陽菜・麻衣子編

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陽菜・麻衣子編

(北村陽菜)  ヒナとお姉ちゃんは、今日入学のお祝いにママからプレゼントを買ってもらえる。嬉しいな。  ヒナは小学生、お姉ちゃんは高校生になったのだ。  ママの運転する車で買い物に行く途中、ヒナは学校であったことをお姉ちゃんに話した。学校の先生のこと、クラスのお友だちのこと、学校であった楽しい出来事を教えてあげた。  「もうそんなにお友だちができたの?」と、お姉ちゃんは驚いた様子だった。  「うん、もうクラスのみんなとは友だちだよ」  「一年生になったら、一年生になったら、友達100人できるかな?」  お姉ちゃんが歌を口ずさんだ。  「お姉ちゃんは友だちできた?」  「まだ一人だけ。私は恥ずかしがり屋だからなかなか友達出来なくて」  そう言って、お姉ちゃんは困った表情をした。  「だったらヒナが友だちになってあげるね」。ヒナがそう言うと、お姉ちゃんは「ありがとう、ヒナちゃん。お姉ちゃん嬉しい」と言って微笑んでいた。  お姉ちゃんは、最近ヒナのお姉ちゃんになってくれた。  ママの子供だったヒナとパパの子供のお姉ちゃんが、ちょっと前に結婚した。再婚というらしい。だからヒナに、パパとお姉ちゃんがいっぺんに出来た。  ヒナはパパも好きだけど、お姉ちゃんも大好き。  優しいし、一緒に遊んでくれるし、それにヒナが誕生日のとき一緒にお祝いしてくれたから。  でも一度だけ、お姉ちゃんに怒られたことがある。    あれはまだママとパパが結婚してないとき、パパのお家に初めて遊びに行ったときだ。  パパのお家にあった、お姉ちゃんが大切にしている鏡をヒナが勝手に触ってしまったときだ。お姉ちゃんに「ダメ」って大きな声で怒られた。ヒナはビックリして泣いてしまった。悲しかったんじゃなくて、ビックリして泣いてしまった。  ヒナのお家に帰ったあとでママが話してくれた。その鏡はお姉ちゃんの本当のママから貰った大事な物なんだって。だからお姉ちゃんもビックリして大きな声を出してしまったんだよ、とママは教えてくれた。だから、もうお姉ちゃんは怒ってないよ。でも鏡には触っちゃダメよ、とママはヒナに説明した。  ヒナは羨ましかった。ヒナの本当のパパも、ヒナが生まれてすぐに死んじゃった。でもヒナはパパから貰ったものは何もなかった。この日、ヒナは悲しくなって泣いちゃった。そしてママに、「ヒナもパパの物が欲しい」と泣きながら訴えた。  ママは一瞬悲しそうな顔になったが、「そうだ」と言って押し入れから小さな箱を見つけてヒナに渡してくれた。  箱を開けると、そこには時計が入っていた。腕に付けるやつだ。  「これはママがパパから貰ったものだよ。ヒナちゃんにあげるね」  でもその時計は動いてなかった。壊れている時計だった。  「壊れてるじゃん」と、ヒナはまた泣いた。  「ヒナちゃん。ここのネジを巻くとまた動くよ」  そう言ってママは時計のネジを巻いた。本当に動いた。  私は箱に入った時計を大事に手のひらの中にしまいこんだ。  「ヒナちゃん、この時計は誰にも見せたらダメだよ。パパにもお姉ちゃんにも」と、ママは真剣な顔をして言った。  「なんで?」とヒナが訊くと、ママは「これはママとパパ、それとヒナちゃんだけの秘密」と言った。    ヒナは「分かった」とママに言って約束した。その時計が入った小さな箱を、自分の宝物と一緒の場所にしまった。  入学のお祝いは、ヒナはクマのぬいぐるみを買ってもらった。抱えて持って歩くのが大変なくらいの大きさだ。  お姉ちゃんは、ママに化粧品を買ってもらっていた。  「ヒナも欲しい」とママにねだった。  「あなたはぬいぐるみ買ったでしょ。