第3章:雨の日の訪問

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<1880年3月30日、雨> 「雨の日は何だか体もだるくて気持ちが落ち込んでしまうんです。どうしてか 分かりますか?」   クロの質問に私は昔読んだ本の一節を思い出した。この国に鬱病が多く、犯罪率が高いのは、雨が多くて晴れることが少ないからだという内容の本だった。その本の内容を思い起こしながら、私は彼の質問に答えた。 「諸説ありますが、まず一つは湿度のせいだと言われています。」 「湿度?」 「雨が降ると空気中に目には見えない水分が多くなります。その状態を湿度が高いというんです。水の中で思う通りに体を動かすことができないのと同じように、空気中の水分が多くなると私たちの体もだるくなってしまうんだそうです。」 「ふむ…他にはどんな説があるんでしょうか?」 「他には日光に関する説があります。太陽の光を浴びると私たちの体内に気分を良くしてくれる物質が発生して、その物質が体や気持ちを軽くしてくれるのですが、雨の日は比較的日の光が少ないせいで気持ちが落ち込んで、体も疲れやすくなるそうです。」 「ファビオラ、あなたは一体どこでそう言った知識を得ているんですか?僕も割と読書量は多いほうだと思うけど、あなたの膨大な知識量には到底敵いそうにもないなあ。」 「いや、私はただ詩集みたいな類の本はあまり読まない代わりに科学系の本を読んでいるだけですよ…。」 止まらない称賛の嵐に顔が熱くなるのを感じて、なんとかしらばっくれようとした。ベッドに横になって窓の外を眺めていたクロは、少し申し訳なさそうな表情をした。他の人のように外に出ることができないことを気にしているようだった。だけど私にはそれが良かった。こうして部屋の中に座って心の許せる誰かと一日中話をすることができることの方がずっとずっと嬉しかった。 接客担当のメイドにウィットフィールド家の一人息子が交際したいと手紙を書いた瞬間からずっと、我が家はお祭りムードだった。乳母はもちろんのこと、毎日社交界に出ろと口うるさかったお父さんも。無愛想な性格のせいであまり直接表現はしないものの、間違いなく喜んでいるようだった。私と彼の間に一種の『契約』があることは誰一人として知る由もなかったので、ウィットフィールド家に堂々と出入りすることができた。 普通、若い女の子が男性とお付き合いをすると決まってする乗馬や射撃みたいなことは一つもしなかったけれど、私はとても楽しかった。彼の行動範囲は自宅の中と庭園、遠くても隣の果物畑くらいまでだったが、逆にそれが私にはありがたかった。主に彼はベッドに横になって本を読んで時間を過ごしていたし、そんな彼の横で私は看護の実践ができることに心を躍らせていた。ある日のこと、私が手に持っていたガラス瓶を見て彼が聞いた。 「それは何ですか?」 「ああ、これですか?これは99%のアルコールです。」 「アルコール?」 「ええ、アルコールは消毒の効果があるんです。あなたは喘息ですから、何よりも気管支を刺激するような環境をシャットアウトすることが大切なんです。周りの目に見えないほど小さなホコリもなくすためには、これが一番確実な方法だと思って持ってきたんです。このアルコールと水を5:5の割合で混ぜて…。」 今まで本で読むだけで、絶対に実際にやってみることができなかったことを実践できると思うと嬉しくなって、あれこれおしゃべりしながらアルコール水を作った。クロは不思議そうにその姿を見つめていたが、私が素手で雑巾を絞ると彼が止めに入った。確かに彼の基準から考えれば、貴族のお嬢様が素手で雑巾を触るなんてショックが大きかったに違いない。彼だってもちろんそんなことをしてみたことはなかっただろう。 「あなたが僕の部屋でこんなことをしていることがあなたのお父様に知られたら大変なことになります…。」 「あなたは何も気にしないでください。これも看護の一環なんです。私たちの契約をもう忘れちゃったんですか?私があなたを看護している間あなたのことを好きにならなかったら、私を看護学校に入学させてくれるって。」 「もちろん忘れてなんかいませんよ。だからこうやって一生懸命口説いているんだけどなあ。」 