性と、何かあったんでしょう?」  俺は内心、ギクリとした。  何だって成澤くんは、全て見透かしているのだろう。  俺は、成澤くんを見つめたっきり、何も言えなかった。── 口が動かない、どうしても。  その時、スコッチが運ばれてくる。  成澤くんはまた溜息をついて、俺から手を離した。 「・・・分かりました。今は言えない、ということにしておきましょう」  成澤くんは、店員が席を離れる前にグレンフィデックを一気に煽った。そしてすぐに同じものを注文する。  そうして向きなおった成澤くんは、凄くギラついた怖い目をしていた。 「僕が、絶対に篠田さんを恰好よくしてみせます。あなたが『劣っている』なんてほんの1ミリも思えなくなるくらい、寸分違わぬ男前にしてみせます。絶対に」  その目線は、ドSなんてもんじゃない。  はっきりいって俺には、地獄の閻魔様のように見えた。
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