なぜか同じマイナーな所を三日連続で訪れてしまった

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 さて翌日から久々の二連休だ。  しかし初日にはいきなり用事が入っていた。  甥の『エレクトーン発表会』のために、近所に住む従姉から、ここから車で一時間半はかかる○○ホールまで送迎を頼まれていたのだ。ダンナは接待ゴルフだそうで。  結局またバイパスで、しかも営業所よりはるか西にあるホールまで出かけることになっていた。俺は便利なアッシーだ。  それでも、いつも「おじさん」とは呼ばずに「あったん」と呼んでくれる可愛い甥っ子のためだ。昼もおごりだしね。  退屈な演奏もなま欠伸をかみころしながら耐え、ようやく昼過ぎ、ホールを出て三人で回転寿しの店に寄った。飯がすっかり遅くなってしまったのと、発表も終わって緊張がほぐれたのとで、甥のカズキは喰うわ喰うわ……従姉いわく、ふだんの二倍近く食べている、と。  子どもは成長が早いからなあ、とひとり者の俺はのんきに構えていたが。  さて、帰り道のこと。  いつものバイパスにようやく乗って二十分ほど行った頃、案の定、 「きもちわるい」  バックミラーでちらっと見た、カズキの顔は真っ白だった。  仕方なく、ちょうど見えてきたインターから一般道に出る。  ナビを確認する。ふだん使ったことのないインター、営業でも回ったことのない辺りだったが、国道や県道をうまく東へ東へとつないで行けば、案外遠くはなさそうだ。  カズキが調子よくなったら、すぐにバイパスに上がって帰ればいいか、と俺はハンドルを切って、できるだけバイパスに沿って走ることにした。  従姉が急に『止めて!』と言うたびに路肩に停車しては、カズキの様子をうかがい、吐き気がおさまるとまた走り出す……そんなくり返しだ。  一時間以上は下の道を走っていただろうか。  気になることがあった。  ナビの現在地と、道路脇に見かけた標識とが微妙に食い違っているのだ。  方位が不安定なようで、画面の地図がときおりぐるりと回転してしまう。  従姉に、助手席に乗ってもらえるか訊いたのだが「カズキが……」と息子の背中を撫でている。じゃあ、スマホでナビ見ていてくれない? と頼むが 「私、酔いやすいのよ~」と情けない声を出す。  こんな時に限って、ゆっくりと車を停めて休めそうなコンビニや空き地もない。  今どきならばどこか適当な場所を適当に一時間も走れば、コンビニの一軒くらいはみるだろう、しかし、わざと避けているのか? というくらい、売店のひとつすら見当たらない。  低い山やまの合間、のどかな田園風景が拡がり民家が点在し、 なだらかな坂とカーブの向こうに、更に似たような景色が拡がっている。  バイパスの高架もすでに見失い、それでも日射しだけを頼りに東に向かっていた。  せめて台地を越える前に、バイパスに復帰したかった。  微妙に焦りが出てきたようだ、アクセルを踏む足に力が入る。  かなり行ってから「あれ……」  電信柱の帯についている地名に『倉谷』とあった。  周りを見回すが、覚えがあるようなないような、山々と民家ばかり。  大きなカーブを曲がってトンネルを抜け、道なりに行った頃、急に見覚えのある池が目に飛び込んだ。  倉谷城址公園に、気づいたら到着していた。 「とめて」  今度はカズキが悲痛な声で叫んだ。車は公園の駐車場に滑りこんだ。  エンジンを止めると同時にカズキが車外に飛び出し、トイレへと駆け込む。  母親がドアもしめずにあわてて後を追った。  溜息をつきながら、俺も車外に出る。  そんなにここが気に入ってしまったのかな?   俺は苦笑しつつ、昨日登ったばかりの尾根付近をぼんやりと眺めて母子を待っていた。  すでに日が傾きかかり、初春の風は冷たく池に細かいさざ波を立てていた。  そこからの道は昨日通ったばかりなので、もうひと安心だった。  いくぶん西に戻るような形ではあったが、どうにか俺たちは無事にバイパスのインターチェンジにたどり着いた。  