それにヒナにはまだ早いの」とママに言われ怒られた。  ヒナがしょんぼりしてると、お姉ちゃんがヒナの耳元で「ママからお化粧習ったら、ヒナちゃんにもしてあげるね」と囁いた。そしてお姉ちゃんは私にウィンクしてくれた。    ヒナはお姉ちゃんが大好き。    お姉ちゃんに時計は秘密だから見せれないけど、今度ヒナの友だちをお姉ちゃんに紹介してあげよう。そして、お姉ちゃんの友だちになってもらおう。    これでお姉ちゃんにも友だち100人できるね。 ****** (北村麻衣子)  ヒナと美咲ちゃんを連れて百貨店に買い物に来た。ヒナに小学校の入学祝い、美咲ちゃんに高校の入学祝い。  この百貨店は、今、私が働いている職場だ。私は百貨店の地下にあるお惣菜屋さんで働いている。いわゆるデパ地下だ。  ここの百貨店の職員ということで、この百貨店で買い物すると社員割りが効いて安く買い物ができる。  買い物する前に、私の職場を見たいと美咲ちゃんが言うので連れて行ってあげた。  「この子が美咲ちゃん」  私は職場の仲間に美咲ちゃんを紹介した。  私と夫の誠は、子持ち同士で結婚した。私はヒナ、誠さんは美咲ちゃん。ヒナのことはもう職場の人たちも知っているので、美咲ちゃんを紹介した。  「どうも、父がお世話になっています」  そう言うと美咲ちゃんは正義正しくお辞儀した。  職場のみんなは不思議そうな表情を浮かべた。  それもそのはずだ。職場の人たちは、まだ誠さんに会ったことはない。  実は子供たちには、誠さんがこの店にお惣菜を買いに来て出会った、と言っている。しかしそれは嘘で、本当はマッチングアプリで知り合ったのだ。だから職場のみんなが美咲ちゃんの挨拶に不思議そうな表情をしたのは無理もない。  「この人たち、時間帯が違うから、父さんとは会ったことないのよ」  私はアタフタしながら美咲ちゃんに説明した。  美咲ちゃんは顔を真っ赤にしながら「ごめんなさい」と言いながら、職場の人に謝っていた。  私はそそくさと二人を連れて、その場を去った。  その後、入学祝いを買った。ヒナにはぬいぐるみ、美咲ちゃんには化粧品を買ってあげた。  美咲ちゃんは「何もいらないよ」と言って遠慮していたので、私は強引に化粧品を買ってあげた。  「化粧の仕方、教えてあげるね」と言ったら、美咲ちゃんは照れてはいたが素直に「うん」と頷いてくれた。  美咲ちゃんは、私に遠慮している気配がある。    私たち夫婦は、ヒナが小学校、美咲ちゃんが高校に入学すると同時に入籍した。結婚するのだったら、このタイミングが一番いいとお互いに相談して決めた。しかし結婚すると美咲ちゃんが家を出て、一人暮らしすることになった。多分、私たち夫婦に気を使っているのかもしれない。  いくら再婚同士(私は未婚のままヒナを産んだので初婚だが)でも新婚。ヒナは幼いからいいけど、思春期の自分がいたら迷惑になる、と美咲ちゃんは思ったのではないだろうか?  私は全然、そんなこと思っていない。むしろ美咲ちゃんと一緒に住みたいと思っている。    私がヒナを未婚のまま産んだのは理由がある。私は過去、いけない恋愛をしていた。相手は妻子のある男性だった。    あれは私がIT企業に勤めていたころ、私は公報として働いていた。そしてその会社の社長に恋をしてしまった。もちろんその当時から社長には妻子がいた。社長からアプローチを受け、私は有頂天になった。当時、世間から社長はカリスマ的な存在で有名だったからだ。  もちろんこの恋愛は、人には言えない恋。私たちは隠れながら付き合っていた。  人に言えない恋をしてしばらくしてからのこと。私は妊娠をした。私はすぐ妊娠したことを彼に電話で告げた。彼は「ああ、そうか」とだけ言って電話を切った。  