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国会の議論は、100時間を経過していた。今期通常会での最大の争点である、いわゆるタイツ着用義務付け法案の審議は、喧々諤々の議論の末、もはや水掛け論に陥っていた。それでも審議が打ち切られず、今なお継続しているのは、これが他の国家内の意見対立の代理戦争にもなっていたからである。
タイツ=ニーソ論争は、平成の時代から存在していたが、令和の新時代に入り、退位・承継の両儀式において、女性の皇族が全員タイツを着用していたことが報道されると、対立が一気に表面化・激化して、日本国民全体を巻き込む大論争にまで発展し、国民がタイツ派かニーソ派のどちらかに分かれて、インターネット上において激しい論争を繰り広げた。現時点では、現実世界において両派によるケンカや暴動が生じていなかったし、メディアもある程度中立的な立場からこの状況を報道していた。しかし、人々の服装や、店舗内でのドレスコード(要するにタイツ着用かニーソ着用かに関するものである。)、番組における出演者の衣装や、アニメ・ドラマ等で登場する人物の服装から、その人・会社がどちらの派閥についているかは一目瞭然であった。インターネットの世界を抜け出し、現実世界でも衝突が起きるのは時間の問題だった。このタイツ=ニーソ論争は、日本のマンガ・アニメを通じて、海外にまで飛び火し、宗教を越えて世界を分断した。国際連合は、総会において、きのこ=たけのこ論争と同様、これを世界3大論争の1つとして認定した。そして、これは緊急に解決すべき課題であるとの決議がなされた。
ニーソ学研究の第一人者としてタイツ着用義務付け法案の立案担当者となっていた我妻啓一郎は、この国会審議を胃がキリキリする思いで見つめていた。タイツの着用が制度化されるかどうかという瀬戸際にいるからというのではなく、自分が初めて立案に携わった法案が通るかどうか、何か抜かりはなかったかなど、様々な心配事や不安が胸中に去来するからだった。
タイツ着用義務付け法案の概要は、次の通りである。
1女性は、タイツを着用するものとする。
2女性は、市の認可又は正当な理由がある場合に、ニーソを着用することができる。
3上記2に違反した者に、100万円以下の罰金が科される。
4上記1に違反した者(ニーソを着用している者を除く。)に、50万円以下の罰金が科される。
5ニーソを想起させるタイツを着用した者は、死刑が科される。
タイツの着用が義務づけられたのは、立案検討会の際に行われた世論調査において、タイツ派が常に少しだけニーソ派を上回っていたからであった。そして、生脚派は、極端少数者として残存していた。この法案は、令和に似つかわしくない、人権侵害をするものだと言われ、平成の手垢まみれの悪法、日本の変態法案と呼ばれた。
「なぜタイツの良さばかりを強調されるのですか。さきほどから申し上げておりますとおり、ニーソにも良いところはたくさんあります。例えば、ニーソを履いたときの、ゴムの入っている部分の太ももへの食い込みと、そのゴムの入っている部分に乗る太もものお肉。そして、この絶対領域。この美しさがあなたには分からないのですか」
女性国会議員は、すっきりとした色白のきれいな女性の、ニーソが着用されている脚の写真を並べて、ニーソの良さを訴えていた。それに対して、担当大臣が答弁する。
「ですから、先ほども申し上げましたとおり、それにつきましては、我々もよく理解しています。しかしですね、タイツの良さ、脚をきれいに見せるあの素晴らしい効果や素足が少しだけ透けて見えるあのエロさ、そういうものを考えたときにですね、我々は、タイツを推さざるを得ない、そう考えるわけであります」