翌日はまるっきり自由な一日、となるはずだったが、タイトルを見ていただいた人には、続きが何となく読めたのではないだろうか。  日曜の昼を回った頃、珍しく、係長の携帯から電話があった。前置きもなく彼は言った。 「カイシャの下が火事だって、すぐに来られる?」 「えっ?」  まだパジャマだったのを急いで着替え、車に飛び乗った。  営業所の入っているのはごく小さな三階建て集合ビルで、俺達の営業所は二階の二室を使っている。倉庫に使っていた部屋の方の真下、ラーメン店から火が出たのだと言う。  駆けつけた時には消防車やパトカー、それに野次馬であたりはごった返し、火は収まったものの、建物の東側一階、俺も贔屓にしていた麺屋の窓枠がぽっかりと口を開け、痛々しい姿をさらしていた。  カイシャの数人が寄り集まってあまり深刻な顔でもなく二階を見上げている。  俺に気づいた所長が手招きした。 「まだ中には入れないんだが……うちも上も留守だったし、とりあえず下も軽いケガと火傷で済んだらしい」  許可が出たら中に入って被害の状況を確認するとのこと。俺は写真を撮るよう命じられ、ずっと待機していた。  管理会社の連中が来て、ガス屋が来て、電気屋が来て、あっという間に一日が過ぎる。  結局、その日のうちに進展はなく、俺達はまた明日とりあえず出勤と相成った。  どうせ中に入れなかったのならば、明日集合でも良かったんじゃないの? とぶつくさひとり文句をたれながら俺は空しく家へと向かう。  バイパスの入口、赤いランプが点滅している。LEDの文字も赤い。 『事故 ××トンネル ○○~△△間 通行止め』  厄日とはまさにこのことか。トンネルは、台地を横切るど真ん中あたりの一番長いやつだ。  バイパスがまれに使えない時に通る、海に近い国道に引き返そうとした。  が、はたと気づいた。平日とは違い、日曜は行楽帰りの車で大渋滞となる。  台地には数本の国道とともに、細い県道や農道に近い道路が網の目のように走っている。うまく選んで登り降りすれば、そこそこの時間で帰れるだろう。  昨日のナビの頼りなさも忘れ、俺はいつもは通らない横道に入っていった。  気づいた時には、そしてまた『倉谷城址公園』の看板前で呆然と佇む俺がいた。  どうして三日も続けて同じ所にいるんだ、俺。  煙草はずっと以前に止めていたにも関わらず、俺の手は思わず上着胸ポケットの辺りを探っていた。その手が、かすかに震えていたのはすっかり暮れなずんだ空気の冷たさだけでは、なかったような気がする。  翌日からは火事のせいもあってとにかく忙しく、例の小泉社長の会社に回れたのは、前回からひと月以上も後だった。  早いうちに火事見舞いをいただいていたのに御礼が遅くなったことを詫びると、いつもと同じように、いやっ、いいんだって、タイヘンだったねー、と額の汗を拭きながら俺の二の腕を大げさに何度も叩いた。 「ちょうど来てもらった日の、次の日だったって? 火事」 「あれは金曜だったんで……翌々日です、日曜の昼前ですね」  おお、とため息をついた社長、すぐに思い出したように顔を上げた。 「そう言えばあの金曜にさ」 「ああ……」送っていったアオヤマさんのことだろう、とやや期待をこめて顔を上げた俺は、社長の次のことばに固まった。 「びっくりしたよ、いつの間にかいなくなってるからさあ。折角ね、女房の実家からリンゴを山ほど貰ったんで、おたくン所で分けてもらおうと思ったのにさ、ひと箱分」 「……」  俺の動揺には気づかなかった様子で社長は朗らかに続ける。 「でもあの日に持って帰ってそのまま会社に置いといたら、ヤキリンゴになっちまっただろうねぇ」 「……あの」ようやく俺は声に出した。「友だちを……送ってくれ、ってのは?」 「トモダチ? 送ってくれ、って?」今度黙ってしまったのは社長の方だ。俺はあの日に送ったアオヤマさんの名を出した。 「アオヤマだって?」  静かにその名を口に出した社長は、話を聞くうちに、表情を硬くしていく。 「あの」  いまだかつてこんな怖い顔をした小泉社長を見たことがなかった。 