「冗談はそれくらいにして、ちょっと起き上がって窓を開けて綺麗な空気を吸ってみてください。ベッドのレールも拭きますので。」 幼い頃乳母が私に言っていたように、布団の中でぐずぐずしているクロを引っ張り出して布団をパンパンとはたいた。万が一ホコリが出ないように、彼は私が命令した通りに水で濡らしたタオルで鼻と口を押さえていた。 窓枠の隅々までアルコールで拭きあげてからやっと、私は彼にベッドに戻ることを許した。他に刺激になりそうなものも全てなくすために彼の部屋にあった花も処分し、カーテンも取り払い、忙しく動き回っていると、何か熱い視線を感じて後ろを振り返った。すると予想していた通り、木の紳士が私の後姿を穴が開くほど見つめていた。 「僕に何か手伝えることはありませんか?」 「大丈夫です。むしろカーテンを洗うのは召使いさんたちがやってくださっているじゃないですか。それに、あなたは私の患者さんなんですよ。患者さんはただ大人しく私の看護サービスを受けてくれればいいんです。」 「…ファビオラ、どうして僕はあなたともっと早く出会わなかったんだろう。」 また何を言っているんだか…カーテンを手に彼をきょとんと見つめた。 「看護学校へ行くんだと言い出さないで、普通のお嬢様たちと同じように平凡にしていたら間違いなく数年前に社交界デビューをしていただろうし、ナースになるんだと言い出すこともなかっただろうし、そうしていたら僕があなたにもっと早く出会って、僕だけの恋人にすることができただろうに。」 「そんなこと言っても、あなたのことは絶対に好きになりません。言ったでしょう、私はずっと昔からナースになるのが夢だったって。」 「僕だって簡単に落とせるなんて思っていません。ただもう少し早く出会って君の胸をマッサージしていたら今頃もう少し大きくなっていたかもしれないのになって思って…。」 「それ以上言ったらこのアルコールをあなたの頭の上からぶちまけますからね、分かりましたか!?」 「お坊っちゃま、エドワード様がいらっしゃいました。」 家庭教師のエドワード様が来たということは、つまり私は帰る時間になったということだった。いつものように簡単に挨拶を済ませ階段を降りていくと、何事だろう、ウィットフィールド侯爵が私を待っていた。近づいて行って挨拶をすると、侯爵はそれに答えるとすぐに口を開いた。 「ファビオラさん、こんなことを聞くと変に思われてしまうかもしれないが、一つ聞いてもいいですか。」 「はい、もちろんです。」 「あなたは私の息子と真剣に交際しているのかどうかと思ったので。」 「はい?」 真剣って、それは…しばらく言葉に詰まっていると侯爵がはっきりと言った。 「結婚を考えているかと聞いています。」 「そ、それは…。」 一人息子を抱えている父親の立場からすれば突然現れた私の存在が気にかかるのは当然のことだったが、いざ真っ直ぐにそう聞かれると動揺するほかなかった。結婚したいわけではなかったが、だからと言って考えていませんと言えるはずもなく、答えられずにもじもじとしていると侯爵は短いため息をついた。 「そんなに気にしなくてもいいです。ただ、あなたのことを思って言っているんだ…あの子の父親の立場でこんなことを言うのはおかしいけれど、あなたの未来を考えると息子との交際はよく考えた方がいいかもしれません。」 「…え?それはどういう…。」 「さあ、馬車を呼べ!」 あとは何も言わないまま侯爵は部屋に戻ってしまった。まるで頭から水でも浴びせられたかのように呆然としてしまった私は召使いに導かれるまま馬車に乗り込むほかなかった。流れて行く景色を見つめながら侯爵の言葉を反芻した。 私の未来を考えると交際は考え直した方がいいかもしれないって?どういう意味なの?うちの家柄にふさわしくないという意味ではなさそうだし、一体どうして私がこの交際にとても不利だっていうことを言うのだろう?クロさんに決定的な欠点があるとか? もちろんこの後も私は彼の家に通うことをやめなかった。むしろやる気が出てきたのか、必ず彼をきちんと看護してみせるという気持ちが強くなった。そしてウィットフィールド侯爵が私に抱かせたこの疑問が解決するのは、その後かなり時間が経ってからのことだった。
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