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一人娘である私が男性を連れて来た。いや、正確にはその男性に連れて帰ってきてもらったのだが。とにかく、この私と関わりのある男性が我が家の居間に居る。これは、前代未聞の珍事である。
この四人の中で一番緊張しているであろう尊は、爽やかな笑顔。正面の父は苦虫を噛み潰したような顔で、ぴったり張り付くように尊の隣へ陣取り、早々に身上調査モドキを開始している叔母を睨んでいる。そして父の隣には、往年のスターとご対面中がごとく頬を染め、尊に魅入られた祖母が。
「それで? 小林さん……、お仕事は何をされていらっしゃるんですか?」
「私ですか? 私は歩夢さんと同じかい……」
「あらまあ、同じ会社なんですか? 失礼ですが、役職は?」
「技術系の部長職をさせ……」
「まあ、それじゃ、歩夢の上司さんでいらっしゃるんですね?」
「はい……そ……」
「そうなんですかぁ。じゃあなんですか? 今日は部長さんがわざわざ歩夢を連れてきてくださったの? それは、まあ、ご迷惑をおかけしてしまって申しわけありませんでした。お仕事中に歩夢が無理言ってお願いしたんですよねぇ? まったくあの子ときたら……」
そもそも、その仕事中に電話で大騒ぎしたのは、叔母さん、あなたじゃないですか。
「いえ、そんなことは。私も心配でしたので」
「……え?……まあ、そうなんですか? でも、部長さんってお忙しいんでしょう? お仕事のほうは大丈夫なんですか?」
「はい、一日くらいでしたら」
「お茶入ったよ」
叔母を一瞥して抑揚のないひと言を告げ、盆ごとテーブルに置き茶と菓子を並べていると早速、私の態度に気を悪くしたらしい叔母の罵声が飛ぶ。
「歩夢、あんた! お世話になってる部長さんの前でなんて顔してるの? すみませんねぇ部長さん、ほんっとこの子はお客様の前で恥ずかしい。こんな礼儀のひとつも弁えてない子が、ちゃんと仕事なんてできてるんでしょうか? やっぱりご迷惑ばかりおかけしてるんでしょうねぇ」
「いえ、そんなことは。よくやってくれてま……」
「まあそんな! 無理に褒めてくださらなくてもいいんですよ。この子がどんな子かって、私は、よぉーっくわかってますから」
「いえ。本当です。よくやってくれています」
「そ……そうなんですか?」
その爽やかな笑顔に見つめられ、口籠もった叔母の頬が仄かに染まった。
こいつ、なかなかやるな、と、つい感心するが、そのじつ、これが身内だよ、と、恥ずかしさと申しわけなさでいっぱいだ。
「康子、そこ、空けなさい。おまえがそこに座ってたら、歩夢が座れないだろう?」
「え? 歩夢、あんたも座るの? じゃあ、あんたはこっちいらっしゃい」
叔母が、三人掛けソファの端っこをポンポンと叩くのだが。
なぜ、私と尊が叔母を真ん中に挟んで左右に座らなきゃならない。
「康子!」父が睨む。
「わ、わかったわよ。退けばいいんでしょ? 退けば」
不満そうに口を尖らせた叔母が、ソファの端へお尻をずらした。
尊と並び、父と祖母に面と向かうと、あらためて緊張する。
さて、問題です。どう話を切り出せば良いのでしょうか。
尊が上司や恋人なら話は簡単。だが、三年前に勝手に結婚していました、との報告は、非常にやりにくい。
父と祖母は必ず受け入れてくれると信じてはいるが、このペースで叔母に話をかき混ぜられては、絶対にややこしくなるに決まっているし。
考えあぐねていると突然、尊の爆弾発言が、落とされた。
「ご挨拶が遅れ、大変申しわけありません。突然のことで驚かれると思いますが、じつは、私と歩夢さんは、三年前から婚姻関係を結ばせていただいております。御二方にご了解も得ず勝手なことをとお思いでしょうが、責めは偏に、私にあります。本当に申しわけございません」
言い終わるや否や立ち上がり、深々と頭を下げる尊に、私を含め皆、仰天。目を見開き、ゴクリと息を飲む。