翌日、彼の顧問弁護士から連絡があり、料亭の個室で会うことになった。    その料亭に彼の姿はなく、顧問弁護士が一人だけ待っていた。  今回の件、これが慰謝料です。これが出産費用です。これが二十歳までの養育費です。これが会社の退職金です。顧問弁護士はそう言いながら百万円の束を次々と食事の来てないテーブルの上に置いていった。  「認知はできません。これが不服なら裁判をしても結構ですが、裁判をしたらこれほどのお金は貰えないものだと思って下さい」  弁護士の言葉は、何の感情もこもっていない機械的な声だった。  「お金はいりません。認知もいいです。でもたまに彼には生まれる子供に会ってもらいたいんです」  私は自分の望みを言った。  「それを社長は望んでいません」  そう言うと弁護士は一枚の紙とボールペンを出し、「納得したならここにお名前を」と言って私に渡した。  私はもっと言いたいことがあった。でも弁護士の冷たい視線と突き刺さるような声に負け、出された紙に自分の名前を書いた。  弁護士は机の上に置かれた山のような札束を持ってきたアタッシュケースに再びしまい、私が名前を書いた紙と引き換えにそのアタッシュケースを差し出してきた。    その後、弁護士はすぐに帰って行った。私の前のテーブルには、次々と豪華な食事が運ばれた。運ばれては下げられ、運ばれては下げられ、私は一口も口にせず、ただ食事が行ったり来たりするのを眺めただけだった。  妊娠したことを私の父や母にも告げた。不倫の関係にあったこと、認知されないこと。そして妊娠している子の父親は誰かも言えないことを言った。  父と母は激怒した。「父親のいない子供を産むなんて、子供がかわいそうだ。子供を(おろ)せ」とまで言われた。でも私は反対した。「産みたい」と言った。父は「お前とは親子の縁を切る。出ていけ」と怒鳴られた。  私は一人で産むことを決意した。悪いのは私であって、このお腹の中の赤ちゃんには何の罪もない。それに、お金の心配はないというのも強かった。  そしてヒナが生まれた。ヒナにはお父さんは死んだと言っている。  私はヒナが生まれてから保育園に入るまで、仕事もしないで子育てをした。無駄遣いもしなかったので、お金もまだまだ残っている。  でもヒナが保育園に入ってから、私は仕事をすることにした。ヒナのためにお金を残したいというのもあったが、私も社会との繋がりが欲しかった。そして私は今の職場、百貨店の地下のお惣菜屋さんで働くことになった。  そして生活も仕事も落ち着いたとき、私はふっと恋がしたくなった。人に隠さなくてもいいような恋を。そして、私はマッチングアプリに登録し誠さんと出会った。    誠さんの印象は一言で言うなら真面目。二言目を付け加えても真面目だった。会ってしばらくしてから、結婚を前提に付き合ってほしい、と言われた。私たちは付き合いを始めたのだけど、私は結婚には躊躇していた。こんな私が結婚なんてしていいのだろうかと悩んでいた。  付き合いだして、お互いの子供たちとも会った。誠さんの子供、美咲ちゃんは当時中学生だったけど、素直でいい子だった。私は美咲ちゃんともすぐに仲良くなったし、美咲ちゃんもヒナと仲良くしてくれた。  誠さんの家にもお邪魔するようになった。ある日、急に家に呼ばれたことがあった。部屋に入ると、いたるところに飾りつけされていた。色とりどりの折り紙を鎖みたいにして飾っていた。そして画用紙にカラフルな色で『ヒナちゃん、誕生日おめでとう』と書かれていた。  その日はヒナの誕生日だった。ヒナと私に内緒でサプライズしてくれたのだ。  誠さんと美咲ちゃんは笑顔で迎えてくれた。ヒナも大はじゃぎだった。しかし私は膝から崩れ落ちた。そして溢れ出す涙をこらえきれなかった。  ヒナの父親も私の両親も誰もヒナが産まれることを歓迎してくれなかったのに、この二人は本気でヒナの誕生日を祝ってくれたのだ。  