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百点取れる薬
三ひく二は、二。粗税。保建室。
いつもそうだ。俺って本当に、詰めが甘い。もう甘すぎてたぶん俺の爪を煎じて飲んだら普通にうまいんじゃないかなんて思えてくる。
ああそういえば俺、国語のテストで「爪が甘い」って書いたこともあったなあ。
返された中間テストを並べて深々と溜息をついていたら、隣の席から菊池が楽しそうに覗き込んできた。菊池の答案用紙はイヤらしく、点数のところが三角形にわざわざ折り返されている。別に見たかねえよ、お前の点なんて俺は。
「白石マジぱねえじゃん! ほとんど九十点台とかマジウケるんだけどー」
そうかそうか。じゃあお前は大人しくそこでウケとけ。な?
「お前ほんとガリ勉よな。そんなんだからいつまでたっても童貞なんだよ、この童貞マン」
「それは関係ないだろが」
というかなんだ童貞マンって。童貞はすべからく男子であるはずだからいちいちマンとか言わなくても性別は確定的に明かだろうが。ただの童貞でもう意味一緒なんだよこの非童貞マンが。
菊池は長く伸ばした茶髪を指先でくるくるもてあそびながら口を開いた。女子か。
「でもさあ、なんでお前のテストっていつも一箇所バツなんだろな。オレ、お前がテストで百点取ってるとこだけは見たことねえわ」
「…………うるせえな」
菊池のくせになんていやなことを言ってくるんだ。お前なんかもう半分白紙で出してるくせに。
だが実に悔しいことに、菊池の指摘は当たっている。
そうなんだ。俺はなぜか今までの人生で一度も、百点をもらったことがない。なんでなのかはわからないけど、いつも必ずいいところでやらかしちまうんだ。
これは、小学生の時からだからなかなかの筋金入りだ。
小学校なんてちょっとがんばれば百点も全然夢じゃない、のに、どうしてだか取り損ねる。算数だったら計算ミスに単位書き間違い、悔しかったのは「みかんが三固」と書いたときだ。ひらがなだったらまるだったのに、漢字で書いて間違えた。先生は赤ペンで「おしい!」なんて書いてきたけど、やっぱり百点はくれなかった。
小テストとか豆テストとかそういうやつなら、満点が取れるんだ。でもそれは百点満点ではなくて、十点とか二十点とか二十五点満点のテストで、定期試験とか模試とかの百点満点のテストになるとなぜかちょこっとだけ、間違える。
それがあんまりにも悔しくて百点に挑戦し続けていたら今じゃあガリ勉童貞マン扱いだ。解せぬ。
っていうか俺は別にガリ勉したくてしてるわけでもなければ東大だのオックスフォードなんかひとつも目指しちゃいない。ただ一度、たった一度、この際なんの教科でもかまわないから百点が取ってみたいという、ただそれだけのことなのに。
俺はまたほんの少しずつ足りない答案たちを見つめて、深々と溜息をついた。
ほんとになんで、こうなっちゃうんだろう。今見ると答えは完全に分かってるのに。今にも百点取れそうなのに、なんでテスト中はこれに気づけないんだろう。
実力はあると、思うんだがなあ。
百点と九十九点に、実質差なんてないということは俺の天才的頭脳(ただし詰めが……)をもってすれば明々白々くもりなく分かっている。分かってはいるが、心理的にはえらい違いだ。百点は王者。九十九は優秀な下僕。それくらいは格が違う。あと、それから。
俺はなるべく興味なさそうに百点のなりそこないの束をテーブルの上に提出した。
我が家の閻魔大王(性別かろうじて女)が腕組みしてそれを検閲する。
「獅子雄。あんたってほんと、残念な子ね。どうしてあんなに勉強していてこんなしょうもないミスするの。ああ、これなんてあと四点も取り損ねてるわね」
そうなのだ。
俺自身もそりゃあ一度くらいは百点取りたいなという気持ちは溢れるほど持っているが、こいつだ。こいつが、俺に百点取って来いと命令するのだ。
こいつにとっては百点は表彰状、九十九点はちょっと固めのケツ拭き紙なんだから。
「あー、次はがんばるよ、次は」
「そうやって次、次って。小学校の頃からずっと待ち続けているけど、あんたのその次はいつになったらやってくるのよ! 験担ぎに買った額縁、もうほこりかぶってんですからね。母さんが高校生の頃なんかほっといてもいつも百点だったわよ。ああほんと、誰に似たのかしら。やっぱりあのボンクラサラリーマンの血なのかしらねえ」
ええ、そうだと思いますが。
もしあなたのおっしゃるその高校時代の思い出が補正抜きで真実ならば。
俺はふて腐れてそのまま自分の部屋へと戻っていった。勉強するってことになっているけど、俺は分かってる。
勉強するとかしないとか、暗記が完璧かどうかとかそういうことじゃないんだ。
これはもう本質的に俺の性格の問題で、要するに俺って画竜点睛を欠くタイプなんだよ。もうどうしようもないよ。文句あるんだったらもっと慎重な性格に産んでおけって話だ。
どさっと音を立てて通学鞄を放り投げる。俺はベッドに横になった。
あーあ。
なんかねえかなあ、一度でいいから百点取る方法。
一回取れたらもう、俺それで満足しちゃうんだけどなあ。
伸ばした腕に、何かが触れた。マクラの下に隠しておいたエロ系週刊誌だった。
よし、とりあえずこれ見て元気になろう。いろんな意味で。
俺はぱらぱらと雑誌をめくり、谷間ちゃんやらおしりちゃんやらを超高速で取捨選択……していてふと、その文字が目に止まった。