微妙な沈黙の中、最初に冷静さを取り戻したのは、父だった。
「座ってください。話をお聞きしましょう」
「ありがとうございます」
再び腰を下ろし姿勢を正す尊に倣い、私も背筋を伸ばし父と祖母を見た。
「婚姻関係……ですか。では、あなたと歩夢はお付き合いをしているのではなくて、夫婦であると?」
「はい。そのとおりです」
「入籍も、すでに?」
「はい。日本での届けはまだこれからですが、アメリカで正式に届け出を済ませております」
「アメリカで、ですか?」
「はい。三年前、ラスベガス旅行中に現地で」
「そうですか……三年も前に……」
「申しわけありません。当時、帰国後すぐにご挨拶に伺うつもりでいたのですが、よんどころない事情でこの三年、一緒に居ることができなかったもので……。それで、すっかりご挨拶が遅くなってしまいました」
「いえ、挨拶の件はもう……。あ、いや、あまりに突然のことだったので、驚いてしまって」
父が内心の複雑さを物語るようにため息をつく。
「……驚かせてごめんなさい」
「まったくそうだ。結婚なんてこんな大事なことを、なぜ言わなかったんだ? 事情があるにせよ、親に隠すようなことじゃないだろう?」
「ごめんなさい……それは……反省してます」
無かったことにして忘れました。なんて、口が裂けても言えません。
「正蔵、なにも歩夢を責めるような言い方しなくても」
不甲斐ない孫ですみません。祖母の優しさが身に染みる。
「いや、母さん、そうはいかないでしょう? 三年も隠してたよんどころない事情とやらを聞いてからでないと……」
「それは……」
私の狼狽える様子にピンときたのだろう。口を開きかけた私を止めるように、祖母が「正蔵」と父の名を呼び、チラと目配せして、首を小さく左右に振った。
「申しわけありません。長くなってしまいますので、その件についていまは……」
「……そうですか。では、それはまた機会を設けて追々聞くとしましょうか」
助かった。
祖母の機転と、父と尊の連係プレイで、とりあえず叔母からの誹りだけは免れたようだ。
「そうね! 難しい話はまた今度にしましょう。ところで、小林さんのご両親にはもうお話はしてあるのよね?」
「はい。母は鬼籍ですが、父と兄にはすでに紹介を済ませまして、とても喜んでくれています」
「そうなの……お母様が。そうそう、それで? お式はどうするの?」
「し、しきっ?」
「あなたたちの結婚式よ」
「お婆ちゃん、私、そんな、結婚式なんて……」
「結婚は一生に一度のことなのよ? お式も挙げないでどうするの? お婆ちゃん、歩夢の花嫁姿をずっと楽しみにしてたのよ? 小林さんだってそうでしょう?」
「はい。もちろんです。」
「ほら! そうでしょう?」
「…………」
「式に関しては、男の私ではわからない領域ですので、ぜひ、ご助力をいただければと」
ちょっと、何を言いだすんだ。
腹黒いヤツ。『勘弁していよ』と、キッと睨めば、『当然だろう?』と黒い笑みが返ってくる。なるほど、こうして外堀が埋められるわけだ。
「あら、そうなの? じゃあ、お婆ちゃん張り切らなくっちゃねぇ。ああ、白無垢も良いけど、歩夢は背が高いからウェディングドレスのほうが良いかしら……両方ってのも良いわねぇ。あなたたち、美男美女だから、きっと素敵よー」
婚礼衣装を纏った尊と私が、式場で指輪の交換をしている夢の世界から、祖母を現実に引き戻したい。
「お婆ちゃんってば! そんなのまだいいから」
「あら、なによ? いいじゃない想像くらいしたって! やっと念願叶って歩夢の晴れ姿が見られるのよ? 理恵ちゃんも喜んでるわきっと」
「……お婆ちゃん……」
祖母が口にした理恵とは、乳飲み子の私を残して亡くなった母の名。母の無念を引き受けた祖母に『理恵ちゃんが見てるよ』と、なにかにつけ言われて育った私は、その名を出されてしまうと、もうなにも言えない。
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