「何か、まずかったですか? 俺、てっきり」 「青山くんに、確かに、ここで会ったのか?」 「はい」 「自宅に送ってほしい、と」 「はあ」 「服装は」  何だか警察の尋問のようだが、真剣な社長の口調に押されるように、俺は宙をみながら思いだそうとした。「こげ茶のジャケットで、黒っぽいスラックスで……鞄に可愛いマスコットがついてました。柴犬みたいな」  あの日と同じだ、と社長はつぶやき、また俺を見た。 「その後、倉谷の城跡に寄ったのか」 「はい、まあ。いえ、ご自宅に寄る前に」 「キクチくん」  社長が重々しく告げた。「確かに、青山も私もあの近所の出身だし、倉谷にもよく行った。だがな」  青山さんが自宅から失踪して、すでに五年近く経っているのだと言う。  会社の資金繰りに弱り果て、幼馴染でもある小泉社長の元に訪れて間もなくのことだったらしい。 「その頃、ボクはね」社長が苦しげにつぶやいた。 「ヤツを助けてやることが、できなかったんだ」  自身の会社も、いつ潰れてもおかしくはない、逆に青山さんに頭を下げに行こうと思っていた矢先だったのだそうだ。  その時、社長はとっさに自分の財布から現金をすべて抜いて、急ぎ用意した茶封筒に入れて旧友に渡してしまった。 「しかし、ヤツがほんとうに必要だったのとは全然、桁が違ったんだよ」  それでも青山さんは、封筒を額に押しつけるようにして何度も頭を下げたのだという。 「その時、かけてやる言葉もなくて、ふと目についたのが、鞄についていた人形でね……『らしくないな』って言ってやったら」  孫からお土産にもらったんだ、いいだろう、とにこやかに笑ったのだそうだ。  社長は眼鏡を取ってうつむいた。ハンカチがないのか、素手で目頭をぬぐっている。  しばらく何かを堪えていたようだが、社長はようやく顔を上げた。 「もしかしたら、あそこにいるのかも知れないなあ、まだ」  倉谷城址の下にある池で、ふたりしてよくトンボを獲ったんだ。  社長の声がどこか遠くに響いた。  何かと気になることばかりだったが、それから俺は一度も城跡に近づいていない。  青山さんの捜索が再開されたことだとか、その後地方紙の片隅にあった、公園の薮から発見されたものの記事とかも、あえて気づかないフリをしていた。  幼馴染の奈津実が、バイト先のセブンの豆大福を手土産に訪ねてきたのは、ちょうどそんな頃だった。  俺が「あのさ」と、くだんの一件を話し出す前に、彼女はそっと片手で制した。  相変わらず、ネイルが丁寧だ。春にふさわしいそれは、ほんのりと桜色をしていた。 「いやだなあ、その話、詳しくは聴きたくない」 「……そうか」  僅かばかり、声に落胆の色をにじませていたのか、彼女は仕方なくというふうに言った。 「少しだけなら、話聞こうか」  つい、すがるような目になった俺に、ナツが言う。 「たぶんさ……近頃、呼ばれてたんじゃないかな? って。何だか気になってね」  何か予感があったらしい。それでわざわざ、恋人でもない俺を訪ねてきてくれたようだ。  ぽつりぽつりと話しながら今でも、城跡の様子がまざまざと目に浮かんでくるのは確かだった。彼の立ち居振る舞いは日に日に記憶から薄れているのに。声までも。  しかし、なぜかあの場所だけは深い傷のように、俺の心に残されているようだった。  枯葉の合間に落ちていた赤い椿の花、木漏れ日、白く光る池…… 「……手を合わせに、一度行った方がいいのかな」  ぽつりと言った俺のひとことに、ナツがはげしくかぶりを振った。 「お願いだからやめてよ」  誰かの恨みとか、悪意とかは全く感じられないんだ、と彼女は続ける。 「でもね」  彼女は長い爪で丁寧に包みを開けながらさらりと言った。 「良かれと思う『情』でも、人はあんがい簡単に穴に落ちることもあるから」  あえて近づかない場所があっても、いいのかも知れない。  そんな場所が、これから増え続けなければいいのだが。  了
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