誠さんには失礼かもしれないけど、誠さんと結婚したいというより、誠さんと美咲ちゃんの家族になりたいと思った。私とヒナと誠さんと美咲ちゃんの四人家族になりたいと心の底から思ったのだった。  私は誠さんの結婚の申し出を素直に受けた。結婚して四人家族になった。けど、美咲ちゃんは家を出て行ってしまった。なんだか私が追い出したみたいで申し訳ない気持ちになった。でも美咲ちゃんとも今まで通り仲が良かったし、これが美咲ちゃんの考えた私たちの家族のバランスなのかもしれない。  私はこうして幸せな生活を手に入れた。もちろん結婚する前に誠さんには、未婚の理由を全て言った。相手の名前は伏せたが、不倫のこと、多額の慰謝料のこと、すべてを打ち明けた。嫌われる覚悟もした。でも誠さんは全てを承知してくれた。慰謝料のことも「それはヒナちゃんのためのお金だよ」と言うだけだった。  私はこの平凡だけど、とても心地の良い幸せがいつまでも続くと思っていた。しかし現実は、そう甘くなかった。四月に結婚し、九月には私は癌になった。たった半年程度の幸せだった。  医者から告知を受けたとき、「なんで私が?」「なんで今?」と頭の中で繰り返し、憤りを感じていた。    私が病院のベッドに寝かされてからすぐ、誠さんとヒナが駆けつけてくれた。誠さんは私の着替えを持ってきてくれた。しばらく入院が決まったので誠さんに連絡を入れていた。  ヒナがモゾモゾと私の布団の中に手を突っ込んできた。そして私にだけ聞こえるように、「これ返す」と言って布団の中で小さな箱みたいなものを渡してきた。私は布団の中で受け取ったものをそっと覗くと、それはヒナにあげた腕時計の箱だった。  「ママ、これいらない。ママがいればいい。ママ、死んじゃイヤ」  ヒナはそう言いながら、布団に顔をうずめて泣き出した。私はヒナの髪を撫でることしかできなかった。  この腕時計は唯一、不倫の相手つまりヒナの父親(認知してもらってないので父親とは呼べないが)から貰って取っていたものだ。  もちろん貰った物はたくさんあった。洋服、財布、バッグ、ジュエリー、全て一流ブランドの物をプレゼントで貰った。私は大してブランド品に興味はなかった。しかし彼が、俺と付き合ってるんだから、良い物を身に付けてくれないと俺が恥ずかしい、と言っていた。 別れたとき全ては処分したのだけど、この腕時計だけ処分しきれなかった。 この腕時計は、「俺とお揃いの腕時計だ」と言って渡された。たぶん数百万円はするんだと思う。売ってお金にしても良かったけど、当時はどうしても処分しきれなかった。  この腕時計を見て、さっきまで「なんで私が?」「なんで今?」と憤りを感じていたことを反省した。神様は見てるんだ。これは罰なんだ、と認識した。  それと同時に安心もした。なぜなら、私が犯した過ちだから私が罰を受ける。当たり前のことだ。もし、この罰が私以外の家族に行かなくてホッとしたのだ。  ヒナが泣き疲れて寝てしまったとき、美咲ちゃんも慌ててやって来た。汗がぐっしょりで呼吸も犬みたいにゼエゼエと言っていた。  私は美咲ちゃんに自分の病気を言った。そして美咲ちゃんに入院している間、ヒナの面倒を見てもらうことをお願いした。そして病院に来てから顔面蒼白で上の空の誠さんのことも頼んだ。  「麻衣子さん、私まだ化粧教えてもらってないよ。約束はちゃんと守ってもらうよ」  三人が病院から帰るとき、美咲ちゃんは振り向きざまにそう言った。いつもよりかなり強い口調だった。  私は死なない。死にたくない。  神様お願いだから助けて、と祈るしか私にはできなかった。  
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