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日生央真はそんないざこざを抜きにしても、蒼美大では有名な存在だった。
入学当初から創作意欲は高く、学内外から沢山のオファーが来る。
絵画科の三年生で、当時蒼美大最難関を誇る油絵専攻。ちなみに同じく私も油絵専攻の同級生だ。
そう言うと、周りの人たちはみんなすごいって言うけれど、私にしてみれば国立大学に受かった人のほうがよっぽどすごく見える。
勉強はからきし駄目だった。しかし絵を描くことは好きで幼い頃から絵ばかり描いていたし、入試対策のデッサンも苦ではなかった。むしろ好んで行っていたので、受験期はとても楽しい一年間だったと記憶している。血のにじむような努力をして美大を目指す人々には残酷なことを言うかもしれないが、私にとってはそういうものだった。
しかし美大にいる人全てが、テレビの向こうの優れた芸術家というわけではない。
私のそれは、文学少女が本を読み漁るのに似ていた。本は好きだが作家になりたいわけではない。要は写真のように物を正確に写し取る過程が好きで、そこに表現したい感情も信条もない。真の意味での芸術家になることは決してできないのだと、一年生にして私は悟った。
ちょっとした大学は出してやりたいという両親の意向で、最後なのだから、と私が夢見ていた美大へ行かせてもらった。就職のことを考えずにいられたのは、私が女の子だからだろう。そうでなければ、人生のレールを踏み外したと親戚たちに嘆かれたかもしれない。結婚さえすれば幸せになれる、そういう時代だった。
美大生の私は、普通の大学生と変わらないようなキャンパスライフを謳歌し、横目でやはりいるにはいる、すごい同級生を眺めて過ごしている。好きな絵を描いていられて幸せだ。将来何になるというわけでもなく、平和な毎日だった。
彼とは同じ学科の同級生だが、接点はあってないようなものだ。私は〝あの人〟一筋なので、他の人間にはあまり興味がないというのもある。また、本人も他人とはあまり交わらない性質だった。一般教養の授業で見かける彼は、いつも小難しそうな本ばかり読んでいた。
少人数のためか雰囲気も良く、講義前に談笑で盛り上がっている周囲の中で、彼一人半身に太陽光を受けながら、難解そうなタイトルが金糸で縁取られた海外文学を読んでいる。
白いカッターシャツを好んで着ていて、それだけを見ると、芸術家の卵というよりは大人しい文学青年か何かに見えた。
その翌日、彼は腕を三角布で吊って現れた。骨折だったらしい。
あのあと救護室に知らせに行ったのは私だ。第一発見者として予後は気になったので、講義が終わったあとに話しかけてみる。
「腕、大丈夫だった?」
無視された。人がせっかくフレンドリーに話しかけているというのに。
机の上には講義後だというのにまっさらなノートが広げてある。
それを見つけて、私は言う。
「あなた、右利きなのね」
「それがどうした」
あ、返事した。
嬉しくなった私は、さらに続ける。
「左脳人間ってことじゃない。天才なのに珍しいわね」
日生央真が天才と呼ばれているのは周知の事実だった。
彼は不味いものを口にしたように、顔をしかめる。
「天才がみんな左利きなのか? 左利きはみんな天才なのか? 違うだろ。馬鹿なんじゃないのか、お前」
「そうだけど……」
にべもなく言い放つ。
ちょっとした与太話だ。何も私だって本気で言っているわけじゃない。こういう理屈っぽい人は苦手だ、と思う。
と、
「例外はあるんだよ」
彼は悪戯っぽく笑った。
どうやら自分が天才だということは否定しないようだ。唯我独尊っぽい発言だこと、と心の中で呆れる。
もう一つ訊ねてみる。
「あなたって、死ぬ気はないのに飛び降りるのね。飛び降りるのはいつも二階からだもの。落ちても死んだりしない、安全な場所」
彼は唇を噛んで、無言で立ち上がった。図星を突かれて気を悪くしたらしかった。
ついてくるな、とも言われなかったので、絵画室の制作スペースに同行した。
……それで分かったのは、絵筆を持てない日生央真はとんでもなく無能だ、ということだった。
息を呑むほど繊細な仕事をする右手に比べ、左手だけの彼はお粗末としか言いようがなく、神経が通っていない張りぼてなんじゃないか、と思われるほどだった。ちょっとくらい何かできてもいいはずなのに。昼食にしていたパンを自然落下させたときは、こいつ殴ってもいいかなと思った。
それでも無理に絵を描こうとして、絵の具のキャップを開けられないわ、油壺を倒すわ、散々だった。
しまいには、油でべとべとになった手を自分で洗うことさえできない始末。そばにいた私が洗ってやる。
侮るなかれ。自分で洗う分にはなんてことないが、他人に手の平を撫で回された日にはたまったものではない。手は人体の中で最も神経が集中している敏感な箇所である。くすぐったいらしく、もっと丁重にやれとか何とか、何度も文句を言われた。使用人じゃないんですよ?
介護する側よりされる側の方が辛い、とよく言うが、彼にとっては羞恥極まりなかったんじゃないだろうか。プライド高そうだし。
それ以来、妙に周りから日生くんへの伝言を頼まれるようになった。その理由を訊いてみると、
「だって君、日生くんの世話係じゃん」
「なんで!?」
油絵騒動の結果、周囲から日生央真の世話係認定をされてしまったらしい。
とんだとばっちりだが、それでも不自由な彼を見捨てるのは忍びなかった。
ときどき自分がとんでもないお人好しなんじゃないかと思う。
――ああ、私ったらなんて優しいの。
「にやけるな」
心の中で自分に酔っていると、無慈悲に切って捨てられた。
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