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track3 深藍
母はそれ以来、精神的にまいってしまって、精神科への入院を繰り返した。その間、僕は親戚の何軒かにお世話になって暮らしていた。我が家ではない家に流れるのは、他愛もない無機質な生活音。楽器の音など一切なく、鼻歌を口遊むことも許されない気がして、迷惑をかけないように極力口を噤んでいた。
母の症状が落ち着くまでのその時間は、自分の罪を自覚するには充分だった。
あまりにも静かすぎる環境は、不快な音ばかりを僕に聞かせた。貧乏揺すりの音。次の引き取り先を相談する電話の声。母の泣き声、寝ても醒めても耳の奥に響くあの日あの時の父の声。誰かといる時はなるべく良い子でいようと意識しているから明るく振る舞えているけれど、一人薄暗い部屋の中にいると嫌でもそれらは混ざり合って僕の耳に居座り、塞いだ気持ちにさせた。
膝を抱いてうずくまり、父の声だけに耳を澄ます。
「蒼斗!」
いつだって柔く優しい響きを湛えていたその声は、はりつめて色濃く影に滲んでいく。
溢れそうな涙を必死で堪えて、歌声を押し殺して。気が狂いそうなほどの寂しさに襲われながら目の前の真夜中の暗闇を見つめ続けていた。暗がりに見える微かな青が音もなく揺らめく。その有様が父の声と重なって、僕をどんどん深く暗い世界へと誘っていくように思えた。生まれてしまった澱んだ思考からもう逃れられない。木霊する声が何度も呼びかける。
「蒼斗!」
父が最後に口にしたのは僕の名前だった。
僕を助けたから、僕のせいで父は死んでしまったのだ。
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