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「ーー百夜通いというのを知っているかい?」
目の前の小説家は目だけをこちらに向け、横風な態度でそう言った。
でもまあ彼のそんな態度はいつものことなので、私は素直に首を横に振る。
「君は本当に何も知らないんだな」
呆れた声でやれやれと肩を持ち上げる。いちいち態度が癪に触る男だ。
「いいかい、百夜通いっていうのはかの有名な小野小町が…え、知らない?ああそう。まあ要は小野小町って女が自分を慕う男に無理難題を押し付けて自分のことを諦めさせようとする話さ」
くるりと椅子の軸を反転させて、やっと体ごと彼がこちらを向いた。彼は面倒だという顔を隠しもしないで、偉そうに腕を組んでいる。
その顔が青白いのもいつものことだ。
「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの意のままになろう」
彼はまっすぐに私を見つめてそう言った。
一瞬呆気にとられてしまったが、私はゆっくりと瞬きを繰り返してその言葉の意味を考える。
さっき教えてくれた物語の台詞だろうか。意のままとは、私の思う通りになるということなのか。それはいい。
だが、捻くれ者の彼のことだ。私には無理だと確信したうえで言っていることはすぐにわかった。
誰かの意のままになどなる気もさらさらないというのに、私を挑発する為だけにそう言ったのだろう。
望みはないから諦めろと、そういうことだ。相変わらず、腹の立つ。
だが彼は知らない。私がどうしようもない負けず嫌いだということを。
やってやろうじゃないか。百夜でも千夜でも通ってみせよう。そしてその生意気な顔を歪ませてやろう。
そうやって私は雨の日も風の日も、毎夜彼のもとへ訪れる。
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