我妻は、100時間にも及ぶ審議をずっと見続けてきて、結局このような議論になってしまったことにひどく落胆した。そういうことを言い合うためにこの法案を作成したわけではないのだ。ニーソ学を研究してきて我妻が感じたのは、ニーソの良さだけではなかった。ニーソを追っていくと「絶対領域にはさまれて死にたい」などのつぶやきを見かけるが、同時にタイツに関する情報が目に入ってくる。自分の好きなキャラクターにタイツを履かせたエロ画像、「タイツのにおいで死にたい」というつぶやき。そのようなものを見ていると、タイツに対する、タイツ派の者の愛を感じ取るのだ。我々がニーソを愛しているように、彼らもタイツを愛しているのだ。我妻は、一方が他方より優れているというような議論以前に、そのような事実を見逃すことはできなかった。「みんな違ってみんないい!」とか「NO.1ではなく、オンリー1を!」とか、そういうへどが出るようなことではなく、ただどちらも愛されているのだ。我妻は、原稿を作成し始めた。
ニーソ学研究の第一人者がyoutubeを使って演説をするという情報は、瞬く間に全世界に知れ渡り、誰もがその演説を心待ちにしていた。これはタイツ着用義務付け法案に対する意見なのではないか、タイツ学研究の第一人者である芦部氏も登場するのではないか、など様々な憶測が飛び交い、人々はこの時期にそのような演説をすることを批判した。そんな状況で、演説の時間は訪れた。
「私は、我妻啓一郎です。今日は皆様、特に日本の皆様にお伝えしたいことがあります。私は、これまでニーソを研究して参りましたが、その中でも色んなことを見聞きしてきました。その中には、もちろんタイツのことや生脚のことも含まれます。
皆様ご承知のとおり、現在、日本ではタイツ着用義務付け法案が国会で審議されています。すでに100時間以上費やされてきましたが、最近では議論はあまり進展していません。それにもかかわらず審議がなお続くのは、やはりニーソ派の方からすれば、理由もなくタイツが優位に置かれていると感じられることにあるのだと思います。
確かに、日本の世論調査をすれば、若干ですがタイツ派を上回っている。しかし、それだけでは、客観的に考えてタイツの方が素晴らしい、ということにはなりません。タイツが素晴らしいと思っている人が多いというだけです。
ニーソ派の皆様はそれで落ち込むかもしれませんが、ニーソ自体がより優れているということは証明できなくとも、他者にニーソの方が優れていると訴えかけることはできる。暴力によっては変えられないかもしれないが、その人自身に訴えれば心変わりをするかもしれません。そうすればニーソ派も多数派になって、法律を改正できるかもしれません。
ただ、私が言いたいのは、そういうことではない。どちらが素晴らしいのかではなく、どちらも素晴らしいのだということ。今回の法案では、市の認可を受けてニーソを履けることになっている。私たちは、むしろこの制度を利用して、タイツとニーソが共生できるような社会を作っていく必要があると思うのです」
数年後。タイツ着用義務付け法案は、すでに可決され、法律として施行されて多くの時間が流れていた。ニーソ=タイツ論争は、相変わらずインターネット上で続いており、互いに互いをたたきあっている。タイツ派とニーソ派の居住地域は分離されていた。しかし、ところどころにタイツ派とニーソ派の両派が住むことができる地域が存在している。
我妻は、あの演説の後、法案が可決される見通しとなったところで、自分が住んでいる都市で、タイツ派とニーソ派の同居のために調整を進めていた。彼自身が主導すると、多くの人々が彼についてきた。今では、その都市が、両派の同居が日本で一番進んでいる都市となっている。
我妻は、家の近くにあるカフェに入ると、ニーソコーヒーを頼んだ。マスター曰く、それは、常連のお願いもあって最近そのカフェで提供し始めた。女子校生が履いたニーソから出る出汁をコーヒーに使うということである。
彼は、ニーソコーヒーが運ばれてくるとまずはそのカップをじっくりと眺めた。この店のコーヒーのカップは、マスターがタイツ派のこともあって、タイツの形をしているのだ。コーヒーが注がれると、黒色のタイツになる。ニーソコーヒーが注がれると、そのカップは100デニールのタイツのように見えた。彼は、コーヒーの匂いを思いっきり吸った後、砂糖もミルクも入れず、ニーソコーヒーを一口すすった。新時代到来の味がした。
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