白黒ページの安っぽい広告。
百点取れます
ほう? 百点取れんの? こんなところに塾の広告? なんで十八禁なのにそんなもんが載るかなあ、どう考えても掲載場所間違えてるだろ。
広告の情報は異常に少なかった。
百点取れる薬売ります。一錠千円。詳細はウェブで。
「あやしい!」
なんて怪しさだ、これはヤバい。俺は爆笑しながらひび割れたスマートフォンをケツのぽっけから取り出した。
一応その詳細ってやつを見て笑おうと思って。
表示されたページはなんか古めかしい感じで画面全体がブラックで、文字はホワイトという怪しすぎて逆に感心するような出来映えだった。チープだなあ、これ何年前に作ったサイトなんだろう。
だがそれでかえって、好奇心が勝った。
千円ぽっちで百点取れるんならいいじゃないの、とか。ここまで怪しいサイト、逆にちょっと使ってみたいわ、とか。詐欺にしては千円ってのが安すぎて、どういうことなんだろう、とか。
でも一番大きいのはやっぱり、俺はたぶんもうこんな怪しい薬にでもすがらないと、一生百点が取れないんじゃないかという、そういう気持ちだった。
ぽち。
俺は百点取れる薬とやらを注文してみた。
手応えは抜群だった。
今回のはちょっと、期待できるかもしれない。
俺は全国模試の答案返却日、いつになくそわそわしながら待っていた。菊池は死んだような目をしているが、俺はちょっとどきどきしている。
俺、今度こそ百点取ったかもしれん。
例の怪しいサイトから、怪しい薬はすぐに届いた。それから迷惑メールや電話に悩まされるというようなこともなく、ただ千円払って変な薬が届いただけだ。この薬がアブナイお薬なのかどうかは分からないんだが、今のところ幻覚だの禁断症状というようなものは感じない。
ただ、薬を飲んだことでいつもより自信を持って勉強できたし、テスト中も明らかに余裕が違った。
つまりそういうことなのかもしれない。
俺が百点取れなかった理由って、単にテスト中「またなにかやらかすかも」なんて不安が胸に渦巻いて、それで気が散ってミスを誘発しただけなんじゃないのって。
だから薬の成分がどういうことではなくて、この薬を飲んだという事実が大事なんだって。
そういうのなんて言うか知ってる? プラシーボ効果って言うんだぜ。
たった千円でテストがうまくいくなんて安いもんだよ。
自分の名前が呼ばれて、俺は意気揚々とテストを取りに行く。
どうしよう、五百点満点だったら。あー、いやそれはないか。さすがに国語は百点は取りづらいし。数学と社会は確実なんだけどなあ。ああでもひょっとしたらひょっとするかも。
俺はニヤニヤしながら封筒から成績表を取り出す。
「?」
俺の手が震えた。なんか見たこともないような点数が並んでいるんだが。
英語 七十一点 数学 八十七点 国語 六十二点 社会 六十九点 理科 七十五点
は? なに、これ? 誰の成績表だよ、菊池のと入れ違ってんじゃねえの?
俺はちらりと隣をうかがう。菊池は机の上で討ち死にしていた。まあそうか、菊池がこんな点数取れるわけない。とすると誰の?
俺は慌てて答案を引っ張り出す。名前……受験番号……点数……あれおかしいな、俺のっぽい。俺のっぽいんだけど……なんでだ?
広げてみた答案に、俺は目を丸くする。
「なんぞ……」
大将軍。享保の大飢饉かおきて木価か値上かりしたため。マクネシウム。カトミウム。エリスを好きてはあるものの自分の子ともを産ませるのはふさわしくないと考えてしまったから。
俺は全てを理解した。
テストで百点が取れる薬。
プラシーボなんかじゃ、ないじゃないか。
俺の答案から点という点が消えていた。「犬将軍」は「大将軍」に、「黒」なんか「里」に、「が」は出てくるたびに「か」になってる。
呆然としながらも笑ってしまった俺の答案を覗き込んで菊池が目を丸くした。
「ガリ勉パイセン、どうしちゃったんすかー。つうかお前でもこんな点取ることあるんだな」
「そうだな、百個取れるまではこんな感じだろうなあ」
俺の答えに首を傾げつつ、菊池は理科の答案から目ざとく見つけてこう言った。
「つうかなんすか、シャカイモって! クソウケんだけどそれー!」
「ジャガイモが悟りひらいてんだよ、悪いか?」
菊池が手を叩いて大爆笑した。俺もなんだかどんどん気分がよくなってくる。
九十九点取ってもひとつも楽しくなかったのに、こんな点数取ると心が軽くなるんだな。なんか今、俺、楽しいのかもしれない。
俺は答案を丸めて封筒に放り込んで言った。
「おい菊池。とりあえず俺にオシャレな制服の着崩し方、教えろよ」
「は? ……どうした、急に。ショックで頭がおかしくなったか、ガリ勉マン」
「テストの点数なんてクソどうでもいいってシャカイモが教えてくれてんだよ。俺、高校のうちに童貞マンやめたい」
「マジでか」
ちょっとだけ考えたあとで、菊池は俺に向かって親指をぐっと立てて笑った。
「しょうがねえな。お前前からなんかかわいそうだったから、特別にオレが面倒みてやんよ」
「頼んだぞ、菊池!」
「童貞のくせに偉そうだな。オレのことは菊池パイセンと呼べ」
俺は笑いながら菊池をパイセンと呼んでやった。菊池はくすぐったそうに目を細め、それから俺にニヤリと笑い返した。
教室の窓から真っ青な空と平凡な町並みが見えていて、俺ははじめて、この学校が丘の上にあることに気がついた。
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